浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

正義の味方ドイツ人とサービス観 

2018年05月31日 05時42分24秒 | 文化

 

ドイツ人と日本人の違いについていろいろな書籍にも書かれているが、自分の実体験に基づいてドイツ人はどんな人種なのかを考察してみた。

まず、ドイツ人は正義の味方であるように見える。道路に車が違法駐車されているところを目撃したら、彼らは、警察に通報する。違法駐車で道がふさがれていたら、他の車の進行の邪魔になるので、正義の味方の思いで通報するのである。悪くいえば、密告が好きな人種である。

また、何かあると口頭注意ではなく、すぐ手紙を書く。自分自身、何回か手紙をもらったことがある。マンション前の空き地で子供がボール遊びをしていたら、近所の誰からか知らないが、ボール遊びは通行人を傷つける恐れがあり、危ないからやめるようにという趣旨の手紙をもらった。また、会社で、数日間、自分のデスクの回りに日本から届いた数箱の荷物を置いていたら、組合の委員長でもあるスタッフから職場環境整理の観点から、荷物を片付けるように、会社宛てに手紙が届いたこともある。

ドイツ人も日本人も真面目であることは共通している。ラテン系であれば、時間には遅れるし、いい加減なところが目立つが、彼らは申し訳ないとか悪いとかは思っていない。それに比べると、ドイツ人は、いい加減なところはなく,日本人の同じく真面目であるといえる。しかし、そのメンタリティは全く異なる。ドイツ人は言われたことはきちんとやるが、言われないことはやらない。日本人は、言われたことは勿論ちゃんとやるが、言われなくても相手の気持ちを汲み取るマインドを持って行動するのである。

特に、サービスに対する考え方は全く異なる。例えば、機内で持参したお弁当を食べている人に対し、日本人のCAなら黙ってお茶をサービスするが、ドイツ人CAは何もしない。それは、その人がお茶を欲しいと言ってこないので、何もしないのである。お茶が欲しいと言われれば、きちんとサービスする、それで100%合格なのである。以心伝心とか忖度とかはドイツ人は無縁である。日本人は、駄目でもそこを何とかというサービスを要求するが、ドイツ人には通用しない。

サービス向上月間とかいって、特定期間、より一層サービス向上に努めようとかいうキャンペーンは、日本人なら受け入れてもらえるが、ドイツ人には受け入れてもらえない。ドイツ人に言わせると、日々、ベストを尽くしてサービス向上に努めているから、特定期間だけキャンペーンをやるなんて理解できないという。普段、できていないというなら、上司はその都度注意すべきであるが、何も注意されていないという論理である。本社から送られたサービス向上キャンペーンのポスターを貼ろうとしたら、ドイツ人スタッフから拒否された。どうしても貼りたいなら、恥ずかしいので、お客様から見えないところに貼れと言われたものである。これは、ドイツ人が悪いということではなく、メンタリティの違いから来ていると思われる。しかし、サービスに関しては、日本を含めたアジア人のサービスマインドの方が欧米的なサービスよりはるかに個人的には優っていると考えている。

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欧日協会の文化活動

2018年05月30日 14時19分50秒 | イベント
フランクフルトには、欧日協会という会員組織があって、会員向けに日本への里帰り・家族の呼び寄せという格安航空券を扱っていたが、その他に図書の貸出、ミニコミ紙の発行、映画会の実施、サマースクールの開催等の文化事業を幅広く行っていた。航空券の取り扱いは、現地旅行会社の一員として行っていたが、オフィスも隣接していて、二人三脚で仕事を進めていた。

一緒にやった活動の一つが映画会の実施である。日本から日本映画のフィルムを送ってもらい、日本人を対象に、現地の映画館を利用して上映するものである。海外にいると日本の映画を見る機会などほとんどないので、日本人の間で大変人気があった。年2回位やっていたが、日本でも話題となっている映画を選択して、1回につき2本の映画を上映していた。ベルリンまで出かけたこともあった。

