婆の妹の息子がリンパ節の癌で療養しているのを
見舞う為に
数十年ぶりで叔母の家に婆を連れて行った
新しい立派な道が空港に向かって出来ているせいもあって
叔母の家に通じる小道が見つからない
あちこち迷って
やっとの事で叔母の家にたどり着くと
其処だけ時間が止まってしまったようだ
昔見たマンマの藁葺きの大きな屋敷だ
蔵や倉庫に納屋を合わせると何百坪あるんだろうか?
とにかく大きい百姓屋だ
何度も声をかけるとやっと奥から叔母が現れた
昔見た叔母は本当に綺麗だったのだか
今は見る影も無いお婆にかわっていた
77歳だから仕方ないか?
ただ ころころと鈴のように響く声だけは変わっていない
とにかく外出することを極端に嫌う性分のせいで
人付き合いも少ないために
余計に歳をとって見えるのかもしれない
肝心の本人は外出して留守だったが
いとこの様子を尋ねると
抗がん剤のせいで毛という毛はすべて抜け落ちたが
割合元気にしているという
屋内に入ると驚いた
私が中学生の頃に泊まりにきた時とまったく変わっていない
土の土間(当たり前か)に水こそ入っていないが
大きな水がめが鎮座している 水道ができたので
無用になったがそのままおかれている
流石に炊飯器はあるので竈(くど)は取り払われていたが
土間の隅には芋を保存しておく芋室が掘られている
中には籾殻に包まれた薩摩芋がちゃんと入っていた
食卓のある板の間には赤々と炭が熾った大きな火鉢が置かれている
炭は自家製だそうだ
わら屋根の天井も無い大きな部屋はとても寒い
我が家も50年前はこんなだったかな・・・
ただ
中の間にでんと鎮座している50インチ以上はあろうか?
というテレビだけが今を感じさせるものだった
叔母夫婦が健在な限り
この家はまだ当分変りそうもないが
これはこれでいいのかもしれない