浪漫飛行への誘(いざな)い

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卓球クラブの役員卒業

2024年10月26日 08時16分06秒 | 卓球

10月25日に所属する卓球クラブの総会が開催され、14年間務めてきた役員を卒業することになった。定年を迎えてから、地元の卓球クラブで卓球を楽しんできたが、人材不足もあって、入会2年後から微力ながら役員も務めてきた。30数名の小さなクラブであるが、ちゃんとした規約もあり、いろいろな行事もやってきたので、それなりに負担も少なくなく、最近は体力的にも限界を感じていた。ボール等の備品や大会の賞品を購入したり、週2回の練習会、月1回の月例会及び競技会、年1回の創立記念大会、合宿及び総会、トップレベル試合の見学、交流会、講習会、お花見、暑気払い、忘年会等クラブとしての行事も多彩で、自分自身の担当も限られているが、練習のコーチ役も務めてきたので、健康上の理由もあり、今期をもって役員を卒業させてもらうことにした。

14年も役員をやっていたので、いろいろな思い出もある。例えば、千葉の白子温泉での合宿は、全部で10回も参加し、練習、宴会等学生時代のような気分を味わった。練習メニューも考え、ある時期は、合宿の写真集をYouTubeやDVDで作成したこともあった。2017年には大学のトップレベル(関東リーグ1部トップ校)の選手3人を招いて、講習会を実施することができたのも思い出に残る。また、2018年には創立20周年を記念して、20年のあゆみとメンバー全員のプレイ姿を動画にしたDVDを作製し、全員に配布し喜ばれた。

クラブ自体、60歳以上から成る高齢者団体なので、平均年齢も75歳を超える。下は62歳から上は93歳までのメンバーなので、故障者も出るし、高齢でやめていく人も少なくない。卓球は高齢者でも十分楽しめるスポーツなので、皆、自分の体力に合わせて卓球を楽しんでいる。但し、高齢化が進み、創立時のメンバーはすでに誰もいないし、今や創立26年も経ってクラブ自体の存続もそろそろ曲がり角に来ているともいえる。クラブの存続のためには、若手といっても60代の連中が後を継いでいく必要があるが、今や60代でも働いている人がほとんどなので、残念ながら、余暇活動に専念することが困難な現実もある。

60歳定年は、もう古き良き時代となっているが、自分自身、60歳から仕事を卒業し自由人となれたことは大変ラッキーであった。新型コロナ問題で活動が休止していた時期もあったが、16年間貴重な経験をすることができたと振り返る。総会後、近くのお寿司屋さんで今回退任した5名で慰労会を行い、皆の労をねぎらった。今後は、コーチ等で可能な限り協力するものの、運営は新役員に任せ、自由な身で自分のペースで卓球を楽しむこととしたい。
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パリ五輪卓球女子シングルスで早田ひなが銅メダル獲得

2024年08月04日 05時46分26秒 | 卓球

パリ五輪では自分自身が愛好している卓球競技は特に関心を持ってテレビでの熱戦を見ていたが、3日、早田ひな選手が女子シングルスの3位決定戦で韓国のエースを4-2で破り、見事銅メダルを獲得したことにテレビの前で歓声をあげた。準決勝では、世界ランク1位の中国選手に完敗したが、3位決定戦では、韓国の若手のホープを破り、日本の面目を保った。今大会でも中国選手の強さを見せつけられた感があった。中国と日本では卓球人口が桁違いの差があるので、とてもかなわないが、トップレベルでの差は間違いなく縮まりつつある。競技者レベルでは、日本は約39万人、中国は約3000万人、愛好者を含めると日本は約120万人、中国は約8300万人というから約7倍中国の方が多いことからもその差は歴然である。卓球人口が多いということは、それだけ底辺が広く、勝ち抜くトップ選手の実力は半端ないといえる。

1988年のソウル大会で卓球がオリンピックの正式競技となって以降、金メダルは37個授与されたが、うち中国は32個を獲得。金・銀・銅3種合わせると、115個のメダルのうち60個を獲得してきた。その一方、中国国内では卓球選手がしのぎを削り、いくら才能があっても芽が出ず、国際試合に出られない選手が多数出現しており、彼らの一部は海外へ流出して外国籍を取得し、外国の代表選手としてオリンピックや国際試合に出場している。目下、男女ともに卓球の世界ランキングは第4位まですべて中国が独占しているので、金銀メダル獲得も当然と言えば当然である。