1本は、寅さんシリーズとかの大人向け、もう1本は、ドラえもんとかの子供向けを選んでいた。日本ではあまり見る機会がなかったが、このおかげで、寅さんやドラえもんの映画を何本も見る機会があった。寅さんシリーズは、海外で見ると何ともいえない日本のノスタルジーを感じることができるので、大人気であった。日本映画は駐在で来ている日本人家族だけでなく、ドイツ人と結婚した人や当地に長期に住んでいる人も楽しみにしているようであった。

映画が始まる前に、主催者を代表して、よく挨拶をしていたので、嫌でも顔だけはよく知られていたようである。街中で面識のない方に、お世話になっていますと挨拶をされることもよくあった。映画会を始め、落語の名人会、文化講演会、ソフトボール大会、テニス大会、ゴルフ大会等の文化・スポーツイベントの全てを担当していたので、顔が知られるのもやむを得ないところであった。

欧日協会では、夏には、ヨーロッパ・サマースクールと称して、主にヨーロッパ在住の小学生向けに夏季合宿を行っていたが、モスクワやアフリカ・中東からも参加していた。勉強の集中講座だけでなく、キャンプファイヤーやスポーツをやったり、集団生活が体験できるので、なかなか人気があった。海外にいると勉強の遅れも心配ごとだったようで、親御さんも熱心であった。子供をこのサマースクールに預けて、その間、自分達はヨーロッパ旅行を楽しむというパターンもよく見受けられた。

4年間で何回か参加させてもらったが、1988年7月のサマースクールには、ロサンゼルス・オリンピック(1984年)の体操個人総合の金メダリストであった具志堅幸司さんに講師として来てもらい、子供達から人気を博した。彼は当時チュービンゲン大学に留学していて、ひょんなことで知り合いになっていたが、サマースクールの会場が近かったこともあって、特別講師となっていただくことを快諾していただき、実現したものである。この時は、夏休み期間中であったので、子供達も連れていっしょに参加させてもらった。講演はデスク上での逆立ちから始まったので、皆、ビックリしていたのをよく覚えている。彼は、今、日本体育大学の学長を務めている。

写真は、講師の逆立ち









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マックスとモーリッツはドイツでは超有名

2018年05月29日 09時54分08秒 | 旅行
「マックスとモーリッツ - 七つのいたずらの話」は、ドイツの風刺画家・詩人であるヴィルヘルム・ブッシュ(1832-1908)により、1865年に発表されたドイツの絵本で、ドイツの子供であれば、知らない人はいないほど有名である。

その絵本は、世界の30カ国以上に翻訳されているとのことであるが、ドイツに行くまでは全く知らなかった。ひょんなことでマックスとモーリッツのいたずら小僧のことを知った時、どのドイツ人に訊いても知っていたので、今の日本でいえば、ドラえもんみたいな存在かも知れない。

その絵本を読んだことがないので、詳しいストーリーは知らないが、二人で七つのいたずらを仕掛けるなどブラックユーモアにあふれていて、今でも子供達に人気のある絵本のようである。

最後のいたずらは、「農夫の穀物倉庫に隠れたマックスとモーリッツは、穀物袋にいくつも切れ目を入れておく。戻って来た農夫はすぐにいたずらに気付く。農夫は穀物の代わりに二人を袋の中に投げ込んで、水車小屋へ持っていく。マックスとモーリッツは碾き臼で細かく磨り潰されて、アヒルの餌にされてしまう。二人が死んでも、悲しむ者は誰もいなかった。」と解説されているが、その水車小屋はなんと有名な観光名所になっているのである。

1987年4月にドイツメルヘン街道を旅行した時、エバーゲッツェン(大学と会議の町で有名なゲッティンゲン近郊)にあるその水車小屋を見に行く機会があった。エバーゲッツェンは、作家ブッシュが少年時代を過ごしたふるさとでもある。水車小屋は、今はブッシュ記念館となっており、マックスとモーリッツ関連の資料が多数展示されていて大変興味深い。

