浪漫飛行への誘(いざな)い

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通訳のむずかしさ

2012年09月29日 16時57分46秒 | 英語
今までに仕事上で、何回となく個別の通訳や会議通訳の仕事をやらざるを得ない場面を経験しているが、なかなかうまく行かず、そのたびにいかに英語ができないかを痛感した。

まず、会議通訳では、三重苦をかかえる。一つ目は、専門用語に精通していない、二つ目は、経緯がわからない、三つ目は、英語能力が不十分。9年間、陸上競技の世界で英語通訳を仕事の一部としてやってきたが、初期の頃は、特に、専門用語、経緯がわからないというハンディで苦労した。会議の中で、「この前の~の件は~することにしましょう」などということもよくあり、経緯をわかっていないと内容はチンプンカンそのもの。英語能力が完璧であれば、そのハンディもある程度カバーできるが、それも不十分であるため、まさに三重苦なのである。

会議通訳では、20人位の会議から、議長の通訳、大人数では総会(200数か国)での通訳、どれも荷が重すぎ、冷や汗の連続であった。自分の場合は、リスニング能力に問題があるので、会議で皆の発言を正確に理解するのが大変であった。ネイティブの英語は早口だし、ノンネィティブの英語は、インド英語等訛りの強い英語が多いので、聞き取るのが一苦労であった。

通訳をするということは、日本語→英語、英語→日本語の両面があるが、自分にとって一番きつかったのは、英語→日本語の通訳である。この場合、英語が80%しか理解できないと、80%しか日本語にできないからである。大事なポイントを聞き逃したら、致命的となる。それに対し、日本語→英語は、日本語は100%理解できるので、後は、それをどう英語で表現するかだけであり、どんなブロークン英語でも何とかなるものである。

同時通訳ができるほどの英語の達人がいるが、我々とは雲泥の差であり、ただ敬服するのみである。我々レベルでは、日本語→日本語の同時通訳すらできないのであるから、物凄い能力である。同時通訳まで行かないとしても、せめて、選手へのインタビューができる位になりたいと思っていたが、今からではそれすらとても無理である。

スピードラーニング等聞き流すだけで英語が話せるようになるというような教材の広告は、誇大広告もいいところ。初心者レベルでは少々の効果はあるかも知れないが、仕事で英語を使うレベルで全く役に立たない。昔ヒアリングマラソンという教材を利用したことがあるが、効果はあまりなかった。要するに、聞き流すだけでは、駄目で、どの位集中して聴けるかだと思う。

例えば、「ほとんど almost」は「オールモー」で「オールモスト」とは聞こえないのである。「製薬会社 pharmaceutical company」は、「ファーシティカル カンパニー」で、「ファーマシティカル」とは聞こえないのである。 “an” “and” “on” “ in”などは会話の中では、ほとんど同じように聞こえるので、文脈で区別して聞き取れないと英語はまず正確に聞き取れていないといってよい。

定年後、カナダに3か月英語留学したが、これとて自己満足の世界で英語の上達とは程遠いものである。映画を字幕なしで100%理解するという夢があるが、これまた至難の業で、並大抵の努力では絶対無理と実感している。

一方、英語の勉強の過程で、我々の日本語能力の素晴らしさに感心する次第である。日本語ができるという外人の内、どの位の人が、テレビの「笑点」を見て笑えるかである。「笑点」を見て笑えれば、その人の日本語能力は本物である。

自分の英語レベルでは、残念ながら、アメリカのシットコム(Sitcom, situation comedy)を見ても笑えないのである。今では、哲学的諦めの見地からこれ以上の英語の上達は諦め、英語を使ったコミュニケーションを楽しむようにしている。

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ふと思う名前のトリビア

2012年09月27日 22時26分45秒 | TV番組
何年か前まで「トリビアの泉」という大変はやった番組があったが、今、トリビアがあったら、人の名前について、是非調べてもらいたいと思っていることがある。

それは、下記のような名前を持った人が実際にいるか、いるならどのくらい、どんな名前か、そのような名前を持っている人を知っている人はいませんか?

