3回にわたって掲載してきました 「6メートルの回想 」 完結です。
この作者は、かつて刑務官を務めたこともあり、この著の主人公である、谷山康夫(仮名)死刑囚の刑の執行にも携わった経験から、この作品を書いたそうです。
収監されていた彼とは日常の接触もあり、その言動を目の当たりにし、彼らのほとんどがそうであるように、表向きの顔と、本音の顔の違いも、嫌という程見てきているとの事。
そんな話を聞くにつけ、日頃私が思っている犯罪、特に殺人に関して強い憤りを感じる事から、この作品を取り上げてみました。
彼らは皆一様に、自分の罪を他人(ひと)のせいにし、「あの時、あいつが居なければ」「あの時、あれさえなければ」 そう言って自分の罪を転化し、否定するそうです。
そして、罪を犯した者の多くは、再び事件を起こし、戻ってくる者が多いと聞きました。
犯罪者への人権や保護が叫ばれる中、死刑廃止論者も多いとか。
殺された人は二度と帰ってはきません。命には代わりがないのです。それなのに、何故その命を奪った者の人権を守らなければいけないのですか?
この作品を読んでいただき、ありがとうございます。感じた事、思う事をお聞かせ下さい。特に、この作品についての感想など、聞かせていただければ光栄です。
こちらに
いただいても結構です。お待ちしています。
dance-fuji@male.goo.ne.jp
2005.04.01
この作者は、かつて刑務官を務めたこともあり、この著の主人公である、谷山康夫(仮名)死刑囚の刑の執行にも携わった経験から、この作品を書いたそうです。
収監されていた彼とは日常の接触もあり、その言動を目の当たりにし、彼らのほとんどがそうであるように、表向きの顔と、本音の顔の違いも、嫌という程見てきているとの事。
そんな話を聞くにつけ、日頃私が思っている犯罪、特に殺人に関して強い憤りを感じる事から、この作品を取り上げてみました。
彼らは皆一様に、自分の罪を他人(ひと)のせいにし、「あの時、あいつが居なければ」「あの時、あれさえなければ」 そう言って自分の罪を転化し、否定するそうです。
そして、罪を犯した者の多くは、再び事件を起こし、戻ってくる者が多いと聞きました。
犯罪者への人権や保護が叫ばれる中、死刑廃止論者も多いとか。
殺された人は二度と帰ってはきません。命には代わりがないのです。それなのに、何故その命を奪った者の人権を守らなければいけないのですか?
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この作品を読んでいただき、ありがとうございます。感じた事、思う事をお聞かせ下さい。特に、この作品についての感想など、聞かせていただければ光栄です。
こちらに
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dance-fuji@male.goo.ne.jp
2005.04.01
読み物としては、私は森村誠一を読むのをやめるきっかけとなった作品を彷彿とさせるものがあり、怖かったです。
人を殺めて自分だけ生きようとする。犯罪者の常です。
許せませんよね。
刑務所の中では、無期懲役判決2件、有期15年、3件など一人の人間が受けた判決、すなわち一人の人間がそれだけの犯罪を何度も起こした事があるわけです。そういった人間が多くいます。
