浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

NHK大河ドラマ「べらぼう」始まる

2025年01月06日 07時22分29秒 | TV番組

1月5日から、NHKの新しい大河ドラマ「べらぼう」が始まった。主演は横浜流星さんで、吉原の貸本屋から、写楽、歌麿を世に送り出し、江戸のメディア王にまで成り上がった蔦重こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯を描く物語である。大河ドラマの舞台が吉原で、花魁がいっぱい登場するドラマなんて、NHKとして大丈夫なのかとまず心配した。吉原は幕府公認だが、いわゆる遊郭、遊女屋であり、社交の場でもあった。花魁は、もてなし 役として高い教養を身に付けていたかも知れないが、要するに、遊女、女郎(売春婦)である。売春は江戸時代は公認され、まさに浮世文化の象徴となっていたが、今では新宿の「トー横」のごとく、暗い世界の恥部の象徴として、マスコミでも取り扱われている。江戸時代だと大河ドラマになるほどの風俗となるとは、落差に驚くばかりである。当時の遊郭や花魁は、浮世絵にも数多く描かれており、まさに浮世を象徴する江戸風俗であった。今回の大河ドラマもまさにそのあたりにスポットをあてた物語といえる。

自分の住む品川宿も、江戸時代は、「北の吉原、南(美南見)の品川」といって、いわゆる遊郭の茶屋がいっぱいあったが、吉原は、幕府公認、品川は、半公認であったようである。品川で一番大きかったのが、「土蔵相模」という置屋で、落語の「品川心中」や「「居残り佐平治」の舞台や高杉晋作や伊藤博文らの幕末の志士たちが密儀を行った場所でもある。毎年、宿場まつりで「おいらん道中」が披露されるが、実際には、「おいらん」と呼ばれる女郎は吉原だけで、宿場にいる女郎は、飯盛女と呼ばれていたようである。しかし、おいらん道中を見ていると間違いなく江戸風俗の雰囲気を味わうことができる。

浮世絵についても、フランクフルト駐在時代、約10万点もの浮世絵を収蔵する酒井コレクションの方と知り合い、浮世絵の展覧会やドイツ初の摺りの実演を企画した関係で、浮世絵にも興味を持ち、大分詳しくもなった。我が家の壁にも、花魁や美人画の浮世絵が飾られている。そんなわけで、今回の大河ドラマは大変楽しみである。美しい花魁の姿や江戸風俗を垣間見たり、浮世絵の美人画がたくさん見られるのではないかと楽しみにしている。
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武田鉄矢の昭和は輝いていた~石原裕次郎生誕90年スペシャル

2024年07月06日 08時01分33秒 | TV番組

7月5日のBSテレ東の「武田鉄矢の昭和は輝いていた」は裕次郎の生誕90年記念特集として彼の人生の軌跡と魅力に迫る2時間スペシャルが放映された。彼は日本人が最も愛し、生誕90年を迎えた今もなお人々の心に存在し続ける唯一無二の存在である。 

番組では、裕次郎と共演した俳優の八名信夫、小野武彦氏をスタジオゲストに招き、撮影秘話や驚きの素顔も紹介された。俳優として、歌手として、そして映画のプロデュサーとしての裕次郎にあらゆる角度からスポットを当て特集してくれた。 誰もが知る名作ドラマ「大都会」「西部警察」、そして日活と東宝の共作となった傑作映画「黒部の太陽」(昭和43年)などの制作秘話や数々の名シーンもふんだんに紹介された。 

また、 兄慎太郎原作の映画「太陽の季節」で端役で銀幕デビューし、次の「狂った果実」では主役を務め、女優の北原三枝(後の奧さん)と共演した。この映画では歌手としてもデビュー した。その後も映画スターとして、歌手として大活躍し、昭和38年に石原プロモーション設立し、映画の製作を始め、資金稼ぎもあって昭和41年から歌手として全国ツアーもやったそうである。

また、チェット・ベイカーというアメリカの歌手の歌声の魅力にひかれtことが甘い歌声の原点となったことやエルビス・プレスリーとの共通点なども紹介された。裕次郎の魅力は「礼儀正しさと不良っぽさ」であることのようである。個人的にはあまり映画は見ていないので、歌手として裕次郎の印象が強いが、好きな曲も多い。「銀座の恋の物語」や「夜霧よ今夜も有難う」などの有名なヒット曲の他に個人的な好きな曲をあげてみると、北海道シリ-ズとして「恋の町札幌」「ポプラと私」「北の旅人」、空港シリーズとして「青い滑走路」などで、なかにし礼の作詞による「わが人生に悔いなし」は、人生歌として感動的で、座右の銘にしている。52才の若さで旅立ってしまったが、今生きていれば、90才ということで時の流れを感じる。


