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浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

58歳の卓球選手に元気をもらう

2021年07月28日 06時18分58秒 | 卓球

今回の五輪の卓球シングルスに、ニー・シャーリエンというルクセンブルグの58歳のおばちゃんが出場していたが、残念ながら2回戦で韓国の17歳の新鋭に惜しくも敗れてしまった。五輪出場は5回目で、今回の出場選手で最年長とのことであるが、とりわけこの選手に元気をもらっている。コーラがぶ飲みでマスコミでも話題になっている。年齢自体、我々シニア世代に勇気を与えてくれるが、個人的に嬉しいのは、ラケットに「粒高」という異質ラバーを貼ったペンホルダ-で、ラケットを反転してプレイするところが自分と同じ戦型だからである。トップレベルの国際大会で、このラバーの使い手は、極めて珍しいが、日本でもシニアの女性を中心にこの粒高ラバーを使っている人も少なくない。

この粒高ラバーの特徴は、ボールの回転を粒粒で殺し、基本的にはナックルボールとなるが、相手が回転をかけてくると逆回転がかかるようになっている。ドライブの回転がかかればかかるほどカットの逆回転がかかる。昔、卓球の講習会で北京五輪の日本代表の選手のサービスを受ける練習をしたことがあるが、どんなに変化のあるサービスでもこの粒高ラバーで一回もミスすることなく返球できたことがある。ボールにラケットを当てるだけで返球ができるので、あまり体力を使わず卓球を楽しむことができる。まさに省エネ卓球でシニアにとってうってつけともいえる。彼女の卓球も自分は動かず相手を動かすというスタイルのプレイで、自分が目指しているところである。自分で激しく動いたり、ラケットを振り回したりしないので、あまり疲れることもなく、台上でマジックをやっているようで、とにかく楽しい卓球ができるのである。

日刊スポーツ記事:



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ドイツは卓球が盛ん

2021年03月14日 09時36分32秒 | 卓球

BSテレ東の土曜9時からいつも「卓球ジャパン!」という番組を見ているが、13日は、「WTTスターコンテンダー・ドーハ大会」の男子決勝が生中継された。日本の張本選手とドイツのフィルスという選手との対戦であったが、張本選手が優勝を果たした。中国選手が出場していないため、ヨーロッパと日本・韓国の選手が上位を占めていたが、久しぶりにドイツ卓球を見た。

卓球といえば、中国がトップの座を占めているが、ヨーロッパではドイツが一番強い。1985年から4年間ドイツで過ごしたが、その間、地元の卓球クラブに入り、ブンデスリーガのかなり下のクライスリーガというクラスの公式試合にも参加していた。ブンデスリーガは、世界のトップリーグとしても有名で、中国選手やヨーロッパ各地のトップ選手も参加している。日本からも修行を兼ねて何人もがブンデスリーガに参加している。

ドイツの小学校には、必ず屋外に卓球台が置いてあり、子供達は卓球で遊ぶ機会も多い。ドイツの卓球は日本より盛んであるといえる。ドイツはクラブ組織がしっかりしており、子供達から大人までが一緒のクラブに入って、練習している。日本のように学校単位のクラブではなく、こういったスポーツクラブが中心になっている。フランクフルト駐在中、歩いて5分位のところにあった「ヤーンフォルク1881」というクラブに入り、卓球を楽しんでいた。当時ルフトハンザに勤めていた知り合いのドイツ人の卓球仲間が所属していたので、薦められて参加したものである。

1881というのは、クラブの設立が1881年というのだから、クラブの伝統ぶりがよくわかる。練習は、仕事が終わった後、夜8時頃からやっていたが、普通では知り合うことのない自動車教習の先生や煙突掃除のマイスターや大学院生等のドイツ人の仲間もいっぱいできた。試合のカウントは、ドイツ語でやるので、数字はよく覚えた。2対2は、ツヴォバイデ(zwo beide)とカウントする。2はツヴァイと言うとドライと紛らわしいので、ツヴォとカウントしていた。ドイツ語はできないが、試合で審判する必要から数字はスムーズに言えた。公式な試合は、1チーム6名で、12シングルス、3ダブルスで勝敗を決める。夜8時頃から試合が開始されるので、終わるのは11時すぎで、その後、必ず反省の飲み会があったので、ハードスケジュールであった。