中国語で卓球のことを「乒乓球(ピンパンチュウ)」というが、まさにピンポンから来ているものと思われる。中国語を勉強したことはないが、そのことを知ったのは、40年前の1983年6月のことで、当時の中国民航との友好試合で中国(北京、杭州、上海)に遠征した時のことであった。北京総局本社の会場には、ポスターや熱烈歓迎の垂れ幕が掲げられていて、初めてその文字を知ったのである。音から来るので覚えやすくその単語はいまだによく覚えている。日本のトップ選手なら中国の選手と競技する機会も頻繁にあると思うが、我々愛好者レベルで中国人選手と、それも本場中国で競技する機会など夢のまた夢の世界で、貴重な経験が得られたことは大変ラッキーであった。トップレベル同士の実力の差よりはるかに大きな差があったが、友好親善試合ということで、負けても楽しい中国遠征の経験であった。これから団体戦が控えているので、もうひとつメダルを取ってほしいものである。


  中国での友好親善試合(両チーム)



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卓球の団体リーグ戦にフル出場

2024年07月16日 06時00分22秒 | 卓球

7月14日に区の卓球団体リーグ戦の男子の部が行われ、我がクラブから登録チーム4名、ファミリーチーム4名の2チームが参加した。年2回行われているリーグ戦だが、ランクがAからMまであり、LとMという一番下のクラスなのでレベルは知れている。5チームによるリーグ戦で登録チームに参加したが、残念ながら1勝3敗で第4位であった。負け試合はすべて2対3のスコアという惜敗であったので、もう一歩というところであった。ファミリーチームも残念ながら4敗に終わった。

個人的には6月に不整脈の手術で1カ月位ブランクがあったので、久しぶりの試合出場となったが、ダブルス、シングルスの両方へのフル出場になってしまい、正直言って少々疲れた。半年以上シングルスの試合には出ていなかったが、ダブルスもシングルスも3勝1敗であったので、個人的にはまずまずの結果であった。女子中学生とその男性コーチから成るチームとも対戦したが、年の差は60才前後もあり、体の動きが違うという印象であった。中学生チームには勝つことはできなかったが、個人的には、ダブルスもシングルスも20代位のコーチと対戦し、勝つことが出来たのは収穫であった。無理して動くと心拍数が上がるので、気を付けながらプレイしたが、やはり、試合に勝つということは大変なことであると痛感した。

後期高齢者になった今ても、好きな卓球を続けることができることに感謝している。大学に入ってから卓球を始めたが、会社に入っても卓球クラブで卓球を続け、中国民航という中国の国策航空会社(1983年当時)との友好試合で北京、杭州、上海に遠征するという稀有な経験もできた。航空会社間のインターライン卓球大会という国際試合に何度も参加し、東京で2度ほど(1983年と1998年)大会を主催するという貴重な経験をすることもできた。1983年の時は15カ国約250人が参加するという大規模な大会となったが、その組織運営に主体的に携わることができたことは自分の財産となっている。ドイツに勤務していた時には、地元の卓球クラブに入り、ドイツ人といっしょにプレイし、ブンデスリーガのうんと下のほうのクライスリーガというリーグでプレイできたのも貴重な経験であった。今となっては卓球を続けてやっていてよかったという思いが強い。卓球はある程度年を取っても気軽に楽しめるスポーツなので、可能なかぎり続けたいと思っている。


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世界卓球団体戦がプサンでスタート

2024年02月18日 05時40分06秒 | 卓球

 

2月16日から25日までの予定で世界卓球選手権釜山大会(団体戦)が始まった。男子は戸上選手が高熱で欠場となったものの、ラッキーにも初戦の相手のナイジェリアが棄権し、不戦勝でのスタートとなった。2戦目のチェコにも3対0で一方的に勝利した。また、女子も、3対0で初戦のルクセンブルクに圧勝した。ルクセンブルクには、ニー・シャーリエンという中国出身の60歳の有名選手がいて、張本美和と対決し、年の差45歳という組み合わせの試合だったが、善戦していた。ペンホルダーでラケットを反転して使う彼女のプレイスタイルは自分と同じなので応援している。彼女は、オリンピックにも5回連続出場しているというから驚きであるが、還暦選手の活躍ぶりは年寄りにとっては元気づけられるものがある。2戦目のイラン戦は、平野選手が苦戦したが、やはり3対0で勝利し、幸先良いスタートをきった。イラン選手は、皆ヒジャブを被って、長パン着用なので、独特な雰囲気がある。イランと言えば、個人的に1996年に東京でイラン航空と親善試合を行うという貴重な経験をしたこともある。