「わが人生に悔いなし」: https://www.youtube.com/watch?v=gFdMJIOSwlE



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世界はブラボー・in・インド

2024年06月11日 06時03分31秒 | TV番組

6月10日のNHK「あさイチ」は、「世界はブラボー・in・インド」というタイトルで、人口世界一!あふれる人とモノのインドを取り上げていた。インドは、つい最近大掛かりな総選挙が実施され、与党・インド人民党を中心とする与党連合が過半数を維持し、モディ首相が3期連続で政権を握ることが確実となった。事前には与党側の大勝も予想されたが、実際は大接戦となり、モディ首相は連立を組んで政権を掌握する見込みであるという。番組では、早朝のインドから生中継も行われていた。インドといえば、2023年に人口が約14億3000万人に達し、中国を抜いて世界一になったことが注目されたが、国民総生産GDPも2025年には日本を抜き、米国、中国、ドイツに次いで第4位になるほどの大国となっている。

インドには、6回ほど旅行したことがあるが、全て出張旅行で、ニューデリー 3回、ハイデラバード 1回、ムンバイ・プーナ 1回、バンガロール・チェンナイ 1回である。ニューデリー滞在中、世界遺産としても有名な「タージマハル」(アグラ)まで足を運んだこともある。旅行したのは2001~2006年とだいぶ前のことであるが、インドの個人的印象は、まず街が汚いこと、ニューデリーはまだいいが、デリー地区はひどかった。また、道路に信号機が整備されておらず、歩いて道路の反対側に渡ることが至難の業となっていた。走る車の合間をねらって渡ろうとするが、1時間以上渡れなかったこともあったほどである。しかし、タージマハルはじめ、世界遺産も色々あるし、長い歴史を反映した観光資源はいっぱいあるような印象である。ハイデラバードは、IT産業が盛んで、映画産業の街としても有名なところで、ムンバイは昔のボンベイ、チェンナイは昔のマドラスで、ともに歴史ある街で見どころも多い。

仕事上で接していたインド人は、エリート階級の人が多く、イギリスはじめ海外留学経験があったりするので、英語も比較的わかりやすかったが、一般のインド人が話す英語は訛りもあり、聴き取りずらいこともよくあった。当時インドオリンピック委員会の会長(元鉄道大臣)のお宅に会議でお邪魔したことがあったが、豪邸にお住まいで、貧富の差を肌で感じたこともあった。当時、インドは、オリンピックを誘致したいという野望があったが、当時の個人的印象では、まだ、10年は早いという印象であった。しかし、その後、インドは人口も増え、経済力も国力も付いてきているので、日本もうかうかしていられない状況になりつつある。

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TBS世界遺産~鈴木亮平と学ぶ世界遺産

2024年06月10日 05時30分01秒 | TV番組

6月9日のTBS世界遺産は、「鈴木亮平と学ぶ世界遺産」として特別編が放送された。世界遺産は、現在1199件が登録されているが、世界遺産になるための条件は、なんであるかを詳しく解説してくれた。まず、動かせないものであること、即ち、「不動産」であること。その意味で、ミラノのドメニコ会修道院の食堂の壁に描かれているレオナルド・ダ・ヴィンチによる「最後の晩餐」は、世界遺産として登録されているが、ルーブル美術館にある「モナリザ」の絵画は、小さくて動かせる絵画なので、世界遺産にはなり得ないという。東大寺の大仏は、大きくて不動産とみなされるので、世界遺産として登録されている。

