成人の日の「天声人語」に、茨木のり子の詩『汲む』が引用されていて、新成人ならぬ新高齢者の私が励まされる思いがしました。この詩のタイトルに「―Y・Yに―」と添えられているのが、新劇俳優の山本安英へ宛てたものだということも紹介されています。
調べてみて、茨木の戯曲が、読売新聞戯曲賞の佳作に選ばれた頃、すでに「夕鶴」の名演で知られた山本安英との親交が始まったことを知りました。山本は年若い茨木に向けて、おそらく一抹の不安と大いなる期待を込めて、言葉をかけたのでしょう。
汲む―Y・Yに― (茨木のり子)
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そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました
初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました
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年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです
この詩の収められている詩集『鎮魂歌』が1965年刊行で、茨木の戯曲が佳作当選したのが1946年なので、実に20年の時間が経過してやっと、この詩が生まれたことになります。20年を超す年齢の差も、この詩の中に詠み込まれていて、詩人としての成熟と、人間としての成長の両方の豊かさが、この詩には表現されています。
「すべてのいい仕事の核には/震える弱いアンテナが隠されている」のくだりに接すると、つい背筋を伸ばさざるを得ません。
若い人に対しては、初々しさがなくなってしまうことへの戒めと、震えるまま恐れなくてもよいという励ましが同時に込められています。その一方で、年老いた者に対しては、慢心を戒め、まだまだ伸びしろがあるという叱咤激励さえ、与えてくれます。そうだとすると、山本安英の言葉もまた、みずからに対する戒めと励ましを、含んでいたように思います。
言葉をかけられた若い人が、先輩の言葉を「汲ん」で力とするように、言葉をかけた先輩もまた、みずからの言葉を「汲み」直して初心に立ち帰ることができます。歳をとってこの詩を読み返すと、後者の方の「汲む」に、より身近で得難いものを感じます。