自分は、ペンホルダーであるが、4年間で一回もペンホルダーの人との試合はなく、まさにドイツ人のシェークハンドとの対戦ばかりであった。今回の決勝の試合を見ていて、当時のドイツ人との卓球の試合シーンが甦ってきた。今でも、当時の仲間との交流は続いている。ドイツは卓球人口が多く、クラブ組織もしっかりしているので、世界に通用するトップ選手を輩出しているものと思われる。フィルスという選手は、張本には負けたが、ヨーロッパでもめずらしい攻撃型カットマンで見ていて楽しい卓球をやっていた。自分と同じく、粒高という異質ラバーをバック面に貼っているようで、共感を覚えながらテレビでプレイを楽しんだ。

ドイツでの卓球の思い出: http://romanflight.web.fc2.com/Jahnvolk1881.html

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全日本卓球の男子優勝者は幻のコーチ

2021年01月19日 08時20分05秒 | 卓球

1月17日に全日本卓球選手権の決勝が行われ、女子は、石川佳純、男子は、及川瑞基選手が優勝した。女子は、現在、実力NO1の伊藤美誠がベテランの石川選手に大逆転を許し、呆然とした姿がテレビでも映しだされた。3対1となった時点で、誰しも伊藤選手が優勝するものと思ったに違いないが、勝負は本当にわからないものだと痛感した。石川選手の頑張りぶりには敬服する。

一方、男子は、オリンピック代表選手である張本智和と丹羽孝希が二人とも途中で敗れ、決勝は、森園政崇と及川瑞基という予想外の組み合わせとなった。大接戦の上、無名に近い及川選手が初優勝を飾ったが、張本選手を破った準々決勝の試合も圧勝の感があり、実力通りの優勝であったような気がする。

個人的には、及川選手が勝ち進む試合を大変嬉しい思いでテレビを見ていた。というのも、昨年の3月に我が卓球クラブで卓球の講習会を予定していたが、そのコーチの一人として、及川選手が来てくれる予定になっていたからである。及川選手は、昨年はS大学の4年生で見事、全日本卓球のダブルスで優勝したが、S大学OBのN氏が我がクラブの顧問となっている関係で、ダブルスチャンピオンの二人をコーチに招く段取りをしてもらっていたのである。

しかし、コロナ禍で残念ながら講習会は中止となってしまった。我々のような年寄り卓球クラブでは、トップ選手とボールを打ったり、講習を受けることができるのは、夢のような話である。3年前に一度全日本選手権に出場するトップレベルの学生を招いて、講習会を実施した経験があるが、夢のような機会であった。それにしても、今振り返ると、昨年中止となった講習会は実に残念であった。

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区の卓球団体リーグ戦で第2位 

2020年11月09日 11時39分44秒 | 卓球

11月8日、コロナ禍で遅れていた卓球の区の団体リーグ戦が行われ、我がクラブも4名で参加し、2勝2敗と苦戦しながらも何とか第2位に食い込み、賞品としてボールをゲットした。いつもなら7月に1日ですべての試合を行うが、三蜜を避けるということで、グループ別に9月、10月、11月と3回に分けての実施で、ダブルスは禁止となり、5シングルスで実施された。しかも、感染を避けるため、コートチェンジは行われず、待機中は、マスク着用が義務付けられた。選手のみ入場可能で、監督・コーチ・応援者は会場に入ることが認められなかった。

