サッカーJリーグの横浜Fマリノスの本拠地「マリノスタウン」です。2006年に華々しくオープンしました。写真左下あたりにその近代的な建物が写っており、取り巻くようにグラウンドがあるわけです。親会社である「日産」は横浜生まれとされていますので、東京にある本社も来年には横浜駅東口に戻ってくるべく、現在急ピッチでビルが建設されています。
日産やマリノスの機能が横浜中心部に集約されている一方、我が家の近所に長年あったサッカーグラウンドの取り壊しが始まっています。ここはそれまでマリノスの関連施設でした 同じユニフォームを着たジュニアたちが一生懸命走っていました。周囲には日産の施設がいくつか建っており、親がかかりつけの医者から紹介されて医療施設で検査を受けたこともあります。
近所には日産がある…我が家にはそんな思いがありました。それが離れて行ってしまいました
我が家がなんとなく日産に思いをはせている理由がもう一つあります。昭和30年代後半から50年代前半にかけて日産の独身社員が住んでいたアパートがこれです。4畳半一間の部屋が6つ。風呂なしの共同トイレ&洗面所。
アパートの名前は「加山荘」。そうです、うちのおじいちゃんが経営していました。正月にはその独身社員たちを我が家に招いて食事会をしていました
その加山荘も27年前の'81年9月に取り壊してしまいました。写真はその最後の雄姿です 当時中学生でカメラに興味を持っていた弟が撮ってくれました。「昭和時代のアパート」です 中央と右側の電信柱が木製です
時代は常に動いています。
日産やマリノスの機能が横浜中心部に集約されている一方、我が家の近所に長年あったサッカーグラウンドの取り壊しが始まっています。ここはそれまでマリノスの関連施設でした 同じユニフォームを着たジュニアたちが一生懸命走っていました。周囲には日産の施設がいくつか建っており、親がかかりつけの医者から紹介されて医療施設で検査を受けたこともあります。
近所には日産がある…我が家にはそんな思いがありました。それが離れて行ってしまいました
我が家がなんとなく日産に思いをはせている理由がもう一つあります。昭和30年代後半から50年代前半にかけて日産の独身社員が住んでいたアパートがこれです。4畳半一間の部屋が6つ。風呂なしの共同トイレ&洗面所。
アパートの名前は「加山荘」。そうです、うちのおじいちゃんが経営していました。正月にはその独身社員たちを我が家に招いて食事会をしていました
その加山荘も27年前の'81年9月に取り壊してしまいました。写真はその最後の雄姿です 当時中学生でカメラに興味を持っていた弟が撮ってくれました。「昭和時代のアパート」です 中央と右側の電信柱が木製です
時代は常に動いています。