25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

忘れる

2019年01月16日 | 日記
 「純烈」のメンバーたちはみな四十代だそうでびっくりした。以前に比べてお年寄りが若く見えるようになったと思っていたが、四十代の男性も若く見えるものだと感心した。これはどういうことだろう。そういえば、ある店で出会った女性はぼくには20歳くらいにみえたのだったが、ある日、小学生ほどの子供を連れていて、びっくりしたことがある。聞けば
子供が二人いるという。すると、ぼくの娘ほどの年なのだろう。近頃の化粧品の品質いいのだろうか。肌などは輝いている。
 夕方母親から電話がかかり、「下の入れ歯がない。今日乗った車落ちてないか」と言う。探してみたがなかった。母の家に行ってみると探している。ぼくも探すがない。可笑しいのはははが途中で何を探しているのか忘れてしまい、「あっ、クスリやったかな」などと言って、「ちゃう、ちゃう、入れ歯」と言うと笑いながら「あっ、そうやったな、入れ歯やな。このごろ物忘れが多てな」とのたまう。いくらさがしてもない。とんでもないところに置いたのだろう、と冷蔵庫を見る。トイレも見てみる。ない。「いずれでてくるやろ」とその日の捜索を止め、明日、母がいない間に家捜ししようと思ったのだった。
 翌朝、捜索にかかった。物の十分で、細君が見つけた。ベッドの脇下にあると指をさす。何回もみたはずだ。「どこに?」入れ歯など見えない。「そこからだと見えないかもしれない」
 細君が手を伸ばしてゲット。やれやれ。早速入れ歯をデイケアの施設にもっていく。昼の弁当があるから必要である。
 昼、台湾料理の「美味館」にいき、グーグルで日本語から中国語の簡略体に翻訳したものを印刷して、通じるものかチェックしてもらった。開発したものと、それの市場性を問うE-mail である。返事次第では砂漠での実験依頼と歩を進める。興味をもってもらえるかが問題なのである。日本語がわかる先生だという話であるが、念のために
中国も添付しておきたい。正しいものが望ましい。
 高吸水ポリマーで保水層を作る手もあるが、産業廃棄物をであり、植物の綿くずを使う手もある、と日本語で自分が書いたのに、大連出身のナミちゃんに、「この手は何? 」中国語の文のなかの「て」をさして質問される。ぼくは何だったか忘れている。あわてて、元の日本文を車においてあったので、取りにいく。そうそう、「手段」を意味する「手」だよ、と説明すると、わかった風だった。
 母は93だから物忘れなどはごく自然だと思うが、ぼくなどはまだしてはいけない。努力して思い出す。できるだけ覚える。
 そう言えば、認知症がすすむと第2外国語は忘れてしまう、ということで、本当かどうかしらないが、海外に移住した日本人の中にはそれを心配する人もいるようだ。

プリンスルパート 姉妹都市

2019年01月15日 | 日記
スピーチというのは難しいものである。頭の中であれこれと話すことを思い描いていたが、いくつか結構大事なことを言い忘れてしまう。知らない人ばかりならまだしも、知っている人でもいれば、照れくささも出て来て、神経も過敏になる。つまり緊張する。
 スピーチ2番目だと言われていたので、1時半から始まるそのサロンでは、せいぜい二時にはぼくの役も終わるだろうと思っていた。そしたら、いつになるやら、ぼくは最後の最後であった。だから二時間というものはまんじりもしなかった。
 なにかしらいいことでも言わないととも思うし、そんな感情や心理も嫌なことだし、モッサンに頼まれたのでしかたなかったのであるが、やはりなるべくこういうスピーチたるものはお断りしようと思うのだった。結婚式のスピーチも嫌なものだ。
 というわけで、会そのものはみなさんの努力でいいものになっていたが、ぼく個人はまんじりとしないふわついた時間を過ごすことになった。
 尾鷲小学時代、特に印象に残っている同級生たちと会うことになり、それは嬉しかった。一人は高校のとき音楽のクラブを作った創業メンバーの一人で今は教育長をしているFちゃん。この会を紹介してくれたモッサン、第一スピーカーのはずだったTちゃん。普段の付き合いは今はもうないが、会えば、親しく話す。それぞれに生きる世界が違っている。もっさんとは読書会で月に一度会う。
 尾鷲市役所を退職された方々ともお会いした。近況を伝えあった。

