孔子の弟子のなかでも特に頭のキレる子貢が、孔子に尋ねていいました。
「人として一生涯貫き通すべき一語があれば教えて下さい」
孔子は、すかさず「恕」である、と答えます。ところが、子貢は腑に落ちた様子でもないので、孔子は続けてこう言い添えます。
「おのれの欲せざる所、人にほどこすことなかれ」
− 自分がされて嫌なことは、人に仕向けるものではないよ、と。
論語のなかで「恕」について記されているのはこの部分だけなので、恕の定義は「おのれの欲せざる所、人にほどこすことなかれ」だと解されることがあります。
また、若く優秀な弟子である曽子が、論語のなかで「夫子(孔子先生)の道は忠恕のみ」と述べており、ますます孔子の主張の中核に「おのれの欲せざる所、人にほどこすことなかれ」が置かれることになります。
しかし、孔子は相手に応じて質問の応答を変えるような、臨機応変を好みました。
頭は切れるがやや理の勝ちすぎる子貢に対して、孔子はこう言ったのではないでしょうか。
「理屈じゃないんだ、君だって人にされていやなことがあるだろう。それをしないと心に決めてごらん、そこから世界は変わるはずだ。一生涯貫き通すべき一語と言うのなら、そう答えよう。それを今から始めるんだ、そしてそれは君が心に刻み込んで生涯反復すべき、心がまえだ。」
「恕」という語には、相手の言い分の良いも悪いも包み込んでしまう大きさがあります。
「自分がされて嫌なことを、人にも仕向けない」ことと「自分がされて喜ぶようなことを、人に対して行う」とは千里の隔たりがあることを認識し、そのような飛躍をおかすことのない慎み深さがあります。
そうでなければ、自分の快・不快の基準にあわせて人に接するという、独りよがりに陥ってしまうことでしょう。
一生涯貫き通すべき一語として、孔子はつねに立ち返るべき覚悟を置いたのだと思います。
思えば、おのれの欲せざる所を強いる何者かがあって、安逸な予定調和から身を引き剥がされ、そうして倫理というものが生まれたはずです。
「おのれの欲せざる所をほどこす人は必ずいる。さあ、そこからだ。君はどう行動するか。まずは同じような愚かなことはしないこと。そう、君はそのようなかたちでまず社会というものに接した。そこまでできたのならば、もう君の前には大道が開けている。」
少なくとも、子貢に対しては心に響く言葉だと考えたから、孔子はそう述べましたが、そうでない言葉でも充分ありえたのではないでしょうか。
「おのれの欲せざる所をほどこす人に会ったとき、それは君が人生に深く関わるきっかけなのだ」−こうであっても、孔子の言葉としておかしくはない、と言えないでしょうか。
孔子が一切説明しようとしなかった「恕」とは、一生涯立ち返るべき覚悟であり、それゆえ言葉として明確に残し難かったものではないかと思います。
怒りを止めて何に怒ったのかを見極めたいですね!
怒りより笑顔が良いと想います(^-^)
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