浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

ドイツ時代の仲間の訃報にショック

2024年11月15日 22時26分30秒 | 人生

1985年から1989年まで、ドイツ(当時西ドイツ)のフランクフルトに駐在していたが、当時、ドイツではフランクフルトがメインベースで他にデュッセルドルフ、ハンブルグ、ミュンヘン及びベルリンに支店・営業所があり、日本から派遣された営業関係のスタッフが駐在していた。当時、ハンブルグに駐在していた仲間とは年賀状のやりとりをしていたが、その喪中のハガキが届いたものである。

年は上だが、1年後輩なので、少し早すぎる旅立ちである。デュッセルドルフの仲間も今から10年以上も前に旅立っており、寂しい限りである。定年の少し前から地方の大学の教授に転身していたが、17年前に会っただけだったので、近々再会も計画していただけに残念である。現役時代の知り合いの訃報はかなり経ってから知ることがほとんどで、年賀状のやりとりをしている場合は喪中のハガキで初めて知ることも多い。

当時、ヨーロッパ各地で日本人向けセールスの担当者が集まる販売業務友の会なるものがあり、ロンドンにある欧州地区支配人室が音頭をとって、年1回各地で情報交換を兼ねて会議が行われていた。ロンドン、パリ、フランクフルト、ハンブルク、デュッセルドルフ、ミュンヘン、アムステルダム、コペンハ-ゲン、ブリュッセル、モスクワ、ローマ、ミラノ、チューリッヒ、ジュネーブ、ウィーン、アテネ、マドリッドに駐在する日本人の販売業務担当者から構成されていた。考えてみれば、あれからもう約35年も経っているので、すこしずつ仲間が欠けてきている。ハンブルグ、デュッセルドルフの他に、この1~2年でロンドン(2人)、チューリッヒ、ウィーン、アテネの仲間が旅立ってしまった。皆、ほぼ同年代なので、ショックは隠せない。

当時の販売担当者は仲間意識も強く、帰国後も当時のメンバーが情報交換を兼ねて、名称も「欧友会」として、年1回飲み会を開催するようになった。コロナで一時中止されていたが、昨年4年振りに開催され、今年も11月末に集まる予定である。だんだん参加人数が減っているのが残念であるが、可能な限り、生存確認を兼ねて参加したいと思っている。

今振り返ってみると、ドイツに4年半駐在できたことは自分にとってはかけがえのない貴重な経験の連続で会社人生の中で最も充実していた時期でもあった。子供は可愛い盛りで、仕事も遊びも旅行も充実していた。ヨーロッパの歴史や文化の魅力を肌で感じ、ドイツを中心にヨーロッパの魅力の虜になっていた。そんなこともあって、ヨーロッパは、53カ国(国と地域)の全てに足を踏み入れることになった。今戦渦にあるウクライナや皆があまり行かないベラルーシ、モルドバ、アルバニア、コソボのような国々も全てである。時代の流れでこのような飲み会も減る運命にあるが、生きる活力となる懐かしい思い出とヨーロッパ談義に花を咲かせ、くつろぎのひと時を過ごしたいと思う。
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自分史アルバムの更新

2024年06月25日 06時58分35秒 | 人生

終活の一環として、YouTubeにより自分史アルバムを作成しているが、前回作成してから4年も経つので、この4年間の出来事を加えるべく更新を試みた。もともとMovie MakerというWindows 7に付属していた動画編集ソフトを利用して作成したものであるが、Windows10では、標準装備されず、更新にあたって、ソフトが使えなくなった。ソフト復活に向け、悪戦苦闘の上、何とか継続して使うことができたが、当初作成に使った写真等がうまく移行できなかった。

前回の作成は、2020年3月で写真も350枚位使ったが、すべて消失しているため、それをすべて作り直す元気はなく、やむを得ず、残っていた動画のスライドショー(MP4)を活用し、それに新しい写真を追加するという方法をとった。初めは無理かなと諦めていたが、なんとか動画に写真をうまく追加することに成功した。