 プリンスルパートはカナダ西部、太平洋岸の北にある。バンクーバーから飛行機で1時間くらい北上する。プリンスルパートの100キロほど先はアラスカ州となる。フィヨルドの海岸がシアトルからプリンスルパートまで続いている。ダンジリン蟹、キングサーモン、木材、石炭の集積地で、港、空港、高速、鉄道、バスがあり、市内は計画されて設計されているようである。産業地域と住宅地域、商業地域が明確に区分されている。自然に渾然と形成されていくような日本の町とは違っている。
 興味深いのはその人口の低さである。約13000人。そしてさらに驚くもは十代、二十代、三十代の多さである。75歳以上は500人くらいしかいない。平均年齢は確か35くらいだった。これはどういうことなのだろう。高齢者用の施設も充実していた。ある時期になると人は移動してしまうのだろうか。ゴルフ場がある。ミュージックホールもある。総合病院もある。ストリップ劇場まである。大きなショッピングモールもあった。1910年に設立された市である。高齢者の数が少なく働き盛りの人口が多いのは市や州の計画の結果なのだろうか。早めに死ぬ人が多いのだろうか。
 市役所は経済政策をする権限はない。ゴミ収集や図書館、市の施設の管理をするだけである。
 
 今であればこんな疑問も湧くのだが、当時、そのような問題意識はなかった。ぼんやりしていたことを後悔する。
 

フランスのデモ(イエローベスト)のことなど

2019年01月14日 | 社会・経済・政治
 「日本を亡ぼす岩盤規制」(上念司)、「サピエンス異変」(ヴァイバー・クリガン=リード)を今日の朝日新聞の広告を見て、すぐにアマゾンで注文した。到着は明日の予定である。よく岩盤規制といわれるが、その実態が部分的にしかわからず、明確に把握できていないので、この際読んでおこうと。もうひとつの「サピエンス異変」はサピエンスに何が起きているのだろう。「ホモゼウス」も読む候補として考えたが、だいたい内容が予想できるので、「異変」の方を選んだ。
 なにが真実なのかはわからない。ただ人が書いたものを読み、自分の知的体験からふるいにかけ、できるだけ灰汁や濁りがとれればいいが、それは自分の力だと思う。
 司馬遼太郎のような明治時代を捉え方もあるが、それまでの日本の文明を壊してしまった、近代化を急ぎ過ぎ、成功したかに見えたがゆえに過信したという捉え方もある。

 すると、同じ朝日新聞にフランスのパリから150kmほど離れた人口2万人ほどの町のことが載っており、それがイエローベストの発祥の原因だと書いてあった。大きな政府だったフランスはある時期から財政が悪化し、小さな政府へと切り替えた。自由競争を重んじたのである。町からは病院がなくなり、郵便局がなくなり、カフェもなくなった。市役所は週2回、税務署もなくなった。だから必ず車がいる。インフラ施設が亡くなった上にさらに燃料税とは何事だ、というわけである。
 尾鷲、いや日本も同じ道を歩んでいるように見える。本をアマゾンで買うべきではなかったか。ちょっとこのことを考えてしまう。

 さて今日の午後からは文化会館で姉妹都市プリンスルパートを1984年に訪問した回顧談をする予定である。ついでに、2つのことを提案するつもりでいる。
 ひとつはプリンスルパート市のホームページに尾鷲市から夏期に短期留学をしたい生徒のホームステイ要望を出すカテゴリーを作っていただくこと。もう一つはシアトルのダンジリン蟹や、バンクーバーや花で溢れる島ビクトリア、フィヨルドのプリンスルパートの新しい観光ツアールートの開発である。送り出す側と引き受ける側がマッチングでき、宿泊、レストラン、バスなどの手配ができればよい。カナダ側からは熊野古道などを盛り込んだコースを作る。どうなることやら。


