1972年の冬季オリンピック開催は札幌の街に大きな影響を与えました。地下鉄の開業もその一つで、オリンピック会場となったの真駒内までのアクセス改善が地下鉄建設の目的の一つとなりました。
札幌市営地下鉄の最大の特徴は、案内軌条式のゴムタイヤを採用していることで、当時何かしらのメリットがあるため採用されたのでしょうが、その後、新交通システム以外この方式を採用する鉄道はなく、車体幅3mを越える大型車体を含め、完全にガラパゴスと化しています。
採用理由の一つが鉄輪に比べて乗り心地が良い、ということだったと思いますが、実際乗ってみるとかなり振動があり、乗り心地が良いとは言えません。離陸前に滑走路を走行する航空機の振動に近いものが、走行中常に伝わってきます。
当時の国鉄は非電化で、直通運転など考えられなかったのでしょうが、もし1067㎜軌間の架線集電式で建設されていたならば、新琴似で札沼線と直通運転、も実現していたかもしれません。
その札幌市営地下鉄 南北線で真駒内に向かいます。ホームドアが設置されており、地上区間もスノーシェルター内を走行するので、撮影はなかなか難しくなっています。
真駒内からはシャトルバスで会場の「セキスイハイムアイスアリーナ」に向かいます。
この会場は、札幌オリンピックのフィギュアスケートの会場となった場所で、今回の大会でコーチとして参加されている樋口豊コーチ、長久保裕コーチが選手として参加しています。
札幌オリンピック、といえばスキージャンプ70m級の金銀銅独占があまりにも有名ですが、このオリンピックで日本が獲得したメダルはこの3個だけ、そのほかの競技ではまだまだ世界との差は大きい状況でした。フィギュアスケートに関しては、日本がオリンピックでメダルを獲得するのは20年後の1992年、伊藤みどりさんまで待たなければなりません。札幌オリンピックから43年、日本はシングル競技では世界有数のフィギュアスケート大国となりました。
この競技場も建設後45年が経過しており、古さが目立ちます。特にで入り口付近の通路が狭く、競技終了後観客が集中したときには事故が起こりかねないような状況でした。改修を検討すべきではないかと思います。
この日の競技は、アイスダンスのショートダンス、ペアとジュニアペアのショートプログラム、そしてシングル男子のショートプログラムが開催されました。結果についてはここでは触れません。
競技が終了したのが21時過ぎ、雪はやみ、すっかり晴れて月が出ていました。そして気温はだいぶ下がっており、昼に降った湿った雪が凍結して、車道では完全にアイスバーン状態になっていて、帰りのシャトルバスはちょっと怖かった。自分だったらあの路面では運転できません。
観客の殺到する出口を抜け、シャトルバスの長い列を待ち、札幌駅に戻ったのは22時30分ごろ、これから夕食を食べる店を探さなければなりません。
駅周辺だとほとんどの店が22時30分ラストオーダー、23時で営業終了で、この時間から入れる店はほとんどないのですが、駅直結のショッピングセンター「パセオ」の一番端に朝5時まで営業している「丸海屋」という居酒屋があり、そこに入ることにしました。
今日は12月25日、金曜日で給料日、年末でクリスマスということもあり、店内は満席でした。この時間だと地元の人も多いようです。
店内は広く、きれいで、分煙ではないようですが不思議とあまりタバコ臭くはありません。近くに喫煙者がいなかったわけではないのですが。
せっかく北海道に来たので、北海道らしいものを中心に注文します。
蟹クリームコロッケ。
本ししゃもの炙り焼き。
蒸しキタアカリ 塩辛ソース
刺身盛り合わせ。
蟹チャーハン。
札幌の他の居酒屋に比べてどうなのかは判りませんが、東京あたりの居酒屋と比べればはるかに料理はおいしくて、十分満足です。
さて、ここから徒歩でホテルに帰るのですが、車道はなかなかすごい状態になっていました。
スケートリンク並のアイスバーン状態です。
北海道ではよくあることなのでしょうか。
<2日目に続く>