自分史は約350枚の写真のスライドショーで約25分で構成されている。自分のホームページ上にYouTubeとしてアップしているので、一般公開こそしていないが、家族や友達、誰でもパソコンやスマホでアルバムを見ることができる。自分史ではいくつかの時代カテゴリーに分け、ふさわしいサウンドトラックを付けているが、使用した楽曲は下記の通り。

「青春の影」チューリップ  誕生~小中高大時代
「恋の町札幌」石原裕次郎  千歳勤務時代  
「翼をください」徳永英明  羽田・東京勤務時代      
「ローレライ」  ドイツ勤務時代 
「I Will Be There With You」Katherine Mcphee 名古屋・羽田・有楽町勤務時代  
「栄光の架け橋」ゆず  競技連盟勤務時代  *アテネオリンピックのNHKテーマソング
「ブルー・シャトウ」  ブルー・コメッツ  定年前・カナダ遊学時代 *ブルーシャトウはカナディアンロッキーのルイーズ湖が舞台
「80日間世界一周」 ビクター・ヤング  帰国後~2020年
「人生の扉」竹内まりや  2020年~現在 

たった25分というのあっと言う間の人生であるが、1枚1枚の写真に思い出があり、音楽を聴きながら当時の写真を見ると感慨深いものがある。多くの人が古いアルバムの中に写真が残っていると思うが、この際、断捨離がてらアルバムは処分し、すべての写真をデジタル化して、終活の一環として自分史アルバムを作ってはどうですか?自分が利用したのは、「節目写真館」というデジタル化サービスで、値段もリーズナブルで画質もよく、アルバムのページ全体を画像として残すことも可能なのでお薦めである。

節目写真館での紹介(お客様の声として): https://fushime.com/blog/review/7080/

人生の扉(竹内まりや): https://www.youtube.com/watch?v=Qt8y0KsngAc
 


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人生に役立つ30の言葉~哲学者が伝えたい

2024年05月12日 21時21分55秒 | 人生

異色の哲学者である小川仁志氏の本を何冊か図書館で予約していたが、「前向きに、あきらめる」に次いで、「哲学者が伝えたい人生に役立つ30の言葉」という本が借りることができた。2017年11月に発刊された本だが、どんな言葉がピックアップされているのか興味があって、読み始めてみた。

人生に役立つ30の言葉として、

第一章 おだやかに生きるために
「恥じる」「粋に振る舞う」「みやびやかにする」「曖昧にする」「受け入れる」「発散する」「小さくする」
第二章 「このままの自分でいいのか」と不安になったときに
「なる」「従う」「信じる」「待つ」「癒やす」「簡素化する」
第三章 人間関係がうまくいかないときに
「間をとる」「結ぶ」「型をつくる」「一体化する」「感じる」「頼る」「筋を通す」
第四章 自分の感情や悪い習慣をおさえられないときに
「無になる」「清める」「一心不乱になる」「秘する」「恐れる」
第五章 思い描く将来を実現したいときに
「唱える」「うつろう」「凝る」「繰り返す」「覚悟する」
がピックアップされており、それぞれ解説が加えられている。

例えば、「恥じる」とは、日本人の真摯さの源泉で、周囲に配慮して、自制する気持ちを持ち、真摯に取り組むことでいい結果を生むとしている。「粋に振る舞う」とは、執着せず、前向きに生きていくための流儀として、過去の物事に執着するのは野暮。さっと身を引くことで前向きに生きていけるという。「曖昧にする」とは、争いを避けるための日本人の美徳。あえて「イエス「ノー」をはっきりさせないことで、無用な争いを避けることができるという。どれも日本人なら誰でも使っている身近な言葉。その裏には、実は日本人ならではの哲学や思想が隠れているという。

