昨日は、関東以南とは違い、
意外と晴れました。
日本の南と北、いつも逆な気がしますね。
少し前に紹介した讃美歌を今日は紹介します。
73番「善き力にわれ囲まれ」
これは、「日本バプテスト連盟」の賛美集にある方で、
とても希望に満ちた曲です。
「教会福音讃美歌」の方にもありますが、
曲はまったく違います。
1.善き力にわれ囲まれ
守り慰められて
世の悩み共にわかち
新しい日を望もう
過ぎた日々の悩み重く
尚のしかかる時も
騒ぎ立つ心 しずめ
み旨に従いゆく
(繰り返し)
*善き力に守られつつ
来たるべき時を待とう
夜も朝もいつも神は
われらと共にいます*
2.たとい主から差し出される
杯は苦くても
恐れず感謝を込めて
愛する手から受けよう
輝かせよ 主のともし火
われらの闇の中に
望みを主の手にゆだね
来たるべき朝を待とう
(繰り返し)*~*
***
この歌の原詩(詞)は、
ボンヘッファー牧師のものです。
ご存じの方も多いと思いますが、
ナチス・ドイツの占領下で、
迫害に耐えながら、「告白教会」の牧師として、
立派に信徒を指導し、希望の福音を語り、
決してナチスに屈しなかったのです。
ドイツは、迫害の中で、
妥協したり、背教したりした人々、
教会もあったようです。
どんなにナチス・ドイツの
迫害が強くても、決して屈せず、
信仰の告白をし続けて、
神からの知恵を頂きながら進み、
辛くても、辛くても、
希望の朝(明日)を待ち望んだ牧師と
教会の人々を思いながら、
この歌を歌う時、本当に慰められます。
折しも、「サイレンス(沈黙)」が放映中です。
昔、「沈黙」は読みました。
あくまでも私感ですが、
告白教会の牧師と、沈黙に登場する宣教師の差は、
どこにあるのかと考えさせられます。
人間の弱さは十分に理解した上で言えば、
やはり、ヒューマニズムを第一にしているのか、
神の国とその義を第一にしているのか、
その差ではないのかな。
神様は、決して沈黙し給わないお方です。
心騒がす私たち人間に対して、
神の時が来るまで、み業を現されない事があります。
むしろ、神の前に、私たちの方こそ
「黙る」必要があると思います。
待ち望む為には。
「善き力に守られ」ているのだから、
尚も私たちは、来たるべき日を望んで、
祈りつつ、待ちましょう。
ここあでした。