浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

二刀流高校生がアメリカでマイナー契約というニュースにビックリ

2025年01月18日 08時59分23秒 | スポーツ

高校生の森井翔太郎選手が、契約金150万ドル(約2億3300万円)でアメリカのアスレチックスとマイナー契約を結ぶというニュースが報じられていてビックリした。彼は、最速153キロの右腕で、高校通算45本塁打を誇る左の強打者という二刀流で、米9球団が争奪戦を繰り広げたという。日本野球機構、NPBの契約金の上限は1億円プラス出来高5000万円の計1億5000万円で、森井選手はドラフト1位選手の金額を上回ることになるというから驚きである。本人の強い希望で、日本のプロ野球には指名されても行かないと言っていたそうである。佐々木朗希選手もドジャースとマイナー契約を結んだし、大谷選手の後輩である佐々木麟太郎選手がアメリカの大学に進学する等若者の挑戦が目立つが、大変いいことである。逆に、それだけ日本のプロ野球が衰退しているともいえる。

驚いたのは、そんな逸材の高校球児が存在し、直接マイナーリーグに挑戦するということだけでなく、彼が自分の母校の生徒であったということである。高校名を見てあり得ないと自分の目を疑ったほどである。国立にある男子校で、スポーツとしては、当時、唯一、体操が有名で、自分と同学年には、オリンピックに出場した者もいたが、野球では、過去に甲子園に行ったこともないし、そんな逸材がいるとは夢にも思わなかった。もともと都下の進学校で、我々の時代でも東大に20名前後入っていて、全国でもベスト20以内に入っていたような気がするが、現状はあまりよく知らない。卒業生で一番有名なのが作家の赤川次郎氏であるが、他には、俳優の西島秀俊氏、エッセイストの嵐山光三郎氏、判決文にさだまさしの「償い」の歌詞を引用し有名となった元東京地裁裁判長の山室恵氏、「小さな日記」で有名になったフォーセインツのメンバ-であった石尾豊氏(故人)等がいる。赤川、山室、石尾氏は、同学年でもある。

森井選手がアメリカのマイナーリーグから巣立ち、大リーグで活躍できる選手になれるかどうか未知数であるが、同じ卒業生の一人として応援したいと思う。大谷選手レベルは到底無理だと思うが、是非とも二刀流に挑戦し、大リーグで活躍できる選手に育ってほしいものである。



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お正月の風物詩「箱根駅伝」

2025年01月03日 13時49分26秒 | スポーツ

1月2、3日は、日テレ系で長時間にわたって生中継される「箱根駅伝」がお正月の風物詩になっている。今回、101回目となるが、その歴史を振り返るコーナーで、現役時代に大変お世話になった上司(94才)が久しぶりに元気な様子で駅伝について語っていた映像を見て安心した。毎年、家の近くの国道が駅伝コースになっているので、沿道で観戦することが慣習となっている。今年は、中央大の選手がぶっちぎりであっという間に通り過ぎた。

観戦後は、イトーヨーカドーに行って、先着300名という巳年の干支小物プレゼントを列に並んでゲットした。毎年、無料でその年の干支にちなんだ小物のプレゼントをしてくれるので、ここ数年続けてもらっている。今年は、初めて整理券が配布され、開始35分くらい前で、予想以上の人出で長い行列ができていて117番目であった。3日には、干支のオリジナル根付がプレゼントされるということで、こちらも開始30分位前から列に並びゲットした。

3日の午後は、駅伝復路の最終区を走る選手の応援に再び沿道に出かけた。いろいろな縁で、早稲田を応援しているが、今年は意外と頑張って、往路は3位、総合でも4位となったので、まずまずであった。優勝は、予想通り、青学大が2年連続で、ほぼぶっちぎりでタイムも新記録であった。駅伝は、日本発祥のロードリレーで、個人競技と違って、タスキをつなぐ団体競技が日本的情緒にマッチし盛り上がるのである。テレビ視聴率も、マラソンは10%前後でも箱根駅伝は、30%前後というバケモノ番組である。お正月で何もすることなく、長時間にわたっても、何となくテレビを見てしまうのかも知れない。駅伝というのは、フラフラになる選手が出たり、何人抜きというスリルがあったり、タスキがちょっとの差で繋がらなかったり、タッチの差でシード落ちしたり、大逆転劇があったり、単なるスポーツといってもドラマがつきまとっているから人気があるといえる。今回も、東大生ランナーと大学院生ランナーが赤門リレーでタスキをつなげたり、65歳の大学院教授が給水を担当したり、思わぬ話題性もあった。我々凡人には、文武両道などあり得ないので、感心するのみである。