また、「間をとる」の解説では、欧米人は挨拶をするとき、ハグや握手で相手と接触し、距離を縮める。一方、日本人は相手と適度な距離を取って、お辞儀をする。これは、物理的にも時間的にも相手から適切な「間をとる」ことで、人間関係の息苦しさから解放されるという、日本人特有の考え方に起因しているという。また、適度な「間」をとることは、近すぎると見えない「物事の本質」を見極めることにもつながる。このように、私たちが日々の生活の中で何気なく使っている言葉には、日本人が大切にしてきた哲学や思想が詰まっているという。もうこの年なると人生に役立つかどうかわからないが、本書により哲学者が伝えたいという言葉をかみしめてみたい。


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「70代からの元気力」は生きるヒント

2024年05月10日 11時04分32秒 | 人生

 

高齢者専門の精神科医として活躍している和田秀樹氏が2022年9月に出版した「70代からの元気力」を図書館で借りて読み始めたが、自分にとってこれからの人生を生きていく上での手引書として、ピタリの内容が盛り込まれていたので、本自体を急遽購入することにして、しっかり読んでみた。サブタイトルは、「これからの25年」は楽しく生きる本!とあり、楽しく生きるヒントが盛りだくさんであった。プロローグで、「70代を楽しく生きれば、80代はもっと楽しくなる!」この人生観が「70代の人生」を充実させるという。とても読みやすい本で、項目ごとに具体的ノウハウが満載でヒントになる人生訓が述べられている。人生100年時代と考えれば、70代なんてまだまだ若い方とはいえ、「自分の人生も、あと何年?」と不安になることも多々あるので、大変参考になる。70代をはつらつと充実させたいものである。項目を列挙するだけで、どんな内容の本かよくわかると思うので、下に項目を列挙してみる。(項目は一部略)

1 65歳を過ぎたら,絶対「知っておきたいこと」

・日本人の「心理年齢」、20歳も若返っている。

・いまの「70歳」は、昔で言えば「50歳」

・70代の重要性に気づくと、元気が出る

・「団塊の世代が元気」になれば「日本も元気に」になる

・「若く見える人」ほど年齢を気にしないー70代の格差

・「70歳になる」とは「自由になる」ということ

・「何ごとも遊び半分」が、脳を老化させないコツ

・「胸を張って、無責任に生きる」は、70代の特権

・「外に出て町を歩く」だけでも必ず若返ります

2 「元気ある70代」は「元気ある食事」から作られる

  ・百寿者(100歳以上の人)ほど「肉」を食べている

  ・「健康数値が悪い人」のほうが、じつは長生き?

  ・「血圧を下げる」より「血管を強く太くする」のがいい

 ・70代の脳細胞は「若さ=肉」を求めています

 ・会社員の「食のバランス」が意外にいいワケー外食の効能

 ・肉を食べないから、体が動かなくなるのです

 ・「元気のある人」は当然、「元気のある食材」を食べています

3 70代から「脳の老化を防ぐ+遅らせる」食生活

  略

4 80代が楽しみになる!70代からの「新しい習慣」

 ・「脳」も「感情」も使わないから老化するのです

 ・「食事を楽しむ」習慣が、前頭葉を刺激します

 ・70代の外食-家庭では摂れない栄養素を摂る知恵

 ・「孤独のグルメ」は、70代の体にも心にもいい

 ・前頭葉を刺激する「地元ランチ」のすすめ

 ・大好物を食べる「幸福感」を習慣にする効果

 ・65歳からの「見た目格差」は「タンパク質の差」

 ・65歳過ぎたら「むやみに健康になろうとしない」

 ・70歳過ぎたら「肉食男子・肉食女子になる」

5 人生は、70代からが「本当に面白くなる」

 ・「心が疲れているときに、体を休ませる」のは、逆効果

 ・70代の脳には「自然のリズム」が気持ちいい

 ・「70代からのゴルフ」という健康法

 ・「成果ゼロも楽しめる」のが、70代の楽しさ

 ・「動物と共に生きるセカンドライフ」の効能

 ・人生は「思い通りにいかない」から、面白くなる

6 70代から始めよう和田式「心と体」健康のコツ

 ・健康数値が悪くても「心が元気」なら、問題なし!

