犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

古高取の茶碗

2024-10-18 23:10:32 | 日記

福岡県東峰村で開催された陶器市「民陶むら祭」に行ってきました。
最後に訪れたのが2017年大水害の前だったので、もう7年以上の歳月が経っています。水害では多くの窯元が被災し、昨年夏の豪雨でも被害が出たと聞いていましたが、前回訪れた窯元や店舗は変わらず営業していました。復興までの苦労が偲ばれます。
山道を登ったところにある「高取八仙窯」には座敷に茶道具が展示されていて、座敷に座り込んで時間を忘れて見入ってしまうのは被災前と同じです。今回は、並べられた茶器の中で、やや作風の違う茶碗に目が留まりました。

高取焼は黒田長政によって朝鮮から連れてこられた陶工八山が、鷹鳥山の麓に窯を開いたのが始まりで、その後黒田藩の御用窯として数々の茶器を生み出してきました。小堀遠州の「綺麗さび」を直接学んだのち、薄手造りで端正な形状の高取焼の姿が確立していきます。陶器でありながら指ではじくと磁器のような金属的な響きがするのが、高取焼の特徴です。

今回目に留まった茶碗は、やや厚手の造りが沓形に歪んでおり、土肌に無造作に釉薬が掛けられた印象を受けます。
しばらく手に取って見ていると、この茶碗は「古高取」を研究している長男さんの作品なのだと、ご主人が説明してくれました。高取焼開窯当時は、破調の美を特徴とする織部好みに作られており、この「古高取」を再現しようとする試みが続けられているのだそうです。
古高取焼最初の窯と言われる永満寺窯では、日常雑器が大量に作られていたという記録もあり、殿様のために茶器が作られる前には、日常使いの「用の美」が息づいていたことが考えられます。

民芸運動の柳宗悦は、近代の破形美を指して、自由にこだわって新たな不自由を生み出していると批判しました。朝鮮陶工の初期の茶器と、中期以降の茶器の違いは、前者が必然のデフォルメであるのに対し、後者は意図して作ったデフォルメなのだとも述べています。「古高取」復活の試みは、朝鮮の陶工の作品を見て、そこにある「ただの自由」に驚いた茶人たちの眼を取り戻そうという試みではないでしょうか。

この茶碗の力強さに惹かれたので買い求めると、わざわざ作家さんが挨拶に来てくれました。十三代高取八仙さん、説明をしてくださった高取忍さん、そしてこの茶碗の作者の高取周一郎さんに一度にお会いでき、恐縮の限りでした。

家に帰って妻の点てた薄茶をこの器で頂くと、茶碗が手のひらにすっぽり収まって馴染みます。代わって私がお茶を点てると、お茶の緑が見込み部分の白と鼠色の釉薬に映えています。使ってこそ味わいのある茶碗だと思いました。


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