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豊中の母のと事に主人と一緒に出かけ様としたら
主人は急用が出来て、元上司のところに出かけました。
母が楽しみに待っていたので、私だけ行くことにしました。
頼まれていたパンツもまだ渡していないのを思い出したりして・・・
とっても喜んでくれましたわ。
今日は二人で昔の写真を見て懐かしがっていました。
昨日の列席者の留袖、60年前のものだったのですが
仕立てが変わっていて、
留袖なのにバチ衿で、下重ねも比翼仕立てではなく
同じバチ衿の下重ねの着物がくっつけられていました。
極端に着丈も短く(ふくよかになったからと言われましたが、そのせいだけではありません)
留袖をご自身で簡単に装う為の知恵が、施されていました。
ふくよかな胸元だったのですが、とても着せやすかったです。
ただ着丈が短かったので、おはしょりが少ししか出ませんでした。
昔、母たちの時代は今のようにウエストで腰紐をしないで
腰骨で腰紐をしたので、着丈が短くても大丈夫なんですよ。
でも、今は下着をしっかり着けているので
腰骨で腰紐をするとお手洗いに行き難いでしょ。(和装用の下着を着けていれば別ですが)
ひょっとしたら、洋装が流行だし下着(ズロース)を着けはじめたから、着物文化が衰えたのかも?
母は昔は腰で腰紐をしていたのでトイレに行きにくかったと言っていました。



明治9年生まれの祖母の写真をもらって来ました。
そして、親戚の方の着物姿も
着丈が長いし、おはしょりも結構出ていますね。
祖母は93歳で亡くなるまで着物姿でずっと腰巻きをしていました。
ズロースやパンティは、はきませんでしたからね。
普段着は、色々なところに工夫を凝らし、着易いように仕立てていた祖母ですが
よそいきの仕立てだけは拘ったようです。
母の留袖が、バチ衿に仕立ててあるのを見て、仕立て直させたそうですから・・・
私の振袖も広衿でした。
私のサイズは166㎝、裄も1尺8寸以上
でも、祖母が生きていたときに作られた着物は、裄は1尺7寸の標準サイズ(大きくしていると仕立て直しが出来ない)手を縮めていなさいって言われたりして・・・
着物の着丈は履きものが見えないぐらい長い方がいいと思っていたようです。
そう言えば私が着付を習った頃は、普段着はウエストで振袖は、上の方で腰紐締めるように言われました。
今のようにどんな着物もウエストで締めるようになったのは
よほど寸胴にしない限りは、やっぱり低いところに流れるので
落ち着くところはウエストですね。
腰骨だといくら締めてもしんどくなく、着崩れもしなかったのが
ウエストに変わって、補整するとワンクッションあって楽な今の着付に変わっていったのでしょうね。
そしてより綺麗にと・・・女性って美を求めますものね。
それは明治時代も一緒で、写真館で撮る時やよそいき・礼装とふだんの装いは
今も昔も違いますね。(でもね、祖母はいつも襟元はきちっとしていましたよ)
今度のお稽古の時に
母の短い着物、腰骨で締めて着て見ようかしらね。
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