次に、世界遺産は、「顕著な普遍的価値を持つ」ものとされる。エクアドルにあるサンガイ山は、標高が約5300mもある富士山によく似た円錐形の山であるが、山を含むサンガイ国立公園には、複雑な生態系、長期的な火山活動、絶滅危惧種のヤマバクが生息している等により自然遺産として登録されているが、富士山の方は、古くから絵や歌になっていて、①芸術作品を生んできた ②聖なる山として信仰の対象となっていたことから、文化遺産として登録されている。また、「負の遺産」として登録されている世界遺産もある。例えば、ビキニ環礁核実験場や広島の原爆ドームやアウシュビッツ強制収容所(ポーランド)やゴレ島の奴隷貿易港(セネガル)等、過ちを繰り返さないという意味合いの世界遺産もある。また、最後に、珍しい世界遺産として、地球の測量を行った「シュトルーヴェの測地弧」としてフィンランドにある小さな穴他10ヵ国にわたる34箇所の測量点も世界遺産として登録されていることが紹介された。このような価値はあるが、見栄えがいがない世界遺産もあるという。いろいろな世界遺産があることがよくわかった。

世界遺産は、観光地のリストではないと最後に締めくくっていたが、我々にとっては、やはり、一度は行って見たい場所としての意味合いも強い。個人的には、1199件の内、200箇所のみ訪問したことがあるが、とてもすべてを見て回ることなどは不可能である。今回紹介された世界遺産の中では、ダ・ビンチの「最後の晩餐」と「原爆ドーム」「富士山」「東大寺の大仏」しか行ったことがないが、世界遺産はやはりそれなりに魅力があることも事実である。


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ネアンデルタール人vs.ホモ・サピエンス

2024年06月09日 06時49分04秒 | TV番組

8日のNHKEテレの「地球ドラマチック」では、「ネアンデルタール人vs.ホモ・サピエンス」というタイトルで、なぜネアンデルタール人は絶滅し、我々ホモ・サピエンスは生き残ったかについて、興味深い謎解きをしてくれていた。フランスの番組を取り上げたようであるが、4万年前までヨーロッパに暮らしていたネアンデルタール人が我々ホモ・サピエンスと遜色のない能力を持っていたにも関わらず、なぜ彼らは絶滅したかを科学的に分析して、その謎に迫っていたが、大変興味深く見ることができた。

4万年前に絶滅したネアンデルタール人。かつてはホモ・サピエンスよりも原始的で劣った存在とされてきたが、近年の研究により彼らの意外な能力が次々と明らかになってきた。筋力や寒冷地への適応能力、そして脳の大きさではホモ・サピエンスを上回り、狩りの能力も高かったとされるネアンデルタール人。なぜ彼らは絶滅し、ホモ・サピエンスは生き残ったのか…?である。ネアンデルタール人はヨーロッパを中心に、ホモ・サピエンスはアフリカを中心に繁栄し、両者は、数千年間は、共存していたようである。近年のDNA解析の結果、今のホモ・サピエンスは、1~4%はネアンデルタール人のDNAを受け継いでいることがわかったという。これは、両者が交配していたことを意味するという。ネアンデルタール人は、最大でも7万人しかおらず近親交配がやむなく発生し、集団孤立となり、それが絶滅した原因であると分析されているようである。ホモ・サピエンスは、人口の広がりとともに、集団的に協力する能力がすぐれていたことが、絶滅せず世界中に広がって行ったものと思われる。

ネアンデルタール人に個人的に興味を持ったのは、ドイツ駐在中、1988年10月にデュッセルドルフの近くにあるネアンデルタール谷を訪れたことがあるからである。1856年にこの谷でネアンデルタール人の人骨が発見され、この谷の名前からネアンデルタール人という名称がつけられたものと思われる。現地に、博物館もあって、見学したことを覚えている。人類の歴史には興味があるが、昔は、ネアンデルタール人 → クロマニヨン人 → 現在の人類と習ったような記憶があるが、今の解釈は大分異なるようである。今のホモ・サピエンス人類のルーツはアフリカ大陸から来ているようであるが、肌の色からするとあまりピンと来ない気もする。

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3か月でマスターする世界史 第6回 「モンゴル拡大 東西の統一」

2024年05月15日 16時48分34秒 | TV番組

5月8日のNHKEテレ「3か月でマスターする世界史」は、第6回として、「モンゴル拡大 東西の統一」についての講座が放送された。この講座は、中味が濃いので、テキストがない場合、内容を理解するためには、ビデオで録画し、何回か見る必要がある。今回は、14日にメモを取りながらビデオで見た。第6回では、モンゴル高原に「なぜ空前の大帝国が実現できたのか?」について、下記の5つの大きなポイントがあるとして、歴史的背景を詳しく解説してくれた。