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世界野球プレミア12始まる

2024年11月13日 22時56分41秒 | スポーツ

第3回「世界野球プレミア12」が開幕し、11月13日に侍ジャパンが対オーストラリアとの初戦を迎え、テレビ中継もあった。結果は、日本が9対3で初戦に勝利した。世界野球は、一種独特の雰囲気があるが、二つの大会がある。

よく耳にする「WBC」は「World Baseball Classic」の略称で、 基本的に4年に1度春に開催され、前回大会出場国と予選を勝ち抜いた国の計20の国と地域が参加する野球世界一を決める大会である。 主催は「MLB(メジャーリーグベースボール機構)」で、MLBのグローバル化や野球の魅力を世界に広めることを目的としている。MLB主催のため、メジャーリーガーの参加率が高く、2023年に大谷選手の活躍等で日本が優勝したことは記憶に新しい。

一方、「プレミア12」の方は、2013年に設立されたWBSC(世界野球ソフトボール連盟)が主催し、4年に1度秋に行われ、WBSC世界ランキングによって出場国が決まり、上位12の国と地域が参加する大会である。「プレミア12」の目的として、「WBC」と同様に野球の魅力を世界に広めることに加えて、ソフトボールの普及、野球・ソフトボールのオリンピック競技への復帰があるという。秋開催ということもあり、メジャーリーガーの参加は少ないようである。

「プレミア12」は第1回が2015年に開催され、韓国が優勝し、日本は第3位、第2回は2019年に開催され、日本が優勝している。個人的にこのプレミア12に関心があるのは、2015年11月15日に、台湾の桃園野球場で行われた日本対ベネスエラ戦を生観戦したからである。テレサ・テンのお墓参りをメインとした台湾旅行中に、このプレミア12の試合が台湾で開催されることを知り、苦労して何とかチケットを入手し、観戦したものである。野球場は、台北から新幹線で桃園まで行き、そこからバス数十分という辺鄙なところにある上、ナイターなので足の確保が大変であった。不慣れな土地なので、下見に行ったほどである。チケットは最終的には、安い外野席を買う予定であったが、バスに乗車の際、現地に住む日本人が余ったという内野席のチケットを同額で売ってくれたので、かなりいい席で観戦することができた。

野球の生観戦は、東京では東京ドームで神宮で何回か経験しているが、外国では、台湾でのこの観戦と2008年4月にビクトリア留学中、シアトル・マリナーズのスタディアムでイチロー選手の試合観戦の2回しかない。世界大会での日本のレベルは大変高いので、今回も優勝が期待される。アメリカ、ドミニカ、韓国等の強敵も多いので、予断は許せないが、優勝めざして頑張ってほしいものである。


2015年プレミア12の試合及びテレサ・テンのお墓参りアルバム:

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現役時代にお世話になった役員の訃報が入る

2024年08月31日 07時55分31秒 | スポーツ

現役時代、約9年にわたり、陸上競技関係の仕事に携わっていたが、その間に大変お世話になった役員の訃報をフェイスブック上のメンバーからの情報で知った。91歳とのことであるが、当時は、大学の教授を務める傍ら、日本の陸上競技界の役員として活躍した方で、アジア関係の役員もされていたので、海外出張の機会も多く、通訳として、よく一緒に海外に同行させてもらっていた。アジアを中心として海外での大会や会議に参加する機会も多かった。無事9年間も過ごすことができたのも、彼のバックアップがあったからこそだと感謝している。

思い出に残る出張は、インド(ニューデリー、ムンバイ、ハイデラバード)、インドネシア(ジャカルタ)、スリランカ、フィリピン(マニラ)、中国(北京・貴陽)、ブルネイ等での大会や会議で、道中二人ということもよくあった。スリランカでは、世界遺産でもあるシギリヤロックに一緒に出掛けたことが印象に残っている。アジアの競技連盟の役員の中では、回りからも信頼されていたので、同行していても安心感があった。

