加山到のハマッ子雑貨飯店

おもちゃ箱をひっくり返したような楽しい雰囲気が伝われば嬉しいなっと。08年11月6日開店!

『テニアン・アイランド』ダイジェスト

2012-07-07 | 舞台・イベント系仕事
先日行われた舞台『テニアン・アイランド』の写真が届きました。公演は予想以上の素晴らしい反響を頂きましたので、ご覧になれなかった方のためにダイジェストとしてアップします。
なお、公演では平成24年3月のシーンと昭和19年7月のシーンが交互に展開されていましたが、ここでは便宜上簡単にまとめてストーリーをお伝えします。

平成24年3月。
サイパンの隣にある島、テニアンに観光でやってきたのはひと組の新婚カップル、4人の女子大生と1人の男子学生。

 

そしてもう1人は・・・池内春樹。
女子大生たちの恩師であり、定年を間近に控えた大学の教師である。



「お父さん、お母さん・・・帰って来ましたよ。」
春樹は戦前、このテニアンで暮らした経験を持っていた・・・。

昭和19年7月。
太平洋戦争末期の南の島・テニアン。

 

春樹の父・池内信次(イタル)はテニアン国民学校の教頭。「我々は日本軍守備隊が必死に闘ってくれているから、こうして毎日を暮らせているんです」と言いながらも、教職員の間にはどこかまだのんびりとした雰囲気が流れていた。



若手のアキ子先生と藤田孝則先生は近く祝言を挙げる事が決まっている。2人を冷やかす和気あいあいの教師たち。

 

池内の妻・涼子も同じ学校のベテラン教師。若い教師たちは涼子を尊敬している。
ある日、若手の有馬先生の所に召集令状が届いた。「涼子先生、私が戦地に行ったら妹は一人ぼっちになってしましいます。どうか、妹をお願いします・・・!」

 

入隊した有馬を見送った池内は残された妹の美香を連れて帰宅した。池内と涼子のひとり息子である春樹は美香の幼馴染み。「元気を出せよ!」「ありがとう、春樹君」
涼子のふかしたイモを仲良く食べる2人。

 

そこへ突然米軍の空襲が始まった。激しい砲火の中、逃げ回る教師たちや多くの日本人居住者。アキ子は藤田と離れ離れになり、池内と涼子もまた、春樹と美香を見失った。



現代の春樹は、空襲に襲われた時の事を教え子たちに語った。
「米兵に捕まったら辱めを受けると教えられていた。捕まるぐらいなら、と多くの日本人が崖から海に身を投げた。泣き声がうるさいからと言って殺された赤ん坊や小さな子供たちも大勢いた。僕は美香ちゃんとジャングルの中を何日も何日も逃げまくった。足元には何体もの死体が転がっていた・・・。」

 

収容所にとらわれた池内たちの前に現れたのは米軍のマック中尉と日系のノブユキ通訳官。そしてそこに泣きながら来たのは春樹と美香だった。彼らはジャングルの中で米軍によって捕われたのだった。
再会したのもつかの間、池内たちは執拗に子供たちの事を聞いて来るマックたちに懸念を抱いた。
「子供たちをどうする気だ・・・!」

 

収容されて数日。収容所には1万人以上の日本人居住者がいたが、アキ子の婚約者である藤田の姿が見えない。同僚の教師たちも収容所内で必死に探しているが見当たらない。
悲観にくれたアキ子は落ちていたガラスの破片で自害を決めた。必死に止める涼子や柳本先生、そして美香。
「生きるの!藤田先生は必ず生きています!だから生きるの!」



そこに来た巡回中のノブユキ。
「あなたは日本人なのにどうしてアメリカ兵になったんですか?」と涼子。
移民としてアメリカに渡り、それなりに平和に暮らしていたが日米開戦をきっかけにカリフォルニアの収容所に入れられたノブユキと家族。報道関係の仕事をしていた父は「アメリカのスパイだ」と誤解を受け、収容所内の日本人から迫害を受けて死亡。母も倒れてしまったと告白する。
「家族を守るために・・・アメリカ軍に志願したのです。」

 

本来の軍務とは別に、「収容所内の子供たちのために学校を作りたい」と熱望していたマック。その熱意が上層部に伝わり、日本人による授業を行なう学校の設立が認められた。

 

マックの子供たちに対するアツい想いを理解した池内は学校設立に協力する事を約束。同僚の教師たちに賛同してもらうべく、必死に説得するが、「アメリカは子供たちを使って何かを企ているに違いない。今はまだ戦争中なんですよ、そんな考えに賛成なんてできる訳ないじゃないですか!」と一蹴される。

 

池内の学校設立の話に動揺する教師たち。
「私は池内先生について行こうと思います」と女性教師の柳本。
「あんたは朝鮮人だから・・・日本を恨んでいるから、池内先生の・・・アメリカの言う事に賛成しているんだろ!」
「違います!子供たちのためです。笑顔が見たいから・・・!」



苦悩する教師たちの前に「収容所から離れたジャングルの中で倒れていました。」とマックが連れて来たのは瀕死の有馬先生だった。
「せ、せ、先生・・・子供たち・・・は・・・」
「大丈夫だ、みんな元気だから安心して休むんだ!」



「みなさん、今日からこのテニアン・キャンプ学校が始まります。元気に仲良く登校して下さい!」
紆余曲折はあったものの、学校ができた。有馬の熱意や子供たちのためにという名目で・・・。



女子大生と仲良くなった現地ガイドのクミコ(中央)。彼女は現地人であるチャモロ人と日本人女性との間に生まれたハーフだった。
「池内春樹さんって、テニアンの事を良くご存知ですよね。」
「昔住んでいたみたいですよ。」
「そうなんですか・・・!」

収容所内に学校が作られ子供たちには笑顔が戻った。
映画館や劇場、理髪店などもでき、仕事をした収容者には賃金が与えられた。家族がいる者は一緒に住む事が許された。戦時下とはいえアメリカのおかげで日本人は少しずつ心にゆとりを持つ一方で、望郷の念が強くなっていった。



「春樹君、いつか内地に帰ったら必ず会おうね。10年後、20年後・・・ね。約束だよ。」と美香。
「うん・・・!絶対!」



「なぁ、涼子。内地に帰りたいか?」
「もちろんですよ。生まれ育った場所ですから。・・・でもあなたは、このテニアンで教師を続けていきたいと思ってる。そう顔に書いてありますよ。私はあなたについて行きます。これからも・・・!」



「アキちゃん・・・」
「孝則さん!?生きてるの?」
「僕はずっとアキちゃんのそばにいるよ。」
「だったら姿を見せて・・・お願い・・・。」
「生きて帰ろう。生きて内地に帰ったら今度こそ結婚しよう。」
「孝則さん、どこにいるの・・・?」



観光地や歴史的名所を巡り、何かを感じた女子大生たち。
「日本ってさ、大政奉還から150年しか経っていないのに・・・ちょんまげから少ししか経っていないのに、その間に大きな戦争があって、いくつもの天災があって、でもそのたんびに立ち直って。凄いよね、日本って。」

広島と長崎に原爆を落としたB-29が発進したのがこのテニアンだった事も知り、原爆と原発の違いや広島には人が住んでいるが、なぜチェルノブイリには人が住めないといったことも学んだ彼女たちは、美しい夜空に流れる無数の流れ星に様々な願いを寄せた。

 

順調かと思われた学校が閉鎖した。
アメリカのやり方に抵抗を続けるベテラン教師の雨宮が鬼の形相で池内を責め始める。
「池内先生、何度も言うがまだ戦争は終わってないんだ!アメリカのいいなりになって子供たちの前に立つのはどうしても解せない。ホレ、教科書なんか黒く塗りつぶされた。屈辱です!」
驚いたマックが入って来る。
「どうして学校やりませんか?!なぜ子供たち外で寂しそうにしてますか!?」
「マックさん、同僚たちの気持ももっともなんです。もう少しだけ話し合いをさせて下さい!」

 

教職員たちが議論をしている場に有馬が入ってきた。
目と足を片方ずつ失った有馬は、マックの計らいで妹の美香と共にオーストラリアの施設に移り、治療を受ける事になっていた。しかし、有馬の身体には無数の破片が残っており内臓に達しているのもあった。治療と言ってももう生きて帰ってくる事はない・・・。
池内が手にしていた教科書を見た有馬。米軍の機銃掃射によってボロボロに焼かれた教科書である。
「こんな体では体育はできませんが、白墨を持つぐらいならできます。復職した時に教科書は必要ですから・・・それを戴けませんか?」

 

もう会えないであろう有馬を見送った池内が意を決して口を開いた。
「学校を再開しましょう!有馬先生のためにも、亡くなった多くの子供たちのためにも、今ここにいる子供たちのためにも、これから生まれて来る子供たちのためにも!どうして男子と女子が机を並べてはいかんのですか!どうして男女の能力に差があるなんて報告がされてしまうんですか!全ては戦争によって狂わされてしまったんです!今、我々が変わらなければ日本はダメになってしまう!」
それでも続く激しいやり取り。



「戦うなら、野球の方がいい。」
退屈そうにしている子供たちのために野球をやろうとノブユキが提案してきた。
「先生方もいっしょにやりませんか?」



収容所の広場からは野球を楽しむ子供たちの歓声が聞こえて来た。
ひとり、またひとり・・・教師が広場へと向かって行く。子供たちの笑顔を見たいがために。
「ほら、見て下さい。子供たちの笑顔。日本人も朝鮮人も、男の子も女の子も、みんないい笑顔です。この笑顔、絶やしたくありません。今もそしてこれからも・・・。」
マックの言葉に、最後まで抵抗していた雨宮先生も目頭を熱くして子供たちの元へ向かった。彼らの笑顔を間近で見たいために。



現地ガイドのクミコがフィアンセである藤田孝明を連れて来て春樹に紹介した。
「藤田・・・?藤田た・か・あ・き・・・?」
「ハイ。祖父の名前は藤田孝則、祖母はアキ子と言います。」
「そうですか!藤田先生、生きていたんですね!よかった、よかった・・・。」



「春樹さん。これ覚えてますか?テニアン国民学校の教科書だそうです。」
「いやぁ・・・懐かしい。・・・でもどうしてコレを?・・・もしかして、有馬先生が持って行ったものですか!?」
「そうです。私のおばあちゃんは美香です。旧姓有馬美香です。」
「美、香、さん・・・!」
涙が止まらない春樹。



「私たちのおじいちゃんやおばあちゃんの話を聞かせて下さい!」
「はい、はい・・・はい・・・もちろん!」

時代を越えて巡る思い出。時代を越えて手にした教科書。
子供たちのためにと戦時下の収容所で始まった学校。それは現在の日本の民主主義教育の始まりでもあった。



長々とありがとうございました。

観劇に訪れた小学生の男の子から「今クラスで女の子と同じ教室にいられるのも、マックさんと池内先生が頑張ってくれたからなんだね。」と感想を頂いた時、僕は目頭が熱くなりました。

いつの日かまた『テニアン・アイランド』で会いましょう!

写真撮影:佐藤武志(http://takephoto2009.web.fc2.com/)
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする