高齢者専門の精神科医として活躍している和田秀樹氏が2022年9月に出版した「70代からの元気力」を図書館で借りて読み始めたが、自分にとってこれからの人生を生きていく上での手引書として、ピタリの内容が盛り込まれていたので、本自体を急遽購入することにして、しっかり読んでみた。サブタイトルは、「これからの25年」は楽しく生きる本!とあり、楽しく生きるヒントが盛りだくさんであった。プロローグで、「70代を楽しく生きれば、80代はもっと楽しくなる!」この人生観が「70代の人生」を充実させるという。とても読みやすい本で、項目ごとに具体的ノウハウが満載でヒントになる人生訓が述べられている。人生100年時代と考えれば、70代なんてまだまだ若い方とはいえ、「自分の人生も、あと何年?」と不安になることも多々あるので、大変参考になる。70代をはつらつと充実させたいものである。項目を列挙するだけで、どんな内容の本かよくわかると思うので、下に項目を列挙してみる。(項目は一部略)
1 65歳を過ぎたら,絶対「知っておきたいこと」
・日本人の「心理年齢」、20歳も若返っている。
・いまの「70歳」は、昔で言えば「50歳」
・70代の重要性に気づくと、元気が出る
・「団塊の世代が元気」になれば「日本も元気に」になる
・「若く見える人」ほど年齢を気にしないー70代の格差
・「70歳になる」とは「自由になる」ということ
・「何ごとも遊び半分」が、脳を老化させないコツ
・「胸を張って、無責任に生きる」は、70代の特権
・「外に出て町を歩く」だけでも必ず若返ります
2 「元気ある70代」は「元気ある食事」から作られる
・百寿者(100歳以上の人)ほど「肉」を食べている
・「健康数値が悪い人」のほうが、じつは長生き?
・「血圧を下げる」より「血管を強く太くする」のがいい
・70代の脳細胞は「若さ=肉」を求めています
・会社員の「食のバランス」が意外にいいワケー外食の効能
・肉を食べないから、体が動かなくなるのです
・「元気のある人」は当然、「元気のある食材」を食べています
3 70代から「脳の老化を防ぐ+遅らせる」食生活
略
4 80代が楽しみになる!70代からの「新しい習慣」
・「脳」も「感情」も使わないから老化するのです
・「食事を楽しむ」習慣が、前頭葉を刺激します
・70代の外食-家庭では摂れない栄養素を摂る知恵
・「孤独のグルメ」は、70代の体にも心にもいい
・前頭葉を刺激する「地元ランチ」のすすめ
・大好物を食べる「幸福感」を習慣にする効果
・65歳からの「見た目格差」は「タンパク質の差」
・65歳過ぎたら「むやみに健康になろうとしない」
・70歳過ぎたら「肉食男子・肉食女子になる」
5 人生は、70代からが「本当に面白くなる」
・「心が疲れているときに、体を休ませる」のは、逆効果
・70代の脳には「自然のリズム」が気持ちいい
・「70代からのゴルフ」という健康法
・「成果ゼロも楽しめる」のが、70代の楽しさ
・「動物と共に生きるセカンドライフ」の効能
・人生は「思い通りにいかない」から、面白くなる
6 70代から始めよう和田式「心と体」健康のコツ
・健康数値が悪くても「心が元気」なら、問題なし!
・「歳のことを考えない」のも、心の健康法
・「老い」はこっちが忘れてしまえば、追いかけてこない
・元気いい妻、元気ない夫―70代の「男女差」のなぜ?
・「歩数計を買って、ぶらぶらする」人生も、意外にいい
・幸せな70代は「早起き」から始まります
等々。
精神科医・和田秀樹さんの「60歳からはやりたい放題〔実践編〕」の本が図書館の予約で順番が回ってきた。和田先生の本は、高齢者にとってはバイブルのような存在で、自分自身、何冊も読ませてもらっている。この本の内容は、タイトルからもわかるように、60歳からはやりたい放題やるべしという実践の薦めである。発行は、2023年9月ということで、まだ1年も経っていないが、高齢化社会が進んでいる現在、定年はもはや60歳から65歳に引き上げられ、年金も含め、さらに70歳までは引き上げられそうな状況にある。65歳まで働くのが当然というような現在の社会環境では「60歳からはやりたい放題」とはいかない感が強いような気もする。
本の概略は、下記の目次を見るだけで、大体わかる。
【目次】
第1章 我慢しない食事こそ、健康の源
第2章 医者や健康診断に騙されるな
第3章 若作りで老化を食い止めよう
第4章 好きな趣味に没頭して前頭葉を刺激すべき
第5章 やりたい仕事を気楽に楽しむ
第6章 お金を使いまくって幸せに
第7章 他人を気にせず自分の人生を生きる!