 ・「歳のことを考えない」のも、心の健康法

 ・「老い」はこっちが忘れてしまえば、追いかけてこない

 ・元気いい妻、元気ない夫―70代の「男女差」のなぜ?

 ・「歩数計を買って、ぶらぶらする」人生も、意外にいい

 ・幸せな70代は「早起き」から始まります

等々。

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「前向きにあきらめる」~一歩踏み出すための哲学

2024年05月03日 05時18分22秒 | 人生

28日の文化放送「日曜はがんばらない」にゲストとして、異色の哲学者である小川仁志氏が出演して、いろいろな面白い話を聴くことができた。現在、山口大学の国際総合科学部教授で、伊藤忠商事・名古屋市役所勤務後、フリーターを経る等異色の経歴を持つ哲学者で100冊以上もの本を書いているようである。番組では、「哲学者が伝えたい人生に役立つ30の言葉」(2017年)や「前向きにあきらめる」(2023年)や最近発行された「当たり前」を疑う100の方法(2024年)等の本の内容一部も紹介してくれた。聴いていてユニークな発想の持ち主であることがわかり大変好感を覚えた。哲学的アプローチで物事を解決するという発想が素晴らしいと感じた。

小川氏は沢山の本を書いているが、いくつかを図書館で予約してみたら、「前向きにあきらめる」の本をまず借りることができた。本のタイトルに惹かれたが、それですぐ思い出したことは、高校時代の英語のリーディングに出て来た”from a philosophical point of view”という表現である。単に「哲学的見地から」と訳していたら、どういうことを指すのか意味不明であるが、教科書の解説では、「哲学的あきらめの見地から」と訳されていたことを鮮明に覚えている。哲学の勉強をしたこともないが、その時から、「哲学的見地」ということは「あきらめの見地」と同じことと理解していた。まさに「前向きにあきらめる」というタイトルを見て、直感的に哲学への理解が間違っていなかったと妙に納得した。哲学的発想は、人生に欠かせない発想であることもわかった。

本の紹介文では、

『人生が思い通りにならない時、人はどうあきらめ、それでも前に進んでいくのか。異色の経歴を持つ哲学者がおくる、困難な時代を歩き続けるための処方箋! コロナ禍で多くの人がさまざまなことをあきらめざるを得なくなった。しかし、あきらめることは決して悪いことではない。商社マン、フリーター、公務員を経て哲学者になった著者が、自らの経験や哲学の知見をもとに、あきらめる意味や活かし方を紹介。』とあった。

本の目次を記してみると、

第1章 あきらめる (人生は途方に暮れるもの/あきらめるのはいつがいいか…)
第2章 ためらう (立ち止まるところから始まる/人生は選べることに意味がある…)
第3章 捨てる (捨てることと拾うことの関係/捨てることで残るもの…)
第4章 降りる (いつかは降りなければならない/人生を半分だけ降りる…)
第5章 開き直る (開き直りはかっこいい?/開き直りは運命に抗う手段…)
終章 邂逅 (開き直りの先に待っているもの/偶然とは何か/自分自身との和解…)
とある。「あきらめる」「ためらう」「捨てる」「降りる」「開き直る」はまさに人生を生きていく上での、キーワードになると思われる。

普段、「哲学とは何か」など考えたこともないが、ネットで調べて見たら、

『哲学とは、人生や世界、宇宙の本質を論理的な思考や原理によって解明しようとする学問である。 学問の分野にはさまざまなものがあるが、哲学は個々の垣根を超えて広く関心を向け、「生きるとはどういうことか」、「人はどう生きるべきなのか」、「人の幸せとは何か」といった問いへの答えとなるべき真理を目指す営みともいえる。』とあった。