我がグループは、5チームで、0-3  1-3  3-2  3-2と2勝2敗に終わったが、2勝2敗という同成績のチームに勝利していたため、ルールに則り、2位となったものである。予想以上にレベルが高く、また、久し振りの公式の試合で緊張したが、個人的には何とか5勝1敗というまあまあの結果をおさめることができた。 1試合に2回出場し、全部で7試合(1試合は途中で勝負がついたため、途中で打ち切り)もやったので、どっと疲れた1日であった。我がクラブから女子も2チーム参加したが、やはりレベルが高く、ベストメンバーが組めなかったこともあって、厳しい結果となった。また、日々、練習に励むことにしよう。
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荻村伊智朗さんの偉業と統一コリアの奇跡

2020年09月20日 22時48分13秒 | 卓球

9月19日のBSテレ東の「卓球ジャパン!」は、日本が生んだ卓球界の偉人、荻村伊智朗さんの偉業を特集していたが、卓球愛好家としては惹きつけられるように見入った。現役プレーヤーとして世界卓球で12個の金メダルを獲得して、日本の卓球黄金時代を牽引したが、引退後は、指導者として日本のみならず、スウェーデンや中国等世界中で活躍した。さらに、国際卓球連盟の会長に就任後、数々の改革を実施し、日本という枠に収まらず、世界の卓球界でその力を発揮し、1991年の世界卓球では、統一コリアチームを実現させるほど国際貢献した伝説的な人物である。

タモリから「卓球は根暗のスポーツ」と揶揄されてから、荻村さんは卓球のイメージアップ作戦の陣頭指揮を取った。ボールをオレンジ色に変え、ユニフォームもカラフルなものに変え、卓球台も暗いグリーンから明るいブルーに変え、年寄りでも楽しめるラージボール卓球を生み出した。卓球のディナーショーなんかも行われた。そのお蔭で、学校のクラブ活動でも卓球部は人気のクラブに変わり、卓球人口も相当増えたものと思われる。愛ちゃん効果や最近では張本智和や伊藤美誠のような中国選手にも負けないレベルの選手が出てきたことも人気の一因となっている。

荻村さんが成し遂げた偉業の一つが、1991年に千葉で開催された世界卓球での南北朝鮮の統一コリアチームの実現である。統一チームの顛末については、後に、「ハナ奇跡の46日間」というタイトルで映画化されたほどである。女子団体戦において、それまで中国が8連覇していたが、何と統一コリアが決勝で中国を破り、奇跡的勝利を収めたことで世界の注目の的となった。国旗ではなく、朝鮮半島が描かれた統一旗が会場を席巻したのが印象的であった。

1991年の世界卓球は、個人的にも印象深い大会であった。当時、名古屋に勤務していたが、この世界卓球を見に千葉まで出かけ、5月5日に生で観戦する機会を得ることができた。ニッタクという卓球の会社に知り合いがいて、招待券をいただいたものである。昔の卓球用具(ピンポンセットという)が展示されていたり、着物を着た人が卓球をするデモがあったり、記念の卓球ボールもいただき、今でも大事に保管している。

もうひとつ印象的であったのは、優勝した女子の統一コリアチームのコーチがLee Yoo Sungという当時大韓航空のコーチをやっていた人であったことである。当時、大韓航空は、女子の韓国リーグでも3番目位の強豪チームであり、そのコーチが統一コリアのコーチに抜擢されたものである。インターライン卓球大会で何度も顔を合わせていた人物だったので、よけい親しみが沸いた。当時のテレビ映像にもコーチとして何度も顔が映っていたのが印象的であった。

いがみ合っていた韓国と北朝鮮が統一チームを作るなんて、誰も想像しなかったことだが、荻村さんは、両国の間に入って、実現させたのだからまさに偉業である。スポーツによる国際交流のレベルを超え、まさにピンポン外交の面目躍如といえる。国際交流といえば、スケールは小さいが、自分も1983年に東京で開催されたインターライン卓球大会で、中国に初参加を強く働きかけ、当時国交のなかった中国(中国民航)と韓国(大韓航空)の卓球交流を実現させた経験がある。当時、両国の民間レベルでのスポーツ交流は、ほとんどなかったので、マスコミにも一部取り上げられた。予想通り、女子決勝で対決したが、4対1で、大韓航空が勝利を収めた。両チーム選手がプレゼントを交換したり、仲良く交流しているシーンはとても感動的であった。卓球をやっていてよかったと感じた一瞬であった。

