「あらゆる手段を使って、2011年を乗り切りましょう」。会長の庄山悦彦・日立製作所社長が答申のまとめをこの言葉で締めくくると、庄山氏の左横で麻生総務大臣は大きくうなずいた。きのう29日の総務省情報通信審議会(総務相の諮問機関)での答申は「大いなる産業実験」の最終工程へと大きく踏み出した。この答申が民放ローカル局のあり方を大きく変える劇薬になるのか、あるいは死へと導く毒薬になるのか。
「自在コラム」では地上デジタル放送(略して「地デジ」)について何度かコメントしてきたが、そのポイントは「2011年問題」に尽きる。全国に地デジを普及させ、2011年7月に現行のアナログ放送を停止する。そして停止されたアナログ放送の電波帯域は民間通信業者に開放するというのが国の計画(国策)だ。問題は、今から6年後には全世帯がデジタル対応テレビに買い換えるか、既存のアナログテレビにSTB(セット・トップ・ボックス=外付けのデジタル放送チューナー)を取り付けなければならない。デジタル対応テレビの普及率は現行8%である。6年後に100%に近づくのか。また、民放各局は中継局をデジタル対応にする設備投資を始めているが、小さなテレビ局でも45億円ほどの投資は必要とされ、放送インフラが遅れる可能性もある。「普及率も伸びない。そもそも地デジの中継局は間に合うのか。アナログ停波を先延ばししてはどうか」との声が高まってくるだろう。これが「2011年問題」なのだ。
この問題に対する回答の一つが、光ファイバーの通信網を利用する今回の答申だ。それによると、ビルの陰など電波が届きにくい地域を中心に、IP(インターネット・プロトコル)技術を使った光回線で番組を送信する。06年から通常の画質(SD)の放送を認め、08年からはハイビジョン画質(HD)の番組の送信を全国で認める計画だ。また今回、CS(通信衛星)で地上波放送の番組を流すことも認められた。冒頭の「あらゆる手段」とはこのことだ。
ここで疑問が生じる。いったん光ブロードバンドで送信できるようになれば、原則として県単位になっている放送エリアは意味がなくなる。これに対して、答申でも、光回線での送信も放送対象地域の中でしか視聴できないようにする技術を確立することを条件にしている。果たして、そのような技術開発は可能か。制限なく見えてしまえば、県域が原則になっている放送免許制度の意味がなくなりかねない。民放ローカル局はこの県域を守ることで経営が成り立っている。民放連も神経を使っていて、たとえば7月21日の記者会見でのやり取りで、日枝会長は今回の答申を想定した記者の質問に注意深く答えている。
【記者】:衛星やIPでデジタルソフトをデリバリーすることになると、県域放送の充実を標榜したデジタル化の意義が薄らぐのではないか。
【日枝会長】:総務省は、放送のエリアと同じ県域の視聴者にIPを利用して番組を届けることができるか検証するのであり、同時再送信が前提と考えている。衛星利用についても、技術的に難しい面もあるようだが、県域の再送信が前提である。ただ、中継局を建設した方が低コストになる可能性もあるわけで、今のうちに検討しておこうというのが総務省の考えだろう。
つまり、日枝会長は、インターネットや衛星放送にエリア制限を加える無理な技術を開発するより、ローカル局が中継局を建設する国の補助を充実した方がコスト的に安い、と言外に滲ませたのである。ところが、この放送免許制度そのものを疑問視する動きも出てきた。政府の規制改革・民間開放推進会議では8月にもまとめる中間報告で放送業界に新規参入を促すための制度の再検討を求めるようだ。新規参入の自由化が実現すると、民放が50年かけて築き上げた県域主義による「集金システム」が総崩れになる可能性もある。
地デジの成功はデジタル対応テレビなど家電の売れ行きに大きな波及効果を与える。1台30万円のテレビが3千万台売れたとすると9兆円、民放のデジタル化投資が8000億円、これだけでもざっと10兆円ほどになる。国が狙っている「大いなる産業実験」とはこのことなのだ。だから民放がいくら利益を出しても、国の実験に次から次へと付き合わされ利益を吐き出していく。この実験が終了した後、おそらく放送の免許制度は撤廃される。日立製作所社長の庄山氏の横でうなずく麻生大臣の2人の構図を私はそのように読み取った。
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