自分自身、卒業してから16年も経つので、先輩たちが旅往くのもやむを得ないが、寂しいかぎりである。昔のアルバムから二人や何人かで撮った写真アルバムを見ながら、しんみりと当時を振り返った。告別式の日程がわかったので、出席したかったが、あいにく孫の母親がコロナに感染し、6歳と4歳の孫が突然我が家に転がり込んできたこともあって、外出ができなくなってしまった。ただ、上司と親しい昔の同僚と電話で話をする機会があり、その後の様子を伺うことができ、懐かしい思い出がよみがえってきた。ご冥福をお祈りします。

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甲子園高校野球観戦の思い出

2024年08月12日 05時22分32秒 | スポーツ

暑い夏とともに夏の全国高校野球選手権大会が甲子園で始まった。11日には、長男の母校の試合が行われ、第1回戦を勝ち抜いた。地方大会では、得点の取り合いを制して、9年ぶりに甲子園出場を勝ち取ったので、期待される。甲子園といえば、今から18年前の2006年8月の初めて甲子園で高校野球観戦したことを思い出す。甲子園での野球観戦経験はこの時だけなので、貴重な機会であった。

当時、母校から野球応援ツアーの案内があり、アルプススタンドでの応援観戦に参加することができた。一般席ではなく、アルプススタンドの応援は貴重な経験であった。学校が集めた観戦一行は、バスで出かけたようであるが、自分自身は、往復飛行機を利用し、準決勝を観戦し、決勝は、自宅に戻ってテレビ観戦となった。準決勝は2試合とも観戦したが、当時注目されていたのは、駒大苫小牧の田中将大投手と早稲田実業の斉藤佑樹投手であった。準決勝では、ともに勝ち進み、決勝では、引き分け再試合という死闘を繰り返したことは有名な話である。二人のその後の野球人生をみると複雑な思いもあるが、当時、深々お辞儀する斉藤佑樹の謙虚な姿が印象的であった。もうあれから18年も経つので、時の流れを感じるが、今年はどの高校が栄冠を勝ち取るのであろうか?


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北口榛花が女子やり投げで金メダルの快挙

2024年08月11日 20時05分00秒 | スポーツ

今回のパリ五輪で日本はメダルラッシュで中国、アメリカに次いで世界3位という素晴らしい結果を残して最終日を迎えている。金メダルも海外での大会では最高の18個(最終的には20個)という期待を超える数となった。日本が得意な柔道、体操、レスリング等での活躍ぶりはもちろん素晴らしいが、フェンシング、馬術、近代五種、スケボー、ボルダリング、高飛び込みなど目立たない競技や新種目ブレイキンでの活躍も目立った。

個人的に応援していた競技では、卓球の女子シングルスで銅、女子団体で銀メダルを獲得するという素晴らしい成績であったが、なんといっても陸上競技の女子やり投げで笑顔のビッグスローで北口榛花が金メダルを獲得するという快挙には感動した。トラック・フィールド女子競技での金メダルは日本史上初というからすごい。これで、今回、現役時代の会社所属の選手がフェンシングと女子やり投げで金メダルを獲得したので、大変嬉しい思いである。陸上競技については、自分が関わっていた頃から協賛スポンサーとして支援しており、微力ながらいまだでも続いていることに感謝している。


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陸上競技のトリビア

2024年08月08日 07時57分05秒 | スポーツ

8月7日、パリ五輪の女子やり投げ予選に北口榛花選手が登場し、ひとまず無事予選を通過した。陸上競技でのメダルの可能性は彼女くらいしかいないので、10日の決勝が楽しみである。テレビで陸上競技を見ていると現役時代の仕事がよみがえってくる。陸上競技には、走・投・跳・歩といろいろな種目があり、それぞれいろいろ競技規則が設けられている。専門用語もいろいろあり、英語での表現に苦労したものである。種目にしても、例えば、走幅跳はLong Jump、走高跳はHigh Jump、三段跳はTriple Jump 、棒高跳はPole Vault、3000m障害は 3000mSteeple Chase(SC)、砲丸投はShot Put 、円盤投はDiscus Throw、やり投はJavelin Throw等々。

