7月18日 パリ - イスタンブール

2008年07月18日 | 風の旅人日乗
今日は何事もなく、定刻の8時、
シャルルドゴール空港からイスタンブールへ飛び立つ。
さよならフランス。

3時間強のフライトでイスタンブール上空に到達。
窓からイスタンブールを東洋側と西洋側に分ける海峡、
ボスフォラスが見える。
ボスフォラスは黒海の入り口でもあるので、
大型船がひっきりなしに行き来している。


今日1日は、今回の旅行で唯一、完全オフ日。
明日お昼過ぎに空港に戻ってくるまでの約24時間、
完全な観光客になってイスタンブールを楽しむことにするつもり。

イスタンブール空港から電車とトラムを乗り継ぎ、
イスタンブールの街の中心地区、サルタナーメットにある、
ホテル・サルタナーメットに到着。
静かに微笑むおじいさんと、その孫らしい少年が迎えてくれる。

少年が案内してくれた清潔な部屋のベッドの上には、
タオル2本を使ったハートのマークが…。
どうしろと言うのだ。はずかしいじゃないか。
この部屋は男1人だけど、
となりの部屋のカップルの成り行きなどを想像して、
顔が勝手に赤くなるじゃないか。


窓から見える景色はこんな感じ。
回教のモスクの向こうに、マルマラ海が見える。
マルマラ海は、黒海とエーゲ海をつなぐ、小さな海。

7月17日 ブレスト → ドゥアーネ → パリ(その3)

2008年07月18日 | 風の旅人日乗
フランス鉄道レンネ駅で、思わぬ苦戦を強いられたため、
ぼくが乗ったTGVがパリのモンパルナス駅に着いたのは、
もう真夜中直前だった。

明日18日のパリ発イスタンブール行きの飛行機が、朝8時出発のため、
空港には朝6時には着いていたい。
本当はシャルルドゴール空港のベンチで夜を明かそうと思っていたのだが、
ぼくがそう考えていることを知ったリノが、
オマエ、それはいけないよ、と
空港近くのホテルを、料金前払いで取ってくれていた。

モンパルナス駅からシャルルドゴール空港まで行くシャトルバスはもうなく、
地下鉄と鉄道も、空港まで今夜中に到達できるかどうか、ちょっと不安だ。
それで、タクシーに乗り、パリ郊外の空港近くのホテルに向かう。

メルセデスのタクシーに乗ってモンパルナス駅の構外に出ると、
ブルーを基調にしたイルミネーションで飾られたエッフェル塔が正面に見えた。
きれいなものだ。デザインの能力に優れた国なんだなあ、と素直に感心する。

到着したホテルは、空港を使うビジネス客用のチェーン系列ホテルで、
深夜の1時近いフロントは無人だ。
暗証番号を使ってキーを機械から受け取って部屋に入ると、
無線インターネットは無料で使えるものの、電話がない。
電話代の支払いなど、チェックアウトの煩わしさをなくそうという考えだろうね。

ウーン、でもぼくは困った。
明日5時半にタクシーの予約をしなければならないのだ。

部屋から出て、道路に出る。
タクシーが走っていたら、それをつかまえて
直接そのタクシーの運転手に明日朝の予約をしようと思ったのだ。
でも、深夜、タクシーはおろか、一般の車さえもまったく通らない。
困った。

すぐ横に、すでに閉店して掃除を始めている深夜レストランがあった。
そこに飛び込んで、レジの集計をしていた女性オーナーに事情を話し、
タクシー会社に電話をしてもらう。

明日朝5時に、そのレストラン前に来てもらうことになった。
よかったー。
この女性は、深夜の道路から、突然閉店後の店に飛び込んできた
怪しい東洋人の、
手を合わせんばかりの(実際手を合わせたかもしれない…)お願いを
無視することも拒否することもできただろうに、
そうしなかった。
めがねをかけた、優しそうな女性だった。
メルシー、を繰り返して感謝する。

これで、明日やっとフランスを出られそうな見通しがついた。

久しぶりの長期旅行で、
ホームシックにかかり始めている自分を発見して、驚いている。

【本日の写真は、太平洋横断の同志、オリビエ艇長(左)とアントワン(右)】

7月17日 ブレスト → ドゥアーネ → パリ(その2)