この二人のいたずら小僧のことを知らなければ、ドイツもぐりとも言える。二人の木でできた人形が、我が家のトイレにも架かっているが、毎日、この二人にお目にかかるたびに、ドイツでの生活が懐かしくよみがえる。


画像は、マックスとモーリッツ
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旅は道連れ、世は情け

2018年05月28日 08時21分18秒 | 旅行

 

旅行が大好きなので、今までに何回も海外旅行、国内旅行を経験しているが、旅は道連れ,世は情けではないが、見知らぬ人に旅行中に親切にしてもらったり、親しくなったり、一期一会を実感したことが何回もある。いくつかを紹介してみると。。。

① 2013年4月28日、宮古島旅行の帰りに、那覇から成田まで、ジェットスター便に夫婦で乗ったが、隣に座った40代位の女性といろいろ会話をしていたら、彼女は、台湾人で米軍の嘉手納基地で働いているという。旦那の東京出張に合わせ、これから合流予定だが、若干時間があるので、どこかいいところがあったら、教えてほしいという。家の周辺の品川宿の話をしていたら、興味があるとのことで、急遽、空港から我が家に直行することになった。あまり時間がなかったので、自転車に乗って案内することになったが、後で旦那もそれを聞きつけ、旦那にも同じような観光案内をした。その縁で、その後もお付き合いが続いており、嘉手納基地にも2回ほどお邪魔させていただいた、不思議な出会いもあるものである。

② 2014年4月11日、タシュケント(ウズベキスタン)からアルマティ(カザフスタン)までエアアスタナのいう航空会社に乗ったが、隣に坐った40歳位の女性と話をしていたら、日本たばこの国際会社のアルマティ事務所のマネジャーで、タシュケント出張の帰りだという。モンゴル出身のカザフスタン人で空港に自分の車がおいてあるからホテルまで送ってあげると言われた。不安もあったが、どうやってホテルまで行くかよくわかっていなかったので、好意に甘えることにした。日本企業に勤めていたこと、父親が自分と同じ年であったこともあって、話がはずんでいたが、まさかの展開であった。彼女とは、今でも、Facebook で繋がっている。

③ 2017年5月18日、ロンドン・ヒースロー空港からベルファスト・シティ空港(北アイルランド)まで、アイルランド航空に乗ったが、チェックイン時、係員に空港から街中までの交通手段について質問をした。チェックインに並んでいた女性の一人がそれを聴いていたようで、空港に着いたら送ってあげるので、後でコンタクトしなさいと言われた。半信半疑で、しかも顔もよく覚えていなかったので、機内ではわからずじまい。到着ロビーで荷物を待っていたら、彼女から声をかけてくれて、ホテルまで送ってくれることになった。親切な人もいるものだと好意に甘えてしまったが、名前も訊いていなかったので、きちんとお礼もできなかった。帰国後、旅行アルバムを作成しYouTube に公開していたら、何と彼女からYouTubeにメッセージが入り、ビックリ。偶然見つけたのかもしれないが、赤い糸を感じた。これでちゃんとお礼ができたのは大変よかった。
 
海外旅行の場合、現地の人に親切にされることがあるが、危険と表裏一体でもあるので、警戒心が必要である。親切に甘え、事件に巻き込まれるような話もよく耳にする。飛行機の場合、隣に誰が来るかは楽しみでもある。たまたま隣に座った人と結婚まで至った人も何人か知っている。

自分の場合、個人旅行が多く、ツアー旅行にはあまり参加していないが、ツアーの場合、旅行中一緒の行動を取るので、親しくなることも多いのではないかと思う。自分自身、エジプト旅行、ロシア旅行、モロッコ旅行で知り合った参加者が後で我が家に遊びにきたことがある。後日の旅談義も面白いものである。一期一会というか出会いは大切にしたいと思う。

