日本が戦争に巻き込まれる危険性があると感じている人が急増している。
内閣府の調査によると、'94年は19.2%だったのに今年2月は45.0%だった。
60ヵ国できいた世界価値観調査2000では、「もし戦争が起きたら国のために戦うか」の設問に、「はい」と答えた率は日本が最低。下から2番目のドイツの半分以下だった。(朝日新聞から)
1945年、終戦の年、僕は2歳を迎えていた。東京を去り、父の実家の埼玉で終戦を迎えたが、姉達は学童疎開をしたり、東京に残った姉もいたが、空襲の夜、東京の空が真っ赤に燃えるのを見た母は、就業していて一人東京に残した姉を心配し、「何かあったら一生恨むから」と父に言ったそうだ。
2歳の僕は、広島や長崎に原爆が落とされたのも、8月15日の玉音放送も知る由もない。
戦後のもののない時代に、裕福ではないが自然の中で育った僕は、少年の頃の思い出は今も心に残る。
左から、弟の金髪、末の弟、僕、姪
春風になびく麦の穂。夏の蝉時雨、蚊帳の中に放った蛍の光、口を真っ赤にして食べた桑の実。秋の空に群れる赤とんぼ、西の空を茜色に染める夕焼け。父に叱られて、降りしきる雪の中を泣きながら裸足で歩いた冬の日。
どれもが懐かしく思い出される。
昔を語り、懐かしむことは年寄りの証拠でもあろうか。
文明の発達は日進月歩、年寄りがついていくには追いつかないほどの進歩である。しかし太古の昔から争いごとは絶えない。今もどこかで戦争が行われている。文明は驚くほどの進歩を遂げるのに、人間の心は何故に進歩がないのだろうか。
敗戦で不戦を誓った日本、「国のために戦うか」の問いに「はい」と答えた率が最低という結果を「情けない」という必要はないと思う。
と朝日新聞は結んでいる。
2006.08.06
内閣府の調査によると、'94年は19.2%だったのに今年2月は45.0%だった。
60ヵ国できいた世界価値観調査2000では、「もし戦争が起きたら国のために戦うか」の設問に、「はい」と答えた率は日本が最低。下から2番目のドイツの半分以下だった。(朝日新聞から)
☆
1945年、終戦の年、僕は2歳を迎えていた。東京を去り、父の実家の埼玉で終戦を迎えたが、姉達は学童疎開をしたり、東京に残った姉もいたが、空襲の夜、東京の空が真っ赤に燃えるのを見た母は、就業していて一人東京に残した姉を心配し、「何かあったら一生恨むから」と父に言ったそうだ。
2歳の僕は、広島や長崎に原爆が落とされたのも、8月15日の玉音放送も知る由もない。
戦後のもののない時代に、裕福ではないが自然の中で育った僕は、少年の頃の思い出は今も心に残る。
左から、弟の金髪、末の弟、僕、姪
春風になびく麦の穂。夏の蝉時雨、蚊帳の中に放った蛍の光、口を真っ赤にして食べた桑の実。秋の空に群れる赤とんぼ、西の空を茜色に染める夕焼け。父に叱られて、降りしきる雪の中を泣きながら裸足で歩いた冬の日。
どれもが懐かしく思い出される。
昔を語り、懐かしむことは年寄りの証拠でもあろうか。
☆
文明の発達は日進月歩、年寄りがついていくには追いつかないほどの進歩である。しかし太古の昔から争いごとは絶えない。今もどこかで戦争が行われている。文明は驚くほどの進歩を遂げるのに、人間の心は何故に進歩がないのだろうか。
☆
敗戦で不戦を誓った日本、「国のために戦うか」の問いに「はい」と答えた率が最低という結果を「情けない」という必要はないと思う。
と朝日新聞は結んでいる。
2006.08.06
ここまで飛んできてくれてありがとう。
≫身近に戦争がある国の選挙は
≫投票する一票一票の重みが違うように感じられます。
改憲を唱える候補者もいますね。
どの候補者も線が細い感じがします。
安心して国政を任せられる政治家って
いるのでしょうか?