2008年07月18日 | 風の旅人日乗
レンネ駅のチケットカウンターに行き、
コンペルで買った普通列車のチケットの領収書とともに、
すでに出てしまったTGVのチケットを見せながら、
「あなたのところのコンペルの職員が、
時間を後戻りさせない限り乗れるはずのないTGVを、
間違って売ったチケットです。
これから出るパリ行きのTGVのチケットに代えてください」
と申し出る。
ところがこれが、すんなりといかず、ことは予想外に難航した。

フランス鉄道のチケットカウンターで
英語のできる職員に当たる確率は、
今回のぼくの場合では、4分の1だった。
25%。決して高い確率ではないね。

「コンペルで、『これからパリまで行きたい』と言ったら、
そこの窓口の人が、コンペルからレンネまでの普通列車と、
その列車がレンネに着いた後に連絡する
パリまでのTGVのチケットを発行してくれたので、
それを購入してコンペル発の電車に乗ってここまで来たら、
そのTGVは20分前に出ていた。」
ことを英語で一心に説明する。

自分には一分の非はなく、
そのコンペル駅職員のミスだということを、
何度も説明するが、
相手は、カウンター裏に控えている責任者まで登場する大騒ぎだ。

ケアレスミスでチケットを売ったことを謝るどころか、
「あなたは、新しいTGVのチケットを改めて買わなければならない」。
の一点張り。

深く疲れを覚えながら、しかしここは頑張って激しく抵抗する。
何か自分ケアレスミスによってこういうことが起きたのなら
納得もするし、新しくチケットを買うのもやぶさかではないけど、
これではとても納得できない。
その間に、パリのモンパルナス行きのTGVがどんどん出発していく。
モンパルナス駅からシャルルドゴール空港に行く最終シャトルバスに
間に合う最後のTGVも出発した。

あきらめずに、誠意を込めて何度も、表現を変えながら、
この、これ以上ないほどシンプルな出来事を
時系列の説明書きを加えながら説明する。
相手はコンペル駅に電話を掛けて確認している様子。

30分を経て、やっと新しいチケットが無料で再発行される。
最後に、コンペル駅の職員のミスを認め、
頭を下げながらアイムソーリーと言ってくれた若い男性職員が、
レンネでのこのできごとの中で、唯一の慰めだけど、
達成感はない。
彼の上司は憮然とした顔のまま事務所に姿を消した。
なぜだい?

間違いを犯さないのが当たり前のことだと思って
今まで感謝したこともなかったけど、
日本のJRの人たちって、本当に優秀なんだなあ、
と、改めて祖国日本で働く人たちの、
仕事に対する勤勉さを、
遠くフランスの地で誇りに思う。

【本日の写真は、ドゥアーネの漁村で見かけた、働く少年。
さばのような魚の燻製を、煙に涙を流しながら一心に作っていた。
それを指導しているお父さんは、大変厳しい人だった】

7月17日 ブレスト → ドゥアーネ → パリ(その1)

2008年07月18日 | 風の旅人日乗
2006年に太平洋横断記録挑戦航海をしたときのスキッパー、
オリビエ・ドケルセゾンが運転する
80フィートのモーター・トリマランに乗せてもらって、
ブレスト港を出港して半島を一つ隔てたドゥアーネ(Duannez)へ向かう。

2000隻を超える様々なセーリングボートが、
同じコースを取ってドゥアーネへ向かっている。
明日から20日まで、今度はドゥアーネで帆船祭りが開催され、
みんなもそちらに移動するのだ。
ブレストとドゥアーネ、連続して10日間も帆船祭りで、
その間毎日セーリングしっぱなし、という、本物のセーリング好きたちだ。

フランス、ブルターニュ地方(現地の人たちは、ブリタニー、と言っている)の
美しい海と緑の陸地の光景を海から堪能した後、
オリビエたちにお礼とお別れを言って、古い漁村、ドゥアーネに上陸する。

タクシーが来るまでの1時間、のんびりとドゥアーネの漁村を散策。
村の漁業協同組合みたいなところがやっている
ひなびた屋外レストランで、
(日本で言えば、千葉県の保田の『番屋』みたいな施設だけど、
『番屋』に比べると、とても質素)
ムール貝のワイン蒸しとビールで昼食を取る。
蒸し時間が足りないのか、これがこの地方のムール貝の食べ方なのか、
どうも舌に合わない。
ニュージーランドの、とろけるように美味しいムール貝の味を思い出しながら、
半分で降参する。

「日本に行きたい。東京の行きたい」
と話す運転手君が運転するタクシーに乗って、
フランス鉄道駅のある街コンペル(Quimper)へ。
日本に行きたい! 東京に行きたい!と繰り返されても、
残念ながら偶然のタクシー客は、
ああそうですか、と言うしかないのだ。
彼はぼくにどういうリアクションを望んでいたんだろう?

