犀のように歩め

この言葉は鶴見俊輔さんに教えられました。自分の角を道標とする犀のように自分自身に対して灯火となれ、という意味です。

群るることああ忘れた

2021-10-09 09:18:54 | 日記

数々の秋草の登場につい忘れてしまいますが、夏の終わりをあれほど賑わせていた彼岸花が、いつのまにか姿を消しています。
花の時期が終わって花茎が無くなると、彼岸花は細い線形の葉を放射状に伸ばし、その葉の緑を保ったまま冬を越します。そして他の植物が葉を繁らせはじめる初夏に葉を枯らせるのです。「曼珠沙華」という別名は、サンスクリット語の「葉に先立って赤い花を咲かせる」という言葉から名付けられたそうなので、花の色かたちよりも成長の順序の特異さに注目されたのが、その特異な名の発端と言えるかもしれません。
ひとり我が道をゆくという風情のこの花を、歌人笹井宏之は次のように詠んでいます。

群るることああ忘れたというような目をひらきおり我が曼珠沙華
(『八月のフルート奏者』)

群れること、人と競い合うことは、考えてみると何かの必要があってそうしているわけではありません。ひとを押しのけて前に出ようとして、自分が急いでいるわけでもないことに気付いたりするのは、よくあることです。私たちは知らないうちに「機械的に自動的にできあがる」世界のなかに生きています。
群れることを「ああ忘れた」とでも言っているような曼珠沙華の姿は、そんな習慣の力から自由になった生き方を表しているようです。

習慣の力から自由になること、とりわけ感情という習慣の力から自由になることを、渡仲幸利は精神の働きをとりもどすことであると述べました。その著書『観の目ーベルクソン『物質と記憶』をめぐるエッセイ』(岩波書店)のなかで、感情に身をまかせることについて、次のように語ります。

ぼくたちは、怒りによって、鼓動を強めたり、こぶしを握り締めて震わせたり、声を裏返させたりしているのではない。こういう機械的な反応に陥った状態を解釈して、怒りと呼んでいるのである。悲しみのあまり、心拍が衰えて、全身の力を失うのでも、喜びのあまり、心拍が盛んになり、全身に力がみなぎるのでもない。こういう身体の状態を解釈したものが、悲しみであり、喜びなのである。感情に身をまかすことは、じつのところ、少しもこころ豊かなふるまいではない。物質の状態あるいは機械の状態に身を落として、こころがお留守になった状態なのである。その意味で、身についた習慣や、脳に沁みついた論理に身をまかせることも、同時に、思考がお留守になった状態なのである。(132頁)

あまりにも単純な話に、拍子抜けさえするのですが、私たちは、怒りや悲しみや喜びの感情がまずあって、それらに身を任せることは、こころ豊かなことだととらえがちです。しかし、それは物事のとらえ方もその順序も取り違えているに過ぎません。感情に身をまかせることは、ある身体の状態を切り取って、怒りや悲しみなどと名付け、そこで各々勝手に習慣づけているふるまいに身を任せることにほかならないのです。渡仲はそれを「こころがお留守になった」状態だと言います。
笹井宏之の歌の「ああ忘れた」という、どこかとぼけたような響きにも、底知れぬ怜悧さが隠されていることを、思わないわけにはいきません。

よろしかったらこちらもどうぞ →『ほかならぬあのひと』出版しました


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変えられない世界を変える

2021-10-03 16:13:19 | 日記

やや古い話になってしまいますが、オリンピック柔道の試合判定に、ゴールデンスコアが採用されて、しみじみ思うことがありました。
ほとんど気力だけで畳のうえに立っている選手の姿を見て、「美しい柔道」を標榜するような考え方を封じてしまうような迫力を感じます。それはスローガンに逃げ込むよりも、よほど健全な姿だと思いました。
「正しい心」が正しい勝利をもたらすといった説教は昔からありましたし、それを嗤うことだけを取り柄にする「現実主義」も同じように古い考え方です。そういったものとは無縁の、人間の「底力」というものを、デカルトについて論じた本(『新しいデカルト』春秋社)のなかで、渡仲幸利は次のように述べています。

ボクシングの選手は(中略)訓練の成果が出し切れたからといって、かならずしも自分の持っているすべてをしぼり出せた試合とは いいきれないらしい。聞く話では、事前の計画も崩され、あれやこれやの技術がもはや役に立たず、いわばすっぱだかで相手と向き合わねばならないときが、来ることがあるそうだ。(中略)もし、そういうときが来るような試合であれば、それは自分のすべてを出し切った戦い、といえるのだろう。
じつは、デカルトが考える姿というのは、そういうものだ。デカルトの「懐疑」を説明しようとして、まるで「懐疑」という衣を着込んだかのようなデカルトをこしらえてしまうのでは、まちがっている。懐疑とは脱ぐことだ。そして最後に「わたし」の底力が立ち現れる。(前掲書)