日本では無期懲役と言っても15年で仮釈放の対象となります。実際には、そういう重大犯罪は判決がでるまでに数年、其れが確定するまでにさらに数年というケースが多く、判決時にはそれらの年数を刑期に参入します。判決が確定するまでは懲役ではありません。原則的には無罪と同様に扱われます。従って、拘置所の中では閉鎖空間ではあっても、そこでできる最大限の自由を与えられます。仮に未決通算5年の無期懲役の判決が下りたとします。無期懲役では15年が仮釈放の計算の対象ですから、最短距離で仮釈放をもらったとすればその三分の一、すなわち5年で仮釈放の名目で社会に出る事ができます。未決通算5年で有れば、実際の刑に服し始めた時にはすでに仮釈放の対象になるわけです。実際にはここで、仮釈放になる人間は居ませんが・・・・。それでも残り10年の内の何年かで、仮釈放として世間に出てきます。
其れを考えた時、皆さんは恐ろしくありませんか?確かに彼らは法廷では、反省の言葉を並べ、精神障害を理由にし、ありとあらゆる理由を付け、少しでも自分の刑を軽くしようと努力します。
そんな彼らが囚われている拘置所や刑務所では、どんな生活をしているか全てを公開したい感情でいっぱいですが、これは法律により禁じられたますので・・・・。
私が個人的に思うことは、日本もアメリカ並みに有期刑の上限を無くし数百年と言う刑期があっても良い様に感じますし、無期懲役に対する仮釈放の廃止、及び死刑の増大を、声を大にして叫びたいと思います。
これだけ凶悪な事件が増えてきて、そいつらを生かしておく(私たちの税金で!)というのは納得できない。
一度大きな罪を犯したものが、完全に改心するとは信じられない。残念ながら・・・。
長い裁判も考え直して欲しい。
人を殺した=即死刑・・・これくらい厳しくしないと凶悪事件は減らないと思う。
犯人が死刑になっても、殺された人は生き返ることはないけど。
現場の体験者でなくては解らない思いがあるようだ。
捕まれば反省の振りをする。捕まらなければのうのうと生き続けるに違いない。反省だけならサルでもする。
テレビで見ましたが海外では、旅行者が麻薬所持などで、刑務所に入った場合なかなか出れないそうですね!
日本も犯罪者には特に厳しくあつて欲しいものです。
私が子供の頃は人を殺したら死刑になる!と親から教わったものです・・! 残~念!
余り読みたくない部類のものであって、触れずにいられれば触れずに通り過ぎたいテーマでありますね。
そう思うのも 私を含めた大多数の人たちが、
その枠外“明”の部分でこれまで生きてこられたという幸運に他ならず・・・
しかし、自分が、家族が、親戚が、、、、その枠内に引きずり込まれることも十分あり得る訳で、
そのとき初めて“暗”の人生がはじまる・・・
やはり、顔を背けて通り過ぎてはいけない。。。
『あいつのせいで、俺がこんな事になっているんだ』
『あいつが俺にあんな感触を教えたから』
『それなのに、何で俺が死ななければ行けないんだ』
『殺すなら、あいつを、あの女を殺してくれ』
『嫌だ、死ぬのは嫌だ、助けてくれ』
『殺さないでくれ』
この数行に集約されている人物像。
巷にゾロゾロいるような・・・怖いですね。
現場に携わっておられる方のノンフィクション作品とのこと。
非常に貴重な文献であり、もっと多くの人々が読むべく、広く世の中に公表すべきだと思います。
採り上げるられた藤先生のご努力に敬意を表します。
ありがとうございました。
僕にとっては、重いテーマでしたが、身近にこのような体験をした人がいて、この作品があり、ブログという発表の場があって、是非 取り上げてみようという思いから、作者本人に許可を貰いました。
これからもよろしく!
強姦殺人は重罪です。
罪に見合った厳罰が科せられていたならばこれほど多くの女性が犠牲になることはなかったのではないかと、非常に胸が痛みます。
私も今の犯罪者処遇の諸制度は生易しすぎると改めて思いました。
他に終身重労働とか終身懲役などもあってしかるべきと思っています。
被害者の尊厳を顧みず、加害者の人権を唱える、一部の運動には大きな疑念を感じます。
まず裁判上、結果だけでは裁けないということ。
そこに至るまでの過程が無視できない。当然結果は重要視されるが過程も考慮されるのが通常である。
ここでの論点を見ると結果のみにこだわっている。
極端な話、正当防衛で殺されかけて怖くて夢中になり、相手を惨殺した場合、それを本人の証言、目撃証人、精神状態、状況確認などで分析することなく結果で裁かれてよいものなのだろうか。
ここでの論点から見るとそのような確認が話しとか一部の取り上げでしか論じられていない。つまりフィルターのかかった表現での論点で展開されている。
6メートルの回想のあとがきに至っては、罪を犯した者の多くは、再び事件を起こし、戻ってくる者が多いと聞きましたなどと結論へ導きたい意図が見える。
それはそれで何ら問題はないが、できれば刑務所には、色々なところがあり、犯罪者の多くが再び戻ってくる統計がどのくらいになるかなどにも触れてほしい。
死刑について反対でも賛成でもないが、ここの論点が偏っていることを指摘したい。
まあそれだけなら書き込みはしないけど、問題はこのページが犯罪を誘発する可能性があるので書き込みをした。
次に6メートルの回想に至っては、フィクション的作文であり、まったく論外だが、いくつか指摘してみたい。
描写だけを見ればノンフィクション的なリアルな表現で書かれてるが、文章の展開はフィクション的要素がちりばめられていて興味本位の作文であると考えられる。
まず第一に、問題でもある部分の死刑囚の仲間に自慢しているとされる話であるがその話が本当であるとすると、これも精神的異常者として扱われたいための言いふらしとも思える。
前置きの描写からすれば誰もが予想する行為であるが本文ではそれに触れていない。
その内容に至っては人を殺すときにしか経験できないように表現されていて、誰にもそれを否定できない内容のようであるが、考えて見れば実に理論に反したことである。
なぜなら子孫繁栄のために作られた体が反応することを死を迎えた時に反応するはずがないであろう。
まるで妄想を現実らしく表現したか、経験の少ない人間がそれをあたかもすばらしいことのように思っているのであって論理的ではない。
もう一つ指摘してみよう首を絞められて死んで行くのにどのくらいの時間がかかるかである。
死刑囚がつるされるのを体験しているのであればその記述があってもいいと思われるが、それはなくて殺人者が首を絞めて殺して行くときのみの記述が実にリアルに描かれている。
通常想像するに長くても1分ぐらいであろうと思われるがそんな短い時間で体験できるような内容なのであろうか。手には力が入っているし、抵抗している相手を押さえつけての行為なのだ。描写は子供とか経験者を登場させていかにもごまかしているが・・・。
コメントをしている中に女性がいるようであるが、なぜ反論しないのか不思議である。
たぶんレイプされることを想像したことのない女性のコメントなのであろう。
いずれにしてもこのページは犯罪を誘発する可能性のあるページであり、法律には犯罪を起こさないようにする法律もあることを認識してほしい。
まあこの中の論点から行くとこれを見て殺人をしたくなったとしてもそれは責任の転嫁であるといいたいのであろうが・・・。
この6メートルの回想は何を言いたいのか、これを取り上げたこのページはなぜこれと死刑の賛成とつながるのか論点が理解できない。
6メートルの回想では、すでに死刑になっているのであるよ。
単にあまり知りえないことの一部を知っているから自慢したいのか、あるいは単なる興味本位のものと考える方が理解できる。
自分は、裁判官でもなければ、弁護士でもない。普通の人間であると思っているし、運動を推進しているものでもない。異常者や子供に与える影響を心配している者である。
犯罪者を増やし、死刑を増やしたい意図で作っているページにも思えないが・・・。
できることなら書き込みもせずに通りすぎればよかったとも思っている。
早めにこのページを削除されることをお勧めします。二度とこんなページには訪れたくない。
反論も賛同もするものではありませんが、
私もコメントをした一人として一言・・・。
この6メートルの回想の訴えたいこと・・・
私なりの解釈ですが・・・
昨今、
死刑に充当すべき重犯罪者が、精神異常者であるとか、未成年者であったとかで、人知れず世の中に復帰している、、、そして再犯、、、。
統計とか突き詰めた話は別にして、
おせっかいさんも良くご存知のこととおもいます。
・・・そう、私の町にも おせっかいさんのお近くにもいるのかもしれません・・・。
もし貴方に愛しいお子さんがいらしたら、愛しいお孫さんがいらしたら、、、。
私的には 死刑賛成反対はさておき、
人知れず“野放しにされてる恐怖”に注意を喚起するとともに、これでよいのだろうか・・・と、考えざるを得ません。
>問題はこのページが犯罪を誘発する可能性があるので書き込みをした。
あなたは誘発されますか?そして実行しますか?
問題は誘発され実行してしまうような異常者が、
そ知らぬ顔で一般社会に戻ってくる いる、・・・
ということではないでしょうか。
おせっかいの二乗・・でした。
ちなみに、実行から死亡確認まで約3分ほどです。絞首の場合降下するので、首が絞まったり、舌骨が折れて窒息死することはなく、頸椎が折れ、ほぼ即死の状態です。
だが、舌骨が折れて窒息するまでには5~8分くらいかかると聞いています。
それに作者としては、犯罪をあおるつもりは全くありません。確かに緊急避難や、正当防衛、あるいは過剰防衛などでやむなく犯す犯罪もあります。現に私もそんな人間にあって、もし自分にそれだけの権利が有ればすぐにでも拘束を解きたい収容者も居ることは事実です。ですがそんな人は統計に現れるような数字でもなく、犯罪白書によると再犯率は約70%となっています。だが、私はこの作品を論文にするつもりはありません。
論文なら、色んな正確な資料を持ち出し、各事犯をあげ、犯罪心理学、精神医学などの観点の意見も入れていくでしょう。しかし、これはあくまでもフィクションとして書かれた、いわば作文です。その中に作者の私が言いたいことを込めた。
ただ、この作品を掲載してくれた私の友人の名誉のために、ここにしたためますが、決して彼は興味本位でこれを載せたのでは無いと思います。
私は、彼に刑務所内のこと、あるいは犯罪者たちのこと等聞かれるままに話して来ましたが、それらのことを聞いて、彼は彼なりに感じるところがあったのでしょう。
ここに批判的な意見を書かれている方もおありですが、その方がどのくらい犯罪者たちのことを知っているか、あるいはどのくらい犯罪の内情を知ってるか、其れが疑問です。
全てとはもうしませんが多くの犯罪者は、被害者の感情や無念さなど考えていません。
そして、その犯行時の状況など裁判で事細かに明るみにでますが、精神異常だ、心神耗弱だというのは、仮にあったとしても人情的に取り上げたくない者ばかりです。
私は、彼らの裁判の席に数千回も立ち会ってきました。何よりも彼らの日常を十数年見続けてきました。そして死刑も執行しました。
それらを経験してきて、その上で考えるところ有ってこの作品を書きました。
その正否は別として・・・。
再犯を許せないとする考え方は同じなのですが、方法論が違います。どう議論しても埋まらない要素が3つ存在すると考えていますので、その内容を説明してから回答することにします。
まず第一番目は、べてぃーさんは女性(たぶん名前からして)で、自分は男です。
知性、触れてきた文化、価値観などによる個人差は除いたとしても本能とか体(肉体の感性)についての違いが見解に差が出ると考えています。
性の問題は不可解なことが多すぎるので、おせっかいが理解する方法は子孫を後世に残すことを目的としてそれぞれ違ったDNAが構成されているのであると結論付けることで理解するようにしています。
つまり、男性はできるだけ多くの畑へ種を蒔かなければならず、女性はそれを護り育み繰り返さなければならないように本能ができているのだろうと認識します。
それを実行するしないは別として、本能的に男性はよりよい畑を探し、女性は辛い出産を経験してもさらに遺伝子を受け入れられるように快感をエスカレート出来る感性を授かっているのであると考えます。
第二番目は、ジキルとハイド氏に代表される二重人格の見解です。
おせっかいの見解は、理性が強ければ、それに比例した悪魔が存在していていつもバランスを保っていると考えています。世に言うノー天気な人はその差が小さいだけでやはり存在していると考えます。
つまり、誰にも必ず悪魔がいるとの見解ですが、証明できないので差があればそれが埋まることはないと思います。理解するのと納得するのでは違いがあります。
第三番目ですが、インターネットの見解です。これは経験してみて初めて解ることで何よりも違うことは、自然の中に存在する物理現象を仮想空間の中へ持ち込んでいることです。マトリックスの映画がかっこいい面白いの反面よく理解できない部分を含んでいると感じるのはこのためです。簡単に言うと何でもありの世界です。