1 強力な指導者
テムジン(後のチンギス・カン)という強力な指導者が現われ、1206年にモンゴル高原を統一して、大モンゴル国を建設。

2 中央集権体制 
千戸集団という軍事兼行政組織を編成し、中央集権体制を確立。

3 情報戦に長けていた
ウィグルやムスリム、知識人や職人の知恵をうまく活用し、情報戦をうまく展開。

4 適材適所の人材活用
1235年、オゴデイ(チンギス・カンの子供)が遊牧国家の拠点としてオルホン渓谷のカラコルムに首都を建設。人材と物資を受け入れる体制を整え交易の一大拠点とし、ジャムチ(駅伝制度)も整備。商人はじめ多彩な人を歓迎し、安全に行き来できる仕組みを構築。政権中枢に、ウィグル、ムスリム、商人を財務官僚として抜擢し、適材適所を実践。遊牧地域と農耕地域の両方を支配。西側では、ワールシュタットの戦い(1241年)でドイツ・ポーランド連合軍を撃破。

5 相手の心をつかむ戦略
手こずっていた南宋を制覇するため、クビライ(第5代カン)は、1267年に首都をカラコルムから大都(今の北京)に移し、中華王朝の装いを整えるため、国名を「元」とした。1279年に南宋を征服し、モンゴル帝国を完成させ、遊牧世界と農耕定住世界の歴史がひとつの集大成を迎えた。

今回の講座でモンゴルとウィグル、モンゴルと中国の関係がよくわかり、なぜ中国の首都北京が北部地域にあるかもわかった。モンゴルというとチンギス・カン(ジンギスカン)の名前しか出てこないが、そういえば、世祖クビライの名前や「元寇」(蒙古襲来)なんていう日本との戦いも歴史で習ったことを思い出した。そんなモンゴルに旅行したのは、2018年7月のことで5泊6日で、首都ウランバートルとチンギス・カンの巨大騎馬像があるテレルジを訪問し、年1回の国をあげてのお祭りである「ナーダム」を観覧することもできた。お祭りの一環として、モンゴル相撲や草原を走る子供競馬も見学することができた。モンゴル創設のチンギス・カンの像は、市中心部のスフバートル広場にあるし、テレルジにある高さ40mもある巨大騎馬像も見応えがあった。モンゴルを旅行する人はそんなに多くないと思うが、モンゴル帝国や中国の歴史を考えるには欠かせない旅行先であることに違いない。


モンゴル旅行(2018年 16分): https://www.youtube.com/watch?v=YUXSOrwBp2Y


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NHK朝ドラ「虎に翼」で紹介された名判決文

2024年05月05日 06時58分19秒 | TV番組

NHK朝ドラは、「ブギウギ」に次いで、4月から日本初の女性弁護士、裁判官となった三淵嘉子さんをモデルとした猪爪寅子をヒロインとする「虎に翼」が始まったが、「ブギウギ」の延長線でほぼ毎日見ている。聞きなれない法律用語もいろいろ出てくるので、しっかりと見る必要もあるが、「ブギウギ」もそうだが、実話に基づく朝ドラはリアル感があってとっても面白い。「明律大学」は、日本で初めて法学部の女子部を創立した「明治大学」のことだし、「共亜事件」は、1934年に起こった帝人の株式売買をめぐりヒロインの父親を含め、政治家や財界人等16人を巻き込んだ疑獄事件であった「帝人事件」のことだし、歴史と比較しながら見ると大変興味深い。米津玄師の歌う“さよーならまたいつか!”という主題歌も軽快で楽しみとなっている。

5月3日の放送で、共亜事件の被告全員が無罪判決となったシーンが放送されたが、「あたかも水中に月影をすくいあげようとするかのごとし」(実際の事件では、「水中に月影を掬(きく)するが如し」)という名判決文が紹介された。本件において、検察側が主張するままに事件の背景を組み立てようととしたことは、すなわち、本件判決は証拠不十分によるものではなく、犯罪の事実そのものが存在しないと認めたものである。当時の判決文を起案したのは、石田和外さん(テレビでは、松山ケンイチが演じる桂場等一郎)で、事件が事実無根であることを強調し、無罪を言い渡し「司法界に石田あり」と注目されたようである。

