当時、学園紛争はあったものの、団塊の世代の就職時期に当たり、求人の人数も大幅に増えたような気がする。それでも、倍率は厳しかったが、第一志望で、何とか当時の学生就職希望ランキング第一位の会社に滑り込むことができたのは幸いであった。倍率は、20倍位であったと記憶する。
会社は決まったものの、学園紛争のあおりで3月に卒業できず、3か月遅れの7月1日入社となった。総合職の同期は250人位いたと思うが、東大を中心に7月入社組は30人以上いた。入社教育の最終日に配属先の発表があったが、北から順番に発表された。最初に呼ばれたのは自分一人で、勤務地は千歳。皆行きたくなかったようで、大きな拍手が沸いた。それまで北海道には行ったこともなく、全く馴染みがなかったので、正直なところショックは隠しきれなかった。地図を見ても地名が小さく表示されているだけなので思わす訊いてしまった、家具など身の回り品は向こうでも売っているのかと。 冗談で先輩から、赴任する時は、トンカチを持っていけと言われた。それは、冬に外で用を足すとそのまますぐに凍り付いてしまうので、トンカチで氷を叩く必要があるからと。。。。 実際、そこまで寒くはなかったが、寒さに弱い自分にとっては、試練の社会人生活のスタートであった。
入社即、寮生活が始まり、花の独身生活がスタートすることになった。札幌・千歳地区は、夏はゴルフ、冬はスキー天国なので、両方をやる人にとって、転勤先希望人気NO.1であったようである。しかし、両方ともやらない自分にとっては何のメリットもなかったが、独身寮にテニスコートがあったこともあって、生まれて初めてテニスをすることになった。幸い、海上保安庁にテニスの大変上手な人がいて、基礎から習うことができた。当時、その人からテニスを習った仲間が何人かいて、その一人とは今でもお付き合いが続いている。職場は違うが、テニス仲間の私的結婚式のために、わざわざ函館まで行ったこともあった。会社でテニスをやる人もいたが、なぜか多くは職場の違う人達と仲良くテニスを楽しんでいた。懐かしの天地真理の「恋する夏の日」(あなたを待つのテニスコート。。。)の世界である。支笏湖、定山渓、室蘭等でテニスの合宿もやっていた。全国ベースの社内のテニス大会(クラス別団体戦)で、札幌を代表して、優勝や第3位の経験もした。一度旭川で行われた道内の社会人テニス大会(B級)では第3位になったこともあった。まさにテニスは青春時代の楽しい思い出となっているが、今でも週1回楽しんでいる。男子寮の他に、歩いて15分位のところに女子寮もあって、若き独身の男女が入り乱れて生活していた4年間は、まさに花の独身生活だったといえる。
写真は、テニスの合宿(1972年 小樽 皆白いウェアで時代を感じますね)
恋する夏の日 (天地真理) https://www.youtube.com/watch?v=F1SX2IqG3Xs