最近は、とんと英語とは縁がない生活を送っており、英語を話す機会もほとんどない。英字新聞を読むわけでもないし、英語ニュースや英会話のラジオ放送を聴くわけでもないし、外国人と話す機会もないが、日常生活には全く問題ない。そんな中、15年前カナダのビクトリアに遊学中、同じコンドミニアムで知り合ったメキシコ人の女性が数年前にフランス人と再婚して今コルシカ島に住んでいるが、新しいご主人を連れて東京に遊びに来ることになっているので、少しは英語に接しようと思い、20日、昔時々参加していた英会話サークルに久しぶりに顔を出してみた。コロナ禍でこのような英会話サークルは、数年の間休止せざるを得なかったが、今年に入って復活しつつあるようである。
毎回話すテ-マは異なるが、今回は、自転車のヘルメットや先生・生徒間の恋愛についてフリート-クが行われた。このサークルの参加者は日本人だけだが、英語でコミュケートを図り、英語力を磨こうとするものである。500円の参加費がかかるが、スピーキングの勉強には役に立つ。英語は使っていないとすぐに錆びつくので、話す機会を持つ必要性を痛感するが、だんだん疎遠になりつつある。このような英会話サークルはいろいろ全国展開しているものもある。定年後、カナダに留学していた頃は、英語の勉強もよくやっていたが、もうあれから15年も経つのだから、時代の流れを痛感する。英語の上達はいかに難しいかを実感しているが、それでも、当時知り合った人達との交流は今でも続いているから不思議な縁を感じる。たまにでも英語で話す機会を持つことは非日常の刺激があるので、ボケ防止に役立つかもしれない。NHKニュースを英語のサブチャンネルで聴くとか少し英語に接する機会を意識的に持とうかとも思っている。
久し振りにNHK朝ドラの「カムカムエヴリバディ」を毎日見ている。ラジオの英会話番組にまつわる出来事がテーマとなっており、興味がそそられる。親子3代にわたって、ラジオの英会話講座にお世話になるという設定だが、個人的にも、学生時代からよく聴いていたので、懐かしい思いで番組を見ている。テキスト代もたいしたことがないので、最も安上がりな英会話勉強法といえる。英会話入門から、標準的な英語会話やビジネス英語までいろいろなレベルが用意されているのも嬉しい。
学生時代の同級生が20年以上にわたって、NHKの英語会話の講師を務めていたが、昨年10月に終了したことを最近知り、残念に思っていたところである。長い間、「英会話入門」を担当していたので、英語を勉強している人には名前が知られているかも知れない。同窓会にも顔を出すが、奥さんがアメリカ人だからと慰めつつも、英語で苦しむ小生からすると羨ましい限りである。彼がよく口にする言葉が、”Keep listening, keep practicing and keep on smiling”であるが、実践はなかなか難しいものがある。
だいぶ先だが、同級生から3月22日にこの朝ドラのラジオ放送に彼が声出演するという連絡が来た。恐らく主人公の「ひなた」がラジオの英会話講座を聴くシーンがあると思われる。同級生の中では、出世頭と皆が称賛するが、何となく楽しみでもある。
英語の勉強は、学生時代から続けてきたが、マスターするには程遠い状況にある。同時通訳者や公式の会議通訳をこなしている人を見ると羨ましいと同時に敬意を表する。仕事でも通訳の経験は何回もあるが、いつも不十分な出来で、哲学的諦めの見地である。自分の場合、リスニング力が弱いので、通訳としては致命的である。相手の言うことが80%しかわからなければ、80%しか日本語に訳せないからである。英語ネイティブは早口だし、ノンネイティブは、訛りのアクセントが強く、うまく聴きとれないのである。経緯が分からなかったり、専門用語が飛び交う場合は、もうお手上げである。
定年後、カナダのビクトリア大学に3ヵ月ほど留学したが、期待していた上達がほとんど見られなかったのは残念であった。全部で半年ほどカナダで生活したが、若者と席を並べ英語が勉強できたり、いろいろな友人ができたり、カナダ中の旅行ができたり、大変有意義な遊学であった。今後、英語を使うチャンスは少ないとは思うが、この機にラジオの英会話番組でも聴き直してみようかとも思っている。朝ドラのテーマソングも毎日聴いているが、大変気に入っている。紅白歌合戦でも歌っていたが、メロディが耳にこびりつく感じである。
