浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

映画「親鸞 人生の目的」を見てきました

2025年03月07日 19時41分30秒 | 映画

バースデー記念として、2月28日に封切りになったばかりの映画「親鸞 人生の目的」を川崎で見てきました。当初計画していた旅行がキャンセルとなったため、急遽映画鑑賞に振り替えたものである。この映画には、前から注目していたが、親鸞研究の第一人者、高森顕徹氏によるベストセラー書籍「歎異抄をひらく」「人生の目的」を原作に、浄土真宗の宗祖・親鸞の青年時代を中心にその人間味あふれる苦悩と葛藤を描いたアニメ映画である。

まず映画のオープニングシーンで、親鸞聖人の教えのテーマソングともいわれる「恩徳讃」の曲が流れていたのが印象的であった。歌詞は「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし 師主知識の恩徳も、骨を砕きても謝すべし」である。

4歳で父、8歳で母を亡くした松若丸(後の親鸞)は「やがて死ぬのになぜ生きるのか」という疑問の答えを仏教に求め、わずか9歳で出家し比叡山(天台宗)に入る。出家の得度式にあたって、「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」という無常の歌を詠んだ話は有名だが、映画でもしっかりと取り上げていた。この歌の意味は、「今美しく咲いている桜を、明日も見ることができるだろうと安心していると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない」ということで、自分も明日どうなるかわからないから式をすぐにやってほしいという趣旨である。

10年の仏道修行を経て19歳になった親鸞は修行に行き詰まり、聖徳太子廟を訪れ、夢のお告げを受けたが、廟からの帰り道に、関白・九条兼実の娘である玉日姫に出会う。修行にもかかわらず煩悩を消し去ることができず、比叡山では女人禁制だが、玉日姫のことを忘れられず、20年に及ぶ修行に絶望して比叡山を下りる。京都の町で法然上人に出会った親鸞は、「煩悩あるがままで救われる」という彼の教えによって苦悩の解決の道を知ることになる。当時僧侶は、「肉食妻帯」は認められていなかったが、彼は、法然上人の勧めに従い、それを打ち破り、肉も食べ、結婚もしたのである。

親鸞の教えが映画のそこかしこに散りばめられていたという印象である。人生は荒波の絶えぬ海に例え、難度の海で、そこに浮かんでいる丸太や板切れは、お金や財産、地位、名誉、仕事、家族、健康、趣味、生きがい等で人間はそれらを頼りに生きているともいえるが、いずれも「続かない幸せ」であり、いつひっくり返るかわからない代物である。丸太や板切れは海に浮かんでいるから、風や波に悩まされたり、運よく、それに乗ったり、掴まったりしても、くるくる回転して失ったり、裏切られたり、海水を飲んで苦しんだり、溺れかかったり、溺死したりする人もすごい数にのぼる。空と水しか見えない海で、押し寄せる苦しみの波に翻弄されながら、丸太や板切れ求めて、必死に泳いでいるのが我々である。そんな幸せではなく、「絶対の幸福」を求める必要があると親鸞は教えている。

また、親鸞の三大諍論という法然門下の380余人の法友の間での3つの論争の内、「体失・不体失往生の諍論」エピソードが紹介されていた。「行不退」か「信不退」かで論争したが、「念仏を唱えていれば往生できるという「行不退」説を本土の法友が取ったが、信心の方が重要だという「信不退」を主張したのは、法然、親鸞含め4人だけであった。他にも大悲の願船とか後生の一大事とか親鸞の教えがふんだんに出てくるので、ワクワクする思いであった。

杉良太郎が親鸞の老年期の声で声優に初挑戦していたが、それなりに説得力があった。親鸞の教えのアニメ映画化としては、「なぜ生きる 蓮如上人と吉崎炎上」「歎異抄をひらく」に続くシリーズ第3弾となるが、全てを見たことになる。また、映画のエンディングソングとして「ハナノカオリ」という曲が流れていたが、メロディも歌声も素晴らしく、心安らかになるエンディングとしてはピタリであった。歌手は、朝川ひろこさんという人で、癒しのBGM音楽となっているようである。人生を真剣に考えたい人にはお勧めしたい映画である。人生観が変わるかも。。。