1 夫婦同姓同名  (漢字が違うのも可)

  例えば, 佐藤真琴 とか 鈴木静香 とか
  山田博美/ ひろみ とか
  要するに、同じ名前が男性にも女性にも付けられる
  こ とがあるので。

2 姓名が同一   (漢字が違うのも可)

  例えば、 兼子兼子 とか 真弓真弓 とか 佐倉さくら
  とか  千秋ちあき とか 
  漢字が違えば相当いそうですね。
  要するに、子供の名前には付けないと思うが、
  結婚後そうなる可能性があるので。


トリビアで思い出したが、当時、自分が実際に投稿したものの、没になったものをここに紹介してみる。やはり、没ですかね? でも、トリビアの泉は復活してほしいですね。

(トリビア)

陸上競技の「競歩」という競技は、走ったら失格、歩いても失格。
ちなみに、「砲丸投」は、砲丸を投げたら失格。

(解説)

競歩には、二つの基本ルールがある。一つは、いずれかの足が常に地面から離れない(ロス・オブ・コンタクトにならない)ようにして歩くこと。二つ目は、前脚は、接地の瞬間から垂直の位置になるまで、まっすぐに伸びていなければならない(ベント・ニーにならない)こと。従って、普通に歩くと、膝が曲がってしまうので、失格とみなされる。

また、砲丸投は、ルールブックによれば、「砲丸はあごまたは首につけるか、あるいはまさに触れようとする状態に保持しなければならない。投射の動作中は、その手をこの状態より下におろしてはならない。また、砲丸を両肩を結ぶ線より後ろにもっていってもいけない。」とあり、野球のように腕を使って投げたら失格となる。

ちなみに、砲丸投は、日本語では投の字を使っているが、英語では、 Shot Throwではなく、Shot Put という(throw したら失格なので)。また、円盤投はDiscus Throw やり投げはJavelin Throw ハンマ-投げはHammer Throw といいますが、皆さん、知ってましたか?
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プサンでの淡い思い出

2012年09月21日 17時22分36秒 | 旅行
今から20年ほど前、名古屋=プサン線の初便搭乗でプサンに行った時、当初は翌日飛行機でソウルに向かう予定だったが、ベッドに入ってガイドブックを読んでいる内に、セマウル号という特急で途中の歴史ある街に立ち寄ってからソウル入りしたい気持ちが急に湧き出て、急遽旅程を変更することにした。

はやる気持ちからかほとんど眠ることができず、早朝5時頃だったと思うが、ホテル前の海雲台のビーチの散歩に出た。砂浜を歩いていると、一人の若い女性がこちらに向かって歩いて来た。彼女から日本語で声をかけてきたが、話を聞くと小田和正のファンだという。どうして、こんな早い時間に砂浜を一人で歩いているのか訊いてみたところ、今ソウルから夜行で着いたばかりで、その足で海岸まで来たという。ソウルの大学で勉強中であるが、今後の進路に悩んでいて、急に海が見たくなって、夜行に飛び乗ってプサンまで来たという。彼女は片言の日本語ができたので、日本語と英語のチャンポンで会話を続けることができた。

朝食前だったので、よかったら、いっしょに日本食の朝食でもとどうかと勧めたところ何も食べてないし、日本食を是非食べてみたいとのことで、ホテルの日本食レストランで朝食をご馳走することにした。日本が大好きなようで、話はいろいろ盛り上がり、楽しい朝食となった。

海を見たいということでプサンに来たとのことだったので、20数階にある自分の部屋のベランダから物凄く綺麗に海が見えるという話をしたら、是非見せてほしいと頼まれた。一瞬躊躇した。というのも、若い女性が男性のホテルの部屋に入るということはどういうことを意味するのか。。。でも純粋な彼女の目を見たら、何のやましい気持ちもなく、ベランダから見せてあげたい一心で部屋に案内することにした。彼女はベランダからの素晴らしい景色に感動し、写真も何枚か撮ってあげたので、大変喜ばれた。