何となく哲学も宗教も同じように人生にアプローチしているように思えたので、哲学と宗教の違いをネットで調べてみたら、

『哲学は、人間の理性に基づいて真理を求めていく。 一方で、宗教、特に仏教は人間の理性を頼りにならないものとして、絶対の真理(これをキリスト教やイスラム教では唯一神によって表し、仏教では仏によって表す)を直接感じ取っていくことを特徴としており、それを信仰や信心と呼んでいる。』とあった。

小川氏の書籍は、哲学的というかユニークな視点からのものが多く興味深いので、図書館で借りられるものをもっと読んでみたい。自分自身、年を重ねることによって、あきらめることも多くなっているが、 是非「前向きに、あきらめる」精神で行きたいと思う。



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60歳からはやりたい放題〔実践編〕

2024年04月18日 06時36分16秒 | 人生

 

精神科医・和田秀樹さんの「60歳からはやりたい放題〔実践編〕」の本が図書館の予約で順番が回ってきた。和田先生の本は、高齢者にとってはバイブルのような存在で、自分自身、何冊も読ませてもらっている。この本の内容は、タイトルからもわかるように、60歳からはやりたい放題やるべしという実践の薦めである。発行は、2023年9月ということで、まだ1年も経っていないが、高齢化社会が進んでいる現在、定年はもはや60歳から65歳に引き上げられ、年金も含め、さらに70歳までは引き上げられそうな状況にある。65歳まで働くのが当然というような現在の社会環境では「60歳からはやりたい放題」とはいかない感が強いような気もする。

 

本の概略は、下記の目次を見るだけで、大体わかる。

【目次】

第1章 我慢しない食事こそ、健康の源

第2章 医者や健康診断に騙されるな

第3章 若作りで老化を食い止めよう

第4章 好きな趣味に没頭して前頭葉を刺激すべき

第5章 やりたい仕事を気楽に楽しむ

第6章 お金を使いまくって幸せに

第7章 他人を気にせず自分の人生を生きる!

 

各章ごとに、「コツ」が書かれていて、全部で60のコツが示されている。

例えば、

・毎日、一食は「肉」を食べましょう(コツ6)

・健康診断の数値を気にする必要はない(コツ12)

・若作りは老化のスピードを和らげる(コツ25)

・趣味や遊びで認知症を遠ざける(コツ31)

・60代以降は“自分のため“に働く(コツ41)

・子供に遺産を遺す必要はない(コツ51)~これは”DIE WITH ZERO”(ビル・パーキンス著)と相通じる

・夫婦だからとといつも一緒にいる必要はない(コツ53)

といった具合である。


自分の場合は、ラッキーにも、60歳の定年を機に自由人となり、「やりたい放題」とまではいかないまでも、ほぼそれに近い好きなことを実践して現在に至っている。この本の発行は、2023年だが、自分の場合は、2008年時点ですでにそれを実践に移していたので、先見の明があったともいえる。60歳からやりたい放題として実践してきたことを振り返り10項目を列挙してみると、

1 60歳にして、初めて海外語学留学・海外ロングステイを経験

  豪のブリスベンで1ヵ月の寮生活と英語の勉強、カナダのビクトリアで5カ月の夫婦でのコンド生活と大学での英語の勉強とゴルフ・テニス・旅行三昧)

2 60歳以降だけで、海外旅行43カ国を訪問(生涯では102ヵ国)

  60歳以降の海外旅行回数は35回、国際便搭乗回数は約150回。ヨーロッパは、69歳で53カ国すべてを制覇

3 60歳から英語のボランティア観光ガイドの実施

4 56歳から自分自身のホームページ(HP)を作成(継続中)

5 64歳からブログを作成(継続中)

6 67歳でHP上に「デジタル自分史」(自分史年表・趣味による自分史・我が家の十大ニュース)をほぼ完成

7 60歳から地元卓球クラブで卓球、地元テニスクラブでテニス三昧

8 旅行アルバムや音楽アルバムのYouTube作成の継続(300件以上)

9 鉄道の一番切符(ゆりかもめ、モノレール、りんかい線等)及び新規参入航空会社の初便搭乗(11社)の継続

10 退職金を元手にデイトレードで小遣い稼ぎ(継続中)

