ブロガーさんは概して本好きだ。私が知っているブロガーさんの中でも、その筆頭がigaigaさん、wanikoさん、そして怪鳥さん。読書御三家とでも言わなくてはなるまい。その他にもkiriさん、ハマナスさん、miyさん、chaiさんなど多彩な顔ぶれだ。私もkiriさんに習って、読書感想専用としてmixiを立ち上げた。もう3年以上も前の話だ。
会社の仕事を家に持ち帰ることがなくなって読書を再開したのだが、始めは推理小説や時代小説、戦記物ばかり。どんでん返し秀作や名作推理などを漁って読みふけったのだが、やはり共感を覚えたのは東野圭吾。基底に流れている人間愛が読み終わって心地よい疲労を与えてくれるので、図書館で彼の殆どの本を読み終えた。
そして1年以上も前のことだが、「新参者」を読み終えた頃には図書館では彼の本は手に入らなくなった。殆どを読み終えて、新刊しかもう残ってなく、順番待ちが400人など気が遠くなるような話だったのだ。
それでもいずれは順番が廻ってくるだろうと予約申し込みをしていたのが、「麒麟の翼」と「真夏の方程式」の2冊。 年末の慌しい頃(丁度私が黒色腫の切除手術を受けた直後)、図書館から電話が掛かってきた。申し込んでいた本が入ったと。早速、傷むお腹を労わりながら、借り出してきた。「真夏の方程式」だった。そしてそれを読み終えた丁度その頃に、またもや図書館から電話が掛かってきた。年末年始の休館日の2日前のことだった。今度は「麒麟の翼」だった。借り出せるのは休館前の最後の1日だけ。その日は木曜で私の最期の出勤日、正月明けに持ち越すのは絶対に嫌だったので、2時間ほど早めに退社して図書館に駆けつけた。
ということで、12月には立て続けに東野圭吾の本を読んだ。1年ぶりと云うことになる。喜び勇んで読んだのだが、期待が大きすぎたのか今一つ胸に迫るものが無かった。とは言え、やはり東野圭吾、最後のどんでん返しはお約束通りだった。
さて、推理小説のルールのひとつに、犯人は最初から、あるいは物語の早いうちから登場しておかねばならないと云われている。最後に名も知らない人が突如犯人だと指名するのは読者を欺くルール破りなのだ。
このルールを念頭にこの2作品を読み進めると、何となく中盤あたりで犯人像が浮かんでくる。あとは動機だ。殺人と云う強い動機を産むにはそれなりの深い傷が必要なのだが、この2作品については、やや鮮明さにかけていた感がした。悪い奴が犯人だったら、誰もが納得する強烈な動機には事欠かないのだが、善良な人が魅入られて犯罪を犯すとなると、どうしても動機は弱くなるのだろう。
「麒麟の翼」を読み終えた直後に、年末のTV特番で「麒麟の翼」が放映された。阿部さんが加賀刑事役だ。映画を見ると、私の読後感が胡散霧消しそうなので、ビデオに撮った。しばらくして観ることに決めている。