映画の公式サイト: https://shinran-life-movie.jp/

エンディングソング「ハナノカオリ」: https://www.youtube.com/watch?v=dyyG8udEZUI











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「九十歳。何がめでたい」の映画を見てきた

2024年07月26日 05時56分54秒 | 映画

7月25日、草笛光子主演の話題作「九十歳。何がめでたい」の映画を品川で見てきた。原作は、作家の佐藤愛子が2016年に発刊した「九十歳。何がめでたい」で、2016年5月まで1年に渡って『女性セブン』に連載された大人気エッセイに加筆修正を加えたものという。原作を読んでいないので、原作と映画の違いは承知していないが、まさに本人にまつわる出来事が面白おかしく描かれている印象であった。映画の最後に原作者の写真が紹介されていたが、実生活でも彼女はそんなお茶目な面白い女性であったようである。

「長い作家生活の集大成として『晩鐘』を書き上げた後、断筆宣言をした90歳の作家・佐藤愛子(草笛光子)は、新聞やテレビをぼうっと眺める鬱々とした日々を過ごしていた。同じ家の2階に暮らす娘や孫には、愛子の孤独な気持ちは伝わらない。同じ頃、大手出版社に勤める中年編集者・吉川真也(唐沢寿明)は、昭和気質なコミュニケーションがパワハラ、セクハラだと問題となり、謹慎処分に、妻や娘にも愛想を尽かされ、仕事にプライベートに悶々とする日々。そんなある日、吉川の所属する編集部では愛子の連載エッセイ企画が持ち上がり、吉川が愛子を口説き落として、晴れて担当編集に!このふたりの出会いが、新たな人生を切り開く――?!」

というストーリーが展開されていくが、コメディタッチで見てて飽きない。

佐藤愛子さんの長寿振りもすごいが、彼女を演じた草笛光子さんも90歳になるものの、見た目も本当に若々しいし、ピタリの役柄であった。草笛さんは、はるか昔1958年頃、毎週日曜、18時半から日本テレビの音楽バラエティ「光子の窓」の司会をやっていて、毎週必ず見ていたので、昔から親しみがある。その後を継いだのがあの「シャボン玉ホリデー」だったような気がする。90歳になった今でも女優として活躍されている姿を見ると元気がもらえる気がする。90歳になっても、前向きに好きなことをやって、元気に過ごしたい。たまには、こんな笑いと共感の痛快エンターテイメントも息抜きにいいものである。




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ウィーン舞台の「男はつらいよ」第41作

2024年02月04日 08時25分54秒 | 映画

 

毎週土曜は、BSテレ東の「男はつらいよ」を見ることが多い。何となく土曜の夜は寅さんというイメージでチャンネルを合わせてしまう。2月3日は、唯一の海外ロケとなった41作目の「寅次郎心の旅路」をやっていて、舞台は、オーストリアのウィーンでマドンナは竹下景子さんである。このウィーンロケは、当時のウィーン市長が機内で寅さんの映画を見て気に入り、強くロケを招致して実現したものという。ウィーンロケは、1988~89年頃(公開は1989年8月)だと思うが、当時はドイツのフランクフルトに駐在していて、このロケの話は、ウィーンに駐在していた同僚からよく聞いていた。

作品を見るのは2回目であるが、ウィーンの街の雰囲気や懐かしいドイツ語での会話が満載で懐かしい思い出が甦ってきた。寅さんとウィーンとでは、どうみても合致しないイメージがあるが、ドナウ川を江戸川に見立てるあたりの落差が妙に面白くあまり違和感はなかった。マドンナは観光ガイドをやっている設定だったので、ウィーンの観光地もたっぷり紹介されていた。「第三の男」のプラターや「会議は踊る」のイメージやウィーンの森、ドナウ川、モーツァルトと旅行気分を味わうことができた。オーストリアは、ドイツ語圏で親しみがあるし、音楽の都ウィーンには4回ほど旅行したことがあり、ザルツブルクも大好きである。この海外ロケは、KLMオランダ航空の協賛のようで、飛行機やアムステルダムの露出もあった。