写真は、番組紹介、女子団体表彰式、着物卓球及び1983年の中国・韓国チーム

世界卓球1991の実際の決勝シーン映像(8.47): 


「ハナ奇跡の46日間」の映画予告編(2.18): 


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卓球による国際交流

2020年09月15日 08時20分10秒 | 卓球

卓球は、大学で始めて、今でも地元のクラブで楽しんでいるが、1977年に初めて外国人との親善卓球をやって以来、卓球の国際交流を何度も経験している。個別には、1977年にカンタス航空、1983年にルフトハンザ航空、中国民航(当時の国営会社)、1996年にイラン航空との親善試合を経験した。1983年の中国民航との親善試合は、代表団を結成し、9日間にわたり、北京、杭州、上海に遠征しての交流であった。北京空港到着時、赤じゅうたんを通って貴賓室に入ることから始まり、VIP待遇の親善交流であったが、こんな貴重な体験ができたことを今でも感謝している。中国とのレベルの違いは明らかで惨敗に終わったが、意義ある親善試合を行うことができた。自分の知る中国と昨今の習近平による共産党独裁政権とのギャップに違和感を覚える。

航空会社間では、1980年にマレーシア航空の提唱で、WOFIA(Wings Of Friendship Inter-Airlines)という国際大会が始まり、2001年の22回大会まで続いた。第4回と第19回は、東京での主催大会のマネジャーとして、すべての大会運営を経験することもできた。特に1983年の第4回大会は250人(海外から200人)もの参加者がいたので、今思い返すと想像を絶するものがあった。個人的に参加したのは、第2回ハンブルク、第3回パリ、第7回コペンハーゲン、第13回クアランプール、第16回ハンブルク、第17回中国中山市、第22回バンクーバー大会だけであるが、多くの外国人と卓球交流という貴重な経験をすることができた。トップ選手ならともかく我々愛好家レベルでこれだけ国際交流を経験している幸せ者も少ないものと感謝している。

その後、1985年から4年間、ドイツでも地元のクラブに所属し、クライスリーガ(ブンデスリーガのはるか下のリーグ)でプレイし、クラブの仲間と汗を流し、ドイツ人との交流試合を数多く経験できたこともラッキーであった。卓球を通じての国際交流は、まさにピンポン外交で自分にとって大きな財産となっている。
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卓球ジャパンで昔を思い出す

2020年06月29日 21時55分34秒 | 卓球

毎週土曜夜、BSテレ東で「卓球ジャパン」という卓球に特化した番組があり、卓球愛好家にとっては、見逃せない番組となっている。武井壮と平野早矢香が司会で、毎回、ゲストを迎え、話題となった実際の卓球ゲームを紹介し、いろいろ解説してくれる。今、コロナ問題で実際の卓球の試合が行われていないせいか、27日は、2000年の世界卓球、男子団体決勝、中国VSスウェーデンの死闘を紹介していた。圧倒的に中国が優勝すると予想されていたが、ワルドナー、パーソンの活躍でスウェーデンが逆転優勝したのである。

ワルドナーといえば、自分がドイツに住んでいた1985~1989年頃、世界で活躍していたトップ選手で、当時、ニッタク(卓球メーカー)社が主催するワルドナーの日本での講習会に協賛したことがある。航空チケット代を一部提供する代わりに、プログラムや記念Tシャツへの社名の露出をしてもらった。

ドイツでは、地元のスポーツクラブに所属し、ドイツ人仲間とブンデスリーガのはるか下のクライスリーガに参戦していた。1チーム6名で、12シングルスと3ダブルスの15試合で勝敗を競うが、試合開始は、夜8時頃、終わるのは11時すぎで、その後、飲み会が行なわれるので、相当きついスケジュールであった。クラブ仲間は、ポン友のルフトハンザのエンジニアの他に、自動車教習の先生、煙突掃除のマイスター、ダルムシュタット工科大学の学生とか普通なら知り合うことのないドイツ人と交流することができた。

