北風ぴゅーぴゅーだけれど光が輝くような日である。昨日、サザエを買いにいくと鬼エビを発見した。2パック買い、塩ゆでして酒のつまみにした。相変わらず旨い。サザエは小ぶりのほうが旨いと思うので5個買った、これはつぼ焼きで、やっぱり酒の友である。こころの中で思う。これは贅沢なことだ。鬼エビは他所では手に入らない。旬の時期に旬のものを食べるよう心がけているため、あるいはいやしいため、またお人形エビがないか店に行った。残念今日はなかった。ついでにえたれいわしがないかチェックしたが、これはまだない、もうそろそろ小指くりのものが出てくるはずだ。ところがここ十年のえたれいわしは脂がなくなり、ずっと失望している。
いいのが出てきたら、自分で干物を作ってみようと思う。
今日は大坂なおみとクビトバの試合がある。とりあえず、相撲を優先させて見て、5時半からの全豪オープンは録画し、大相撲が終わってから観る予定だ。
そうそう、昨日岡田さんに電話した。近況をきくと、村上春樹の「東京奇譚集」を読んだのdという。その中の「ハナレイ・ベイ」がよかったという。前段の話で、別の小説を読んでそれなりにおもしろかったのだが、全然おぼえていないということだった。それに比べて村上春樹の短い短編小説に惹かれ、余韻があり、不思議と感動し、深くこころにしみる、と彼は言いたいらしかった。そのままの言葉をおぼえていないので、ぼくの印象側から書かせてもらう。
「鮫に右脚の膝下から食いちぎられ、パニックを起こして溺れ死んだ息子。その息子を愛していたが、人間的には好きになれなかった」(これも記憶だけなもで小説そのままの文ではない)
岡田さはいたくこの心情と理性に感心したらしかった。
この母はレストランなどでピアノを弾いて収入をもらえる程度の才能で日常生活を送っている。息子が死んでから毎年、彼が事故にあったハワイのカウワイ島に3週間ほど滞在する。小説から海の光もサーフィンに適する波の光景も、若者のサーファーの姿も浮かび上がってくるが、何よりも静かな主人公のこころが奇妙に伝わってくる。
恨みや憎しみで息子さんは死んだわけではなく、ときに襲ってくる自然災害のように死んだのですから、このハナレイ・ベイを嫌いにならないでください、という警察官の言葉も重いものがある。女性はその言葉にも素直に応じるのである。いたってバタバタせず、哀しみも、風景の中に閉じ込めてしまうように彼女はピアノを弾く。
「回転木馬のデッドヒート」には「プールサイド」という名作もある。村上の短編小説は長編小説以上に語られるとよいと思う。映画ではこの女性を吉田羊が演じるのだそうだ。
いいのが出てきたら、自分で干物を作ってみようと思う。
今日は大坂なおみとクビトバの試合がある。とりあえず、相撲を優先させて見て、5時半からの全豪オープンは録画し、大相撲が終わってから観る予定だ。
そうそう、昨日岡田さんに電話した。近況をきくと、村上春樹の「東京奇譚集」を読んだのdという。その中の「ハナレイ・ベイ」がよかったという。前段の話で、別の小説を読んでそれなりにおもしろかったのだが、全然おぼえていないということだった。それに比べて村上春樹の短い短編小説に惹かれ、余韻があり、不思議と感動し、深くこころにしみる、と彼は言いたいらしかった。そのままの言葉をおぼえていないので、ぼくの印象側から書かせてもらう。
「鮫に右脚の膝下から食いちぎられ、パニックを起こして溺れ死んだ息子。その息子を愛していたが、人間的には好きになれなかった」(これも記憶だけなもで小説そのままの文ではない)
岡田さはいたくこの心情と理性に感心したらしかった。
この母はレストランなどでピアノを弾いて収入をもらえる程度の才能で日常生活を送っている。息子が死んでから毎年、彼が事故にあったハワイのカウワイ島に3週間ほど滞在する。小説から海の光もサーフィンに適する波の光景も、若者のサーファーの姿も浮かび上がってくるが、何よりも静かな主人公のこころが奇妙に伝わってくる。
恨みや憎しみで息子さんは死んだわけではなく、ときに襲ってくる自然災害のように死んだのですから、このハナレイ・ベイを嫌いにならないでください、という警察官の言葉も重いものがある。女性はその言葉にも素直に応じるのである。いたってバタバタせず、哀しみも、風景の中に閉じ込めてしまうように彼女はピアノを弾く。
「回転木馬のデッドヒート」には「プールサイド」という名作もある。村上の短編小説は長編小説以上に語られるとよいと思う。映画ではこの女性を吉田羊が演じるのだそうだ。