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誰にもいつかは必ず訪れる死。その殆どは病院で医療機器に囲まれ、口や鼻から、管を通され、その死は機械が判断する。そこに愛する者たちの入り込む余地などない。あなたはそんな死を望みますか?
誰しもが愛する人に囲まれて、その手を握り、その肌の温もりを感じながら、住み慣れた我が家で死にたいと思うのではないでしょうか。
特に末期がん患者にとって残された僅かな刻を、家族と共に、人間らしく生き、そしてあるがままに終わりたい、そんな望みを叶えてくれる医師がいる。
鎌田医師と共に前回のブログでも紹介したが、グループ・Pallium(パリアン)の代表でもあり、ホームケアークリニック川越の川越医師である。
僕はこのクリニックに5年前にお世話になった。
骨に転移した癌による痛みに苦しみながらも本人の希望によって病院を去り、共に壮絶な病魔との闘いを強いられながらも、最後は安らかな死を迎え、我が家で看取ることが出来たのは、川越先生のお蔭であり、これ以上の終わり方はなかっただろうと今も心から感謝している。
この在宅ホスピス、耳慣れない方もいるかも知れないが、前述したように主に末期がんの患者を対象に在宅で介護し、その最期を家で看取るというものである。
週1回の医師と、週3回の看護士さんの訪問があり、あわせて週4回訪問看護による患者に対するケアーをしてくれる。
痛みに対してのPain control を初めとして、あらゆるケアーをしてくれるし、24時間体制で連絡も取ることが出来、いざというときにはいつでも駆けつけてくれるので、安心して介護することが出来る。
患者が寂しい思いをしなくてすむし、毎日病院に足を運ぶ労力も要らない。何よりも患者自身が残された僅かな時間を愛する家族と共に生き、人間らしくあるがままに自然に死を迎えることが出来るのだ。
その後の残された家族へのケアーも行き届いている。同じ時期に愛する人を失った人たちと共に、先生や、看護士さんを交え故人を偲び、悲しみを分かち合う集いが催され、悲しみに打ちひしがれている家族の拠りどころとなる。僕も当時、その会に出席させていただき、時には学生さんや、看護に携わる方たちの前での介護の体験の話をさせていただき、どれ程慰めになったかわかりません。写真はそのときのものです。
今でも年に一度の集まりがあり、欠かさず出席させていただいています。先生の優しさ、看護学校の教鞭をとっている奥様や、スタッフの皆様の優しさは何よりもうれしい。そこにはボランティアの方々の努力もあり、今年も7月に予定されているのだが、勿論出席の返事を出したばかりである。
2005.05.16
誰しもが愛する人に囲まれて、その手を握り、その肌の温もりを感じながら、住み慣れた我が家で死にたいと思うのではないでしょうか。
特に末期がん患者にとって残された僅かな刻を、家族と共に、人間らしく生き、そしてあるがままに終わりたい、そんな望みを叶えてくれる医師がいる。
鎌田医師と共に前回のブログでも紹介したが、グループ・Pallium(パリアン)の代表でもあり、ホームケアークリニック川越の川越医師である。
僕はこのクリニックに5年前にお世話になった。
骨に転移した癌による痛みに苦しみながらも本人の希望によって病院を去り、共に壮絶な病魔との闘いを強いられながらも、最後は安らかな死を迎え、我が家で看取ることが出来たのは、川越先生のお蔭であり、これ以上の終わり方はなかっただろうと今も心から感謝している。
この在宅ホスピス、耳慣れない方もいるかも知れないが、前述したように主に末期がんの患者を対象に在宅で介護し、その最期を家で看取るというものである。
週1回の医師と、週3回の看護士さんの訪問があり、あわせて週4回訪問看護による患者に対するケアーをしてくれる。
痛みに対してのPain control を初めとして、あらゆるケアーをしてくれるし、24時間体制で連絡も取ることが出来、いざというときにはいつでも駆けつけてくれるので、安心して介護することが出来る。
患者が寂しい思いをしなくてすむし、毎日病院に足を運ぶ労力も要らない。何よりも患者自身が残された僅かな時間を愛する家族と共に生き、人間らしくあるがままに自然に死を迎えることが出来るのだ。
その後の残された家族へのケアーも行き届いている。同じ時期に愛する人を失った人たちと共に、先生や、看護士さんを交え故人を偲び、悲しみを分かち合う集いが催され、悲しみに打ちひしがれている家族の拠りどころとなる。僕も当時、その会に出席させていただき、時には学生さんや、看護に携わる方たちの前での介護の体験の話をさせていただき、どれ程慰めになったかわかりません。写真はそのときのものです。
今でも年に一度の集まりがあり、欠かさず出席させていただいています。先生の優しさ、看護学校の教鞭をとっている奥様や、スタッフの皆様の優しさは何よりもうれしい。そこにはボランティアの方々の努力もあり、今年も7月に予定されているのだが、勿論出席の返事を出したばかりである。
2005.05.16
どこか施設に入ってひっそりと最期を迎えたいです。
延命治療も望みません。
貴重な体験を話しされている瞬間・・! ・・貴重です・・・!
そのときに慌てないように、心掛けることも必要かと思います。
そんな時、在宅ホスピスも知っていただけたらいいですね。
”愛ある人生”の記事に書かれてた
リンクから来ました。
実は
既に読ませていただいておりましたが
読み逃げしてました(笑)。
このことを知ることにより
残された母の
来るであろう
そのときのことを
あらためて考えてみたいと思えました。
ありがとうございました。
「終わりよければすべてよし」といわれますが、この歳になると人生の終末をどのように迎えられるか、という事は大きな問題だと思うようになりました。
まして、目の前で死を見つめていると、生きていることの意義を深く考えさせられます。
今、盛んに終末医療が取り上げられていますが、病院で迎える死と、在宅で愛する人に見守られながら迎える死の違いを考えます。
それぞれの事情があって、すべての人にそれが可能とは限りませんが、医療に従事する方の中には、そのような医療を目指して活躍なさっている方も多いようです。
僕はこの体験によって多くのことを学びました。
人生観も180度変りました。
悲しいけれど、いい体験をさせてもらいました。
ある意味幸せなことかもしれませんね。
わたしの周囲にはもう何年も自宅で介護を受けている人がたくさんいますが、
本人も介護を続けている家族も、
納得のできる生き方をしている人は少ないです。
パリアンのような在宅医療の機関が身近にあれば
辛い闘病生活のなかにも光が見えるかもしれませんね。
年老いてから人生の週末を迎えられる保障は誰にもありませんが、
いつその時が来てもよいように、最低限の準備はしておきたいといつも思います。
僕はパリアンから大きな財産をいただきました。
このような医療がさらに広がることを願っています。