旅程を急に変更したので、朝食後は空港ではなくプサンの鉄道駅に行くことにしていたが、彼女も特に予定がないということで、お礼にプサン駅まで案内してくれるという。ホテルをチェックアウトし、駅に行ったところ切符の窓口には長蛇の列。

セマウル号は人気のある特急で、窓口での話では夕方まで満席状態とのことであったが、ひとまず列に並ぶことにした。よく見ると窓口は二か所あって、一つは外人旅行者用、もう一つは韓国人専用のようであった。外人用に彼女と二人で並んでいたところ、韓国人用窓口のところで係員が急に何か韓国語で大声をあげた。すると、それに呼応するように、彼女が手を上げて窓口に走った。

後で訊いたら、「まもなく出発する特急にキャンセル席が出ました」と韓国語で言ったようで、すかさず彼女は、「それを下さい」と言って窓口に走ったとのこと。韓国語での案内なので、他の旅行者は何もわからず、小生のみ、彼女のおかげで、夕方まで待つことなく、すぐに出発する特急の切符を買うことができたのである。時間を無駄にすることなく、歴史ある昔の百済の首都、扶余に向かうことができたのは大変ラッキーであった。

彼女はこの後、いくつかのお寺を見た後、また夜行でソウルの戻るということだったので、ソウルで再会を約束して別れを告げた。ソウルでは、会社の友人と会う約束もしていたので、結果的には、残念ながら、うまく連絡がとれず再会を果たすことはできなかった。

まるで、小説にも出てきそうなストーリーの展開であるが、これは実際にあった話である。

まず、女子大生が人生に悩んで急に海を見たくなってプサンの砂浜を早朝5時に歩いているのも変だし、そこに自分もあまり寝られずそんな時間に歩いていて、会話を交わすことになるのも変だし、見ず知らずの二人(40代の男と女子大生)が一緒に朝食を取るのも変だし、若い女性が見知らぬ男性のホテルの部屋に一人で入って、何事もなくベランダから海を眺めるのも変だし、彼女のおかげで、満席の特急のキャンセル席が買えたのも変だし、何もかもかもが現実には起こりそうもないことであるが、すべて事実なのである。
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不思議な縁

2012年09月20日 19時50分53秒 | 日記
最近の出来事とは別に、自分史の整理のつもりで、過去の出来事や思い出も少し日記にしておこうかと考えています。

まず不思議な縁をいくつか。。。

①妻が長男出産時、同じ病室にいた2人と今でもおつきあいしている。 しかも、3人の子供の名前は偶然にも「ゆうき」「ゆう」「ゆき」。当然誕生日もいっしょ。

②今住んでいるマンションの前の持ち主(イタリア人と日本人のご夫妻)と今でもおつきあいしている。彼らは当時(15年前)すでにカナダのビクトリアに移住しており、契約のために来日。連絡先等は不明であったが、その後、ビクトリア旅行中に電話帳から彼らの名前を探し、おつきあいがスタート。定年後の留学先も結果的には、ビクトリアとなり、留学中もいろいろお世話になった。

③フランクフルト在勤中、同じマンションに住んでいたユーゴスラビア(当時)人と親しくつきあっていたが、帰国後、彼らの母国が内戦に巻き込まれ、消息不明となった。3,4年前、彼らのフルネームでGoogle検索をしたところ、何件かがひっかかった。ザグレブからインドへの経済使節団の名簿に載っていたもので、その組織にメールを送ったところ、しばらくして本人から、It's me. というメールが届き、交流が再開。2年前、18年ぶりに、ザグレブで彼らと再開、旧交を温めた。当時2歳であった下の女の子は今は乗馬のクロアチアチャンピオンとなっていた。上の男の子(当時8歳位)はウィーンで働いていたが、偶然にもザグレブの後、ウィーン滞在の予定であったので、再会を果たした。インターネットの検索機能ってすごいと実感しました。