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チェルノブイリの原発事故

2018年05月27日 07時10分56秒 | ドイツ
1986年4月26日にあのチェルノブイリ原子力発電所の事故が発生した。当時、フランクフルトに駐在していて、少なからずその影響を受けた。ドイツ語はよくわからないので、テレビを通じて、何か事故が発生した状況は何となく知っていたが、その詳細は不明であった。ドイツへの影響がどの程度のものかよくわからないまま数日を過ごしていたが、どうも放射能が流れてくるので、自己防衛したほうがいいとの情報が耳に入ってきた。すぐに、帽子を買って、外出する時は、子供にも帽子をかぶせることにした。そんなことで放射能を防げるとは到底思えなかったが、確かな情報はなく、そうするしか他に手立てはないというのが現実であった。

大使館・総領事館や日本政府から、在ドイツの日本人に対する有効な情報提供はほとんどなかったような気がする、ドイツ人はかなり防衛措置を取っていたようであるが、我々日本人は全く無防備であった。外出を控えよという指示もなかった気がするし、現に、5月1日には、予定通り、ケーニッヒシュタインへ、また、5月8日には、ポニーホフローミューレという所に遊びに出かけていた。本当は、外出を控えるべきだったのかもしれないが、よくわからなかったので、安全な行動は取れていなかった。突発事故で、当事国はもちろん、周辺国や日本でもパニック状態にあったのだろうと推測する。海苔を食べたらいいとかの情報で、日本から来る人に海苔を買ってきてもらったりもした。あれからもう32年経つが、未だに事故処理は完結していないし、自分たちも後遺症が出ていないことを祈るのみである。

写真は、帽子をかぶって遊園地で遊ぶ
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初孫誕生とカーシェアの活躍

2018年05月26日 15時23分01秒 | 日常

 

昨年結婚した次男のところに男の赤ちゃんが誕生し、想像もしていなかったが、ついにおじいちゃんになってしまった。自分では、おじいちゃんと言われたこともないし、実感もないので、妙な気分である。初孫の顔は誕生2日目に見たが、嬉しいというか何とも不思議な思いであった。

孫の誕生前後で活躍したのが、車による送り迎えである。自家用車は持っていないが、カーシェアを最大限に活用している。早速、赤ちゃんでも使えるチャイルドシートを購入し、自家用車並みに便利に利用している。

誕生してすでに一か月半を過ぎているが、一か月のお宮参りの時にも、細切れに1日に4回もカーシェアを利用し、大活躍した。その日はスタジオアリスで記念写真を撮り、芝大神宮にお宮参りをするというハードスケジュールであったが、車のおかげで無事終了することができた。    借りる間隔が短かければ、チャイルドシートもつけっぱなしにできるし、自家用車とほぼ同じ感覚で使え、コストも最低限で済む。今のところ、アッシーくん位しかお役に立てないが、子供夫婦には大変感謝されている。

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空き巣被害と保険

2018年05月26日 06時16分20秒 | 日常

 

ある時、フランクフルトのマンションが空き巣に入られた。ディナーをどこか遠くで外食し、夜遅く家に戻ったら、ベランダのドアが開いていて、空き巣に入られたことが判明した。帰宅した時、ハウスマイスター(管理人)が現場にいて、警察にも通報してくれていた。彼によると、仕事を終えて帰宅しようとした時、我が家の窓が開いていて、部屋の中を覗くと荒らされていたので、警察を呼んだということである。

盗まれた物は、現金と宝石類でたいした額ではなかったのは幸いであったが、管理人が怪しいのではないかと疑い、指紋を取っていた警察官に、彼の飲んだコーヒーカップの指紋も取るように
頼んだほどである。なぜ怪しいと感じたかというと、その日の朝、管理人から電話があり、昼間から夜にかけて外出することの確認があったからである。その間に何か作業をするようなことを言っていたが、帰宅時に現場にいたのも怪しいし、我々が帰宅する前に警察に連絡を入れたのも何となく怪しいと感じた。