テーマソング(AI - アルデバラン): https://youtu.be/8IOSztadymc
当時、英語の授業は、普通クラスと上級クラスとに分かれて行われていた。高校からの入学組は、最初は、普通クラスの授業を受けていたと記憶するが、途中で、振り分けが行われ、運よく、上級クラスに入ることになった。普通クラスのリーディングのテキストは、「エミールと探偵たち」”Emil and the Detectives”で、上級クラスは、ロバート・リンドのエッセイ集、”I tremble to think”であった。エッセイの内容は、全く覚えていないが、I tremble to think. という言葉だけは頭に残っていて、その後もそのフレーズをよく使った。訳せば、「思ってもゾッとする」といった感じである。
中学から進級してきた優秀な連中とは、英語の授業のみで合流することができた。中学組には、三毛猫ホームズシリーズはじめ小説家として超有名なA氏や判決の際に、さだまさしの「償い」の歌に言及したことで有名になった東京地裁のY裁判長等がいた。Y裁判長とは、英語の授業では一緒になった。高校組にも、「小さな日記」という曲を歌ったフォー・セインツというグループのメンバーI氏がいた。I氏とは、1年の時に同じクラスであったが、まさか音楽の世界に行くとは思ってもみなかった。
中学組は、優秀な連中が多く、現役卒業の際、東大に合格したのは、15人位はいたと思うが、すべて中学組の連中であった。当時でも、やはり中高一貫校のほうが、計画的な学習が組み立てられるので有利であったようである。男子校かつ大学受験を控えていたので、高校時代にはあまり楽しい思い出が残っていないのが残念である。暗黒の生活が続いていたが、まあ、現役で志望の大学に入ることができたので、後悔はしていない。ラジオの深夜番組が唯一の楽しみであったような気がする。
「小さな日記」フォー・セインツ:
https://youtu.be/VTAq2MgnD6g
「償い」さだまさし:
https://youtu.be/MzNeMZqNwL4
ジャーナリストの伊藤詩織さんの裁判のニュースをテレビで見ていて、急に、カナダでの語学留学の時に裁判を傍聴したことを思い出した。詩織さんの勝訴は当然で、安倍さんの御用記者である山口某及び逮捕を差し止めた官邸の番犬と言われる当時の刑事部長の中村某はともにとんでもない。それはさておき、2008年4月から3ヵ月カナダのビクトリア大学の3ヵ月集中英語講座に参加したが、今振り返ると裁判の傍聴はじめいろいろ工夫されたプログラムで講座が組み立てられていた。単なる教室だけの英語の勉強だけでなく、下記のようなカリキュラムがあった。
① 週2回以上のボランティア業務が必須で毎週レポートを提出。
--- 自分は年寄りが集まるシニアセンタースタッフのお手伝いのボランティアをやったが、実践的な英語が学べた。
② 街の有名な観光スポットについて事前学習し、現地に行って他のクラスのメンバーを対象に英語でガイド説明。
----自分は、BC州議事堂の歴史を学習し、議事堂について観光ガイドを実施
③ スーパーマーケットに出かけ、店長からのいろいろな説明を聴講。
④ 裁判所に出かけ、実際の裁判を傍聴。
---- 裁判官の陳述や被疑者の答弁を生の英語で聴き、難しかったがいろいろ勉強になった。 傍聴前には、カナダの司法システムの事前勉強もあった。これが裁判傍聴の唯一の体験である。
⑤ ロイヤルBC博物館に出かけ、ペアを組んで、特定の展示物についてレポートを実施。
⑥ 英語の本を1冊選び毎日10頁以上読み、出てきた単語、表現、内容等を教室で発表。
⑦ 3分程度のスピーチを3回教室で発表(課題は、自己紹介、社会問題等)。
⑧ 好きな英語音楽を選び、自分が先生になって皆の前でリスニング授業を実施。