≫赤ちゃんの頃から
≫この頃まではそのままですね~♪
頭のことですかぁ?
ん・・?
この頃までは・・・?
今は?
見る影もない?(ホットイテ♪)
ハゲは変わらない!
≫金髪先生って笑顔が今でも同じだぁぁぁ(^^)/
金髪にはなってなかったですよ。(ニッコリ♪)
投票する一票一票の重みが違うように感じられます。
今、テレビで、にやけた顔をした
緊張感のない候補者を見ていると・・・
話は全く変わりますが(笑)
赤ちゃんの頃から
この頃まではそのままですね~♪
金髪先生って笑顔が今でも同じだぁぁぁ(^^)/
お帰りなさい。
屋久島の旅はいかがでしたか。
愛国心と戦争は別問題ですね。
僕は戦争の実体験はありません。
しかし戦後の貧しい時代は知っています。
その経験をさりげなく、間接的にでも伝えることができ、その中で戦争を見つめることができたらと思います。
≫お年寄りの証拠ではなく、貴重な経験者の証ですよ。ありがとうございます。
こちらこそ、聞いていただきありがとうございます。
たまたま日本という国で、単なる地理的な区分でしかないのかもしれない。でも、やはり私は日本人でしかないし、構成員として日本を愛するんだと思います。特に和風がスキでもないし、誇りに感じるわけでもないし、日本人としての意識が薄いと自覚する私ですが、でもやっぱり日本を愛さないで日本人の両親から生まれ日本で家族をもち、日本で暮らせないです。
その日本という国は原爆投下を経験した唯一の国で、戦争を放棄した国です。その歴史、社会的背景、政治、すべてが今の日本につながっています。つまり自分につながっている。
今の自分の環境を享受するのならば、過去の歴史も敗戦も知らなければならないと思うのです。そして、国を愛するが故に戦争に反対しなければならない。それは日本が参加する戦争であろうとなかろうと、日本に損失があろうとなかろうと、世界を愛するのであれば、世界の一員として生きるのであれば、必要なのだと思っています。
長くなってしまいました。
勿忘草さんのお話と写真、とても嬉しかったです。お年寄りの証拠ではなく、貴重な経験者の証ですよ。ありがとうございます。
何かひとり言いってます?
はい、昔から禿げていました。
ほっといてください。(にっこり♪)
朝早くからありがとう。
いま起きたのではなく、これから寝るのですね。
おやすみなさい。
こちらに、ようこそおいで下さいました。
おばあちゃま、今は思い出の人なのですか?
「勿忘草」にどんな想い出があるのでしょう。
お聴きしたいですね。
「星野富広さん」の言葉は、彼でなければ見えない世界がありますね。
そんな世界を、折に触れて紹介しています。
お父様が僕と同じ歳という事は、僕にとっては娘(ですよね)のような年代なのですね。
お二人の息子さんがいると、これから平和が続くことを、より願う気持ちが強いでしょう。
≫どうしたら戦争の無い平和な世界になるのでしょうか。
難しい問題ですね。
一人一人が真剣に考えることも
その一つではないかと思います。
ps.
もしブログをお持ちでしたら
アドレスを教えて下さいませんか。
戦争を知らないおにぎりには、
いいお話もあったかな?
≫本当の年令は36歳です。
≫誰か信じてぇ!
≫(ぐぅ^^ちゃまなら信じてくれるかな)
≫優しい×2ぐうちゃまでも、おそらく無理でしょう
オイ!
嘘でも、「そうみえる」くらい言えよ。
でも、だいぶ無理があるかぁ。(にっこり♪)
私も星野富弘さんの詩が好きなので過去の日記なども拝見させていただきました。
勿忘草さんは私の父と同じ年かもしれません。
父も2歳の時に埼玉で終戦をむかえたそうです。
母も同じ年ですが台湾に住んでいたため追い立てられ身一つで逃げるように千葉に移り住んだそうです。
母は事あるごとに当時の怖かった記憶を話してくれます。
祖父母も同居しておりましたので戦争の話は繰り返し聞かされました。
現在私は9歳と6歳の息子がおります。
戦争が怖くて怖くてたまりません。絶対に嫌です。
どうしたら戦争の無い平和な世界になるのでしょうか。
希望を持って暮らしたいです。
おとうちゃん、小さいときから面倒見よさそうなオーラでてますね。
本当の年令は36歳です。
誰か信じてぇ!