指紋は取ったものの、彼が犯人である証拠はないとされた。このような盗難事件では、警察官の役割は犯人を捕まえるのではなく、保険の手続きを行うことであることがわかった。現金がいくら盗まれ、いくらの宝石が盗まれたかの査定を行い、書類を作成することである。保険に入っていたので、全額戻ると説明され、盗まれたものを申告したが、あくまで申告ベースなので不正もできるのではないかとの疑いもあった。現に、宝石は3点盗まれたので、3点で10万円と申告したが、警察官が作成した書類には、1点10万円が3点と記載されていたことが後でわかった。

いい加減といえばいい加減だが、後で何かあったらまずいと思い、警察に訂正を依頼し、宝石分は、10万円のみ保険金として受け取った。もし気がつかなかったら、30万円が払われていたと思うが、ほっとけばよかったのにと後で笑い話になったほどである。蛇足ながら、犯人の宝石への目利きはとても優れていて、たくさんあった宝石の内、3点の高いものだけが盗まれていた。自分が妻にプレゼントしていた宝石はすべて残されていたので、妙に納得したものである。

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ドイツマルク紙幣に描かれたスポットを訪ねる旅

2018年05月25日 09時48分34秒 | 旅行
1985年〜1989年当時の西ドイツでは、まだマルク紙幣が使われていたが、紙幣を見るたびにそこに描かれたスポットを訪ねてみたい衝動にかられていた。ドイツにおいて人気あるスポットばかりであるが。一番早く実現したのが、500マルク紙幣のエルツ城である。

エルツ城に行ったのは1985年8月2日なので、まだドイツに来て2か月ちょっとの頃である。紙幣に描かれている通り、由緒ありそうな素晴らしい古城であった。12世紀の築城で、ノイシュヴァンシュタイン城、ホーエンツォレルン城とともにドイツの三大美城に数えられる。なかなか行きにくいところにあるが、一度は訪れたいお城である。

次に行ったのは、1000マルク紙幣に描かれていたリンブルク大聖堂である。フランクフルトからはそんなに遠くはなかったので、1987年6月21日に日帰りで訪問した。ドイツには珍しい極彩色の教会であるが、1000マルクに描かれているだけあって、見る価値は十分にある。

最後に訪れたのは、50マルク紙幣に描かれたリューベックのホルステン門である。1989年5月26日に北ドイツへの旅行の途中で立ち寄ったが、1469〜1477年に造られた煉瓦造りの歴史的な門で、リューベックの旧市街への入り口に立っている。ユネスコの世界遺産にも登録されている美しい門なので、一度は訪問してみたい。

以上のように、紙幣に描かれた有名なスポットを訪れるのはなかなか感動的なものである。今までにも紙幣片手に描かれたスポットを訪問したことが何回もある。紙幣に描かれたものと同じアングルで写真を撮るのも楽しみの一つである。

写真は、エルツ城、
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ドイツ古城ホテルの魅力

2018年05月24日 10時48分20秒 | 旅行
ドイツに旅行するなら一度でいいからいわゆる古城ホテルに泊まることをお薦めする。古城ホテルには、山頂・山腹にあるブルクホテルと平地にあるシュロスホテルがあるが、どちらも魅力いっぱいである。当時、古城ホテルだけを紹介した小冊子のパンフレットがあったが、今でもあるだろうか?旅行に出かけるたびに古城ホテルに泊まれないか調べていたほどである。

実際に泊まったホテルは、いばら姫や眠れる森の美女で有名なザバブルク城ホテル、ボンのコメンデ・ラーマースドルフ、エーダー湖にあるシュロス・ヴァルデック等であるが、ライン川沿いの古城ホテルを始め、ホテルを兼ねた古城にはいくつも訪れている。どこの古城もシャワーはじめ、ホテルとして綺麗に整備されており、歴史を感じさせるほど雰囲気は抜群である。博物館が併設されているホテルも少なくない。