また、テレビでは、初日に次いで、7日には混合競歩リレーという新種目のレースもライブで放送されていた。競歩には、二つの基本ルールがある。一つは、いずれかの足が常に地面から離れない(ロス・オブ・コンタクトにならない)ようにして歩くこと。二つ目は、前脚は、接地の瞬間から垂直の位置になるまで、まっすぐに伸びていなければならない(ベント・ニーにならない)ことである。競歩というと思い出すのが、昔テレビ番組にもあった「トリビア」である。陸上競技のトリビアとして、個人的に推しているのが、下記トリビアである。

(トリビア)

陸上競技の「競歩」という競技は、走ったら失格、歩いても失格。
ちなみに、「砲丸投」は、砲丸を投げたら失格。

(解説)

上で述べた二つのルールから、走るとロス・オブ・コンタクトに抵触し、普通に歩くと、膝が曲がってしまい、ベント・ニーに抵触するので、失格とみなされる。また、砲丸投は、ルールブックによれば、「砲丸はあごまたは首につけるか、あるいはまさに触れようとする状態に保持しなければならない。投射の動作中は、その手をこの状態より下におろしてはならない。また、砲丸を両肩を結ぶ線より後ろにもっていってもいけない。」とあり、野球のように腕を使って投げたら失格となる。ちなみに、砲丸投は、日本語では投の字を使っているが、throw したら失格なので、英語では、 Shot Throwではなく、Shot Put というわけである。

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パリ五輪の陸上競技がスタート

2024年08月03日 06時11分30秒 | スポーツ

8月1日からサン・ドニにある「スタッド・ド・フランス」で陸上競技が始まった。このスタジアムは、1998年FIFAワールドカップ・フランス大会の主会場として建設されたフランス最大の多目的スタジアムである。今回のパリ五輪は既存の施設を使う方針とのことで、陸上競技はこのスタジアムで行われている。収容人員は可動座席込みで8万人という大きなスタジアムで、サッカーやラグビーや陸上競技で使われているが、個人的には親しみ深い懐かしい思い出のスタジアムである。というのは、2003年の世界陸上パリ大会(世界陸上競技選手権大会)がこのスタジアムで開催され、スタッフとして大会期間中ずうっとスタジアムに詰めていたからである。もともとワールドカップの会場として設計されているので、スタジアム内に特別観覧室が多く設けられており、スポンサーに提供されたり、企業による接待用特別室として販売されていたのである。今はどうなっているかわからないが、特別室では招待したゲストに対し、フランス料理も日替わりで提供され、部屋の外に出ると特別観覧席で競技を観戦できるというものである。コックさんも配置されているので、ちょっとした小パーティも可能で、まさに招待客を接待するのに相応しい空間となっている。

2003年当時、日本として、特別室の一つを借り切ったこともあって、日替わりで、招待ゲストを決め、招待状を用意したり、招待客の接遇に立ち会ったり、大会期間中忙しい日々を過ごしていた。スポンサー企業はじめ世界陸連やアジア陸連の役員等を特別室に招待し、飲食を提供したり、特等席でゆっくり競技を観戦してもらったりしたものである。一般席がかなり混んでいたので、ゆったりとした雰囲気で競技が見られるとのことで、関係者から深く感謝されたものである。

陸上競技の場合、日本と世界のレベル差が大きく、メダルどころか入賞が目標となる。メダルが期待されるのは、女子やり投げの北口選手と男子4x100mリレー位である。ここ何回か競歩でもメダルを獲得していたが、今回は残念ながらメダルには届かなかった。陸上競技は、種目数も多く、五輪競技の1丁目1番地なので、日本選手は駄目でも世界のトップ選手の活躍に注目したいところである。


  特別室内---外に観客席が付いている



      観客席---中央は当時の世界陸連会長


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パリオリンピックが開催

2024年07月27日 20時52分00秒 | スポーツ

7月26日~8月11日までの予定で第33回オリンピック競技大会がフランスのパリで開催され、26日夜7時から(日本時間27日未明)開会式が行われた。無理して深夜にライブで見るのは体によくないので、ビデオ録画して、後で主要な部分を早送り観覧した。オリンピックをライブで見たことはないが、陸上競技の世界選手権は、1999年から2007年まで5回ほど開会式を含め、ライブでの観戦経験があるので、大体の様子は想像がつく。やはり開会式は一つの感動的なショーとして見応えがあり、テレビで見るのと生で見るのとでは雲泥の差がある。