コンペルの駅で、パリまでのチケットを購入。
コンペルからレンネまで普通列車で行き、
そこからTGV(超特急)に乗り替えて
パリのモンパルナス駅まで行くことになる。

途中、ブルターニュの農村風景を窓からのんびりと楽しむ。
見渡す限りのひまわり畑がいくつもあるのに目を奪われる。
初めて見る光景だ。
むかーし、むかし、『ひまわり』というタイトルの、
哀しめのイタリア映画があった。
その映画での、
ロシアという設定のロケ地のひまわり畑のシーンは圧巻だった。

当時のイタリアメロドラマの黄金コンビ、
ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニが共演した映画だったが、
フランス鉄道の車窓からひまわり畑を見ながら、
その映画のテーマ曲の哀愁のメロディーが頭の中に流れた。

レンネに着くと、コンペルで切符を買ったTGVはすでに出発した後だった。
なんで?

7月16日 ブルターニュの伝統漁船、ドリスに乗る(2)

2008年07月17日 | 風の旅人日乗

ドリスのセーリングの様子はこんな感じ。
ドリスはサバニと違ってとても軽く造られていて、
少しでも速く、少しでもたくさんの魚を積めるよう、考えられている。
バイキング船もそうだけど、
北部ヨーロッパの船は、構造を工夫して少しでも軽く造ろうと追求している。
速さと、積載能力を追求していると言われている。

一方、サバニも、八丁櫓も、その大きさからすると、とても重い。
なぜそんなに重くしなければならないのか?
まだぼくには理解不可能だけど、きっと何か理由があったはず。
いつかそれを解き明かしたい。

ドリスでセーリング中のもっと面白い写真があるのだけれど、
それは、ヨット専門誌KAZIで、追って報告します。

この日の夜は大帆船祭りのフィナーレ。
明日は、全艇ブレストを出て、次のお祭りの港ドゥアーネに移動する。
それでこの夜、参加艇みんながセールを揚げて、
ブレスト港の中を大パレードをした。

ブレストの港は、
東京ディズニーランドの『カリブの海賊』の100倍規模の状態になり、
ぼくたちは、ライトアップされた港内を、
恍惚状態でセーリングしまくりました。

7月16日 ブルターニュの伝統漁船、ドリスに乗る(1)

2008年07月17日 | 風の旅人日乗

ブレスト大帆船祭り。
ブルターニュ出身の友人が、この帆船祭りに出展・参加しているブルターニュ地方伝統の小型漁船に乗っている。
ドリスと呼ばれる、非常に古くからブルターニュ地方に伝わる帆装漁船。
全長6mくらい。
母船に載せて、遠く、カナダ沖のグランドバンクス(タイタニック号が沈んだ海。パーフェクトストームの舞台)まで行き、
そこで海に降ろして、囲い網や一本釣りをした。
やんばる船に載せられて遠くフィリピンとかまで行っていた
沖縄のサバニそっくりの使われ方だね。


7月15日 フランスで八丁櫓

2008年07月16日 | 風の旅人日乗
ブレスト帆船祭りに来ていた焼津の八丁櫓に乗せてもらった。
八丁櫓は、江戸時代、焼津をベースに
遠く八丈島までカツオ漁、マグロ漁に行っていた櫓&セール付きの漁船。

徳川将軍の海遊びのエスコートとボディーガードを務めることもあったため、
当時の日本船舶では七丁までしか許されていなかった櫓の数を、
特別優遇措置で八丁装備することを許された船。

当然のことながら、帆船祭りの参加艇と観客の注目を一身に集めていました。

この日の夜は、焼津の皆さん主催の日本食パーティーに招いてもらった。
会場は、スペインのガリシア地方、ヴィゴから来ていた船のサロンで、
どういう経緯でか分らないが、
こぶしを効かせた正調『天城越え』が歌われ始めたんだけど、
いつの間にか、
フラメンコでも踊れそうなリズムになっていたのが面白かったです。

