25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

昨年と今年

2019年01月10日 | 文学 思想
  今日10日がこれまでで一番寒いような気がする。仕事中、電気ストーブを使ったのは今年初めてだ。
  Goo から毎日「一年前の今日のブログ」が案内されてくる。タイトルだけは見る。「五十円玉の威力
」は昨年の6日に書いたようだ。棘を抜くのに50円玉の中の円の中央に皮膚の棘を当てる。そして五十円玉を押し込むと棘は取れる。感動した手法だった。息子に教えてもらった。

 一年前に書いていたものと大して内容もあまり変わりはないのだが、昨年は「旧約聖書」「新約聖書」それに聖書関連本を読み、映画、絵画を観た。ぼくの知識にその知識が積みあがっている。宗教を否定するものではないが、宗教集団のあり方は開発されなければならない。この面での共同幻想は厄介である。それは歴史が示している。結局、ぼくとしては今のところ、どう結論付けているかと言えば「独りで祈れ」である。救済が宗教のひとつの役割とも言えるが、今は宗教組織でなくても救済する人はいるし、行政組織もあるし、精神医学、心理学、認知行動療法などなどいろいろある。
 もちろんそれでも救われない人が出て来る。その受け皿が宗教でもある。ならば宗教は組織のあり方、自分たちの相対化を図らなければならないだろう。自分たちの集団を絶対視する。このことは集団というものが克服しなければならない課題だ。この課題さえ解ければ、人類は一歩進むと思う。
 文藝春秋が「2019年の論点100」をだしたので、それを読んでいるが、宗教の問題はタブーのように全く入っていない。せめて「公明党」と「創価学会」はどうなるかくらいは100の、うちの1つに入れて欲しかった。平成の終わる年、イギリスがEU を脱退する年、トランプ大統領の3年目。オリンピックの準備が終わる年。
 AIだ、ビッグデータだ、Iot だと騒いでもそれは技術の問題である。便利になるのだろう。しかし、そしてこころはどうなるのだろう、と考えてしまう。