 

揺らぎ

2019年01月13日 | 社会・経済・政治
 今日から大相撲初場所である。稀勢の里と御嶽海戦はドキドキものである。白鵬や鶴竜は年3場所くらい出場してやっていこうという感じで、この頃は応援する気も失せた。稀勢の里に完全復帰してほしいがどうなることだろう。もう一人は栃ノ心。足の親指の怪我ももういいんじゃないかと思うがどうなのだろう。怪力を見せて欲しい。 

 バドミントンが頻繁に放映されるようになった。卓球は卓球番組までできて、試合を丁寧に解説してくれる。強い選手が出てくるとそうなるのだ。ということはバドミントンでは桃田、奥原、高松ペアなどの活躍、卓球では福原愛、石川佳純、水谷、張本らの活躍が目をひく。

 アメリカが揺らぎ、ヨーロッパが揺らいでいる。「移民」問題で本音が出てしまっている。底には豊かになれない格差の不満もある。自分たちの国のことは自分でしろよ、と言いたいのも本音だろう。どう解決していくのか見逃せない。日本も遅れて同じ問題がやってくる。

 台湾の柯(か)さんからLINE 電話があった。この前は森元首相らと仲良さそうに映っている写真を送ってきた。ラグビーの台湾代表選手だった。その後、台日経済交流の事務局がビザ発行などのためにできて、そこで働くことになった。近況を語りあった。そしたら、今度はインドネシアの副大統領らと歓談している写真を送ってきた。ぼくより2つ年上だが、ラグビーをやっていたせなもか筋肉もあって、若く見える。どうなっているのだろう。彼はなにゆえに副大統領と会うことになるのだろう。

 そう言えば シアトルのRob はどうしているのだろう、と柯さんからの電話の余韻のあとで思った。試しに、フルネームで検索してみた。驚くことに胃腸科医として顔写真入りで博士の紹介があった。病院あてに、メールを書いた。連絡がとれて嬉しい。ご無沙汰した。よくマーサーアイランドで話し、食べ、テニスをしたこと思い出す、と書いた。メールアドレスを送ってほしいと書いた。ぼくはうっかりミスでなくしたのだった。ロブとは一緒にいても肩がこらない相性の合う友達である。
 引退したら、日本に遊びに来いよ、とメールがきたら言おうと思う。
 ヨーロッパでは再び反ユダヤ感情が蠢き、露骨になってきている。ロブもユダヤ系アメリカ人であるが、何を思うだろう。
 台湾に住む柯さんは中国との問題がある。民族、国という共同幻想が揺れている。本当は幻想にすぎないのに。




 

新自由主義から一転

2019年01月12日 | 社会・経済・政治
 平成のお時代は偶然にか、新自由主義台頭の時代でもあった。レーガンアメリカ大統領、サッチャー英国首相の登場と政策がそう呼ばせた。規制緩和と市場第一主義で、自由競争である。その30年の間に8人の人間が世界の人口の半分の富をもつほどの世界になった。GAFAがリードする世界は5Gの登場で死活問題になりつつあるかもしれない。現在の速度の100倍、容量で1000倍の通信ネットワーク網であり、GAFAも通信網を頼りとしている限り、アメリカが必死に中国の、ファウェイ問題に拘るのもわかるような気がする。
 日本はすでにこの通信の世界から脱落している。

 ぼくも毎日Google(G)を使っている。Apple(A)は使っていないがアンドロイドのスマートフォンを使っている。フェイスブック(F)は利用していないが登録はしている。アマゾン(A)はよく使う。
 インターネットの初期の頃はホームページを作っても検索順位は上に上がってきた。いつの間にか、ポータルサイトブームが起き、囲い込み戦略が始まった。ビジネス、個人のホームページとも上位に上げるのは難しい。すると広告の資金力のあるところが勝っていくことになり、コンピュータは便利になればなるほど面倒なものになってきた。DMがくる。ウィルスがくる。管理も面倒なものなってきた。業者が不要なものもつけてきて、甚だ迷惑なソフトさえ買う前から入っている。

