「月読み(ツクヨミ)」は名月の季節にふさわしい美しい言葉です。月を表す古語であると同時に、イザナギの禊から産まれた三貴神のひとりで、月を司る神を指す言葉でもあります。夜ごと姿を変える月、暦の基礎となる月に、古代の人々は神意を読みとろうとしていたのではないでしょうか。
万葉集に収められた次の歌には、ツクヨミの光の聖なる力が、読み込まれているように思います。
月読みの光に来ませ あしひきの山きへなりて遠からなくに
(湯原王『万葉集』)
万葉集をこよなく愛した良寛和尚は、この歌をもとに次のように詠いました。
月読みの光を待ちて帰りませ 山路は栗のいがのしげきに
良寛と交わりの深かった、庄屋で造酒屋の阿部定珍が、良寛の庵を訪ねてきたときのこと、日が暮れて慌てて帰ろうとする定珍が帰ろうとしたのを、もうじき月が出るでしょうからと、引き止めようとした歌です。山路には栗のイガが落ちていて、踏んでケガをするといけないと友を気遣うのです。
良寛の代表的秀歌とも言われる歌で、ツクヨミの光が友の帰路の安全を守ってくれるよう祈る、良寛の人となりが伝わってきます。
書物の所有にも興味のなかった良寛は、阿部定珍から万葉集を借りたことがあり、驚くべき記憶力で、その歌を自家薬籠中の物にしたのでした。そして、万葉集を貸してくれた友に、万葉集にちなんだ歌を贈ったのです。
「良寛禅師奇話」で良寛は「歌を学ぶには万葉がよろしい、古今はまだ良いが新古今以下は読むに堪えず」とまで述べており、技巧に走ることのない古代の歌の力を信じたのだと思います。
最後まで貧しい草庵での生活を貫き、物を持たぬことが、相手との距離を縮め、みずからの内のこだわりを捨てさせ、そして残るのは、相手を思いやる心だけになるのでしょう。
良寛は友人の家に寄宿することが度々ありましたが、仏の教えや詩歌について論じるわけでもないのに、家族の者たちに清々しい空気が流れ、去ったあとにも暫く和気藹々とした雰囲気が残ったと伝えられています。古代の人々が月を見たときの、一途な気持ちのまま人に接し、人もまた良寛に接したのだと思います。