④1983年にルフトハンザの卓球チームの来日に伴い、親善試合を行なった。彼らのベースはフランクフルトで、その2年後、偶然にもフランクフルト勤務になった。チームリーダーは住まいも近く、誘われて同じクラブチームで4年間いっしょに卓球をすることになった。お互いにリタイヤしているが、未だに行ったり来たりのおつきあいをしている。

⑤中国民航(当時)との友好卓球大会で知り合った女性(当時の国際航空局長兼社長の秘書)と今でも親しくおつきあいをしている。縁あって、民間レベルで中国に遠征する機会を得たり、中国との交流は、長いストーリーがあるので別途書き綴ってみたい。
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ドイツのサウナは混浴!

2012年09月17日 22時44分46秒 | 旅行

フランクフルト郊外(車で約20分)に古くから栄えた温泉保養地、バード・ホンブルクがある。バード(BAD)とは温泉という意味でドイツには何百もの温泉があるが、なかでもこの町はヨーロッパ最初のカジノ(1840年)がある町として有名である。美しい樹木や池に囲まれたクアパークの中にあるこのカジノは、後にモンテカルロにもたらされ、今でも「モンテカルロの母」として知られる。カジノでは、女性はドレスアップし、男性は上着にネクタイ着用と、賭博場というよりはむしろ社交場といった感じ。

また、クアパークの中には知られざる穴場「タウナステルメ」がある。プール、サウナに映画館、レストランまである保養施設で連日若い男女で賑わっている。1階の大プールは水着着用、2階のプールとサウナは水着禁止。もちろん男女混浴でまさに裸と裸のおつきあいが楽しめる。サウナで一汗かき、そのままプールに飛び込み、夏は外に出て何も着けずに太陽を全身に浴びる。これがドイツ人の健康法である。

はじめてタオルを持ってサウナに入った時、なにげなくタオルを体の上に置いていたところ、隣に座っていた若い女性にタオルを取るように注意された。彼女によれば、タオルは体の上にかけるのではなく、お尻の下に敷くのがエチケットであるとのこと。考えれば裸でサウナの板のところに座るのであるから、エチケットとしてタオルはお尻の下に敷くべきものである。ドイツ人は、裸が恥ずかしいと感じることはないようで、うら若き女性でもタオルで体を隠すなんて毛頭考えていないのである。

夏の間は、近くの湖での湖水浴も盛んであるが、湖岸ビーチも水着ありと水着なしの2か所に分かれており、水着ありのビーチでも女性は10 人に1人位は、トップレス。冬の間太陽を浴びる機会があまりないドイツ人にとっては、夏の間くらいは何も着けずに全身に太陽を浴びることの方が健康上大事なのである。
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株の才能なし!?

2012年09月13日 06時50分17秒 | マネー

退職金を元手に利殖とボケ防止を兼ねて、ここ数年インターネット証券を使って、株の売買をやっているが、株安が続いているため利殖の方はさっぱりで、全体としては、マイナスもいいところ。

日立の株をあの大震災の前日に買ってしまったり、JALの株でまるまる大損したり、つい先日もANAの株が下がり続けていたので、いったん売却して買い戻そうと全株売却したその日から、どんどん上がり続けて、今も買い戻すことができないでいるとか。。。とにかく、売却した日から株価が上がったり、購入した日から株価が下がったりというのが日常茶飯事で、これでは儲かるはずもない。

株では損するばかりであるが、ささやかな株主優待で楽しみも見出している。ANAの株主優待券をオークションで売ったり、イオンの株主優待カードで、割引をもらったり、ラウンジを無料で利用したり(これは優越感がある)、外食産業の株では食事券をもらったり、それなりの楽しみもある。

