この間、入札問題についていくつか取り上げてきました。もう少し考えてみたいと思います。信州市民オンブズマンのデータによれば東御市は一般競争入札の割合は4.6%、すなわちほとんどが指名競争入札です。これに対し小諸市は一般競争入札が98%で指名競争入札はごくわずかです。
オンブズマン諸氏はこうした状況を踏まえて、「民主度」は東御市は0点、小諸市は10点満点と判断します。そもそも「民主度」という考え方自身よくわからないものですが、基本的考え方として一般競争入札は「善」で指名競争入札は「悪」ととらえています。これははたして正しいのでしょうか。
一般競争入札というのはわけへだてなく全ての企業が入札に参加できるやり方です。そこには際限のない競争原理が働きます。当然弱肉強食の世界です。力のある企業や価格競争力のある企業が席巻することは明らかです。小さな企業は生き残ってゆくことができません。当然落札単価は大幅に引き下げになります。
以前知人から「入札のために数多くの工事見積もり書を作っても受注できるのはごくわずかで、お金にならない仕事ばかりだ」という愚痴を聞かされたことがありました。当然です。数多くの企業が参入しますから競争相手も半端な数ではないでしょう。
これに対し指名競争入札という方法があります。これはあらかじめ特定の企業に声をかけて入札に参加させるものです。その特定の企業をどのようにして決めるのかが問題です。オンブズマン諸氏はそこに何か後ろめたいものを想像しているようです。
確かに数が絞られるので談合の温床になることもあるかもしれません。しかし実際の運用では、例えば道路舗装にしても、滋野地区の工事だから滋野地区を中心に数社リストアップするとか、それほど技術力を要しない工事だから中小工務店をリストアップするとかしているようです。
そこには落札価格を低く抑えるという視点のほか、限られた公共工事を中小工務店も含めて広く受注させるといった配慮が見られます。この工務店は除雪など地域貢献度が高い、ここは最近受注量が少ないから、この工事には技術力が必要だからここを指名競争に加えようなどと調整しています。むろんその結果落札率が下がらないというデメリットも出てきます。
行政のあるべき姿とはいったい何でしょうか。「低いコストで最大限の効果をあげる」これは無論のことです。しかしその結果多くの企業が競争で脱落し、技術力と価格競争力があるごく一部の企業に仕事が集中するということでいいのでしょうか。競争原理を追い求めれば当然の結果です。オンブズマン諸氏もそれを良しとするのでしょうか。
確かに世の中はグローバル化の中で際限のない競争にさらされています。どの企業も血の滲むような価格競争の中で、生き残るために知恵を働かせて闘っています。そうしたことから考えれば「早い・安い・うまい」がすべての価値判断基準です。すなわち「短納期・低価格・高品質」、短い工期でより安くできばえもいい仕事が求められています。
しかしそれだけでいいのでしょうか。行政運営に際限のない競争原理を持ち込めば、県外資本の郊外店に地域の商店街は席巻され消滅するでしょう。大手ゼネコンが巾を利かせ地元の中小工務店は姿を消すでしょう。こうした小さなお店はお祭りや地域の行事に積極的に参加し、地域文化を担ってきました。競争原理にさらされた街からはその地域の風情や風格が失われることになるでしょう。
まさかオンブズマン諸氏は大手ゼネコンに市場を開き、その価格競争力にモノをいわせ、地元の中小工務店を席巻しろと言っているわけではないと思います。
私はこの地域を守って行きたいと思います。大手ゼネコンだけにまちの工事をゆだねるわけには行きません。地域の中小零細工務店もその経営が成り立つように心をくだきたいと思います。なぜなら彼らは我々の隣人であり、この地域を構成している仲間だからです。
中小小売店や商店街の皆さんがこのまちを支え、お祭りや地域の絆を支えているのです。大手ゼネコンは仕事が終わればどこかに行ってしまいます。県外資本の郊外店も儲からなくなればサッサとどこかに行ってしまいます。現に西友さんがそうでした。
地域の活性化ということが良く話題になります。私は活性化とはその地域の中でお金がまわることだと思っています。地域の中で稼いだお金がまたその地域に投資され、新しい仕事と雇用を生み出し、その地域に還元されるという仕組みがうまく機能して行くことが活性化だと思います。