名判決文といえば、すぐに思い出すのは、高校時代の同窓生のY氏が裁判長として、2002年に東京地方裁判所の判決で、被告の少年2人に対して出した名判決文である。彼は、判決の際、『唐突だが、君たちはさだまさしの『償い』という唄を聞いたことがあるだろうか。この唄のせめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が、人の心を打たないかわかるだろう』と説諭を行った。裁判官が具体的な曲名を挙げる説諭は異例で、当時、テレビでも大きく取り上げられた。さだまさしの『償い』は、やさしくまじめな“ゆうちゃん”が、ある日突然、交通事故の加害者となり、自分の犯した罪を償うために被害者の妻に毎月、働いたお金を送るという歌詞で実話が基になっている。
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大下容子のワイド!スクランブル~リトアニア特集

2024年05月02日 05時14分56秒 | TV番組

5月1日のテレビ朝日「大下容子ワイド!スクランブル」では、オーレルイス・ルーカス駐日リトアニア大使をスタジオゲストに迎え、対ロシア問題についてのリトアニアの立場を特集してかなり詳細に紹介してくれた。リトアニアは、エストニア、ラトビアと並びバルト3国の一つで、旧ソ連圏の小国であるが、民主主義に舵を切って発展している立派な民主国家となっている。ロシアや隣国ベラルーシの脅威に危機感を高め、国境に高い壁を築いたり、ロシアとどう向き合っていくかをリトアニア大使が流暢な日本語でいろいろ語ってくれた。

リトアニアの首都は、ビリニュスだが、杉原千畝が「命のビザ」を発給した当時の日本領事館(現杉原記念館)があったカウナスという町も有名である。リトアニアに旅行で訪れたのは、2010年の9月のことで、3泊し、ビリニュスやカウナスの他に、近郊のトゥラカイ城や世界遺産のケルナヴェ遺跡にも足を運んだ。ビリニュスは、その歴史地区が世界遺産に指定されるほど歴史ある素晴らしい都市であり、ほとんどの観光名所を見て回ることもできた。今となっては、なかなか安心して旅行に出るのも躊躇するが、バルト3国は風光明媚な観光地としても魅力ある国々なので、是非とも一度は訪れたいところである。

ロシアによるウクライナ侵攻があるまでは、バルト3国とロシア・ベラルーシとのこじれた政治関係も正直よく知らなかったが、何としてもロシアの武力によるバルト3国侵攻を断固として阻止する必要性を感じる。ウクライナもここに来てかなり劣勢になっているようなので、何とか西側諸国の結束で犯罪国ロシアを叩きのめし、暴君プーチンにぎゃふんと言わせたいところである。


リトアニア・ベラルーシ旅行: https://www.youtube.com/watch?v=Bsqv2j0UBNk

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3か月でマスターする世界史~第4回イスラム拡大の秘密

2024年04月26日 19時15分02秒 | TV番組

4月24日のNHKEテレ「3か月でマスターする世界史」は、第4回として、イスラム教拡大の秘密についての講座が放送された。歴史の大きなつながり”をひもとくシリーズで、栄華を誇ったローマ帝国が分裂した後、世界を席けんしたのがイスラム教。アラビア半島を中心に急拡大したイスラム教は世界をどう変えたかが解説された。初回は見たが、2回目と3回目はビデオ録画に失敗し、見損なったのは残念であった。

我々日本人にとって、仏教やキリスト教は比較的馴染みが深く、日常生活においても、海外旅行に出かけても、何となく理解できるが、イスラム教については、知識も薄く、とてもしっかり理解しているとはいえない。自分自身、イスラム教やイスラム社会についての知識は断片的でしかない。アッラーの神とかラマダーンとかヒジャーブとかスンニ派やシーア派とかイスラム原理主義とか、イスラム関連用語をよく耳にするが、しっかりと理解しているとはいえない。世界情勢の中でも、とくにイスラム圏はいつも紛争のど真ん中にあり、イスラムは争いばかりしていている印象しかない。

講座の概要としては、

・7世紀にムハンマドがメッカに一つのイスラム教国家に統一し、コーランと彼の教えと実践がイスラム教の信仰の基礎となっている。
・ムスリム(イスラム教信者)はアッラーの神の前では平等
・ウマイヤ朝(661~750)やアッバース朝(750~1258)といったイスラム教で統治する国家が、オリエントと地中海にまたがるほどに広がったのは、現地主義で「非常に臨機応変でゆるやかだったから」という。
・今のイスラム教は、西洋化もあり、宗教改革の最中であるという。西洋化に対抗し、もともとのイスラムの教えを復興しようというイスラム原理主義も出てきている。
・アッバース朝の首都はバグダッドで、そこには多様性が集積しているという。