「男はつらいよ」シリーズは、海外に住む日本人にとっては、日本を象徴するシーンが満載で、フランクフルトでの日本の映画会でも一番人気があった。特に、日本を離れ海外に住む日本人にとっては、寅さん映画は日本の原点というか日本人の心のふるさとであり、何回みても心が休まる不思議な映画である。海外ロケは、フランクフルト駐在中も何回か経験したが、俳優達とも交流できるので、楽しみでもあった。1988年の日本テレビのドラマ「春の砂漠」ロケでは、名取裕子、檀ふみ、国生さゆりさんという女優達と1週間もお付き合いしたことがあり、今となっては、懐かしい思い出となっている。

 

 

 

 

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WBC世界一の侍ジャパンの映画化

2023年03月24日 08時23分08秒 | 映画

侍ジャパンがWBC決勝で大リーグのスター選手から成るアメリカに勝利し、世界一になって、日本中が歓喜に溢れているが、この感動的なシーンを後世に残すことが強く望まれる。呪われた東京オリンピックの映画よりはるかに感動を呼び、日本国民がもろ手を挙げて歓迎するはずである。

今回のWBCでは、実際のゲームも、ヌートバーの超美技やペッパーミル、大谷のバンド、村上のさよなら二塁打、岡本のホームラン、若手投手の躍動、大谷の投打による活躍等感動的なシーンに満ち溢れており、特に最後の大谷対トラウトとの勝負は圧巻であった。それもフルカウントまで行き、絶頂の感動シーンであった。今回は、プレイシーンだけでなく、佐々木のお見舞い挨拶、ダルビッシュの日本チームへの献身、源田の骨折、大谷のチェコチームの帽子で米国入りとか感動的な話題に事欠かない。

侍ジャパンの結成から優勝までの軌跡はすべて映像が残っているはずなので、我々の感動を映像として後世に残すためにも、誰かが音頭をとって、映画化を検討してほしい。オリンピック映画よりはるかに素晴らしい感動的なドキュメンタリー映画ができるはずである。早期の映画化を期待している。

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「史上最高の映画100」に「東京物語」が4位を獲得

2022年12月05日 05時57分33秒 | 映画

「史上最高の映画100」とは、映画評論家や研究者など映画に携わる人々の投票で選ばれた「史上最高の映画100」を英国映画協会が10年おきに発表するという企画である。2022年版では、1952年の開始以来初めて女性映画監督の作品が1位に輝いたが、日本からは小津安二郎監督の「東京物語」が見事4位を獲得した旨のニュースが流れた。

イギリス国内の映画産業を促進するために1933年に設立された英国映画協会は、映画産業で働く人への支援や映画賞の創設など様々な活動を行っているが、中でも1952年から始まり10年ごとに発表される「史上最高の映画100」の選出は映画ファンの間では大きな話題となっているという。

今年は1639人の映画評論家や映画関係者が投票。1位に輝いたのは、ベルギー出身の女性映画監督シャンタル・アケルマンの「ジャンヌ・ディエルマンブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」で、2位には前回の2012年に1位だったアルフレッド・ヒッチコック監督の作品「めまい」が、4位には小津安二郎監督の作品「東京物語」が選ばれたということである。

「東京物語」は、1953年に公開された作品で、東京で暮らす子どもたちを訪ねた尾道に住む老夫婦の姿を通し、戦後日本における家族の絆、親と子、老いと死、人間の一生を冷徹な視線で描いた不朽の名作である。この映画は尾道を舞台としており、尾道という街の映像が出てくるが、尾道に旅行した時に、そのことを知って感動したものである。尾道といえば、2年前に亡くなった大林宣彦監督の「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」という尾道三部作をはじめ映画の舞台として有名であるが、「東京物語」はその元祖のような存在である。

尾道には2014年8月に旅行したが、映画の舞台となるほど大変素敵な街で、いっぺんで好きになった。千光寺山頂からの尾道の街並みと尾道水道の眺望は感動的であった。映画のロケ地も整備され、映画資料館もあるが、林芙美子や志賀直哉など文学ゆかりの地でもある。「東京物語」と聞いて、尾道を思い出し、8年前の尾道旅行の思い出がよみがえった。

「東京物語」予告編映像:  https://youtu.be/LjDWc-lQYnM


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「ドライブ・マイ・カー」が米アカデミー賞にノミネート

2022年02月12日 07時57分34秒 | 映画

 

