A-FACTORYから少し歩くと、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸があります。
名前の通り、かつて青函連絡船として就航していた船を展示しています。
この跨線橋を進んでいきます。
昔と同じかどうかはわかりませんが、青森に到着した乗客は連絡船の良い席を確保するため、この連絡橋を走ったといわれています。
八甲田丸が係留されている場所は、かつての第2岸壁になります。
八甲田丸は1964年に津軽丸型2番船として建造され、青森発青函連絡船最終便でも運航されました。
船内は昔のままではなく、昔の青森の様子、鉄道模型、青函連絡船の模型等が展示され、歴史も学ぶことができます。
現役時代には入ることができなかった場所にも入ることができます。
航海甲板。いつの間にか雲一つない好天になりました。
前方に見える細長い部分は、貨物専用の第三岸壁です。
左は津軽半島、右は下北半島。
下北半島の先に、かすかに北海道が見えました。
青森方面。
ファンネルマークはJNRになっています。最後の1年ほどはJRになっていました。
そしてこの煙突の上に上ることができます。
これは岩木山ですかね。ここから見えるとは思いませんでした。
今回の旅行中ずっと雲に隠れていた岩木山、最後に青森からその姿を見ることができました。
こちらは八甲田連峰ですかね。
続いてエレベーターで一階の車両甲板に向かいます。
ここはかつては貨車を載せて航送していた場所ですが、現在では青森、函館にゆかりのある車両が展示されています。
青函連絡船では客車の航送は行っていませんでした。
郵便車。この車両の中で郵便の仕分け等ができるようになっていました。
キハ80系。
国鉄初の特急型気動車。電化される前の上野~青森間の特急はつかり、大阪~青森間の特急白鳥でも使用されていましたが、やはり北海道の特急網の立役者として有名でした。
青函連絡船で函館に到着すると、円弧状の長いホームにキハ80系の特急が2本3本停車していて、エンジン音を響かせながら紫煙を吐いて発車していく光景は、それは壮観なものでした。
当時は最長13両編成という超大編成も存在しました。
ステンレス版切り抜きのJNRマークが特急型の象徴です。
ディーゼル機関車DD16。低規格のローカル線にも入線できるよう、軸重を低くした機関車です。
機関室も見ることができます。
青函連絡船の船は、貨車を積載するスペースを確保する必要があるため、大型のエンジンを搭載することができず、小型のエンジンを8基搭載しています。
川崎MAN製 V16 ツインターボ 1,600PS ボアxストロークが220mmx300mmなので、一基あたり排気量182Lということになります。
青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸、想像以上に興味深く、面白い施設でした。
青函連絡船があったという歴史を、石川さゆりさんと共に後世に伝えていってほしいと思います。
<その4に続く>
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