さらに、イスラム教は西は地中海周辺から東はオリエントにの登場は世界の歴史にどんなインパクトを与えたのかも解説されていた。 各地に広がったイスラム教の建物として、ウマイヤ朝時代のウマイヤモスク(ダマスカス)やメスキータ(スペインのコルドバ)やアルハンブラ宮殿(スペインのグラナダ)等実際に訪れたことがあるものも紹介されていて親しみを感じた。

イスラム教拡大の秘密と、そのリアルな姿を探るというが、何せ30分という限られた授業時間なので、あまりにも早い展開で、しっかり理解してついていくのが難しいと感じた。内容が盛り沢山すぎて、消化不良気味で、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」の感がある。テキストを見ながらであれば、ついていくことはできるかも知れないが、自分でノートを取りながらでは、無理があったようである。理解の遅い大人向けであるならば、内容を絞ってゆったりペースで勉強できるようにしてほしいと感じた。また、テキストは本屋で売り切れ中であったが、店頭に並びはじめたので、手に取ってみた。カラー写真もふんだんにあり、解説書になっているので、それなりに立派だが、他のNHK講座に比して、1冊1320円とはやはり高すぎる。3ヵ月だとテキストだけで約4000円にもなるので、買うかどうか迷うところである。写真等はネットで無料公開として、テキストは安価なものにしてほしいものである。今のところ、そこまで本格的に勉強しようとは思わないので、ただ聴くだけにとどめようと思う。

かって、1983~84年頃、日本テレビで「まんが日本史」というアニメ番組があり、毎週欠かさず見ていたが、とてもわかりやすく日本史の理解に役立ち、お気に入りの番組であった。その印象があったので、まさに同じような「まんが世界史」なるものがあったらという思いを抱いた。海外旅行が好きなので、世界各地を訪れるたびに現地の歴史についてよく俄か勉強をしていたが、もっと知っていれば、旅行がもっと充実したものになったにちがいないと感じることがよくあった。まんがシリーズでは、かって、「まんがはじめて物語」「まんがどうして物語」などの素晴らしい番組がいろいろあったが、もう一度見たい思いがあり、復活を希望するものである。
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NHKからBS受信料支払いの案内レターが来た

2024年04月11日 06時15分45秒 | TV番組

 

先日、NHKからBS放送の受信が可能なテレビをお持ちなら、BS受信料を支払ってほしい旨のレターが届いた。昔は、NHK職員らしき人が受信料の支払いを求めて、家にやってきたこともあったが、最近はとんと見かけていない。当時すこぶる評判が悪く、BSは見ていないと玄関越しに断ったこともあるが、手紙作戦は継続しているようである。

NHK法なるものに基づいて、NHKの受信料を支払うことについては、公共性から理解するし、現に支払っているが、BS放送となると話は別である。公共の放送は、地上デジタルに一本化して実施すべきであり、公共性をBS放送にも求めることは理解できない。民放各局でもBS放送を行っているが、民放のもので十分である。

NHKは、BS放送を見たい人だけにお金を徴収して見せるようにすればいいと思う。現代の放送技術を使って、視聴料を払っていない家庭のテレビにはスクランブルをかけて、見せないようにすればいいだけである。以前は、スクランブルがかかっていたが、なぜか今はかかっていないようである。何か問題でもあったのであろうか?

テレビにBS受信機能が付いているならそれだけの理由で、見てもいないBS放送の受信料を強制的に徴収しようとするのはおかしいと思う。テレビが見られるスマホを持っているだけで、見てもいない人にNHK受信料を支払えという議論といっしょである。我が家では居間のテレビのアンテナコードの接触不良だと思うが、地上波は見られるが、BSについては、受信できませんというレスポンスが表示される。

「NHKから国民を守る党」というような政党がある位だから、受信料について疑問を持っている人もいかに多いかを物語っている。過去にはNHK職員の不祥事も多発しており、上層部の政権との癒着も気になる。政権の意向でアナウンサーを降板させたり、左遷させたり、目に余る人事も少なくない。NHKをやめて民放にトラバーユするアナウンサーも後を絶たない。NHKは、政権の御用メディアになることなく、本来のメディア機能を十分発揮し、公正な放送を実行してほしいものである。問題点がすべてクリアになり、納得できたら支払ってもいいと思うが、現時点では、見てもいない BSの受信料を支払うことには否定的である。

 

 

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