また、当時、ブンデスリーガのフランクフルトチームの中国人プロとひょんなことで知り合いになり、一緒に練習する機会にも恵まれた。彼は、かって全中国チャンピオンになったこともあり、その後、日本の実業団で何年かプレイした後、ドイツのブンデスリーガにプロとして加わったとのことである。当時、日本のトップ選手がヨーロッパに遠征して来た時、仮想中国選手として練習の相手を務めていた。当時は、今と違って、21点先取だったが、練習試合で、15本のハンディをもらって、挑戦したことがあるが、一度も勝つことはできなかった。とにかく、ラケットを振るスピードが速く、ボールがどこに飛んでくるか予測できないので、返球しようにもできないのである。今では貴重な経験ができたことに感謝している。

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ポン友と連絡とれず

2020年06月04日 22時28分09秒 | 卓球

先般、35年も前からのポン友であるハンガリー在住のドイツ人にメールを送ったところメールがMail System Error - Returned Mail として戻ってきてしまった。昨年のクリスマスメールは届いていたので、何かトラブルがあったとしても、今年に入ってからだと思われる。Postmaster に問い合わせたが、なぜ戻されたかの原因は不明である。

本人が何らかの理由でメールアドレスを変えたのに、単に連絡をくれていないのであればいいが、何かトラブルがあったことも心配される。何十年も同じメー-ルアドレスを使っていたので、ここにきて変更するとも思われない。携帯電話に電話を試みたが、「現在使われていません」との応答。久しく、国際電話をかけていないので、かけ方が悪いのかも知れない。携帯電話の頭は、0175-で始まるが、日本からはどうやってかけるのか不確かである。ソフトバンクの携帯からかける時、010-0175-xxxx xxxxなのか、0を取るのか、携帯でも国番号がいるのか、よくわからない。コロナ関連かソフトバンクに問い合わせることもできない。どなたかヨーロッパの携帯への国際電話のかけ方を知っている人がいれば教えてほしいところである。

彼は、今、ハンガリーの片田舎に一人住まいしており、身の安否も心配なので、国際郵便のハガキを出すことにした。近況報告を求めるハガキを書き、郵便局に持って行き、一旦受理してくれたが、後で、ハンガリー宛の郵便物は、飛行機が飛んでいないので、受付できないとわかり、係員がわざわざハガキを家に戻しにきた。コロナ問題で国際郵便も機能していないことを初めて知った。国際郵便は、いつかは再開されるはずなので、それまで待つしかないも知れない。メールが一旦トラブルと全く連絡不能に陥ることをもろに感じた。

彼とは、卓球を通じて知り合った友人で、フランクフルト駐在中も同じスポーツクラブチームで卓球を楽しんだ仲である。今は、ハンガリーに住んでいるが、フランクフルトの家を人に貸していることもあり、帰国後もフランクフルトに行くたびに、フランクフルトまで来てくれ、車でいろいろなところに案内してもらっていた。我が家に泊まったこともあるが、ハンガリーの家に泊まりに行ったこともある。まさに、ポン友(朋友)ともいえる仲であるが、彼も80才近い年令になっているので、何かあったのではないかと心配な今日この頃である。



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ラージボール卓球大会に参加

2020年02月08日 21時04分41秒 | 卓球

2月8日、区のラージボール卓球大会があり、クラブのメンバー10名(男3女7)で参加した。ラージボールは、お年寄りでも気軽に卓球が楽しめるようボールの大きさを4㎜大きくして、ネットも少し高くして、ラバーも変化が出しにくい表ソフトに限定した卓球のことで、区では年1回だけ大会が開催されている。年寄り向けといっても、スピードが抑えられ、ボールに変化が出にくい分、ラリーが続くので、かえって大変疲れる競技となっているのは皮肉な現象である。我がクラブでは、ラージボールの練習はこの時期にあわせて、大会前に少しやるだけなので、ラージボール専門にやっている人達に比べるとハンディが大きいと言える。