濱口竜介監督、西島秀俊主演映画「ドライブ・マイ・カー」が米アカデミー嘗の作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞にノミネートされたというニュースが流れた。この作品の原作は、村上春樹さんで、昨年は、カンヌ国際映画祭で脚本賞はじめ4冠を受賞したが、今回 アカデミー嘗にもノミネートされたということで楽しみである。

この映画の主役を務める西島秀俊さんは、同じ高校の後輩であり、出世頭の一人である。卒業生の有名人には、作家の赤川次郎さん、エッセイストの嵐山光三郎さん、俳優の宍戸開さん、作曲家の羽田健太郎さん、さだまさしの「償い」引用で被告を諭したことで話題になった裁判官の山室恵さんや「小さな日記」でヒットしたフォーセインツのメンバーであった石尾豊さん(故人)等がいる。赤川さんと山室さん石尾さんは、自分と同学年である。あまり有名な高校ではないが、世の中で活躍している卒業生を見ると嬉しくなる。アカデミー賞でも何らかの嘗を取ってほしいものである。俳優に道に進んだ西島さんの今後の活躍を願っている。

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セーラー服と機関銃

2021年12月31日 10時03分23秒 | 映画

 

年末の特番の一つとして、BS放送で、「セーラー服と機関銃」(1981年)の映画が放映され、ちゃんと見た記憶がなかったため、つい最後まで見てしまった。やくざものでタイトルが衝撃的で印象深いが、映画、主題歌、原作の作家及び主演女優が自分と妙にかかわりあっている。

原作は、赤川次郎氏で高校の同級生でもあり、自分の高校の卒業生としては一番の有名人かも知れない。他には、俳優の西島秀俊やエッセイストの嵐山光三郎や「小さな日記」の歌で有名なフォーセインツのメンバーであった石尾豊(故人)等もいる。石尾氏とは同じクラスだったので、よく知っていたが、赤川氏とは、残念ながら個人的な面識はなかった。

映画の主役は薬師丸ひろ子で、我が家から5分ほどのところにある高校の卒業生である。有名校でもないが、家を買った当時から、近くの高校に彼女が通っていたので、マスコミでも話題になっていた。映画自体より、薬師丸ひろ子が歌った主題歌の方が親しみがあり、当時からお気に入りの曲であった。同曲は、「夢の途中」というタイトルで、作曲した来生たかおが歌っているが、ともに気に入ってよく聴いている。

薬師丸ひろ子は、その後も映画やテレビで活躍しているが、2013年のNHK朝ドラの「あまちゃん」への出演は記憶に新しい。その彼女もそろそろ還暦を迎える年になろうとしているというから時の流れを感じる。歌手としても、いろいろ歌っているが、一番好きな曲は「あなたを・もっと・知りたくて」という曲で、彼女のイメージとピタリである。今も、「Just My Type Image Girls」の一曲となっている。

 

「セーラー服と機関銃」: https://youtu.be/wBviqI1RGSA

「あなたを・もっと・知りたくて」: https://youtu.be/9qoQXFxW0XY

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サウンド・オブ・ミュージックのトラップ大佐役のクリストファー・プラマー氏が亡くなる

2021年02月06日 19時05分58秒 | 映画

ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ大佐役で一躍有名となったクリストファー・プラマー氏が2月5日、アメリカの自宅で91歳で亡くなったというニュースが流れていた。まだ、健在だったとは知らなかったが、このミュージカルは、何回も映画やDVDで見たし、ザルツブルクの映画ロケ地を訪ねる旅に2回も行くほど大好きな映画だったので、大佐の印象も強く大変残念な思いである。主役のジュリー・アンドリュースは、まだ健在で、85歳というが、映画自体は、1965年の作品というから、時代の流れを感じざるを得ない。

サウンド・オブ・ミュージックは、実話に基づく物語であるが、大変よくできた映画で、何回見ても飽きることはない。映画の中で歌われた楽曲も、英語の勉強に最適と思われるほどわかりやすい歌詞で、印象に残る素晴らしい曲ばかりである。ドレミの歌はじめ、16 going on 17とかMy Favorite Things とか I Have Confidence in Me とあげたらきりがない。トラップ大佐が歌う「エーデルワイス」の甘い歌声も印象的であった。

個人的に一番好きな映画の主役が亡くなり、ショックも大きいが、映画のシーンや歌われた楽曲は、永遠に自分の心の中に思い出として残り続けるものと思う。ご冥福をお祈りする。