今回の世界卓球は団体戦のみで、男女ともベスト8に入らないとパリ五輪の団体戦に出場できないというから、どの国も必死である。日本もまずは5カ国による予選リーグ戦で3位までに入り、決勝トーナメントに進み、ベスト8入りする必要があるというから熾烈である。前回の団体戦では、男女とも銅メダルを獲得しているので、ベスト8入りは固いと期待しているが、今回、世界最強の中国がインドに大苦戦し、1対2から3対2の大逆転でやっと辛勝するという大波乱もあったので、勝負ごとはわからないものである。

今回、いろいろな試合がライブでネット配信されているので、日本以外の国の試合も楽しむことができる。こういった国際試合を見ていると思い出すのは、世界のエアライン間の友好卓球大会である。1980年にマレーシア航空の提唱で始まり、同時多発テロの影響で2001年のバンクーバー大会を最後に中止されたが、毎年世界各地で全部で22回も開催された。東京でも1983年と1998年の2回開催された。技術レベルは低いが友好交流を目的として開催され、1983年東京大会の時は、16カ国から17社250人も参加し、その大会運営に中心的に係わるという貴重な経験を得た。1998年は人数こそ減ったが、11社から90人が参加した。外国での大会にも中国も含め、7回ほど参加し、外国人との試合を数多く経験し、卓球を通じて国際親善交流が実践できたことは大きな財産となっている。近年、日本選手の活躍で、幸いにも卓球人気は上がっているようで、テレビ中継やネットでの生配信もあるので、25日まで楽しめそうである。

 

張本 美和 対 ニー・シャーリエン: https://www.youtube.com/watch?v=HaB8S7yhW6A

 

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卓球のTリーグを観戦してきた

2024年01月06日 20時06分33秒 | 卓球

 

6日、卓球のプロリーグであるTリーグを観戦しに大田区総合体育館に行ってきた。Tリーグは全国を回って開催されているので、東京都内での開催はあまりないが、今回は、木下アビエル神奈川vs日本ペイントマレッツという女子の試合が東京で行われるということで見に行ったものである。地元卓球クラブの行事の一環として、トップ選手のプレイを見学しようということで、チケットの半額をクラブで負担し、自由席であるが、個人負担は1000円であった。全部で14名が参加し、トップ選手の最高レベルのプレイを生観戦し、刺激を受けた。不思議なもので、上手な人のプレイを見ていると自分もうまくできるような錯覚に陥る。

木下アビエル神奈川は、世界選手権の代表レベルの木原美悠、長﨑美柚、平野美宇、張本美和を擁しており、今までの成績も6チーム中、NO1である。日本ペイントは、現時点では第3位であり、大分実力の差がある印象であったが、木下アビエルは、ベストメンバーで臨み、平野が横井咲桜に0-3で完敗したものの、木原/長﨑のダブルス、張本と木原のシングルスで勝利をおさめた。張本美和vs橋本帆乃香戦は、大接戦で見応えがあった。橋本は、日本一強いカットマンで、今や日本一となりつつある張本選手とほぼ互角に戦ったが、惜しくも敗れた。

Tリーグの観戦は、今までに何回か経験しているが、試合を一つのエンターテインメントとしてショー化しており、騒々しい感は否めない。今回の試合は、アビエルのホームゲームで、アビエル側で観戦し、得点をあげるたびに、応援グッズで拍手するので、騒々しい中での観戦であった。試合に先立ち、最近引退した水谷準さんのサービスを受けるイベントも行なわれた。観戦者数は、2011人と発表され、ほぼ会場は埋まっていたが、Tリーグがドイツのブンデスリーガのようになるには、チーム数がもっと増えることと中国はじめ外国人選手がもっと参加する必要があろう。

 

木下アビエル神奈川の選手入場: https://www.youtube.com/watch?v=vfmsLqJNtTQ

 

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卓球の打ち納め

2023年12月26日 18時42分19秒 | 卓球

 

25日は、我が卓球クラブの今年最後の練習日で打ち納めとなった。月に一度月末には、競技会と称して、練習の成果を試すため、競技会を行なっているが、25日はちょうど競技会と重なり、競技会が打ち納めとなった。我がクラブは、創立25年も経つが、高齢化が進み、平均年齢は、75歳を超えている。人数も一時は、45人位いたが、今は35人程度となり、創立時のメンバーは一人もいない。25日は、クリスマスということもあってか、参加者は16人にとどまった。