各章ごとに、「コツ」が書かれていて、全部で60のコツが示されている。
例えば、
・毎日、一食は「肉」を食べましょう(コツ6)
・健康診断の数値を気にする必要はない(コツ12)
・若作りは老化のスピードを和らげる(コツ25)
・趣味や遊びで認知症を遠ざける(コツ31)
・60代以降は“自分のため“に働く(コツ41)
・子供に遺産を遺す必要はない(コツ51)~これは”DIE WITH ZERO”(ビル・パーキンス著)と相通じる
・夫婦だからとといつも一緒にいる必要はない(コツ53)
といった具合である。
自分の場合は、ラッキーにも、60歳の定年を機に自由人となり、「やりたい放題」とまではいかないまでも、ほぼそれに近い好きなことを実践して現在に至っている。この本の発行は、2023年だが、自分の場合は、2008年時点ですでにそれを実践に移していたので、先見の明があったともいえる。60歳からやりたい放題として実践してきたことを振り返り10項目を列挙してみると、
1 60歳にして、初めて海外語学留学・海外ロングステイを経験
豪のブリスベンで1ヵ月の寮生活と英語の勉強、カナダのビクトリアで5カ月の夫婦でのコンド生活と大学での英語の勉強とゴルフ・テニス・旅行三昧)
2 60歳以降だけで、海外旅行43カ国を訪問(生涯では102ヵ国)
60歳以降の海外旅行回数は35回、国際便搭乗回数は約150回。ヨーロッパは、69歳で53カ国すべてを制覇
3 60歳から英語のボランティア観光ガイドの実施
4 56歳から自分自身のホームページ(HP)を作成(継続中)
5 64歳からブログを作成(継続中)
6 67歳でHP上に「デジタル自分史」(自分史年表・趣味による自分史・我が家の十大ニュース)をほぼ完成
7 60歳から地元卓球クラブで卓球、地元テニスクラブでテニス三昧
8 旅行アルバムや音楽アルバムのYouTube作成の継続(300件以上)
9 鉄道の一番切符(ゆりかもめ、モノレール、りんかい線等)及び新規参入航空会社の初便搭乗(11社)の継続
10 退職金を元手にデイトレードで小遣い稼ぎ(継続中)
本日、○○歳の誕生日を迎えた。昔であれば、とっくに旅立っている年だが、あちこちガタがきているものの、何とか健康寿命を全うしていることは、感謝する次第である。2023年の日本人の平均寿命は、男性が81.5歳で世界第2位、女性が86.9歳で世界第1位となっているが、「健康上の問題で日常生活が制約されることなくできる」という健康寿命は、2019年時点で、男性は72.68歳、女性は75.38歳にとどまっている。要するに長生きしても最後の10年あまりは、寝たきりとか看護してもらっての生活となるので、健康寿命を前提に物事を進めるべきであろう。幸いにも健康寿命はクリアできたので、後はまさに余生ともいえる。その意味で、定年と年金支給年齢が、原則として60歳から65歳に引き上げられているが、それをさらに70歳まで引き上げようとする動きがあることは大変残念である。そうなれば、男性の場合、元気で好きなことがやれる期間は、平均で2年半しかないことになり、可哀そうなかぎりである。自分の場合は、定年以降、十数年間で海外旅行、43ヵ国を訪問する等好き勝手なことができてきたということは、大変恵まれていたと感謝する次第である。
また、誕生日に思い出す曲がさだまさしの「Birthday」である。「幸せをありがとう ぬくもり届きました なによりあなたが元気でよかった 宝物をありがとう 思い出届きました 生まれてきてよかった 誕生祝いをありがとう 忘れずにいてくれてありがとう 古い時計が時を刻むように 緩やかに年老いてゆけたらいいなどと この頃思うようになりました 誕生祝いをありがとう。。。」の世界である。
また、我が家のトイレには書道家、相田みつをさんの日めくりカレンダーが架かっているが、6日は、自分が一番好きな言葉である「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」である。誕生日を迎えるたびに、この言葉が頭をよぎる。また、3月という桜の季節であることから、竹内まりやの「人生の扉」という歌が口ずさんで出てくる。歌詞にあるのが、「春がまた来るたびひとつ年を重ね目に映る景色も少しずつ変わるよ。。。信じられない速さで時が過ぎ去ると知ってしまったら どんな小さなことも覚えていたいと心が言ったよ。。。満開の桜や色づく山の紅葉をこの先いったい何度見ることになるだろう ひとつひとつ人生の扉を開けては感じるその重さ ひとりひとり愛する人たちのために生きてゆきたいよ。。。」の世界である。