エーデルワイス:  https://youtu.be/lJG3Vw8uIro


サウンド・オブ・ミュージックのロケ地を訪ねる旅(2017年): https://youtu.be/BtbDhockb_Y


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「男はつらいよ」41作はウィーンが舞台 

2021年01月17日 10時29分34秒 | 映画

毎週土曜は、BSテレ東の「男はつらいよ」シリーズを楽しみにしているが、1月16日は、41作目でウィーンを舞台とした「寅次郎心の旅路」を放映していた。シリーズものでは、初の海外ロケだと思うが、公開は1989年で、当時はドイツのフランクフルトに駐在していて、このウィーンロケの話は、ウィーンに駐在していた同僚から聞いてよく知っていた。

作品を見るのは初めてであったが、ウィーンの街の様子や雰囲気が満載で懐かしい思いが甦ってきた。寅さんとウィーンとでは、どうみても合致しないイメージがあるが、あまり違和感はなかった。このウィーンロケは、当時のウィーン市長が機内で寅さんの映画を見て気に入り、強くロケを招致して実現したものという。マドンナは竹下景子さんで観光ガイドをやっている設定だったので、ウィーンの観光地もたっぷり紹介された気がする。「第三の男」のプラターや「会議は踊る」のイメージやウィーンの森、ドナウ川、モーツァルトと日本人にとってお馴染みのシーンが満載であった。

オーストリアは、ドイツ語圏で親しみがあるし、音楽の都ウィーンには4回ほど旅行したことがある。ザルツブルクも大好きだし、オーストリアはお気に入りの国の一つである。この海外ロケは、KLMオランダ航空の協賛を得たようで、飛行機やアムステルダムの露出もあった。海外ロケは、フランクフルト駐在中も何回か経験したが、女優達とも交流できるので、楽しみでもあった。日本テレビのドラマ「春の砂漠」では、名取裕子、檀ふみ、国生さゆりさん達と1988年に1週間もロケのお付き合いをしたこともある。今となっては、懐かしい思い出となっている。

寅さんシリーズも海外ロケはこの時だけだと思うので、貴重な映像である。海外に住む日本人にとって、寅さんシリーズは、日本の原点というか日本人の心のふるさととして人気が高い。何回見ても心が休まる不思議な映画である。


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「男はつらいよ」は日本人のふるさと

2020年06月29日 08時35分35秒 | 映画

久し振りに、土曜の夜に全作品を放映しているBSテレ東で「男はつらいよ」を見た。27日は、第13作「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」(昭和49年作品)で、マドンナは吉永小百合であった。寅さんは、どの作品を見ても、笑って、泣けて、楽しめるものばかりで、マドンナとの淡い関係に親近感、安心感を覚える。余談だが、映画の中で吉永小百合がミニスカートをはいているのにちょっとドキッとした。当時流行っていたのかと懐かしくなった。

約35年前、ドイツのフランクフルトに駐在していた頃、文化活動の一環として、現地の日本人を対象に、日本映画会を主催していたことがある。年2回ほどやっていたが、日曜日に現地の映画館を借り切って、日本映画を2本立で上映するのである。入場料は無料で、毎回200人位の日本人が見に来てくれていたと思う。ベルリンまで行ってベルリン在住の日本人向けに上映したこともある。

フィルムは、東京から送ってもらい、リストから選ぶことになるが、1本は必ず「男はつらいよ」シリーズ、もう1本は、「ドラえもん」等のアニメ映画であった。子供も多いので、アニメ映画も人気があったが、やはり、海外在住の日本人にとって、寅さん映画は、大変人気があり、日本人、日本文化の原点となっている。ドイツ人と結婚し海外生活が長い日本人にとっても、寅さん映画は、日本での元生活を思い出し、元気をくれる源になっている印象であった。日本中を旅している寅さんなので、ロケ地は日本全国で、映画に出てくる日本の原風景は懐かしいものばかりで、一層、日本が恋しくなるようである。

渥美清さんが亡くなってもう24年も経つ。映画に出てくる俳優さんも亡くなっている人が少なくない。時代の流れを感じるが、いつになっても寅さんの「男はつらいよ」は、我々の心のふるさとである。

男はつらいよ:  https://youtu.be/qjd-4rrX1K8
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