そのためには一般競争入札も指名競争入札も使いこなして行くべきです。一般競争入札が「善」で指名競争入札が「悪」だなどと一面的に判断することはできないのです。オンブズマン諸氏のご意見をお聞きしたいものです。
オンブズマン諸氏はこうした状況を踏まえて、「民主度」は東御市は0点、小諸市は10点満点と判断します。そもそも「民主度」という考え方自身よくわからないものですが、基本的考え方として一般競争入札は「善」で指名競争入札は「悪」ととらえています。これははたして正しいのでしょうか。
一般競争入札というのはわけへだてなく全ての企業が入札に参加できるやり方です。そこには際限のない競争原理が働きます。当然弱肉強食の世界です。力のある企業や価格競争力のある企業が席巻することは明らかです。小さな企業は生き残ってゆくことができません。当然落札単価は大幅に引き下げになります。
以前知人から「入札のために数多くの工事見積もり書を作っても受注できるのはごくわずかで、お金にならない仕事ばかりだ」という愚痴を聞かされたことがありました。当然です。数多くの企業が参入しますから競争相手も半端な数ではないでしょう。
これに対し指名競争入札という方法があります。これはあらかじめ特定の企業に声をかけて入札に参加させるものです。その特定の企業をどのようにして決めるのかが問題です。オンブズマン諸氏はそこに何か後ろめたいものを想像しているようです。
確かに数が絞られるので談合の温床になることもあるかもしれません。しかし実際の運用では、例えば道路舗装にしても、滋野地区の工事だから滋野地区を中心に数社リストアップするとか、それほど技術力を要しない工事だから中小工務店をリストアップするとかしているようです。
そこには落札価格を低く抑えるという視点のほか、限られた公共工事を中小工務店も含めて広く受注させるといった配慮が見られます。この工務店は除雪など地域貢献度が高い、ここは最近受注量が少ないから、この工事には技術力が必要だからここを指名競争に加えようなどと調整しています。むろんその結果落札率が下がらないというデメリットも出てきます。
行政のあるべき姿とはいったい何でしょうか。「低いコストで最大限の効果をあげる」これは無論のことです。しかしその結果多くの企業が競争で脱落し、技術力と価格競争力があるごく一部の企業に仕事が集中するということでいいのでしょうか。競争原理を追い求めれば当然の結果です。オンブズマン諸氏もそれを良しとするのでしょうか。
確かに世の中はグローバル化の中で際限のない競争にさらされています。どの企業も血の滲むような価格競争の中で、生き残るために知恵を働かせて闘っています。そうしたことから考えれば「早い・安い・うまい」がすべての価値判断基準です。すなわち「短納期・低価格・高品質」、短い工期でより安くできばえもいい仕事が求められています。
しかしそれだけでいいのでしょうか。行政運営に際限のない競争原理を持ち込めば、県外資本の郊外店に地域の商店街は席巻され消滅するでしょう。大手ゼネコンが巾を利かせ地元の中小工務店は姿を消すでしょう。こうした小さなお店はお祭りや地域の行事に積極的に参加し、地域文化を担ってきました。競争原理にさらされた街からはその地域の風情や風格が失われることになるでしょう。
まさかオンブズマン諸氏は大手ゼネコンに市場を開き、その価格競争力にモノをいわせ、地元の中小工務店を席巻しろと言っているわけではないと思います。
私はこの地域を守って行きたいと思います。大手ゼネコンだけにまちの工事をゆだねるわけには行きません。地域の中小零細工務店もその経営が成り立つように心をくだきたいと思います。なぜなら彼らは我々の隣人であり、この地域を構成している仲間だからです。
中小小売店や商店街の皆さんがこのまちを支え、お祭りや地域の絆を支えているのです。大手ゼネコンは仕事が終わればどこかに行ってしまいます。県外資本の郊外店も儲からなくなればサッサとどこかに行ってしまいます。現に西友さんがそうでした。
地域の活性化ということが良く話題になります。私は活性化とはその地域の中でお金がまわることだと思っています。地域の中で稼いだお金がまたその地域に投資され、新しい仕事と雇用を生み出し、その地域に還元されるという仕組みがうまく機能して行くことが活性化だと思います。
そのためには一般競争入札も指名競争入札も使いこなして行くべきです。一般競争入札が「善」で指名競争入札が「悪」だなどと一面的に判断することはできないのです。オンブズマン諸氏のご意見をお聞きしたいものです。