7月14日 フランスで太平洋を語る

2008年07月15日 | 風の旅人日乗
昨日の宿は見つかった。
それも飛びっきりの宿。

ブレストの帆船祭りの会場に着き、その盛大さに驚きながらも、
「さぁーて、まずはキャンプサイトに行って、テントやシュラフをセッティングして、」
などと思いながら会場をぼんやり歩いていると、
「Kazoo!」
と、なんとなくフランス語っぽい、名前を呼ぶ声。
振り向くと、あれ、リノだ。

リノ、本名ルイ・ノーエル。
ぼくらはみんな縮めてリノと呼んでいた。
一昨年、当時の太平洋横断記録をフランスのジェロニモで作ったときのチーム・マネージャー。懐かしい。

なんでここに?という質問をそのまま返され、なんでお前がここにいるんだ?
リノはジェロニモを所有する会社の広報担当社員でもあり、
その会社が、このブレスト08という帆船祭りの主催者なのだそう。
太平洋横断のその後のクルーの動向などを聞く。
「ほとんどみんなここにいる。つい昨日もお前のことを懐かしく話していたんだぜ」

すぐにスキッパーのオリビエ・ドケルセゾンの事務所に連れて行ってくれ、
久しぶりにオリビエと面会。
事務所の電話でディディエ、フィリープ、アントワンなどと話す。
ブレストが、突然太平洋になった。

【今日の写真は、ブレストでのぼくの宿。
リノが手配してくれた。
帆船祭り会場に停泊中のノルウエーのフィヨルドを巡る連絡船。
VIPルーム・個室・トイレ・シャワー・朝食付き。無料。
ブレスト滞在中はずっとこの船に泊まる。
リノ、ありがとう!】

7月13日 Rennes → Brest

2008年07月14日 | 風の旅人日乗
朝10時5分Rennes発Brest行きのフランス鉄道に飛び乗る。
この日も、フランスの農村風景を車窓から楽しみながら、
お昼過ぎ、ブレストに到着。

駅から人々の流れに乗って歩いていくと、
そこが、今回のブレスト行きの目的地、Brest08帆船祭りの会場だった。
入場者一日平均6万人。

葉山町民全員が、一人一日二回入場して初めてこの数字になる。
7日間で42万人が、この帆船祭りに遊びに来ることになる。

こんなに人が来ちゃったら、
イベント主催者は、楽しくて仕方ないだろうなあ。
ところで問題は、今日からの宿がない。

7月12日 トルコ→フランス

2008年07月13日 | 風の旅人日乗
朝、マリーナで洗濯物を受け取り、荷造りをして、
艇の戸締りをしてからバス停へ。
バスで30分かけてボドゥルムの町に出て、注文しておいた名刺を受け取る。
バスターミナルの茶店で濃いトルコ茶を飲んでから、再びバスに乗り空港へ。

途中、日本の方が経営するアタミホテルへ立ち寄る。
そのホテルに向かう山道にはアザミが咲いていて、道路の標識にAZAMIの文字が見える。
偶然なのかな?

アタミホテルは、ちょっと意表を付かれるくらい美しい入り江に建つ、
リゾートホテル。
プライベートビーチとプライベートポンツーンがあって、
クルージングの途中立ち寄るにも絶好のスポット。
ありがたいことに、そこでビールを一杯ご馳走になり、一息入れてから空港へ。

エーゲ海を横断してから、次はアドリア海沿いを飛び、
ベネチア、ミラノ上空を経てアルプスを越えて、
パリに着陸する、
3時間あまりの旅。

でも、ここからが長かった。

シャルルドゴール空港から地下鉄に乗り入れしている鉄道に乗って、
地下鉄を一つ乗り換えて、モンパルナス駅へ。
もう夜の9時前。
フランス高速鉄道のTGVのチケット売り場は長蛇の列。
この週末はフランスでは3連休なのだった。
ブレストまでのチケットを買おうとしたら、
本日はRennesまでしか行けないことが判明。
事前にフランス鉄道の時刻表を調べて、
今日中にブレストまでたどり着ける算段だったのだが、
なんと今日は土曜日。調べたのは平日ダイヤだったんだね。

取りあえずRennesまでのTGVに乗る。
TGV車内のバールに行き、コントワールに肘をついて
安ボジョレーを啜りながら、
車窓からフランスの農村風景をぼんやり眺める。
ちょうど夕暮れ時。この時期フランスは夜の11時くらいまで明るい。