 新自由主義から一転してナショナリズムが台頭してきている。
 日本でもこの頃は共産党が一番の保守だと言われるようになり、ナショナリストが革新だと言われるほどである。日本では作れないものは他の国から買う。日本で作ったものを他国に売る。こおに関税の障壁があれば貿易の自由度は下がる。

 日本は絶えずこの30年間、自由経済に政府、日銀が強く関与してきた国だ。ハイエクのいうところの「市場の原理にまかせておけ、ダメになってもまた生き返る」という新自由主義の理論からは遠いところにいた。が、自由貿易を守ろうと音頭をとっている。大統領はイヤだと言っている。彼にとってはオバマ前大統領がやったことはすべてイヤなのである。トランプの登場で、トランプを真似たようなリーダーが出てくる。ヨーロッパもグチャグチャになってしまわないか気にかかるところだ。
 世界は移民、難民などによってさらに人の移動が進み、もうたくさんだ、と思う人、寛容であろうと思う人などが主張しあって、次の時代を模索しているように見える。ぼくだって模索している。

測るだけダイエット

2019年01月11日 | 日記
 サントリーが新しいウィスキーを出すという。5ヶ国にある蒸留所でできるシングルモルトをブレンドするらしい。World whisky 碧(Ao)と呼ぶらしい。楽しみにしている。最近はスーパーニッカの旨さに驚いてもっぱらスーパーニッカを飲んでいる。響、山崎とサントリーは強力ウィスキーを持っているが、品薄で盆と正月前にしか出てこない。知多というウィスキーも美味しいので、いまはわざわざネットで買うこともない。
 煙草をやめてから3ケ月以上が経つ。その分ウィスキーの量が増えたと思う。体重も増えた。血圧が高めだったもで、医者に忠告された。薬は拒否した。正月明けにまた診て、薬を考えましょう、ということだった。
 正月明けて、7日。クリニックへ行き、血圧を測ると、上が140、下が80だった。正月に運動したわけでもなく、飲み食いするだけだった。だからきっと血圧は最低でも前回と同じか上をいるかだろうと思っていた。それが不思議なことに、問題のない数値だった。医者は不思議そうな顔をした。ま、今回はよかったですから、次回また診ましょう。
 その夕方「夢古道の湯」に行った。体重計があったので測ると、75.5kgあった。人生で最高新記録である。65キロくらいが一番よいと思っている。血管は老化しているはずだから、この歳になってから太ってくるのは気持ちが悪い。
 「測るだけダイエット」をやろう。一日の夜の十時に体重をはかり、それを毎日グラフに記録する。特別なことがあれば記録しておく。宴会があったとかだ。この方法は脳に働きかけて食事を減らし、カロリーを減らす方法で有力である。リバウンドもない。なにせ一ケ月に1kgの減量だから、脂肪を溜め込もうとする飢餓ホルモンはでない。
 とりあえず4月までに70kgを割りたい。

昨年と今年

2019年01月10日 | 文学 思想
  今日10日がこれまでで一番寒いような気がする。仕事中、電気ストーブを使ったのは今年初めてだ。
  Goo から毎日「一年前の今日のブログ」が案内されてくる。タイトルだけは見る。「五十円玉の威力
」は昨年の6日に書いたようだ。棘を抜くのに50円玉の中の円の中央に皮膚の棘を当てる。そして五十円玉を押し込むと棘は取れる。感動した手法だった。息子に教えてもらった。