競技会は、通常、参加人数に応じ、24人、28人、32人という組み合わせチャートを使って、ダブルスの対抗戦を行っているが、最近は24人を下回ることが多く、ダブルス戦といっても、2対1の変則で行う試合も増えている。同等レベルになるよう抽選で組み合わせているので、試合は拮抗することが多い。試合は、全部で6試合行うが、組むペアはすべて異なり、同じ相手と2度あたることはあるが、概していろいろな試合ができる。チャートの作成は、試行錯誤で作ったものだが、意外と難しい。参加者が少なくなってきたので、20人用も新たに作ろうと思ったが、意外と難しく頓挫している。理想的には、組むペアがすべて異なり、相手もすべて異なるような組み合わせチャートを作成したいが、順列組み合わせの数学的才能が要求されるので、文系人間にとってはちょっと荷が重い。

競技会では、A、Bのチームに分かれ、対抗戦を行い、勝ちチームのメンバーには、100円ショップで使える券を賞品として出している。勝てば、好きなものが買える券がもらえるので評判はなかなか良い。商品券は市販されていないので、前は金券ショップで買っていたが、今年は出回っておらず、やむなくメルカリで購入してぃる。単なる遊びレベルであるが、賞品もあるので、皆頑張っている感がある。チーム戦で賞品がもらえるが、個人の年間通しての成績も残しており、総会時に年間ランキングに基づきで表彰も行っている。全試合に参加したメンバーには、皆勤賞も用意している。25日は、人数不足で対抗戦ができなかったので、16人によるダブルス戦を行い、参加者全員にクリスマスプレゼントとして100円ショップ券をプレゼントし、好評であった。

 

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4年ぶりの地元卓球クラブの合宿

2023年11月24日 20時04分19秒 | 卓球

 

コロナ禍も落ち着き始め、11月23日から1泊2日で地元の年寄り卓球クラブの合宿が4年振りに開催された。場所は、ここ十数年お世話になっている千葉県の白子温泉にある体育館が併設されている温泉ホテルである。例年だと2泊3日でやっていたが、ホテルがうまく取れなかったこととコロナがらみの抑制もあって、1泊にとどめることにした。合宿というと大学生の合宿というイメージがあるが、平均年令は、72才を超えるという年寄り15人(男性9人 女性6人)の参加なので、合宿といっても朝連があるわけでもなく、練習や試合の後、宴会、カラオケといった具合で、遊びの延長というか慰安旅行のようなものである。今回、参加者の一人が車酔いで、入院するという不測の事態もあったが、翌日には復帰し、無事合宿を終えることができた。年寄軍団なので、いつ何が起こるかわからないともいえる。

今までに、9回参加したことがあるが、この年になって合宿なるものを経験できるなんて貴重な機会であるともいえる。健康寿命を過ぎた人が大半であることを考えると恵まれているというか感謝する次第である。好きな卓球をやって、温泉に入り、美味しい夕食をいただき、カラオケを楽しみ、交友を深めることができるのであるから、極上の時間ともいえる。ただ、メンバーの高齢化も進み、参加者も減りつつあり、個人的にも今年度でクラブを卒業する予定なので、最後の合宿生活となるかも知れない。

電車で、千葉県の茂原駅まで行くと、ホテルのバスが迎えに来てくれるので、足も楽である。ホテルから体育館まで約1分、広い体育館で卓球の練習や試合を楽しんだ後は、ゆっくりと温泉に入り、6時すぎから宴会が始まる。よくある温泉旅館の夕食なので、食べきれないほどいろいろな料理がテーブルに並ぶ。カラオケが付いている宴会場なので、途中からカラオケタイムとなる。お酒とカラオケが好きな人にとっては、極上のひと時となる。4年振りに楽しいひと時を過ごすことができた。

今年は、1泊なので、そんなに多くは練習や試合はできなかったが、自分の体調からすると無理はできないので、1泊で十分ともいえる。宴会の最後は、決まって「青い山脈」を全員で歌って終わる。この曲は、我がクラブのテーマソングのような歌で、我々年寄り世代にはピタリの感がある。この曲は、今NHK朝ドラ「ブギウギ」で、草なぎ剛が演じる服部良一さんが作曲したもので、何度聴いてもワクワクする素敵な曲である。宴会後は、特別室に移り、プレイのビデオ映像を鑑賞する反省会を兼ねる飲み会で交友を深めた。ひとまず無事合宿から生還できたことに感謝する次第である。合宿中に撮った写真をもとに、別途YouTubeの合宿アルバムを作成し、思い出を共有する予定である。

 

青い山脈(神戸一郎・青山和子): https://youtu.be/JSV7ctB0bCE?si=YxU4hAQHKOFsl3R-

 

