東京裁判と三島由紀夫

2010-02-19 23:38:34 | 雑感

2月16日・17日の視察の中で東京市ヶ谷の防衛省を訪れたことはすでに書きました。その中でとても興味深かったのが「市ヶ谷記念館」(旧1号館)の見学でした。

いただいてきたパンフレットによれば、防衛省のある「市ヶ谷台」は、江戸初期に徳川御三家の一つである尾張徳川家の上屋敷でした。「1号館」は昭和12年に陸軍士官学校本部として建設されました。その後、昭和16年には大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部となり、昭和20年には極東軍事裁判の法廷として使用されることになりました。昭和35年からは陸上自衛隊東部方面総監部、自衛隊幹部学校となり、平成12年には防衛省となりました。

幾多の変遷を経てきた「1号館」はその一部が移転され、「市ヶ谷記念館」として当時そのままに保存されました。ここであの極東国際軍事裁判(東京軍事裁判)が行われたと思うと厳粛な気持ちになりました。昔の写真ではもっと広い体育館のような場所なのかなと思っていたので意外でした。ここはあの三島由紀夫の割腹自殺の舞台にもなりました。

三島由紀夫が陸上自衛隊東部方面総監部を楯の会メンバー4名とともに訪れ、人質を取り籠城・自決したのは昭和45年11月25日のことです。総監室は戦時中大本営陸軍大臣室であったところです。このバルコニーから三島は自衛官達に決起を促す演説を行ったのです。部屋のドアにはその時の刀傷が3ヶ所残されていました。

当時私は学生でした。ちょうどラーメン屋さんで食事をしている時、テレビの臨時ニュースで割腹自殺が報じられました。三島由紀夫は人気作家だったので反響は大きなものでした。もう40年も前のことですが当時のことは鮮明に記憶しています。

そんな歴史の舞台に立ったのだと思うと何か不思議な感じがしました。


引き続き一般質問の準備です

2010-02-19 22:51:56 | 議会活動
18日の夜は一般質問の準備のため半徹夜でした。19日朝、一般質問通告書をメールで議会事務局に送付しました。質問の準備はいつも大変です。テーマの選定、情報収集とヒアリング、そして質問のストーリー構成と展開などを考えます。そしてその中で自分らしさをどう表現できるかということです。

このところ質問の前に「議会通信」を発行しています。普通はA3裏表ですが、今回はそれにA4裏表が加わり、都合6ページになりました。一般質問の構成をまとめたもので一部の方にお送りしています。郵便局に行って発送してきました。今回の発行部数は30部弱でした。一般質問を興味を持って見ていただければとの思いで始めました。

午後「市民病院の要望を語る会だより」の編集会議がありました。好評だった創刊号を受けてこの春には第2号を出そうというのです。最近上田や小諸、佐久などでも地域医療を考える活動が始まっています。世話役の小林妙子さんへそうした会から講演会へのお誘いがあるようです。私たちの「要望を語る会」も世の中に認知されてきたんだと話し合いました。

その後、生活保護行政について市の担当者からお話しをお聞きしました。職員一人ひとりは一生懸命に仕事をしていることはわかるのですが、市民の目線で見るとそれが空回りしており、返って市民益に背を向ける結果になっていることもあるのです。自分自身の仕事を客観的に見ることも必要ではないかと思うのです。

その後、南口振興計画について都市計画審議委員の方と意見交換しました。今回一般質問でも取り上げる予定ですが、この計画の不思議なところは具体的な数字がまったく入っていないことです。地域振興計画というのであれば具体的に何を、どうするのか、どこまでやるのか、いつまでにやるのか、どのくらいの予算がかかるのかなどが掲げられていなけれななりません。しかし長期・中期・短期という取り組む目安はありますが、肝心要の「いくらかかるのか」ということが何一つ示されていません。それで審議しろと言われても判断しようがありません。

あちこち用事をたして帰宅するともう夕方近くになっていました。農作業の支度をしてブドウ園で剪定を行いました。このところ視察もあり忙しがっていたので剪定は妻まかせでした。明日は農作業です。

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