 一年前に書いていたものと大して内容もあまり変わりはないのだが、昨年は「旧約聖書」「新約聖書」それに聖書関連本を読み、映画、絵画を観た。ぼくの知識にその知識が積みあがっている。宗教を否定するものではないが、宗教集団のあり方は開発されなければならない。この面での共同幻想は厄介である。それは歴史が示している。結局、ぼくとしては今のところ、どう結論付けているかと言えば「独りで祈れ」である。救済が宗教のひとつの役割とも言えるが、今は宗教組織でなくても救済する人はいるし、行政組織もあるし、精神医学、心理学、認知行動療法などなどいろいろある。
 もちろんそれでも救われない人が出て来る。その受け皿が宗教でもある。ならば宗教は組織のあり方、自分たちの相対化を図らなければならないだろう。自分たちの集団を絶対視する。このことは集団というものが克服しなければならない課題だ。この課題さえ解ければ、人類は一歩進むと思う。
 文藝春秋が「2019年の論点100」をだしたので、それを読んでいるが、宗教の問題はタブーのように全く入っていない。せめて「公明党」と「創価学会」はどうなるかくらいは100の、うちの1つに入れて欲しかった。平成の終わる年、イギリスがEU を脱退する年、トランプ大統領の3年目。オリンピックの準備が終わる年。
 AIだ、ビッグデータだ、Iot だと騒いでもそれは技術の問題である。便利になるのだろう。しかし、そしてこころはどうなるのだろう、と考えてしまう。

今年、嘘をやっつけろ

2019年01月09日 | 文学 思想
 1月7日の朝日新聞で紙面2ページ、両開きで、宝島社が広告をだした。
 大きな文字で

   嘘つきは、
   戦争の始まり   とあり、つづいて小さな文字で詩のようなメッセージ文が空色を背景に白い字で載っていた。次のようなものだ。

 「イラクが油田の油を海に流した」
その証拠とされ、湾岸戦争本格化の
きっかけとなった一枚の写真。しか
  しその真偽はいまだ定かではない。
ポーランド侵攻もトンキン湾事件も、
嘘から始まったと言われている。陰
謀も隠蔽も暗殺も、つまりは、嘘、
そして今、多くの指導者たちが平然
と嘘をついている。この負の連鎖は
きっと私たちをとんでもない場所へ
連れていく。今、人類が戦うべき相
手は、原発よりウィルスより温暖化
より、嘘である。嘘に慣れるな。嘘
を止めろ。今年、嘘をやっつけろ。

 大きな紙面に雲が右すみに浮かぶように印刷されていた。
「宝島社」もやるものだ。これはコピーしておき、ブログに載せようと思ったのだった。拡散してほしいものだ。評論家の言よりも、文字の力は強いと思った。

利己的な自分

2019年01月08日 | 日記
 やっと静かな日常が戻った。ちょっと考えてしまう。年末年始はどこかへ逃げ出そうか。孫がまだ乳幼児期、いや小学生までは主人公で、来たら放っておくわけにもいかない。JRの腹立たしく高い料金を払ってくるのである。孫たちの成長を目の当たりにすれば、必然的に自分は死に近づいていくことをより自覚するのである。
 自分が孫だった頃、ばあさんは小遣いをくれる人で、ばあさんがどんな人生をおくり、今なにを思っているのか考えたこともなかった。ぼくが孫を卒業する頃はもうばあさんは精神的には遠いところにいて、なんとなく死んでいった。悲しみに溢れるのでもなかった。父方のばあさんは夫を早くに亡くし、女てひとつで四人の子を育て、最後は布団の中で脳溢血を起こしたらしく、三日後に回復することなく病院で死んだ。母方のばあさんも夫が相撲を見ていて死んだのはまだ四十代だった。このばあさんはおおらかではなく、うるさく、ぼくは嫌いだった。母が離れの部屋を建て、面倒をみていた。癌だった。寝込んで三年ほどで死んだと思う。
 ばあさんのことを思いだしても、孫たちとじいさんはさらに遠く、身内ゆえの虚無感さえ感じる。「もう連れてこなくてええよ。会いたいときはこっちからいくから」と言っていいのだが、小学を卒業するまでぐらいのことだから辛抱と思い耐えている。まあ、耐えていると言っても孫は可愛く、面白いときも多いのではあるが。
 一日が自分中心で動いているのが孫中心となる。利己的な自分なのである。年に2回のことだ。
 