そこで、インターネットの世界を違った局面から体験して戴きたい。
よく活用するテクニックですが検索ページで、次のキーワードを入力して検索してみて下さい。
1.「殺人 死刑 舌骨」
Aグループで検索:勿忘草4件目/12件中、6メートルの回想7件目/12件中
Bグループで検索:勿忘草3件目/12件中、6メートルの回想2件目/12件中
Cグループで検索:勿忘草4件目/12件中、6メートルの回想9件目/12件中
fresheyeで検索後新着ボタンを押す:勿忘草1件目/12件中、6メートルの回想8件目/12件中
にヒットします。
2.「ペニス 射精 殺人 死刑」
Aグループで検索:勿忘草1件目/182件中、6メートルの回想2件目/182件中
Bグループで検索:勿忘草3件目/341件中、6メートルの回想4件目/341件中
CグループMSNで検索:勿忘草2件目/225件中、6メートルの回想37件目/225件中
Cグループfresheyeで検索:勿忘草2件目/238件中、6メートルの回想8件目/238件中
fresheyeで検索後新着ボタンを押す:勿忘草5件目/238件中
にヒットします。
ではもっと誰もがやりそうなキーワード検索します。
3.「ペニス 射精 快感 強姦」
fresheyeで検索後、新着ボタンを押す:勿忘草6件目/6358件中にヒットします。
検索日により順位などは変化します。また情報が消えることなどもあります。
これらのことから、すでにこのページが一人歩きを始めたことがお分かりでしょう。
他にも興味あるページが沢山出てくると思いますが、深入りしないように。
検索ページには主に次のページがあります。(検索エンジンの同じものを一つのグループにしています)
Aグループ
Excite(http://www.excite.co.jp/)
goo(http://www.goo.ne.jp/)
Google(http://www.google.co.jp/)
infoseek(http://www.infoseek.co.jp/)
Bグループ
Yahoo(http://www.yahoo.co.jp/)
Cグループ
MSN(http://www.msn.co.jp/home.armx/)
fresheye(http://www.fresheye.com/)最新情報の検索サイト
インターネットは便利である反面、作者の好むと好まざるに係わらず、その情報が一人歩きをはじめます。
アインシタインは原子爆弾を作りたくて一般相対性理論を発表したのではないと認識しています。
ではべてぃーさんの質問に回答しますが、現在と過去の時間に分けて回答します。
現在では、このページを読んでも誘発されないし実行もしません。なぜなら、遺伝子を放出するときの快感は痙攣ぐらいでは得られないことを知っているから(吸い取られるような感覚が得られるように相手の状態をコントロールする努力をいつもしているからです)、それと犯罪者になったとき近親者に及ぶ迷惑を見過ごせないのと何よりも命を取る残忍さがないと思います。
しかし過去(童貞)において、この様なことを知りえた場合、癌などにより余命の宣告を受けたときや女性から辱しめを受けたとき、あるいは覚せい剤のような薬物で自分を失ったときに、自分の悪魔を抑えられるかどうかの自信はありません。
前回は、指摘だけに終始していてHPの言わんとすることに見解を述べていなかったので誤解が生じたかも知れません。ゆえに、このページについて見解を述べます。
おせっかいの見解は、受刑者に、それぞれの犯罪に応じて更生する方法とそれをチェックするシステムをなぜ作らないかです。(実験台としての活用であることが重要です)
その上で、完全ではないにしても死刑の存在(切捨て)があっていい。そしてその方法とチェックする方法を一般社会へ応用し、次の被害者を出さない方策を確立して行く。
犯罪を犯したのであれば、そのくらいの協力があってもいい。