今年の誕生日は、これからの人生を暗示してかあいにく天候に恵まれず、予定していたテニスも中止となり、やむなくイオンに行って、ラウンジで寛ぎ、格安な花束を購入。夜は、自分の希望で大井町のしゃぶしゃぶ店でバースデーディナーの予定である。「人生の扉」ではないが、あと何回誕生日を迎えられるかわからない無常の世界である。ダ・カーポではないが、「今日がいちばん若い日」なので、「もう私たち昨日には戻れない。。。だから今日を精いっぱい 生きてゆきましょう」の世界でゆきたい。また、竹内まりやの「旅のつづき」(『最高の人生の見つけ方』主題歌)ではないが、「。。。たとえ残された時間が限りあるものと知っても最後の最後一秒までも私たち楽しむわ。。。Enjoy Your Life!」の世界でゆきたい。
Birthday(さだまさし): https://www.youtube.com/watch?v=9UFHWH9xkQg
人生の扉(竹内まりや): https://www.youtube.com/watch?v=xED7a0pfjkY
今日がいちばん若い日(ダ・カーポ):https://www.youtube.com/watch?v=DhDzu1a16Hk
旅のつづき(竹内まりや):https://www.youtube.com/watch?v=CGxUsboDKzc
この年になると先輩だけでなく、同僚や後輩の訃報に接する機会も増えている。谷村新司さんや八代亜紀さん等著名人の訃報もショックだが、親戚だけでなく、身の回りの友人や知人の訃報もショックである。現役時代の会社のOB会から月に1回、会報がメールで送られてくるが、OBメンバーの訃報も掲載されていて、それで知ることも多い。80代、90代の先輩なら仕方ない感もあるが、60代、70代のメンバーも少なくない。訃報を知るのは、ほとんど事後で家族葬も多いので、何もできないのが実態であるが、特にお世話になったり、親しくしていた人の場合は、事後に、贈答用お線香を贈ることにしている。
つい先日も、1985~1990年頃ヨーロッパに勤務していた仲間で構成する欧友会の幹事メンバーで後輩の一人の訃報に接した。葬儀は行われたが、所用で参列できなかったので、お線香を贈ろうと思ったが、案内を見たら、教会での葬儀であることがわかり、お線香は不適切であることが判明した。ネットで調べていたら、「お悔やみカード」なるものがあることがわかり、近所の文房具ショップで探してみたが、どこにも置いてなかった。「お悔みカード」を販売していたのは、京都にあるジェイハンズという和雑貨のお店のようで、ネットショップの便利さを痛感した次第である。購入したカード上には、ユリの花の絵とともに、「With Sympathy お悔やみ申し上げます」と厳かに文字が印刷されており、探しているピタリのものであった。奥様宛にお悔やみの文章を添え、40年前の懐かしい思い出の写真をプリントして同封することにした。 自分で撮った昔の写真はすべてデジタル化しているので、画質はあまりよくないが、すべていつでもプリントできるようになっている。
It’s a small world!というとディズニーの有名なアトラクションと可愛い歌のメロディーが浮かんでくるが、この言葉は、「偶然が重なったとき」とか「偶然の一致」とか「世間は狭い」とか「奇遇」とか「不思議な縁」とかの意味合いで使われる。英語では、coincidenceと言葉も同じ意味合いだと思われるが、つい昨日、身の回りにも発生して驚いた。来週、伊東温泉にある区の保養施設に泊まって2泊3日のゴルフ旅行を計画していて、そのことを妻がたまたま体操教室でいっしょの友人に話したところ、彼女の双子の妹夫妻が同じ保養所に全く同じ日に2泊3日の予定で宿泊予定であることがわかった。その妹夫妻というのは、同じマンションの同じ階に住む親しくしている友人である。同じ日に同じ2泊で同じ保養所に宿泊とはまさに偶然の一致で驚いた。その保養施設への宿泊は初めてなので、なおさらである。事前に知らなければ、現地でバッタリ会ってビックリするところであった。
このような「偶然の一致」とか「世間は狭い」とかを今までに何回も経験している。いくつか取り上げて見ると、
・妻が長男出産時、同じ病室にいた2人とその後もおつきあいしている。 しかも、3人の子供の名前は偶然にも「ゆうき」「ゆう」「ゆき」。当然誕生日もいっしょ。