今回の開会式は、スタディアムではなく、エッフェル塔やセーヌ川をメインに屋外で実施され、入場行進も船に乗って行われるという画期的な演出で、感動的であったが、雨に降られたことが可哀そうであった。さすがパリで、セーヌ川、エッフェル塔はじめ観光資源を活用し、3年前の東京大会をはるかに超える素晴らしい演出であった。ただ、マリーアントワネットのギロチン演出はちょっと問題かなと感じた。フランスと関係なさそうな陸上のカール・ルイスやテニスのセリーナ・ウイリアムズやナダル、体操のコマネチが船上の聖火リレーに加わっていたことにも若干違和感を覚えた。開会式にはレディー・ガガやセリーヌ・ディオンといった超有名なエンタテイナーも出演していたが、これもちょっと違和感があった。また、久しぶりにぼったくり男爵のバッハIOC会長の姿を見たが、不快な印象は変わっていなかった。

今回、ロシアとベラルーシの選手は、国としての参加は認められず、AINという「中立的な個人資格の選手」としての参加のみ認められるが、開会式などへの参加は認めないとしているようだが、当然である。国際社会から締め出されたプーチンの地団駄踏んだ孤立感に満ちた顔が目に浮かぶようである。また、今回、205の国と地域が参加しているとのことであるが、地域として、香港が参加していることには疑問がある。今や中国に完全返還されていて、自由も自治も全くないのだから、地域して認められるきではないと思う。認めるなら、中国政府に対し、香港の自治、自由を要求すべきである。

オリンピックを見るといつもどんな国や地域が参加しているかが気になる。行ったこともなく、よく知らない国も多いが、個人的に102ヵ国に行ったことがあるので、205ヵ国ということは、そのほぼ半分には行っている計算である。パリには、8回ほど行ったことがあり、街の状況はある程度わかるので、いろいろな観光スポットが紹介されるのが楽しみである。アフリカと南米はほとんど手付かずの状態なので当然馴染みはないが、行ったことがある国や地域が紹介されるとなんとなく嬉しい気持ちになる。大会では、個人的には、卓球や陸上競技を楽しみにしている。


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札幌五輪ジャンプ金メダリスト、笠谷幸生さんの訃報

2024年04月27日 06時28分52秒 | スポーツ

1972年札幌冬季五輪スキー・ジャンプ70メートル級(現ノーマルヒル)で日本人初の冬季五輪金メダリストとなった笠谷幸生さん(80)の訃報がニュースで流れた。笠谷さんが優勝し、金野昭次さんが2位、青地清二さん(ともに故人)が3位と続き、当時表彰台を独占し、「日の丸飛行隊」として日本中を沸かせたことはまだ記憶に新しい。とは言え、あれからもう52年も経っており、3人とも故人になっているとは、時の流れをひしと感じ、寂しいかぎりである。

70メートル級ジャンプの競技が行われた時は、まさに千歳空港で勤務中で、仕事をしながらもテレビ中継を食い入るように見ていたことをよく覚えている。金銀銅が決まった瞬間、皆で声をあげて喜んだことも記憶に残っている。当時、仕事においても、オリンピックに若干係わっていたので、世界各地からのチャーター便の乗り入れに立ち会ったり、選手村に足を運んだこともあった。日の丸飛行隊の他、ジャネット・リンのフィギュアスケートも当時話題となった。

札幌ではオリンピック前の1971年に全国4番目の地下鉄も走り、地下街も整備され、札幌は伸びゆく街という印象であった。オリンピックが一つの大きな起爆剤となったことは肌で感じていた。オリンピックのテーマ曲であったトワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」も鮮烈な印象があって、今でも聴くたびに当時を思い出す。歌詞もずばりそんな美しい町、札幌を表しており、石原裕次郎の「恋の町札幌」もそんな時代背景であった。日本にとっても、札幌にとっても古き良き時代であったことは間違いない。52年という年月は長いようでアッという間という感じもする。日本に元気を与えてくれた笠谷さんのご冥福を祈る次第である。



「虹と雪のバラード」(トワ・エ・モア):https://www.youtube.com/watch?v=ehRDn6grzEA(日の丸飛行隊の映像あり)



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