 

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Birthday ~今日がいちばん若い日~

2024年03月06日 08時35分16秒 | 人生

 

本日、○○歳の誕生日を迎えた。昔であれば、とっくに旅立っている年だが、あちこちガタがきているものの、何とか健康寿命を全うしていることは、感謝する次第である。2023年の日本人の平均寿命は、男性が81.5歳で世界第2位、女性が86.9歳で世界第1位となっているが、「健康上の問題で日常生活が制約されることなくできる」という健康寿命は、2019年時点で、男性は72.68歳、女性は75.38歳にとどまっている。要するに長生きしても最後の10年あまりは、寝たきりとか看護してもらっての生活となるので、健康寿命を前提に物事を進めるべきであろう。幸いにも健康寿命はクリアできたので、後はまさに余生ともいえる。その意味で、定年と年金支給年齢が、原則として60歳から65歳に引き上げられているが、それをさらに70歳まで引き上げようとする動きがあることは大変残念である。そうなれば、男性の場合、元気で好きなことがやれる期間は、平均で2年半しかないことになり、可哀そうなかぎりである。自分の場合は、定年以降、十数年間で海外旅行、43ヵ国を訪問する等好き勝手なことができてきたということは、大変恵まれていたと感謝する次第である。

また、誕生日に思い出す曲がさだまさしの「Birthday」である。「幸せをありがとう ぬくもり届きました なによりあなたが元気でよかった 宝物をありがとう 思い出届きました 生まれてきてよかった 誕生祝いをありがとう 忘れずにいてくれてありがとう 古い時計が時を刻むように 緩やかに年老いてゆけたらいいなどと この頃思うようになりました 誕生祝いをありがとう。。。」の世界である。

また、我が家のトイレには書道家、相田みつをさんの日めくりカレンダーが架かっているが、6日は、自分が一番好きな言葉である「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」である。誕生日を迎えるたびに、この言葉が頭をよぎる。また、3月という桜の季節であることから、竹内まりやの「人生の扉」という歌が口ずさんで出てくる。歌詞にあるのが、「春がまた来るたびひとつ年を重ね目に映る景色も少しずつ変わるよ。。。信じられない速さで時が過ぎ去ると知ってしまったら どんな小さなことも覚えていたいと心が言ったよ。。。満開の桜や色づく山の紅葉をこの先いったい何度見ることになるだろう ひとつひとつ人生の扉を開けては感じるその重さ ひとりひとり愛する人たちのために生きてゆきたいよ。。。」の世界である。

今年の誕生日は、これからの人生を暗示してかあいにく天候に恵まれず、予定していたテニスも中止となり、やむなくイオンに行って、ラウンジで寛ぎ、格安な花束を購入。夜は、自分の希望で大井町のしゃぶしゃぶ店でバースデーディナーの予定である。「人生の扉」ではないが、あと何回誕生日を迎えられるかわからない無常の世界である。ダ・カーポではないが、「今日がいちばん若い日」なので、「もう私たち昨日には戻れない。。。だから今日を精いっぱい 生きてゆきましょう」の世界でゆきたい。また、竹内まりやの「旅のつづき」(『最高の人生の見つけ方』主題歌)ではないが、「。。。たとえ残された時間が限りあるものと知っても最後の最後一秒までも私たち楽しむわ。。。Enjoy Your Life!」の世界でゆきたい。

 

Birthday(さだまさし): https://www.youtube.com/watch?v=9UFHWH9xkQg

人生の扉(竹内まりや): https://www.youtube.com/watch?v=xED7a0pfjkY

今日がいちばん若い日(ダ・カーポ):https://www.youtube.com/watch?v=DhDzu1a16Hk

旅のつづき(竹内まりや):https://www.youtube.com/watch?v=CGxUsboDKzc

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後輩の訃報に接して~お悔みカード

2024年02月19日 18時54分51秒 | 人生

 