・1983年6月に中国に遠征し、中国民航(当時)との友好卓球大会で知り合った女性(当時の国際航空局長兼社長の秘書)がその年11月のインターライン卓球大会に通訳で東京に来たり、その後、たまたま東京勤務になり、長い間親しくおつきあいをさせてもらった。彼女はすでに他界してしまったが、不思議な縁であった。
・1993年に今住んでいるマンションを購入したが、前のオーナー夫妻と今でもおつきあいがある。契約当時、彼らはすでにカナダのビクトリアに移住しており、契約のためにわざわざ来日。カナダのどこかに住んでいることは知っていたが、連絡先等は不明であった。その後、ビクトリア旅行中にひょっとしてと思い、電話帳で調べたら偶然にも彼らの名前を見つけ、おつきあいがスタート。その後、定年後の語学留学先が彼らと関係なく結果的にビクトリアとなり、留学中もいろいろお世話になった。
・1983年にルフトハンザの卓球チームの来日に伴い、親善試合を行なった。彼らのベースはフランクフルトで、その2年後、偶然にも自分がフランクフルトに転勤になった。チームリーダーは住まいも近く、誘われて同じクラブチームで4年間いっしょに卓球をすることになった。お互いにリタイアしているが、いまでも行ったり来たりのおつきあいをしている。
・フランクフルト在勤中、同じマンションに住んでいたユーゴスラビア(当時)人と親しくつきあっていたが、帰国後、彼らの母国が内戦に巻き込まれ、消息不明となった。その後、行方が気になり、たまたま、フルネームでGoogle検索をしたところ、ザグレブからインドへの経済使節団の名簿にその名前があることがわかり、駄目もとでその組織にメールを送ったところ、しばらくして本人から、It's me. というメールが届き、交流が再開。その後、2007年に18年振りにザグレブで彼らと再開、旧交を温めた。上の男の子(当時8歳位)はウィーンで働いていたが、偶然にもザグレブの後、ウィーン滞在の予定であったので、再会を果たした。
・1993年にサンフランシスコに出張中、宿泊ホテルのロビーでフランクフルト時代に仕事上お付き合いが深かった近畿日本ツーリストの当時の所長とバッタリ出会った。役員の付き添いで来ているとのことで、同じホテルで同じ日の同じ時間に居合わせるとはまさに偶然であった。
・2012年にクアラルンプールからモルディブに向かう飛行機の乗るため、空港のセキュリティ検査場に並んでいたところ、偶然にも現役時代に仕事を通じて知っていたマレーシア人のドクターが前に並んでいた。彼は、国際オリンピック委員会のドーピング関係の役員をやっていて、会議でジュネーブに向うところであった。彼は、マレーシア人の唯一の知り合いで、それも同じ日の同じ時間に同じ空港の同じ検査場に居合わせたとは、まさに偶然であった。
・2018年にモンゴルのウランバートルに旅行した時、たまたま入った日本食レストランで、見覚えのある人がいたので、声をかけたところ、もと日本のモンゴル大使だった人で、東京でチベット人の紹介で一緒に食事をしたことがあった人であった。彼は知っている唯一のモンゴル人で、しかも同じ日の同じ時間に同じレストランで再会するとはまさに偶然であった。
早いもので、今年も、また年賀状を用意する時期が来た。毎年数を減らしてきており、二人合わせて80枚前後程度なので、印刷は、自分のパソコンで行っている。図柄を考えるセンスはないので、毎年、図柄は「干支と切り絵」とし、切り絵の中に干支の動物が描かれているものを利用している。画像はネットで入手できるので、安易かも知れないがそれを編集するだけである。
自分のプリンタで印刷することになるが、思った以上に綺麗に印刷できる。それに、印刷代がかからないので、安上がりである。宛先も「筆王」というソフトにすべて登録されているので、好きな字体で印刷するだけである。しかし、年賀状を出す時は必ず手書きで一言を添えるようにしているので、手書き用のスペースを確保したデザインとなっている。すべて印刷されたものだけの年賀状も届くがあまり感じがいいものではない。
もう年なので、年賀状からも卒業したいと考えているが、今は完全廃止には踏み切れず、徐々に数を減らすようにしている。相手が亡くなり徐々に減ってきているのも寂しいかぎりである。こちらが出した年賀状に返信もない人とか返信で来るような人には、次回は出さないようにしているが、会社の先輩から届く年賀状に対し、こちらから止めるというのも気が引ける。年賀状だけで繋がっている人もいるが、近況確認にもなるので、あえて止めなくてもいいかとの思いもある。負担にならないうちは続けてもいいが、どこかの節目できっぱり卒業することも必要となりそうである。