        合宿所の体育館にて

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伊藤小卓球大会に参加してきた

2023年09月19日 09時21分17秒 | 卓球

伊藤小というのは、伊藤小学校のことで、かの有名な伊藤博文に由来する学校で、学区域に伊藤博文のお墓もある。その学校の卒業生や親御さんたちが中心となって、伊藤小卓球クラブが組織されていて、毎年1回、卓球愛好家を集めて卓球大会をやっている。コロナ禍があって、ここ2~3年中止されていたが、9月18日に久しぶりに声がかかって参加したものである。

大会は、上級者と中級者の部に分かれていて、それぞれ36人、40人、計76人という大人数だが、学校の普通の体育館なので、テーブルは8台のみである。我が卓球クラブからも8名参加させてもらい、自分は、上級者の部に入れてもらったが、メンバー表を見ると上手な人が揃っていた。たまたま、大学時代の卓球部の後輩も2名参加していて、久しぶりに交友を深めることができた。

両部とも1チーム9~10名編成で4チームによるリーグ戦だが、チーム編成はメンバーの技量から主催者が事前に決めているので、あまり勝ち負けを争うことはない。ダブルス戦が中心で一人6試合なので、休み時間も多く、比較的ゆったりと試合をすることができたが、それでも、1試合あたり3ゲーム先取なので、もつれることも多く年寄りにはつらい試合が多かった。チームとしては、第3位であったが、個人的には4勝2敗であったので、不整脈をかかえてのコロナ感染後としては、予想以上の成績であった。

70代同士でペアを組み、高校か大学生らしきペアとも対戦したが、敬老の日だからか、3対2で勝たせてもらった。あまりハードな試合はできないが、そこそこの卓球はまだできるなという自信を少しは持てた。参加費は1,000円だが、参加賞として500円のセブンイレブンの商品券とビール2缶をいただいたので、ほぼ負担なく1日卓球を楽しむことができた。いつもと違うメンバーや上手な人とも卓球ができるので、楽しみな大会となっている。

写真は、伊藤博文のお墓
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年寄りと中学生との卓球合同練習

2023年07月29日 05時53分20秒 | 卓球

7月28日、我が卓球クラブの練習会に地元の中学校の卓球部の部員が11名(男性9名、女性2名)参加し、合同練習という形で卓球を楽しんだ。我がクラブにその中学卓球部の顧問をやっている先生がおり、会場も学校の近くにあることから、夏休み中とのことで平日の合同練習が実現したもの。会場の文化センターのスポーツ室には卓球台は6台しかないが、我がクラブからも22名も参加し、全部で33名という大人数による練習会となった。外は猛暑でうだるようであったが、練習場には冷房もしっかり入っているので、熱中症の心配はあまりなく、ほぼ快適に汗を流すことができた。

我がクラブの平均年齢は、75歳位、中学生は1-2年が中心なので、年の差は、なんと60歳以上という驚きのギャップである。中学生は初心者が多く、技術レベルでは、年寄りの方が年の功で少し優っているが、しっかりと若いパワーをもらった。ツッツキの基本練習の後、我がクラブのメンバーと中学生がペアを組み、交代でダブルスの練習試合を行ったが、熱戦を繰り広げ、年寄りパワーを見せつけることになったので、彼らも勉強になったものと思われる。このような機会は滅多にないが、まさに老若男女入り混じって楽しいひと時を過ごすことができた。


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卓球クラブの交流会

2023年06月26日 06時01分24秒 | 卓球

いつもはクラブのメンバーだけで、卓球の練習をしているが、行事の一つとして、6月23日に他のクラブとの交流会を行った。参加者は当クラブから23名、先方のクラブから32名の合計55名という大人数での交流会となった。技術レベルから紅グループ24名(双方から12名ずつ)、白グループ28名(双方あわせて)に分け、グループ毎にダブルスの試合(組み合わせは抽選)を一人6試合行った。交流の趣旨から皆名前のゼッケンを着用した。

交流会はコロナ禍もあり5年振りであったが、普段とは違うメンバーでダブルスを組み、新鮮な雰囲気で練習試合ができた。前回は、対抗戦の形式であったが、今回は、対抗戦とせず、双方のメンバーをミックスした形でダブルスを編成した。自分達だけの練習だとマンネリ化しがちなので、このような交流会を今後も年1回は取り入れていきたいとところである。一人6回の試合数であったが、3ゲーム先取という長丁場だったので、久し振りに緊張し、疲れる練習試合となった。

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