25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

小さな悪の華

2019年01月07日 | 映画
 ぼくは確か、19歳の春にこの映画を見たと思っていた。「小さな悪の華」フランス映画である。感動してもう一度観たいと思ったときには、もう観ることができなくなっていた。
 そのことをふと思い出して「小さな悪の華」を検索してみた。すると、その映画は地元フランスでも上映を禁止され、日本とアメリカだけで上映されたとある。1972年が日本公開だったから、ぼくの記憶と合わない。ぼくは奈良の母方の叔父の家を訪れていたときに観たと思い込んでいた。
 Wikipediaによると、やがて上映禁止も解かれ、2008年にはDVDも発売されていた。

 小さな悪の華』(ちいさなあくのはな、Mais ne nous délivrez pas du mal)は、1970年のフランスの映画。日本での公開は1972年3月。公開時のコピーは「地獄でも、天国でもいい、未知の世界が見たいの! 悪の楽しさにしびれ 罪を生きがいにし 15才の少女ふたりは 身体に火をつけた」(Wikipediaより)

 バカな大人をからかい、ふざけ、嬉々と少女の悪をやっていた二人は最後に学校の発表会の舞台でボードレールの「悪の華」を暗誦しながら焼身自殺してしまう。
 悪事の陶酔感のようなものもあった。

 それから二十数年経って日本でも少年による事件が起こった。そして「人を殺してみたかった」という未成年の事件は続いた。

 同じ頃、「時計仕掛けのオレンジ」(Clockwork orange)という近未来の映画を観た。これも衝撃的だった。暴力を好み、弱者を襲う未成年を描いたもので、かれはベートーベンの音楽を愛した。そのかれが脳の手術を受け暴力を見ると吐き気をもよおす人間に生まれ変わる。彼は以降暴力を受ける側になってしまう。

 優れた映画や小説のひとつに近未来を言い当てるという想像性がある。現在、未来年表が流行っているが、未来年表は科学技術や職業の消滅などの予測をしているだけで、人間のこころの動きについてはみな避けて通っている。

 人間。ホモサピエンスはどうなっていくのかは予測できても、人間のこころの機微や思いの集積はどこに淀み、どんな匂いを発するかが、ぼくには関心事である。