---- 自分は、サウンド・オブ・ミュージックから歌詞が大好きな”16 Going On 17”を取り上げた。
⑨ シンポジウムといってコミュニティに関する話題を自分で選び、3ヵ月授業の最後に10分間の研究発表と参加者とのディスカッションの実施。聴講者は、別のクラスメンバー及びモントリオールから英語の勉強に来ているカナダ人学生。話題の選択にも苦労したが、データ収集(含む写真)や下調べ作業は大変であった。自分は、「シニア世代の生涯スポーツとコミュニティの役割」というタイトルで発表した。2人1組での発表で、ベネズエラの女性の助けを借りて、よくわかっていないパワーポイントを使ってのプレゼンとなった。
⑩ 勉強の補助プログラムとしてスピーキングパートナーの紹介サービスもあった。あえて若い女性は遠慮し、40代の和太鼓が趣味の男性を紹介してもらい、宿題やらいろいろ手伝ってもらった。その後も彼とは交流が続いている。
また、授業の他に、ピザパーティや遠足(Outing)やいろいろなアフターファイブのイベントもあった。留学生用の特別ルームで交流ができたり、食堂や図書館やパソコンも一般学生と同じように利用することができた。結果的には英語の上達は今一であったが、若い女性に囲まれての楽しい留学生活であった。60過ぎても毎日、12時過ぎまで宿題をやるなんて想像もしていなかったが、今となっては懐かしい思い出となっている。クラスメートとは今でもおつきあいが続いており、留学体験は今でも貴重な財産となっている。
写真は、ガイドしたBC州議事堂
リスニング授業に使った“16 going on 17” :
「君は、empty page で、僕がwrite on していく」とか「君は16、僕は17、だから、I’ll take care of you. 面倒みてあげる。 私は16、あなたは17, だから、I’ll depend on you. あなたに頼る」等英語表現が一番好きな曲である。
漢字ネタというのは、例えば、「金に同じと書いて銅、同じじゃないだろう!おかしいだろう!」といった具合である。次から次へといろいろな漢字の矛盾を指摘するのだが、これが結構面白い。
この漢字ネタのテレビを見るたびに思い出すのが、ビクトリア大学の英語講座で習った「英語の矛盾を指摘する英語ネタ」である。
漢字の矛盾を指摘する厚切りジェイソンに対抗して、ここでそのネタの一部を紹介してみたい。英語を勉強する我々にとって、英語も相当おかしいと思える。“Why English people! おかしいだろう”と叫びたい。
タイトルは、English is a crazy language. で、Richard Ledererという人の言葉のようである。
1 There is no egg in eggplant. (eggが入っていないのに eggplant(なす)というのはおかしいだろう)
2 There is no ham in hamburger. (hamが入っていないのに、hamburgerというのはおかしいだろう)
3 There is neither apple nor pine in pineapple. (pineapple の中にapple(りんご)もpine(松)も入っていないのはおかしいだろう)
4 slowly(ゆっくり)形成されるのに、quicksand(流砂)というのはおかしいだろう。
5 boxing ringは、ring(円形)でなくsquare正方形である。これっておかしいだろう。
6 writers は、write(書く)するが、fingersはfingしない。Grocersは、groceしないし、hammersはhamしない。これっておかしいだろう。
7 toothの複数形がteethなら、boothの複数形はどうしてbeethではないのか?おかしいだろう。
8 One goose, two geeseというなら、どうしてOne moose, two meeseとならないのか?おかしいだろう。
9 teachersがtaughtした(教えた)なら、どうしてpreachers(牧師)はpraughtしないのか?おかしいだろう。
10 vegetarianがvegetables(野菜)を食べるというなら、humanitarianは何を食べるというのか?おかしいだろう。
11 wise man とwise guyは反対の意味なのに、slim chance もfat chance もどうして同じ意味なのか?おかしいだろう。
といった具合である。
厚切りジェイソンの反論を聞きたいところである。
全文を見たい方は、小生のHP http://romanflight.web.fc2.com の「語学シリーズ」の「13.その他」を見てください。
歓迎パーティに始まり、放課後には、留学生の交流を図るため、頻繁にゲームや各種のイベントが行われていた。留学生用の特別室も設置されていて、パソコンやプリンタを使ったり、ボランティアのネイティブスピーカーとの会話の練習をすることもできた。ピザパーティやアウティング(遠足)のような楽しいイベントもあり、単調にならないようにカリキュラムが工夫されていた。
また、通常の授業とは別に、全員、週2回程度、ボランティア業務を行うことが義務付けられ、その実施状況レポートの提出も課せられた。自分でボランティア業務を探すのもなかなか大変であったが、結果的には、街中にある年寄り向けのシニアセンターでの各種アクティビティのお手伝いをすることにした。ポスターを作ったり、イベント時に椅子やテーブルを並べたり、カナダ人の指示を受けながらの作業なので、確かに英語の勉強にはなったと思われる。
また、英語勉強の補助プログラムで、大学の方でスピーキングパートナーを紹介してくれるサービスがあった。留学生が趣味等を含め、自己紹介と相手の希望を書いた申込書を提出するとそれにマッチングするようなパートナーを紹介してくれるというもの。留学生との交流を希望する英語ネイティブの人が大学に登録していて、うまくマッチングすれば、スピーキングパートナーとして、英語勉強のアシストをしてくれる。若い女性を希望することも可能であったが、ちょっと遠慮して、パートナーは、性別、年齢は問わないとして提出したところ、和太鼓をやっているという40代の男性を紹介してくれた。 彼も大の日本ファンなので、日本人と交流したいということで、うまくマッチングしたものである。時々会って、宿題を手伝ってもらったり、家に呼んだり、交流が始まった。帰国後、彼は、日本にも遊びに来たり、こちらからビクトリアに再訪した時はいっしょに食事をしたり、いまでも彼との交流は続いている。先にも触れたが、クラスメートの一人は、このプログラムで知り合ったカナダ人のスピーキングパートナーと結婚したとのことで、趣味が共通することもあり、恋愛に発展することも十分ありうると感じた。
3ヶ月講座の最後には、シンポジウムといって、コミュニティに関するトピックを自分で選び、データ収集や下調べを行い、他のクラスの人や外部の人を前にして、約10分の研究発表を行い、参加者とディスカッションを行うという課題が課せられた。慣れない作業の上、皆の前で自分の研究成果を英語で発表するというのはかなり厳しいもので、ストレスもかかっていた。毎日の宿題や授業で忙しいので、その準備作業もなかなか大変であった。トピックはいろいろ迷ったが、最終的には「シニア世代の生涯スポーツとコミュニティの役割」というタイトルで、研究発表を行った。聴講者は、他のクラスの生徒やモントリオールから英語の勉強に来ていたカナダ人の学生達であった。
7 現地での生活
ビクトリアは、ブリティッシュ・コロンビア州の州都で、英国風の街並みで夏は街が花であふれるほど綺麗な街である。州議事堂とエンプレスホテルに囲まれるハーバーは素晴らしい景観である。街にはロンドンのように赤い二階建てのバスが走っており、どのバスもバリアフリーで、車椅子の人にも優しい。気候もカナダで一番温暖なので、引退後の年寄りが大勢住んでいる。
ビクトリアには、妻が同行してくれたので、食事の心配は全くなく、5ヶ月間、ほとんど毎日、日本食を食べていた。日本食品のお店も2軒あり、地元のスーパーや朝市マーケットで、ほとんどすべての野菜や食品が手に入ったので、さしたる問題はなかった。
また、妻も英語の勉強をしたいということで、街中にあるジオスという英語学校に通い始めた。妻の方も、その学校でも多くの若いクラスメートと知り合うことができ、家にもよく遊びに来た。若い留学生はほとんどがホームステイをしており、日本食に飢えていたので、学校で知り合った日本人の留学生を家に招き、よく日本食をご馳走したものである。頻繁に、二人のクラスメート、スピーキングパートナー、日本人やカナダ人の知人等を家に招待していたので、その人数は5ヶ月延べで、100人以上になったと思われる。ホームパーティの度にケーキを作ったりしていたので、妻の負担も大変であったと思われるが、皆からは大変喜ばれた。
今のマンションの前の持ち主である知人(イタリア人と奥様が日本人)がビクトリアに住んでいて、その時の住まいが大学のすぐそばにあったこともあって、時々お邪魔して、ご馳走になったりした。地元の情報もいただき、心強いかぎりであった。
また、コンドミニアムの隣人にトロントからの老夫婦(現在90歳と70代)がいて、親しくなった。彼らは、毎年、7-8月のみ避暑のためビクトリアに来ているとのことであった。何回が行き来したり、知人である筋ジストロフィーの画家の紹介を受けた。その知人がその年の秋に東京の神社で絵の展覧会をやるとのことで、その老夫婦も東京に来ることになり、行きがかり上、面倒を見ることになった。その後、彼らは大の日本ファンになり、2012年と2014年にも再来日したほどである。
8 ゴルフ・テニスに旅行三昧
初めは、こんなはずではないとぼやきながら、週末といえども遊びに興ずる余裕はなく、勉強一筋であったが、後半以降、少し慣れた頃から、バスで15分位のところにゴルフ場があったので、暇を見つけては、ゴルフをしたり、家の近くのテニスコートでテニスも楽しんだりした。テニスは無料で、ゴルフ代も日本に比べると大分安いので、好きなだけ遊んでも大したコストはかからない。 ショートコースでのゴルフを含めると5ヶ月で20回以上はゴルフを楽しんだと思う。 妻がゴルフを始めたばかりだったので、とにかく回数だけは多くなった。
また、旅行が好きなので、勉強の合間を見ながら、旅行計画を立て、精力的に出かけていた。ビクトリア市内や近郊の観光地へも足を運んだが、泊まりがけで、シアトル、バンクーバー、ウィスラー、ケロウナ、カルガリー、カナディアンロッキー、トロント、ナイアガラ滝、オタワ、赤毛のアンのプリンスエドワード島まで出かけた。特に9月にはコンドミニアムを出ていたので、放浪の旅ではないが、2週間の長期間旅行に出てカナダの夏を満喫した。
9 最後に
講座の最後には、寄せ書きや写真を集めたアルバムの小冊子も作成され、貴重な記念品となった。また、すべての講座が終了した時点で、さよならパーティも開かれた。全員が一同に介し、3ヶ月間苦楽を共にしてきたクラスメートと卒業の喜びを分かちあった。卒業試験もあったので、修了証をもらった時の喜びは皆ひとしおであった。普通の語学學校と違って、常に同じメンバーで勉強してきたので、一体感のある感動的なパーティであった。
3ヶ月を振り返ってみると、あっという間であったが、学生時代以来何十年ぶりに、若者に混じって勉強に励み、男女問わず若者の友達もできた。英語能力の向上はなかなか厳しいものがあったが、まさに年を忘れてキャンパスライフをエンジョイし、貴重な体験をすることができた。今となっては、ハーレム生活も懐かしく思い出されるが、かくして夢のような世界から定年後の第二の人生がスタートした。
これから英語を勉強し直そうと考えている人がいれば、海外留学をお薦めする。自分の体験では、治安もよく、英語も綺麗なカナダ、それもほどよい規模のビクトリア、しかも緑あふれる広大なキャンパスを持つビクトリア大学への留学は自信を持ってお薦めする。英語レベルに応じてクラス編成をしてくれるので、英語の初心者でも安心して、楽しく英語の勉強ができること請け合いである。