初級女子シングルスの部には、24名が参加し、我がクラブからも4名参加したが、見事、優勝と第3位(2名)を獲得し、好成績を残すことができた。自分も65才以上男子シングルスの部に参加し、惜しくも第3位に終わったが、商品券1000円をいただいた。参加人数はそんなに多くはないが、1年ぶりにラケットを握ったことを考えると、上出来と解釈すべきであろう。また、130才以上混合ダブルスの部にも参加したが、これも上位トーナメントには進めなかったが、下位トーナメントで見事第1位を獲得し、靴下の賞品をゲットした。

最近は、ラージボールだけをやっている人達も多くなっているようであるが、卓球愛好家が増えることは大変いいことだと思う。我がクラブの顧問をやっていただいている人がこのラージボールの発案者であるので、感慨深いものがある。全国的には年寄りを中心にラージの愛好者が増えているようであるが、まだまだ認知度は低いような気がする。気軽にできてボケ防止には最適なスポーツの一つであるので、可能が限り続けていきたいと思う。
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脱ネクラ、卓球イメチェン成功

2020年01月22日 09時22分43秒 | 卓球

 

1月16日の朝日新聞夕刊の三面記事に「脱ネクラ、卓球イメチェン成功」という見出しの記事が出た。見出しの文言は、さらに「80年代、テレビでいじられ。。。協会奮起」「台やユニホーム華やかに 強化も実る」「いいとも!で」とある。さらに、「中高少子化でも部員増加」「愛ちゃん人気も」と見出しが踊っていた。


記事にもあるが、昔から、卓球といえば、地味で暗いイメージが強く、タモリが「笑っていいとも!」で、「卓球は、ネクラ」と揶揄していたことは有名な話である。自分も大学時代卓球部に入っていたが、今になって当時の写真を見るとボールが白いので、見やすくするために、ユニフォームは、単色のダーク系のものがほとんどで、台の色もダークグリーンだったので、まさにそんなイメージであったことは間違いない。


新聞にある通り、タモリのおかげで、日本卓球協会は、荻村伊智朗会長の下、まさに、脱ネクラ、イメチェンの取り組みに力を入れ、台の色をスカイブルーに変えたり、ボールをオレンジ色にしたり、ユニフォームをカラフルなものに変えたり、卓球のディナーショーを企画したり、ラージボール卓球を導入したり、まさに、卓球のイメチェンに成功したものである。この取り組みを積極的に推進した人が今、我が卓球クラブの顧問をやっていただいている人である。ご本人は、もう80代になられているが、時々、クラブでいっしょに卓球を楽しんでいる。


2000年代になって、卓球人気を加速させたのは、まさに愛ちゃん人気であるが、昨今では、日本の技術レベルが飛躍的に向上し、中国との格差は急速に縮まり、東京オリンピックでのメダル獲得も決して夢物語ではない、張本智和や伊藤美誠選手のような世界に通じるスターも出現しており、テレビやマスコミでも取り上げられる機会も増えている。中高の部活でも卓球部は人気のクラブになっているという。卓球愛好家にとっては、嬉しい話である。


卓球のラリー戦はテレビで見ていても面白いが、いざやるとなるといかに難しいが実感するはずである。卓球は、「空間、時間、回転の芸術」のスポーツともいわれ、競技レベルと温泉卓球レベルの格差はとてつもなく大きい。初心者が挑戦したとすると、まず、1球か2球で終わり、ラリーを続けることはまず不可能である。年寄り向けには、回転がかかりにくいラージボールもあるので、やったことのない人は、健康のためにも、卓球に挑戦してみては?


画像は、最近のユニフォームと朝日新聞の記事(1月16日夕刊)

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