デカルトは既存の学問のすべてを疑い、自分のからだひとつを頼りに旅に出て、時には傭兵になって戦いながら、考える「わたし」にたどり着きました。その「わたし」とは「目覚めよ」と声を掛け続ける、生きる姿勢のようなものです。
「物」と「精神」とをふたつ並べて、その関係を説くのではなく、渡仲によれば「デカルトは、物の前に立とうとした人であり、物と向き合って自覚的に存在しはじめた精神に帰ろうとした人」でした。
「物と向き合って自覚的に存在しはじめた精神」とは何か。悲しみや嬉しさといった感情や、それらがスローガンの類で操られることが、所詮は「物」を通じて説明できる「物」の関係に過ぎないことを自覚して、そこから抜け出すことを志す力のようなものです。そして、その精神こそが「未来」をつくりだすことができるのです。

精神は自分を感情と混同する。そうやって精神はしばられ、自分を感情のままに細切れにして、変えられない周囲の事物にのまれる。が、精神とはなにか。おそらくそれは、変えられない世界からあたかも分離するようにして生まれ出た、変えられる世界である。いいかえるなら、機械的に自動的にできあがる未来しかもたない世界から身を起こして、ぼくによってつくり出される未来である。(中略)精神というのは、変えられぬ世界からもし身を起こせ、もしそこから身をふりほどく状態があり得たとした場合、その状態をいうための名である。(前掲書)

疲労や痛みや恐れといった「物」を見極め、そこから自らを引き離すような精神の目覚めによって、未来をつくりだす。それが冒頭に述べた「底力」ではないかと思います。
前に触れた歌人笹井宏之にしても、感覚器官から受容したデータを、心のなかであれこれ変換してポンと出てきた「感情」を歌に詠んだのではないのです。そんなものは「機械的に自動的にできあがる」ものでしかありません。そこから身を起こし、身をふりほどいて、未来をつくる力こそが精神の働きであり、笹井宏之の「永遠解く力」だったと思うのです。

よろしかったらこちらもどうぞ→ ほかならぬあのひと』出版しました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

永遠解く力

2021-10-02 10:22:31 | 日記

歌人笹井宏之は15歳で身体表現性障害という難病を発症し、寝たきりのままインターネットで短歌の投稿を続けた人です。多くの賞を受賞し、将来を嘱望されながら2009年26歳で夭逝しました。
その歌集『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』(ちくま文庫)から。

「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい

この歌の「はなびら」は世界を写しとる記号ではなく、香りや手触りを含んだ世界の一部をなしています。紙の上の点字の突起もまた、桜の一部なのです。

わたしはベルクソンの「帆立貝の眼」の話が好きで、それを思い出しました。
帆立貝の眼は、その構造において人間の眼と酷似しています。驚くほどに同じ部品構成を持っていると言ってよいのだそうです。この事実を説明しようとすると科学的進化論は直ちに行き詰まります。iPhone がバージョンアップするごとにカメラ機能が飛躍的に進化するのとは全く違うのです。

ベルクソンは、次のように語ります。視覚という機能は、持続する生の力が求め続けることで、ついに物質の抵抗を突破して獲得するものなのだ。この突破はあまりにも限定的なもので、むしろ眼という物質の抵抗を突破して物を視ようとしているといった方が正確なのだ、と。ベルクソンによれば、帆立貝と人間の眼の構造が同じなのは、抵抗を突破しようとする力が残した足跡の、ほとんど偶然の一致なのです。

点字をなぞって「ああ、これは桜の可能性が大きい」というつぶやきは、抵抗を突破しようとする「生の力」そのものを詠っているように思います。これは点字という媒体を通した特別の経験ではなく、生きること、視ることをそのままに写し出したものとも言えるでしょう。身体器官の不自由を強いられた笹井宏之だからこそ、直接に描き出すことのできた「力」ではないでしょうか。
ちなみに歌集のタイトルとなった歌は、まさにその「力」を詠っています。

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい

「えーえん」と赤子の口から奔り出る声もまた、抵抗を突破しようとする原初の力を表しています。

こちらもよろしくお願いします →『ほかならぬあのひと』出版しました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする