加山到のハマッ子雑貨飯店

おもちゃ箱をひっくり返したような楽しい雰囲気が伝われば嬉しいなっと。08年11月6日開店!

定食屋と寿司屋

2012-07-17 | 日々是充実
九州地方を含め豪雨で被害に遭われた方々、謹んでお見舞い申し上げます。一日も早い復興復帰を願っています。


皆さ~ん!3連休でしたね。
私、休日って感じが全くしませんでした。っていうか気づいていませんでした(笑) まぁ仕事だったしねぇ・・・。そんな中、愛妻は実家に戻っていたので、連休初日の夜は1人で地元の定食屋に



いいたたずまいでしょ?置きっぱなしのストーブに味があるでしょ(笑)?
この日はあじフライ定食を頼んだのですが、「おまけね。」とカレーコロッケをつけてくれました これから暑い夏です。おばちゃん体には気をつけてねぇ

 

連休ラストの夜は実家から帰宅した愛妻と共に地元の寿司屋に行きました
“初めて”の寿司屋です。この店に行ったのも初めてだし、愛妻と2人で行ったのも初めてだし、何よりもスポンサーなしで「自分たちの意思と財布を持って」行ったのも初めてでした
一番高いにぎりセットが2500円。「(大好きな)タコが入っているのはどれですか?」と聞いたら「(一番安い)1500円のです」と言われ、ちょいとホッとしました 大トロ&中トロ苦手な私としては赤身とタコが入っているのが一番のご馳走で~す
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竜と静

2012-07-14 | ブギウギ
NHK-BS「武田鉄矢のショータイム」にゲストとして宇崎竜童が出演。
ダウンタウンブギウギバンド時代の話、内藤やす子に提供した「思いでぼろぼろ」から始まった“作曲家”としての話、山口百恵との話・・・。なかなか充実した内容でした



そのダウンタウン時代の話と共に、宇崎&宇崎バンドが演奏したのが「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」「サクセス」「スモーキン・ブギ」「知らず知らずのうちに」。
そしてゲストプレイヤーとして参加したのが和田静男さ~ん

 

やっぱりね、ダウンタウンの曲のギターソロは静さんに限るよなぁ~~~~!カッコよすぎ



司会の武田鉄矢から昔の話を振られて大笑いの静さん。元気そうで何よりです 最近、ライブにお邪魔してないなぁ・・・。久しぶりに生の音を聞きたいなぁ・・・。



番組の中で紹介された「涙のシークレット・ラヴ」。
東芝EMIから発売されたレコードなのに、下の青いレコード袋はなぜかエピックソニー。なんで?・・・・・・あ、解散してから数年後に公式的に再結成した際にソニーからレコードを出していたような・・・その頃の再発盤かな?
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ラーメンと香菜

2012-07-14 | 生姜焼き&中華
近所の商店街の奥まったところにある昔ながらのラーメン屋 おじさんとおばさんがやってる赤暖簾のラーメン屋

 

いわゆる“ふつーのラーメン”を食べたくて チャーシューにメンマにナルト。いいねえ~ それと水餃子。スープに浮かんでいるタイプね。これも美味 ホッとする二品です



こちらは東京・両国にある中華店「楽蜀坊」の黒酢麺。担々麺より担々麺らしいピリ辛に黒コショウ。ちょいと酢の香りが効いていていい具合にのどを刺激。咳き込む事も(笑) いいもん見っけって感じです

 

地元の八百屋で買った香菜(パクチー)。大好きなんです これだけで白飯を食べられます(汗) 翌日はこの香菜と卵だけでイタル特製チャーハンを作りました。あの独特の香りが美味いです

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仲良しのおしゃべり

2012-07-12 | 日々是充実
久しぶりに叔母が我が家に来ました。亡き母親に負けず劣らずお喋りが好きなもんでランチタイムがにぎやかでした
で、そのあと・・・近所に住むSおばちゃんが「頂き物をおすそ分けしにきたわよ~~~」と来宅



このSおばちゃんと叔母はかつて“少女”だった頃に共に遊び、共に同じ学び舎だった一年違いの同窓生。
「あら~、お久しぶり~~~」から始まって昔話に花が咲き、口の渇きをとる為に愛妻がいれたお茶をグビッと飲んでは、続く続く怒涛のお喋り(汗)
やっぱり昔からの友達っていいね。2人を見ていてそう思いました



Sおばちゃんに頂いたモノがコレです
湘南名物「HILO HOMEMADE ICECREAM」。濃厚です。高級感ありありです。大人になった気分です(笑)
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感謝『梅ちゃん先生』

2012-07-09 | 映像系仕事
NHK連続ドラマ『梅ちゃん先生』をご覧いただき有り難うございました

地上波デジタルでは朝8時からの放送でしたが、BSでは7時半に一足早く放送。それを見た友人から「見たよ~」メールを頂き、その後8時過ぎからは、若手後輩から友人から親の先輩から・・・怒涛のような鑑賞メール、コメント、メッセージ・・・
嬉しいですね。かつてここまで反響があった事はありませんでした。さすが“朝の連ドラ”



「イタルさんは昭和が似合う」というメッセージを頂きました(笑)。嬉しい一言です 平成の今に生息しながら昭和時代にもスッと入り込む事ができる・・・芝居の世界って、やっぱり魅力的です。

 

収録の数日前に行われたリハでは、Tシャツにロングスカート姿だった南果歩さん。素敵でした 大の阪神ファンらしく本番収録前のロビーでは、割烹着姿(写真)のままテレビで阪神戦を見ながら一喜一憂
一方で部屋の隅っこで出番を待つ堀北真希さんは清楚な感じで可愛かったっす。笑顔がいい~ 「“三丁目の夕日”のロクちゃんだぁ~」とちょいとミーハー気分になりました(汗)

今後も所属プロダクションと上手く連携しながら、少しでも多くお茶の間の皆さまの前に顔を出せるよう邁進していきます。
改めて・・・ありがとう~
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『テニアン・アイランド』ダイジェスト

2012-07-07 | 舞台・イベント系仕事
先日行われた舞台『テニアン・アイランド』の写真が届きました。公演は予想以上の素晴らしい反響を頂きましたので、ご覧になれなかった方のためにダイジェストとしてアップします。
なお、公演では平成24年3月のシーンと昭和19年7月のシーンが交互に展開されていましたが、ここでは便宜上簡単にまとめてストーリーをお伝えします。

平成24年3月。
サイパンの隣にある島、テニアンに観光でやってきたのはひと組の新婚カップル、4人の女子大生と1人の男子学生。

 

そしてもう1人は・・・池内春樹。
女子大生たちの恩師であり、定年を間近に控えた大学の教師である。



「お父さん、お母さん・・・帰って来ましたよ。」
春樹は戦前、このテニアンで暮らした経験を持っていた・・・。

昭和19年7月。
太平洋戦争末期の南の島・テニアン。

 

春樹の父・池内信次(イタル)はテニアン国民学校の教頭。「我々は日本軍守備隊が必死に闘ってくれているから、こうして毎日を暮らせているんです」と言いながらも、教職員の間にはどこかまだのんびりとした雰囲気が流れていた。



若手のアキ子先生と藤田孝則先生は近く祝言を挙げる事が決まっている。2人を冷やかす和気あいあいの教師たち。

 

池内の妻・涼子も同じ学校のベテラン教師。若い教師たちは涼子を尊敬している。
ある日、若手の有馬先生の所に召集令状が届いた。「涼子先生、私が戦地に行ったら妹は一人ぼっちになってしましいます。どうか、妹をお願いします・・・!」

 

入隊した有馬を見送った池内は残された妹の美香を連れて帰宅した。池内と涼子のひとり息子である春樹は美香の幼馴染み。「元気を出せよ!」「ありがとう、春樹君」
涼子のふかしたイモを仲良く食べる2人。

 

そこへ突然米軍の空襲が始まった。激しい砲火の中、逃げ回る教師たちや多くの日本人居住者。アキ子は藤田と離れ離れになり、池内と涼子もまた、春樹と美香を見失った。



現代の春樹は、空襲に襲われた時の事を教え子たちに語った。
「米兵に捕まったら辱めを受けると教えられていた。捕まるぐらいなら、と多くの日本人が崖から海に身を投げた。泣き声がうるさいからと言って殺された赤ん坊や小さな子供たちも大勢いた。僕は美香ちゃんとジャングルの中を何日も何日も逃げまくった。足元には何体もの死体が転がっていた・・・。」

 

収容所にとらわれた池内たちの前に現れたのは米軍のマック中尉と日系のノブユキ通訳官。そしてそこに泣きながら来たのは春樹と美香だった。彼らはジャングルの中で米軍によって捕われたのだった。
再会したのもつかの間、池内たちは執拗に子供たちの事を聞いて来るマックたちに懸念を抱いた。
「子供たちをどうする気だ・・・!」

 

収容されて数日。収容所には1万人以上の日本人居住者がいたが、アキ子の婚約者である藤田の姿が見えない。同僚の教師たちも収容所内で必死に探しているが見当たらない。
悲観にくれたアキ子は落ちていたガラスの破片で自害を決めた。必死に止める涼子や柳本先生、そして美香。
「生きるの!藤田先生は必ず生きています!だから生きるの!」



そこに来た巡回中のノブユキ。
「あなたは日本人なのにどうしてアメリカ兵になったんですか?」と涼子。
移民としてアメリカに渡り、それなりに平和に暮らしていたが日米開戦をきっかけにカリフォルニアの収容所に入れられたノブユキと家族。報道関係の仕事をしていた父は「アメリカのスパイだ」と誤解を受け、収容所内の日本人から迫害を受けて死亡。母も倒れてしまったと告白する。
「家族を守るために・・・アメリカ軍に志願したのです。」

 

本来の軍務とは別に、「収容所内の子供たちのために学校を作りたい」と熱望していたマック。その熱意が上層部に伝わり、日本人による授業を行なう学校の設立が認められた。

 

マックの子供たちに対するアツい想いを理解した池内は学校設立に協力する事を約束。同僚の教師たちに賛同してもらうべく、必死に説得するが、「アメリカは子供たちを使って何かを企ているに違いない。今はまだ戦争中なんですよ、そんな考えに賛成なんてできる訳ないじゃないですか!」と一蹴される。

 

池内の学校設立の話に動揺する教師たち。
「私は池内先生について行こうと思います」と女性教師の柳本。
「あんたは朝鮮人だから・・・日本を恨んでいるから、池内先生の・・・アメリカの言う事に賛成しているんだろ!」
「違います!子供たちのためです。笑顔が見たいから・・・!」



苦悩する教師たちの前に「収容所から離れたジャングルの中で倒れていました。」とマックが連れて来たのは瀕死の有馬先生だった。
「せ、せ、先生・・・子供たち・・・は・・・」
「大丈夫だ、みんな元気だから安心して休むんだ!」



「みなさん、今日からこのテニアン・キャンプ学校が始まります。元気に仲良く登校して下さい!」
紆余曲折はあったものの、学校ができた。有馬の熱意や子供たちのためにという名目で・・・。



女子大生と仲良くなった現地ガイドのクミコ(中央)。彼女は現地人であるチャモロ人と日本人女性との間に生まれたハーフだった。
「池内春樹さんって、テニアンの事を良くご存知ですよね。」
「昔住んでいたみたいですよ。」
「そうなんですか・・・!」

収容所内に学校が作られ子供たちには笑顔が戻った。
映画館や劇場、理髪店などもでき、仕事をした収容者には賃金が与えられた。家族がいる者は一緒に住む事が許された。戦時下とはいえアメリカのおかげで日本人は少しずつ心にゆとりを持つ一方で、望郷の念が強くなっていった。



「春樹君、いつか内地に帰ったら必ず会おうね。10年後、20年後・・・ね。約束だよ。」と美香。
「うん・・・!絶対!」



「なぁ、涼子。内地に帰りたいか?」
「もちろんですよ。生まれ育った場所ですから。・・・でもあなたは、このテニアンで教師を続けていきたいと思ってる。そう顔に書いてありますよ。私はあなたについて行きます。これからも・・・!」



「アキちゃん・・・」
「孝則さん!?生きてるの?」
「僕はずっとアキちゃんのそばにいるよ。」
「だったら姿を見せて・・・お願い・・・。」
「生きて帰ろう。生きて内地に帰ったら今度こそ結婚しよう。」
「孝則さん、どこにいるの・・・?」



観光地や歴史的名所を巡り、何かを感じた女子大生たち。
「日本ってさ、大政奉還から150年しか経っていないのに・・・ちょんまげから少ししか経っていないのに、その間に大きな戦争があって、いくつもの天災があって、でもそのたんびに立ち直って。凄いよね、日本って。」

広島と長崎に原爆を落としたB-29が発進したのがこのテニアンだった事も知り、原爆と原発の違いや広島には人が住んでいるが、なぜチェルノブイリには人が住めないといったことも学んだ彼女たちは、美しい夜空に流れる無数の流れ星に様々な願いを寄せた。

 

順調かと思われた学校が閉鎖した。
アメリカのやり方に抵抗を続けるベテラン教師の雨宮が鬼の形相で池内を責め始める。
「池内先生、何度も言うがまだ戦争は終わってないんだ!アメリカのいいなりになって子供たちの前に立つのはどうしても解せない。ホレ、教科書なんか黒く塗りつぶされた。屈辱です!」
驚いたマックが入って来る。
「どうして学校やりませんか?!なぜ子供たち外で寂しそうにしてますか!?」
「マックさん、同僚たちの気持ももっともなんです。もう少しだけ話し合いをさせて下さい!」

 

教職員たちが議論をしている場に有馬が入ってきた。
目と足を片方ずつ失った有馬は、マックの計らいで妹の美香と共にオーストラリアの施設に移り、治療を受ける事になっていた。しかし、有馬の身体には無数の破片が残っており内臓に達しているのもあった。治療と言ってももう生きて帰ってくる事はない・・・。
池内が手にしていた教科書を見た有馬。米軍の機銃掃射によってボロボロに焼かれた教科書である。
「こんな体では体育はできませんが、白墨を持つぐらいならできます。復職した時に教科書は必要ですから・・・それを戴けませんか?」

 

もう会えないであろう有馬を見送った池内が意を決して口を開いた。
「学校を再開しましょう!有馬先生のためにも、亡くなった多くの子供たちのためにも、今ここにいる子供たちのためにも、これから生まれて来る子供たちのためにも!どうして男子と女子が机を並べてはいかんのですか!どうして男女の能力に差があるなんて報告がされてしまうんですか!全ては戦争によって狂わされてしまったんです!今、我々が変わらなければ日本はダメになってしまう!」
それでも続く激しいやり取り。



「戦うなら、野球の方がいい。」
退屈そうにしている子供たちのために野球をやろうとノブユキが提案してきた。
「先生方もいっしょにやりませんか?」



収容所の広場からは野球を楽しむ子供たちの歓声が聞こえて来た。
ひとり、またひとり・・・教師が広場へと向かって行く。子供たちの笑顔を見たいがために。
「ほら、見て下さい。子供たちの笑顔。日本人も朝鮮人も、男の子も女の子も、みんないい笑顔です。この笑顔、絶やしたくありません。今もそしてこれからも・・・。」
マックの言葉に、最後まで抵抗していた雨宮先生も目頭を熱くして子供たちの元へ向かった。彼らの笑顔を間近で見たいために。



現地ガイドのクミコがフィアンセである藤田孝明を連れて来て春樹に紹介した。
「藤田・・・?藤田た・か・あ・き・・・?」
「ハイ。祖父の名前は藤田孝則、祖母はアキ子と言います。」
「そうですか!藤田先生、生きていたんですね!よかった、よかった・・・。」



「春樹さん。これ覚えてますか?テニアン国民学校の教科書だそうです。」
「いやぁ・・・懐かしい。・・・でもどうしてコレを?・・・もしかして、有馬先生が持って行ったものですか!?」
「そうです。私のおばあちゃんは美香です。旧姓有馬美香です。」
「美、香、さん・・・!」
涙が止まらない春樹。



「私たちのおじいちゃんやおばあちゃんの話を聞かせて下さい!」
「はい、はい・・・はい・・・もちろん!」

時代を越えて巡る思い出。時代を越えて手にした教科書。
子供たちのためにと戦時下の収容所で始まった学校。それは現在の日本の民主主義教育の始まりでもあった。



長々とありがとうございました。

観劇に訪れた小学生の男の子から「今クラスで女の子と同じ教室にいられるのも、マックさんと池内先生が頑張ってくれたからなんだね。」と感想を頂いた時、僕は目頭が熱くなりました。

いつの日かまた『テニアン・アイランド』で会いましょう!

写真撮影:佐藤武志(http://takephoto2009.web.fc2.com/)
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MY網スタジオ

2012-07-06 | バンド
久しぶりに音を出しました。
舞台漬けの日々だったため練習をしていなかった、というか意識がバンドに向いていなかったせいもあるのか・・・あまり納得できなかったなぁ~、ドラム

 

練習の後に皆で入った居酒屋。その片隅には「寅さん」のポスターが



よぉ~く見ると・・・桜田淳子だぁ~~~



「男はつらいよ」第16作「~葛飾立志編」ですね。ジュンペーが初々しいんですよ。はい。
あー、なんか嬉しいね。こんなところで会えるなんて(笑)



さぁて、次のスタジオに向けて練習するぞ~~~
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あ、七夕か。

2012-07-05 | 日々是充実
地元の駅にある七夕飾り。

あさっては七夕なんだね(^-^)/織姫と彦星が2人きり…わしは今から劇団カンタービレの主宰と2人きりで呑み(汗)。

真っ昼間の3時だっつーに(-_-;)
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「梅ちゃん先生」出演

2012-07-02 | 映像系仕事
NHK連続ドラマ『梅ちゃん先生』にちょいと顔を出します。ワンポイント・アクターね(笑)



7月9日(月)朝8時~/再放送 昼12時45分
冒頭で「公民館はどこでしょう?」と尋ねる男です



昭和30年代に生きる男・・・なぁ~んちゃって。衣裳が「あの頃の男」って雰囲気でいい感じです。あ、メガネはかけていません。今風だし



おまけ。
こちらは先週の「梅ちゃん先生」のワンシーン。喫茶店で喋る堀北真希の後ろにいる近所のおばさん役・・・山岸恵美子ちゃんだ
今年1月の舞台「坂の下商店街再開発計画」で、我がラーメン屋の隣にあるクリーニング店のおばちゃんでしたぁ~
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スッポンのトシさん逝く

2012-07-01 | 太陽!
地井武男さんが旅立たれました。 3週間ほど前にはご夫婦で近所を散歩できるほど回復していたとテレビでは報道されていましたが・・・無念です。



「太陽にほえろ!」では放送開始10年目の1982年秋にゴリさん殉職後の後任刑事・井川利三として登場。妻子ありの酒豪刑事として、あるいは一度くらいついたら離さない「スッポン」のトシさんとして描かれましたね。

 

それまで在籍していたベテランの長さんと、若手のリーダー的存在だったゴリさんを併せたポジションに立ったトシさんという印象が僕にはありましたが、若い頃はそれこそマカロニやボギー、ブルースのようながむしゃらで一途な警官だったんじゃないかな、と思わせる立ち振る舞いもあり、来るべき警察署=登場するべき番組に来たという感がありました。



6月30日付のスポーツニッポン紙の記事より。ゴリさんとの引き継ぎショット。お、ボスのノーネクタイ姿ってのは珍しいね。

お疲れ様でした。
天国でボスや長さん、ブルースと会って酒を飲むのかな。

「ちい散歩」。うちの地元商店街にも来てくれたっけ。
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