自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆人生、ネジバナのように

2005年07月06日 | ⇒キャンパス見聞
   金沢大学の入り口は長い上り坂になっている。自転車をこぐか、汗をかきながら歩くので、これまで余裕がなく気がつかなかったのだが、車路と歩道の分離帯にネジバナが数本咲いている。ネジバナとはよく言ったものだ。まるでコイルが幹に絡まるように可憐な花をいくつもつけている。花はラン科で、なるほどよく見ると花の一つひとつが端整な感じがして美しい。愛好家の間では「小町蘭」と呼ばれているらしい。


   このネジバナをいろいろと調べて見ると、どこか人間臭くて面白い。公園や工事現場や分離帯には咲くくせに、鉢植えで栽培しようとすると意外と苦労らしい。ようするに、人の手で育てられるより、広場の直射日光が大好きなのだ。もう少し詳しく言うと、ラン科の植物を種から育てるにはラン菌という菌がないとうまく育たない。従って、新しい鉢に新しい土を用意してそこに種をまいても発芽しないのだ。さらに、ネジバナが植えてあるプランター内で種から発芽というのが最も確実だが、ネジバナは同種での密植を嫌う。スペースが限られたプランター内では数は育たないのである。しかも、虫がいないと受粉できない。手がかかる。

   この気難しさがかえって愛好家を刺激して研究せしめ、このような栽培方法が編み出された。ラン菌がないと発芽しないので、愛好家は同じラン科のエビネの親株の根元にネジバナの種をまく。発芽後、子苗の根がしっかりとラン菌を保有したら、親株の根元から掘り取って別の鉢に植え替えるという方法だ。人間で言えば、自立できるまでは親の元で育てるが、親と対立する傾向が強いので、早めに独立させる、というわけだ。ただ、人もネジバナも独立させるタイミングが難しい。

   ともあれ、ネジバナは育てにくく個性が強い。そしてその個性にスネ者の人間臭さを感じる。「人生訓」風に表現すれば、ネジバナという花のイメージはこうなる。「同根より生ずれど、和して同せず。荒れ野を好み、陽を友とす。端整にして飾ることなし、人に好かれども、おもねることなし。一人一人生、ねじれたるを己が性分とし天道に咲く」。まるで、人生を漂泊する詩人のようではないか…。

⇒6日(水)朝・金沢の天気  曇り
コメント (2)
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