この年になると先輩だけでなく、同僚や後輩の訃報に接する機会も増えている。谷村新司さんや八代亜紀さん等著名人の訃報もショックだが、親戚だけでなく、身の回りの友人や知人の訃報もショックである。現役時代の会社のOB会から月に1回、会報がメールで送られてくるが、OBメンバーの訃報も掲載されていて、それで知ることも多い。80代、90代の先輩なら仕方ない感もあるが、60代、70代のメンバーも少なくない。訃報を知るのは、ほとんど事後で家族葬も多いので、何もできないのが実態であるが、特にお世話になったり、親しくしていた人の場合は、事後に、贈答用お線香を贈ることにしている。

つい先日も、1985~1990年頃ヨーロッパに勤務していた仲間で構成する欧友会の幹事メンバーで後輩の一人の訃報に接した。葬儀は行われたが、所用で参列できなかったので、お線香を贈ろうと思ったが、案内を見たら、教会での葬儀であることがわかり、お線香は不適切であることが判明した。ネットで調べていたら、「お悔やみカード」なるものがあることがわかり、近所の文房具ショップで探してみたが、どこにも置いてなかった。「お悔みカード」を販売していたのは、京都にあるジェイハンズという和雑貨のお店のようで、ネットショップの便利さを痛感した次第である。購入したカード上には、ユリの花の絵とともに、「With Sympathy お悔やみ申し上げます」と厳かに文字が印刷されており、探しているピタリのものであった。奥様宛にお悔やみの文章を添え、40年前の懐かしい思い出の写真をプリントして同封することにした。 自分で撮った昔の写真はすべてデジタル化しているので、画質はあまりよくないが、すべていつでもプリントできるようになっている。

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It’s a small world!

2024年02月12日 12時05分14秒 | 人生

 

It’s a small world!というとディズニーの有名なアトラクションと可愛い歌のメロディーが浮かんでくるが、この言葉は、「偶然が重なったとき」とか「偶然の一致」とか「世間は狭い」とか「奇遇」とか「不思議な縁」とかの意味合いで使われる。英語では、coincidenceと言葉も同じ意味合いだと思われるが、つい昨日、身の回りにも発生して驚いた。来週、伊東温泉にある区の保養施設に泊まって2泊3日のゴルフ旅行を計画していて、そのことを妻がたまたま体操教室でいっしょの友人に話したところ、彼女の双子の妹夫妻が同じ保養所に全く同じ日に2泊3日の予定で宿泊予定であることがわかった。その妹夫妻というのは、同じマンションの同じ階に住む親しくしている友人である。同じ日に同じ2泊で同じ保養所に宿泊とはまさに偶然の一致で驚いた。その保養施設への宿泊は初めてなので、なおさらである。事前に知らなければ、現地でバッタリ会ってビックリするところであった。

このような「偶然の一致」とか「世間は狭い」とかを今までに何回も経験している。いくつか取り上げて見ると、

・妻が長男出産時、同じ病室にいた2人とその後もおつきあいしている。 しかも、3人の子供の名前は偶然にも「ゆうき」「ゆう」「ゆき」。当然誕生日もいっしょ。

・1983年6月に中国に遠征し、中国民航(当時)との友好卓球大会で知り合った女性(当時の国際航空局長兼社長の秘書)がその年11月のインターライン卓球大会に通訳で東京に来たり、その後、たまたま東京勤務になり、長い間親しくおつきあいをさせてもらった。彼女はすでに他界してしまったが、不思議な縁であった。

・1993年に今住んでいるマンションを購入したが、前のオーナー夫妻と今でもおつきあいがある。契約当時、彼らはすでにカナダのビクトリアに移住しており、契約のためにわざわざ来日。カナダのどこかに住んでいることは知っていたが、連絡先等は不明であった。その後、ビクトリア旅行中にひょっとしてと思い、電話帳で調べたら偶然にも彼らの名前を見つけ、おつきあいがスタート。その後、定年後の語学留学先が彼らと関係なく結果的にビクトリアとなり、留学中もいろいろお世話になった。

