日本は取り残されていくのではないか、という問題提起を「モー二ングバード」で玉川徹コメンテーターが取材していた。取材していたというよりも元ゴールドマン サックスで働いていて、日本に三十年ほど住んでいるアメリカ人(アトキンス)にインタビューしていた。そのインタビュー内容を紹介したというわけである。
このような番組を作る切っ掛けとなったのはカルロス・ゴーン氏の拘留事件があったからで、報酬をめぐる金額がテレビや新聞で取り沙汰されたからである。官民ファンドを作ろうとしたが、経済産業省はあきらめてしまった。役員の報酬が一億円というのは高すぎるという批判めいた意見があったからで、経産省が及び腰になると理事候補だった人達は辞めてしまった。バブルの頃は日本に駐在することは出世コースであったが、今は左遷コースだと思われている。優秀な経営者は日本に行きたがらない、という。アメリカ、EU,中国。世界はこのみっつで回っていて、日本は入っていない。中心から外れている、とアトキンスは嘆く。玉川徹はどう思っているのか訊きたいものだが、アトキンスの意見に同調しているようなところがあった。いつもははっきりと物を言うコメンテーターであるし、痛快なことも多いが、今日は歯切れが悪かったし、考えが纏まっていなかった。
そもそも日本は世界の中心にいなければならないのか。新しいアイデアを出すにも日本は時間がかかるというし、なにかと障壁があり進んでいかない。経営者は人当たりがよく運よく出世した人が経営者となり、会社のこれまでを守る傾向にあるという。このあたりは賛成するが、ぼくにはどうしても報酬のことが気になる。
一年で10億円の報酬をもらう人がいたとして税引き後6億円が実収入としよう。そのうちの3億円でも新規雇用すれば年収500万円の人を60人雇える。あるいは給料を増やすこともできるし、残業を減らすこともできる。一年で3億円もあっても使い切れるものでもないだろう。毎日、高級な酒や高級な食材を食べても、糖尿病になるくらいでいいこともない。高い服を買ってもしれたものだ。こうなると「欲望」というものを考えざるを得ない。
経済成長とよく言われるが、それは絶対使命のように言うのも可笑しい。成長のために企業が借金するのは資本投下でもあるが、政府が借金して、社会にお金を回すのもよくよく気をつけてやらなければ国民の財産を奪ってしまうことになる。
経営者からしてみれば、野球選手やサッカー選手と同じで、経営で活躍すれば高い報酬は当然だろう、とまあさしずめこういう論理なのだろうか。
8人の「富が地球の人口の半分の富と同じだ」などと言う実際がある。玉川徹の同調はそのグローバル化の結論を支持しているように見える。
ぼくは欲望の資本主義の時代は終わりに向かいつつあるように思っている。大富豪もいい加減にしなければならない。自由というものにも節度が要る。弱者には手を差しのべる。社員も経営者も仕事は役割であり、1人が百人分に相当するような報酬などというのはよいことはないのである。
玉川徹にこういう視点がないとも思えないが、話がゴッチャになってすでに遅れた日本経済の原因のようなことを述べたにすぎないのだった。ぼくはそれがどうした、と問い直したい。
このような番組を作る切っ掛けとなったのはカルロス・ゴーン氏の拘留事件があったからで、報酬をめぐる金額がテレビや新聞で取り沙汰されたからである。官民ファンドを作ろうとしたが、経済産業省はあきらめてしまった。役員の報酬が一億円というのは高すぎるという批判めいた意見があったからで、経産省が及び腰になると理事候補だった人達は辞めてしまった。バブルの頃は日本に駐在することは出世コースであったが、今は左遷コースだと思われている。優秀な経営者は日本に行きたがらない、という。アメリカ、EU,中国。世界はこのみっつで回っていて、日本は入っていない。中心から外れている、とアトキンスは嘆く。玉川徹はどう思っているのか訊きたいものだが、アトキンスの意見に同調しているようなところがあった。いつもははっきりと物を言うコメンテーターであるし、痛快なことも多いが、今日は歯切れが悪かったし、考えが纏まっていなかった。
そもそも日本は世界の中心にいなければならないのか。新しいアイデアを出すにも日本は時間がかかるというし、なにかと障壁があり進んでいかない。経営者は人当たりがよく運よく出世した人が経営者となり、会社のこれまでを守る傾向にあるという。このあたりは賛成するが、ぼくにはどうしても報酬のことが気になる。
一年で10億円の報酬をもらう人がいたとして税引き後6億円が実収入としよう。そのうちの3億円でも新規雇用すれば年収500万円の人を60人雇える。あるいは給料を増やすこともできるし、残業を減らすこともできる。一年で3億円もあっても使い切れるものでもないだろう。毎日、高級な酒や高級な食材を食べても、糖尿病になるくらいでいいこともない。高い服を買ってもしれたものだ。こうなると「欲望」というものを考えざるを得ない。
経済成長とよく言われるが、それは絶対使命のように言うのも可笑しい。成長のために企業が借金するのは資本投下でもあるが、政府が借金して、社会にお金を回すのもよくよく気をつけてやらなければ国民の財産を奪ってしまうことになる。
経営者からしてみれば、野球選手やサッカー選手と同じで、経営で活躍すれば高い報酬は当然だろう、とまあさしずめこういう論理なのだろうか。
8人の「富が地球の人口の半分の富と同じだ」などと言う実際がある。玉川徹の同調はそのグローバル化の結論を支持しているように見える。
ぼくは欲望の資本主義の時代は終わりに向かいつつあるように思っている。大富豪もいい加減にしなければならない。自由というものにも節度が要る。弱者には手を差しのべる。社員も経営者も仕事は役割であり、1人が百人分に相当するような報酬などというのはよいことはないのである。
玉川徹にこういう視点がないとも思えないが、話がゴッチャになってすでに遅れた日本経済の原因のようなことを述べたにすぎないのだった。ぼくはそれがどうした、と問い直したい。