ブルクホテルは、山の頂にあるため、どこも眺望が抜群であり、シュロスホテルは、お堀に囲まれていたり、庭が綺麗であったり、建物が豪華絢爛であったり、とにかく魅力的なのである。昨年、ライン川周辺ヲドライブした時、シェーンブルクというお城に行ったが、綺麗なホテルにもなっていて、眺望も素晴らしく、雰囲気も抜群であった。一度泊まってみたいという衝動にかられたほどである。まだ古城ホテルに宿泊経験のない人は、是非とも一度は中世にタイムスリップして、当時の雰囲気を味わってみてほしい。病みつきになること間違いなしである。


ネットにあった古城ホテル14選:
   
http://infodich.com/archives/4239

写真は、ザバブルク城
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大家さんとのおつきあい

2018年05月24日 06時38分24秒 | ドイツ
1985年にフランクフルトに着任してから、まずしなければならなかったのが住む家探しである。初めての海外勤務の上、新しい仕事への不慣れもあり、毎日の生活でアップアップ状態の中で、家を探すのは至難の業でもあった。ホテル住まいをしながら、家を探したり、車を探したりするのだから、今考えるとよくやったとも思える。

家は、何軒か見に行ったが、街に近いところで、再開発で新しいマンション群ができつつあるところが若干狭かったが、気に入って、即決した。全くの新築で、マンション前には大きな公園ができるということだったが、入居当時は、まだ泥だらけでショベルカーで造成中であった。一角には日本人も何家族が住んでいて、環境も大変よかった。大家さんは我が家と隣りの部屋の2軒を持っていたが、初めてマンションを購入したとのことで、入居前から大家さんが来ては掃除をしていたのが印象的であった。

ドイツとしては狭いほうで、2LDKで84m2であったが、リビングは広く、ゲスト用のトイレもシャワーも付いていた。会社の規定で住宅補助が出るが、家賃が安いため、照明器具、冷凍冷蔵庫、洗濯機、皿洗い機、テレビ等の備品はずべて大家さんの費用で設置してくれることになった。その内、テレビだけは、こちらで好きなものを買って後で代金を払ってくれるという契約となった。近くの電気屋でテレビを買うことにしたが、ほとんどが契約料金以下であったので、一番高い最新のステレオテレビを購入した、お店でテレビを選んでいる時、「もっと高いものはないか?」と聞いて買物をした最初で最後であった。普段は、もっと安いものはないか?と聞くことがほとんどなので、貴重な体験であった。

大家さんは、夫婦とも大変いい人で、我々日本人に大変親切に接してくれた。大家さんは、夫婦とも、ギムナジウムの先生で我々日本人に大変親切であった。とにかくいい人で、時々、お土産を持ってやって来たり、クリスマスには子供にプレゼントを持ってきてくれたほどである。家に招待して日本料理をもてなしたこともあるが、クリスマスに彼らの家に招待されたこともあるほど、親しいお付き合いをさせていただいた。

隣りの家には、当初、イギリス人とフランス人のカップルが住んでいたが、彼らが出て行った後は、日本人に貸したいということで、同じ会社の実習派遣員家族が住むことになった。4年ちょっとこのマンションにお世話になったが、前の公園も緑豊かな素晴らしい公園となり、本当にそのマンションでよかったと回想している。当時、地元の卓球クラブに所属して、卓球を楽しんでいたが、偶然にもそのクラブは公園の端にあり、徒歩で数分という距離であった。クラブにはドイツ人の友人の紹介で入ったものであるが、それがこんな近くにあるとはラッキーであった。

ドイツを離れて、もう30年近くになるが、フランクフルトに行くたびに、住んでいた我が家を見に行っている。当時、植えられた草木がいまや鬱蒼と茂っていて、素晴らしい公園となっている。大家さんとも帰国後にフランクフルトに行った折、2、3回お会いしている。彼らは寄せ書き帳みたいな日記を大切に持っていて、ある時見せてくれた。第一号として我々の寄せ書きから始まっており、感慨深いものがある。お互いに年をとったが、その後も電話では何回か話をする機会もあり、いい大家さんにお世話になったものと感謝している。

写真は、住んでいたマンション(2017年撮影)
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