(ぐぅ^^ちゃまなら信じてくれるかな)
優しい×2ぐうちゃまでも、おそらく無理でしょう。
計算しちゃいました?
本当の年令は36歳です。
誰か信じてぇ!
(ぐぅ^^ちゃまなら信じてくれるかな)
写真、面影がありますか?
いかにも大昔という写真ですよね。
◆momobeさん
可愛い息子さんたちのためにも、戦争はあってはならないですね。
喧嘩は、勝っても負けても虚しいだけです。
◆新妻さん
生命は国のためにあるのではないですよね。
新妻さんのブログでも、戦争について取り上げていましたね。
一人一人は小さな声でも、集まれば大きな声になります。
小さくても声を上げることが大事だとおもいます。
◆coroさん
「愛国心」は一人一人の心の問題。
愛国心を持てる国にして欲しいとも思います。
◆陽子さん
お父さんのお話は、その裏には深い悲しみが隠されていたのでしょうね。
今もなお劣化ウランなどによる被爆者がでています。
人間は何故にこうも愚かなんでしょう。
◆uragojpさん
広島に続いて長崎も被爆しました。
uragojpさんも黙ってはいられなかったのですね。
さだまさしコンサート、今年が最期だそうですが、来年は広島で行うとか。
平和、続いて欲しいです。
◆禰里吉さん
世界のどこかで、今も続く戦争。
その青年が兵役にとられたり、戦地に行ったりしていなければいいですね。
無事でまた連絡がある事を願います。
誰もが願う平和を何故壊そうとする人間がいるのでしょう。
禰里吉さんの正義感、いつも感じています。
日本は平和です。この平和がいつまでも続きますように。
昨日、平和訴え20年「稲佐山」より、さだまさし野外コンサートが行われました。
今年で最後というので、老体にムチうって炎天下に出かけました。
平和を願います・・・
父は生前、戦争に行った時の事を話してくれましたが、いつもどことなく楽しい、戦争とはかけ離れた話ばかりでした。らしい話と言えば新兵いじめの話。でも4年も中国に行っていたらきれいごとばかりではなかったはずと、今は思います。きっと人に言えないこと、言いたくないこともたくさんあったと思います。
最近はイラクやアフガニスタン、イスラエルなどで民間人に犠牲者が、などと報道されますが、戦争で犠牲になるのはいつも民間人です。軍人だけが戦争をしているのはないのです。
戦争は嫌です。
「愛国心」がどうのという議論が最近ありましたが、こんなのは、押し付けるものではなく個人の「心」の問題だと思います。
「国民を愛せない国を愛せない」というような内容の川柳が載っていました。
その通り! と思いました。
悲惨な戦争・・・もう二度と起こしたくはありません。
という、朝日新聞に賛成です誰だって、1つしかない命を大事にしたいと願っているし⇒愛国心というもの自体がこの60年のうち次第に薄れていったのかも・・・
いやいや、そもそも国の為に戦う(死ぬ)事が、本当に国の為になるのかすらにも疑問が・・・
戦没者には、失礼な言い方になってしまったかもしれませんねごめんなさい
でもやっぱり、戦争なんて馬鹿げている戦争で命をおとした人に国のトップは謝れ
と聞かれたら
「はい」とは 言えません。
言いたくありません 言いません!
憎しみと悲しみしか残らない
争い事なんて 大嫌い!
なぜ?
戦争なんて 起こるんでしょ?
悲しいです。
きちっと計算しました、分りました、
本当の年齢が
それにしても貴重な写真ですね
面影あります
子供のころから、二の線ですね