いい景色だ。
昔は日本の鉄道沿線も、こんな感じの心休まる風景だったんだよね。

深夜12時、Rennes到着。
駅前のホテルに、ラッキーなことに最後の1室があり、投宿する。


7月10日 トルコの花

2008年07月11日 | 風の旅人日乗
トルコのエーゲ地方の町の人たちは、
花や植木をとても大切にしているように思えた。


マーケットを歩いても、
ガーデニング・コーナーは意外と結構な面積を占めていて、
なんだか、この地方の人たちの心のゆとりのようなものを感じる。


トルコという国は、
いろいろと複雑な歴史を経て成り立ってきたようだけど、
それについて浅学な外国人が何かを言うわけにはいかないけれど、
人間というものは、最後の最後は救いのある生き物なのかもしれないなあ、
なんて、がらにもなく考えた。

7月9日 ボドゥルム

2008年07月11日 | 風の旅人日乗
サハラ砂漠から吹いてくる南西風をかき分けるようにして,
一生懸命風上に上って走り、ボドゥルム港へ。

外海から港を見て、最初に見えるのは十字軍がベースにしていたというボドゥルム城。
十字軍の遠征理由や時代背景が、
かつての受験勉強の記憶に濃い霧がかかってしまっておぼろで、
熱心に説明してくれる友人には申し訳ないが、
まずいことに、感動に繋がらない。
『貞操帯』という言葉が唐突に記憶の底から浮かび上がってくるのみ。
とても恥ずかしい。
無知は罪だと思う。ごめんなさい。


久しぶりの都会。
街を歩く。
ここ数日思っていることだが、
トルコの道端や家々の庭先の花々は、
とてもきれいだ。
夾竹桃や、カンナ、おしろい花。
日本の夏休みの思い出の花が、町中至るところに咲いている。

犬が一匹、暑そうに歩いてきて、
いきなり道の真ん中に寝っ転がって寝始めた。
気持ちは分かる。
できれば、こっちもそうしたい。



こっちもそうしたいと思いつつ、視線を横にずらしたら、
そうしている人がいた。
すごいいびきで爆睡中だ。


コーランが拡声器で寺院から聞こえてきた。
みんな一斉に地面にひれ伏してお祈りを始めるのかと思っていたら、
歩いている人はそのまま歩いているし、
おしゃべりしているおばさんたちはそのままおしゃべりしているし、
寝ている人はそのまま寝てて起きないし、
寝ている犬も、もちろん寝たままだった。

7月9日 トルコの伝統工芸を守る母娘

2008年07月10日 | 風の旅人日乗
チュケルトメ湾を出港する前に、
チュケルトメ村に住む、トルコ絨毯を織る家族を訪ねる。
母親は、伝統的な方法を変えずにトルコ絨毯を作り続ける努力をし、
それを娘がサポートしている。


羊の毛を刈り、洗い、糸をつむぎ、染色し、という細かい工程を母が説明し、
それを娘が英語に翻訳して日本人に伝える。
自分たちがトルコの伝統を守るのだ、
という決意が伝わる。
日本に限らず、自国の伝統文化を守ろうとする活動は、
政府ではなく、どこも個人の努力で為されているのだと知る。


母娘二人の頑張りを支援したくて、
二人が作っているトルコの工芸品を、
日本へのお土産として買わせてもらった。


波穏やかなチュケルトメ湾に面した、
トルコのエーゲ地方の民家です。


7月9日 チュケルトメ・レストラン

2008年07月09日 | 風の旅人日乗
昨日の泊地は、チュケルトメ湾にある、小さな村。

サハラ砂漠から吹いてくる風向220度の、
クーラーの室外機から吹き出す熱風のように熱い南西風の中を、
一生懸命クローズホールドで走ってやっとたどり着いた村。


船を桟橋に泊めて、すぐ上の丘を見上げたら、
こんなレストランがあった。
まずはビールで乾杯、それからRAKI。


レストランの席は、こんな感じで、
ちょっと懐かしい日本の海水浴場の海の家みたい。
すぐ裏では牛が草を食み、
ニワトリがコケコッコウと鳴いている。


レストランの持ち主のお母さんと奥さんが食事の準備をしている。
おいしい匂いにつられて、そのままここで夕食になった。