詩人茨木のり子のエッセイを、詩に劣らぬボリュームで収録する『茨木のり子集 言の葉』シリーズ(全3巻)を読んでいます。
歯切れのいい文章が並んでいるなかで、ほっこりさせられたのが、結婚を寿ぐ詩として広く愛される「祝婚歌」(吉野弘)についてのエッセイでした。
この詩が入っている『風が吹くと』について、吉野じしんは「あんまりたあいない詩集だから、誰にも送らなかった」と述べていて、本人の感覚とはズレて人々に愛されている詩集なのだということを知りました。茨木は、作者が駄目だと判定したこの詩集を評して「肩の力が抜けていて、ふわりとした軽みがあり、やさしさ、意味の深さ、言葉の清潔さ、それら吉野さんの持つ美点が、自然に流れ出ている」と述べています。(『茨木のり子集 言の葉2』ちくま文庫)
以下、「祝婚歌」を抜粋して引用します。
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
(中略)
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いていたほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい
この詩は、作者の甥の結婚式に出席できない代わりに、お祝いに贈られたものなのだそうです。その結婚式の列席者に大きな感銘を与えて、合唱曲にされたり、ラジオで朗読されたりで、活字になる前に口コミで広がったのだといいます。前掲書にはこの詩にまつわるエピソードがいくつか紹介されていますが、唸らされたのが次の話です。
おかしかったのは、離婚調停にたずさわる女性弁護士が、この詩を愛し、最終チェックとして両人に見せ翻意を促すのに使っているという話だった。翻然悟るところがあれば、詩もまた現実的効用を持つわけなのだが。(茨木 前掲書230頁)
「正しいことを言うときは/相手を傷つけやすいものだと/気付いていたほうがいい」とは、知者の言葉に他なりません。旧約聖書には、知者の言葉は「よく打った釘のようなものだ」とあるのだそうです。ふだんは目に留まらないけれども、知者の言葉は人と人とを結びつける力を持つという意味なのだと聞きました。吉野は、この詩が結婚式などで使われることについて、自分は知らないうちに民謡をひとつ書いてしまったのであって、著作権などうるさいことは言わないと、別の場所で述べています。知者の言葉とは、なるほどそうしたものなのだと思います。