ずばり自分には株の才能はないと言えるが、ボケ防止には間違いなく役立っていると思う。授業料は高いけど。。。




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空港を歌った楽曲

2012年09月10日 20時20分12秒 | 音楽

ホームページを見たある雑誌社のライターから空港を舞台とした代表曲を1960年代から2000年以降まで年代別にピックアップしてほしいとの依頼を受けた。

これを機会に、国内及び海外の各空港を歌った楽曲を整理してみた。個人的には自分が空港関係の楽曲を集め始めた1970年代、80年代に気に入った曲が集中しており、我が国の空港整備や航空旅行の発展に呼応するかのようで、まさに「歌は世に連れ、世は歌に連れ」という印象を持った。

テレサテンの「空港」や欧陽韮韮の「雨のエアポート」をはじめ、空港をテーマとした楽曲は多数あるが、今まで調べた範囲では、具体的な個々の空港を歌った楽曲は、60曲程度にとどまる。外国の空港については、外国語で歌ったものがもっといろいろあると思われるが、空港を歌ったこんな曲を知っているよという方がいれば教えてください。

各空港を歌った楽曲については、


「音楽シリーズ」 →  「空港シリーズ」 の 「各空港」 のところを見てください。
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年寄りは皆元気!!!

2012年09月09日 09時47分51秒 | スポーツ

地元の卓球クラブに入って、週2日の練習に参加しているが、メンバー34人の平均年齢は、73-74才、最年長は85才、自分は下から4番目。いきがかり上、教える立場にあるが、60才になって、卓球を始めた人も多く、そのレベルは知れているものの、年をとっていても、うまくなろうという向上心には感心するばかり。

卓球は気軽にできる運動であるが、競技スポーツとしても大変タフなスポーツである。ボールの回転がわからない限り、ボールをちゃんと打ち返すことはできない。それを瞬時に判断して、打つということは神業に近い。見た目は簡単に返球しているようでも、実際は相当な高等な技術を要するのである。ピンポンと卓球はまるで別物である。

先日、メンバー24名で、練習の後に、暑気払いの宴会を行ったが、当然のように飲み放題コース。自分はあまり飲めないが、皆は、年を感じさせずに、次から次へといろいろなお酒に手を出す。とにかく、こちらが圧倒されるほど先輩達は皆元気である。

自分の場合、70、80になっても、元気に卓球などできるかどうか極めて疑問である。80過ぎても、ボールを追いかけて卓球を楽しんでいる先輩達を見ていると羨ましくなる。この年になるといつどうなるかわからないので、楽しいこと、今できることは先延ばしにしない主義、フランス語で言えば、”Vivre maintenant”(今を生きる)をモットーに毎日の暮らしを続けていきたい。
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2分間で地球上の歴史を振り返る

2012年09月08日 09時38分21秒 | 日記

2分間の映像で地球上の歴史、人類の歴史を振り返ってみませんか?




我々の存在は一瞬ですね。
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60才は立派な老人??

2012年09月08日 07時44分48秒 | 日記

先日、1泊2日で群馬県の榛名湖温泉に出かけ、レークサイドゆうすげというホテルに宿泊した。60才以上は500円値引きということで、どうしてかなと思ったところ、現地でわかったことは、年金基金のお金で作った施設のようである。恐らく、何年か前にマスコミを賑やかしていた社会保険庁が我々の年金の剰余金で作った施設の一つであると思われる。

割引は嬉しいことであるが、チェックアウトの時、領収書を見て、ショック。領収書には、老人1名 大人1名と明記され、宿泊料金が記載されていた。60才を過ぎた人は皆老人ですかね?もうちょっと他の言い方、例えば、シニア1名とか。。。今の60才の人は見た目も皆若いし、彼らを老人と呼ぶのはいかがなものでしょうか?それともやはり立派な老人ですかね。。。
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