 


小さな悪の華

2019年01月07日 | 映画
 ぼくは確か、19歳の春にこの映画を見たと思っていた。「小さな悪の華」フランス映画である。感動してもう一度観たいと思ったときには、もう観ることができなくなっていた。
 そのことをふと思い出して「小さな悪の華」を検索してみた。すると、その映画は地元フランスでも上映を禁止され、日本とアメリカだけで上映されたとある。1972年が日本公開だったから、ぼくの記憶と合わない。ぼくは奈良の母方の叔父の家を訪れていたときに観たと思い込んでいた。
 Wikipediaによると、やがて上映禁止も解かれ、2008年にはDVDも発売されていた。

 小さな悪の華』(ちいさなあくのはな、Mais ne nous délivrez pas du mal)は、1970年のフランスの映画。日本での公開は1972年3月。公開時のコピーは「地獄でも、天国でもいい、未知の世界が見たいの! 悪の楽しさにしびれ 罪を生きがいにし 15才の少女ふたりは 身体に火をつけた」(Wikipediaより)

 バカな大人をからかい、ふざけ、嬉々と少女の悪をやっていた二人は最後に学校の発表会の舞台でボードレールの「悪の華」を暗誦しながら焼身自殺してしまう。
 悪事の陶酔感のようなものもあった。

 それから二十数年経って日本でも少年による事件が起こった。そして「人を殺してみたかった」という未成年の事件は続いた。

 同じ頃、「時計仕掛けのオレンジ」(Clockwork orange)という近未来の映画を観た。これも衝撃的だった。暴力を好み、弱者を襲う未成年を描いたもので、かれはベートーベンの音楽を愛した。そのかれが脳の手術を受け暴力を見ると吐き気をもよおす人間に生まれ変わる。彼は以降暴力を受ける側になってしまう。

 優れた映画や小説のひとつに近未来を言い当てるという想像性がある。現在、未来年表が流行っているが、未来年表は科学技術や職業の消滅などの予測をしているだけで、人間のこころの動きについてはみな避けて通っている。

 人間。ホモサピエンスはどうなっていくのかは予測できても、人間のこころの機微や思いの集積はどこに淀み、どんな匂いを発するかが、ぼくには関心事である。

可能性

2019年01月05日 | 社会・経済・政治
 理科の知識がほとんどないので、スマホで検索ばっかりしている。公定水分率。ポリアクリル酸ナトリウム系。混和剤、凝集剤などなどを調べていると、砂漠緑化の現状や使われている技術ももっと詳細にわかってくる。現在、高吸水性ポリマー(紙オムツの材料)と綿くずのいくつかの面からの比較を行っている。
 環境を壊すことはないか。吸水率はどうか。蒸発率はどうか、塩水にたいしてどうか。
 現在ところ綿くずと混和剤とセメントで、植物にたいしては生きる環境はできていると思える。保水層を作り、その上に人工土を重ねている。もしかしたら、砂漠地帯では人工土は不必要なのかもしれない。砂漠に強い植物も相当研究されている。雑草ももちろん研究されている。
 植物の根は水分、栄養分を目指して伸ばしていくのだろう。緩慢な水分の蒸発は根を誘うはずだ。
 要は、ここでは植物が生えないという諦められた場所で、植物が育てばいいわけである。雑草でも十分だ。
 11月に植えたクレストは枯れないで生きている。フリージャの球根から芽が出てきた。幾つかの植物を植えてみたが、いまのところ死んではいない。雨のときは避難させる。なるべく太陽の日に当てる。湿度を砂漠並みにしたいが、そうなるとビニールハウスとかエアコンとかが必要になる。それなら実際に砂漠で実験をしてもらった方がよい。
 飛行機で種を撒いても砂漠化の歯止めにはならない。ボランティアの人たちが苗を持ってきて植樹活動をするにも砂漠の規模が大きすぎる。砂漠の砂の移動を食い止めることも必要である。それには計画された植樹が必要である。この技術はすでに確立しているが、それをするには人手がいる。

 あれこれと思い巡らせ、砂漠問題の論文にいくつも目を通す。オーストラリアも、中東も、アメリカ、中国も、アフリカも広大な砂漠をもつ。これを計画的に緑化する方法はありえるはずだ、と思う。とにかく実験の道筋をつけたい。

 テレビでは「平成の30年とはどんな時代だったか」という話題が多くなっている。4月30日までは続くのだろう。ぼくは無理な借金でがんじがらめになった30年だと思っている。政治家がそうしたし、国民も選挙で支持をした。高橋洋一が言うように日本は資産があるのだから、だいじょうぶだと言い切る。何度も言うが、資産があるのだったら、それを処分して予算に充てたらどうだと言いたい。政府が借金を減らすには、資産を売るか、増税をして借金返済にあてるか、インフレを起こして実質の借金の価値を下げるしかない。(当然個人貯金の価値も減る。年金も実質下がる)
 明日娘家族を見送って、正月は終わりとなる。長い年末年始であった。当然のごとく、息子も、娘も、この国の行方を心配はしていない。バブル期を知らないから、つつましく、自分の背丈に合った生活をしているだけだ。しかし、日本がある日大儲けでもしない限り、破綻する日をいつか経験するはずだ。 


 





国民的歌

2019年01月05日 | 音楽 ポップス
 久しぶりに国民的ヒットソングが出たと思った。ダ パンプ の「U.S.A」である。ぼくらにも何度も聞こえてきたし、ダンスもよく見た。3歳、6歳の子も喜んでダンスをしている。当然親たちも知っているわけで三世代が知っていて楽しめたらこれはもう大ヒット曲だろう。
 昨年の紅白歌合戦はとても工夫されていて、NHKの凄さを示した。E-テレビ番組の凄さがあって、それを紅白歌合戦につかう。
 彼らが70歳になって懐メロででてきたら、あのダンスはできるものだろうか、などと想像する。自分もやってみて大変な運動量ですぐにこれは足腰にくる、と思った。
 「勝手にシンドバッド」から40年かあ。衝撃的におもしろく、メロディーもよかった。このじさん、おばさんバンドはいけるところまでいくのだろう。新曲にこだわり続けている。やはりヒット曲が勝負だろう。それは桑田佳祐も言っていた。その自覚から遠ざかると、もういけない。懐メロ歌手になってしまう。
 また国民が皆知る歌をつくってほしい。頑張れ、応援しとるよ、サザンオールスターズと松任谷由実。


恐ろしいと思う年齢層

2019年01月04日 | 社会・経済・政治
まだ娘家族は尾鷲にいる。7日が仕事始めだと思っていたが、小説「相撲取りになるど」の注文が入ったので4日から午前中事務所にいくことにした。アマゾンで買ってくれたのは千葉県の人だ。照れ臭いが、感謝である。
 あと2冊ほど本ができるほど作品数が増えたので、いずれ書籍の形にしようと思う。ラジオ局やテレビ局を作るのがネットによって自由になったように、出版も自由になった。その責任は自分がもつのだから何を言われることもない。こういう面では確かに社会の自由度は増した。

急激に円高となり、株は下がった。日本には資産があるから大丈夫なんだと言う人もいるから、その資産を売って、しばらくは借金を止めればと思うが、芸人司会者は突っ込めない。二十年、実感的には国が衰退してきた。二十年でGDPは100兆円上がっているというが、それは借金のせいだとぼくには思える。一月一日「朝まで生テレビ」はこれからの日本がテーマであったが、毎度のとおりである。毎度のとおりとは、30年前に少子化を今後の問題としていたのに、何の解決策、政策もなかった。地方分権って言っていたのに、相変わらず中央支配は変わらない。地方の活性化という言葉などもう耳にタコができるくらい聞いているのに、地方はがら空きの状態になってきている。実際やるのは政治家であり官僚のような行政マンだ。つまり「朝まで生テレビ」で言われてきたことは実行されないということだ。「朝生」で姜尚中などは言っていた。イラク戦争を起こしてはだめだ、と。小泉元首相が真っ先にブッシュ政権を応援した。フセイン以後のイラク政権は混乱をきたすばかりだ。案の定そうなった。ISが現れ、女子さらいが横行し、主義主張の違うものが争う。
 アメリカとの付き合い方をさらに考える時がきている。中国との付き合い方もすててはおけない経済交流規模になっている。ロシアは相変わらず軍事で「どうだ」というように自慢している。いつの間にか台湾が日本を追い越し、韓国も追いつき、追い越そうとしている。アジアでトップを走っていた日本はアジアの中で急速にしぼみそうである。
 小渕首相の頃、先が見えない産業、衰退するべくして衰退する産業の延命措置で大量のお金を出した。いつの政権も自分の政権の時にはお金を出したがる。

 少子化の問題などは30年前からわかっていたはずだ。それが外国人労働者問題となっている。超高齢化社会は来ることはわかっていた。団塊の世代はもう申し訳ない2,3年もすれば高期高齢者となることはわかっていたはずだ。円安、株高の政策で輸出企業は喜んだはずだ。だが生産量を上げない。為替差益にしろ、企業利益にしろ、内部留保する。消費を抑える。それは国民も同様である。それもわかっていたはずだ。
 一方でバカな成金男たちが自慢そうに、夢ありそうに、ジェット機で行ってゴルフだ、飲茶だなどと、宇宙旅行だなんだかんだと騒いでいる。
 2019年はいたしかたのないオリンピックの前の年だからなんとしても経済を支え込むのだろうか。そのあとが恐ろしい。恐ろしいと思う年齢層に突入しているということだ。何度も論議されたテーマだ。

面白いアプリを知る

2019年01月03日 | 日記
 今どきのダンスする一家全員。てなわけで、五人のダンサーにいろいろな顔をあててみる。そしLet's Dance.で知った顔がキレのよいダンスを始める。これが可笑しくて、たまらず、いろいろやってみる。
 これまでたまっているいろいろな写真でやってみる。ゲラゲラと思わず可笑しく笑ってしまう。友達バージョンも作ろうと思う。だがそれを友達に届けるには試行錯誤する。湯豆腐を食べながらやっていると、すぐに湯豆腐が冷えてしまう。ダウンロードをなんとなくして、ラインへ。すると多分それをキープへ。友達からのラインを開いて、キープのデータを貼り付け、送信へ。それでもこころもとない。新年、ひとつのアプリに感動し、それを操作できるようにしようと思ったのだった。そのアプリを ElfYourself という。みな考えるなあ。感心する。バカ面白い。
 

 

新年2日め

2019年01月02日 | 日記
 「孫」が中心に年末、正月は動くので、実に辛抱しなければならない。
 あるとき、「友達」という題で短編小説連作集を作ろうと思ったのは昨年の30日のことだった。主義、思想、生き方は違っても、相性の合う友達というのはいる。不思議と肩が凝らず、気負うこともなく、言葉さえいらないようなそんな相手。この奇妙な関係というものを書いていきたい。

 午前中10時から12時までは小説を書くことに、13時から14時は保水層と人工土の様々な研究に。他の時間は他の仕事やブログ書きやコーヒー飲みや買い物散策に使う。
 夕方にこの頃音楽を聴く。
 それから酒となって、テレビや映画DVDを観る。最後に本を読む。この頃酒量が増えて、体重も増えてきた。が、これが難しい。

 さて今年はよい年になるのだろうか。日本はパンパンに借金が膨れ上がっている。お金をばらまく。少子化のことは30年前からわかっていたことなのに、票にならないと、何にもしてこなかった。それが労働者不足で、移住政策を進める。その場しのぎの政策をやる。
 いつ金融面で何が起こるかわからない。自分なりの防御は考えているのだが。
 今日は娘たち家族がくる。大騒ぎになるはずで、あと一週間は自分のルーティーンにならない。
 また近所の人から「からすみ」をもらった。感謝
感謝で、嬉しい。