・1983年にルフトハンザの卓球チームの来日に伴い、親善試合を行なった。彼らのベースはフランクフルトで、その2年後、偶然にも自分がフランクフルトに転勤になった。チームリーダーは住まいも近く、誘われて同じクラブチームで4年間いっしょに卓球をすることになった。お互いにリタイアしているが、いまでも行ったり来たりのおつきあいをしている。

・フランクフルト在勤中、同じマンションに住んでいたユーゴスラビア(当時)人と親しくつきあっていたが、帰国後、彼らの母国が内戦に巻き込まれ、消息不明となった。その後、行方が気になり、たまたま、フルネームでGoogle検索をしたところ、ザグレブからインドへの経済使節団の名簿にその名前があることがわかり、駄目もとでその組織にメールを送ったところ、しばらくして本人から、It's me. というメールが届き、交流が再開。その後、2007年に18年振りにザグレブで彼らと再開、旧交を温めた。上の男の子(当時8歳位)はウィーンで働いていたが、偶然にもザグレブの後、ウィーン滞在の予定であったので、再会を果たした。

・1993年にサンフランシスコに出張中、宿泊ホテルのロビーでフランクフルト時代に仕事上お付き合いが深かった近畿日本ツーリストの当時の所長とバッタリ出会った。役員の付き添いで来ているとのことで、同じホテルで同じ日の同じ時間に居合わせるとはまさに偶然であった。

・2012年にクアラルンプールからモルディブに向かう飛行機の乗るため、空港のセキュリティ検査場に並んでいたところ、偶然にも現役時代に仕事を通じて知っていたマレーシア人のドクターが前に並んでいた。彼は、国際オリンピック委員会のドーピング関係の役員をやっていて、会議でジュネーブに向うところであった。彼は、マレーシア人の唯一の知り合いで、それも同じ日の同じ時間に同じ空港の同じ検査場に居合わせたとは、まさに偶然であった。

・2018年にモンゴルのウランバートルに旅行した時、たまたま入った日本食レストランで、見覚えのある人がいたので、声をかけたところ、もと日本のモンゴル大使だった人で、東京でチベット人の紹介で一緒に食事をしたことがあった人であった。彼は知っている唯一のモンゴル人で、しかも同じ日の同じ時間に同じレストランで再会するとはまさに偶然であった。

 

 

 

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年賀状の印刷

2023年12月07日 09時43分34秒 | 人生

 

早いもので、今年も、また年賀状を用意する時期が来た。毎年数を減らしてきており、二人合わせて80枚前後程度なので、印刷は、自分のパソコンで行っている。図柄を考えるセンスはないので、毎年、図柄は「干支と切り絵」とし、切り絵の中に干支の動物が描かれているものを利用している。画像はネットで入手できるので、安易かも知れないがそれを編集するだけである。

自分のプリンタで印刷することになるが、思った以上に綺麗に印刷できる。それに、印刷代がかからないので、安上がりである。宛先も「筆王」というソフトにすべて登録されているので、好きな字体で印刷するだけである。しかし、年賀状を出す時は必ず手書きで一言を添えるようにしているので、手書き用のスペースを確保したデザインとなっている。すべて印刷されたものだけの年賀状も届くがあまり感じがいいものではない。

もう年なので、年賀状からも卒業したいと考えているが、今は完全廃止には踏み切れず、徐々に数を減らすようにしている。相手が亡くなり徐々に減ってきているのも寂しいかぎりである。こちらが出した年賀状に返信もない人とか返信で来るような人には、次回は出さないようにしているが、会社の先輩から届く年賀状に対し、こちらから止めるというのも気が引ける。年賀状だけで繋がっている人もいるが、近況確認にもなるので、あえて止めなくてもいいかとの思いもある。負担にならないうちは続けてもいいが、どこかの節目できっぱり卒業することも必要となりそうである。

 

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