ごみだってリサイクルしているじゃないですか。簡単に死刑にしてはもったいない。
6メートルの回想作者が犯罪者のことを知っていると自覚しているのであれば、どうしたら更生できそうか、再発を防げるか、出来る事からはじめることの大切さと提案してネットへ公開する方法を考えついて欲しかった。
単に小説を載せるだけでなくて、あなたの考えを表現する努力があって、初めてあなただけが知り得るのだと認めます。
おせっかいが興味本位とこだわるのは、誰もが無意識のうちに失いつつある感情。つまり、ただ切り捨てることのみに馴らされている社会がどこにでもある異常な社会を構成しているのではないかと考えているからです。
そして、たとえフィクションでも「命との引き換えに得られる快感がさもすばらしいことのように言われている」間違いを許せないのです。本当のすばらしさを知らないで人生を終わりにする人がいたらそれはもう犯罪ではないですか。おせっかいは幸運にも素敵なパートナーにめぐり会えています。
インターネットは小さな考えが大きなうねりとなって社会を変える可能性を持っています。
その逆も然りです。(中国のように暴動を扇動することもあり得ます)
以下の様なサイトもあることを紹介しておきます。(一部です)
http://forensic.iwate-med.ac.jp/lectures/newest/node11.html#SECTION001120000000000000000
http://homepage2.nifty.com/luke-skynet/mystery/houigaku.htm
http://web.sc.itc.keio.ac.jp/anatomy/osteologia/A02116001-004.html
窒息の経過などを法医学的に述べているなどのページです。これだけでは作者の言う時間的なものを否定も肯定も出来ない。またこれらの文献からは舌骨が折れただけで気道をふさいでしまうまでに至るかどうかの見解も見つからなかった。窒息する際に数分間痙攣が起きることは確かなようだ。
作者がフィクションであると言っている以上は、こだわる必要もないが・・・
被害者となった人を軽んじている訳ではありません。戦争で死んで行った人、踏み切りの遮断機が開いていたために亡くなった人、それぞれ大義名分があれば人間はあきらめられるのでしょうか。悔しさはみな同じです。
このサイトにべてぃーさんのような方がいて安堵しています。
もっと前に知っていれば、お互いの生い立ち、価値観、夢などで語り合いたかった。
インターネット上で匿名を使うのは、あくまでも自己防衛であることを知って下さい。
災いから自分を護るための手段です。この権利だけを別な方面に使う人がいるから勘違いが起こる。
権利がある以上、守らなければいけない義務があります。
最近、インターネットや携帯サイトで「登録されました」とのメッセージに驚いてそれを解除するために電話番号などを入力してしまい被害に合っている人がいます。
心理作戦に引っかかってしまいそうな方が多いように思えます。気をつけてください。
情報が氾濫し、価値観が多様化する中で、あわてることなく、まず疑ってかかれ!
信用するしないではなく、勘違いしていないだろうかです。
誰もが興味を引くであろう執行前の内容、そしてそこに登場するピエロ役の死刑囚。
こんなことを小説の要にして出版するような人が、いままで刑務官をやっていたかと思うと吐き気がします。
犯罪者を現在ある社会に適応させることこそが、貴方がいままでやってきた刑務官の本来の職務なのです。
刑務官に人を裁く権利はありません。
ここに出てくる犯罪者と刑務官であった貴方に何の違いがあるのでしょうか。
「あいつらは、何言っても反省もしないから駄目だ。死刑にしてしまえ」と言い訳してるようにしか思えません。
現在勤務している他の刑務官の方々もこのような考えを持っているのかと思うと、とても残念でなりません。
再犯率がナゼ高いのか。
このことを一考して頂きたいと思います。