定年後に念願であった海外留学(遊学)を2008年に実現したが、記録を残す意味で、その体験記を2回に分けてここに記載したい。
1 留学の計画
定年まであと数年と迫っていた頃、定年後の目標を明確にする準備作業に入った。会社では、長年、英語を使う仕事に従事してきたが、いかに自分に英語能力がないことに嫌気がさしていた。それでも、何とか業務をこなし、大きなミスも起こさずにやってきたのは幸いであった。しかし、自分自身海外留学の経験もなかったので、この機会に留学して英語能力の向上をめざしたいと夢見るようになっていた。
こんな背景から、定年後すぐに海外に留学する計画を立て、資金計画、留学先の決定、下見等綿密な準備作業を進めることにした。計画がスタートしたのは、定年の約3年前で、いざ準備を始めると定年が待ち遠しい心境になっていった。従って、定年を迎えるという寂しさはかけらもなく、定年前の2-3-年は夢あふれる毎日を過ごしていた。
2 留学先の決定、準備
当初の計画は、留学先はオーストラリアのブリスベン、期間は1年ないし2年、夫婦でロングステイ生活し、学校は、NOVAのような街にある語学学校ではなく、ちゃんとしたキャンパスを持った大学ないし専門学校の線で、情報入手に取りかかり、下見にも行った。
いろいろ検討した結果、オーストラリアは、英語の発音に癖があること、当時皮膚がんの原因になる紫外線問題が発生していたこと、1年から2年となると資金的な負担が大きくなること等により、急遽、ブリスベンからカナダのビクトリアに留学先を変更し、期間も5ヶ月に短縮することにした。
ビクトリアについては、そこに知り合い(今のマンションを買った時の前のオーナーという不思議な縁)がいたこと、英国のイメージを持つ美しい花の都であること、都市の規模が手頃な大きさであること、何回が行って馴染みがあったこと等により、あまり迷うことなく決まった。それも大きなキャンパスを持つビクトリア大学が行っている3ヶ月の英語集中講座に参加することにして、残りの2ヶ月は、旅行、ゴルフ、テニス等の遊学にあてることにした。
<英語講座紹介ビデオ>
https://www.youtube.com/watch?v=xNvAcLu-mo8
ブリスベンについては、学校の下調べもかなりしていたので、定年前の長期休暇を利用して、シャフストン・カレッジという英語学校で、1ヶ月だけの短期留学を行った。寮が併設されている学校であったので、一人で自炊生活をすることにした。日本の食材も簡単に手に入ったので、外食はあまりせず、頑張って日本食の自炊を続けた。この学校は一週間単位で授業を受けることができ、学生は、韓国、日本、中国、タイ、ヨーロッパ、中南米からの学生が多かった。若い人が大半であったが、自分のようなシニア世代の人も少し混じっていた。たった1ヶ月ではあったが、若い連中といっしょに、楽しく英語を勉強させてもらい、予行演習として貴重な体験をすることができた。
ビクトリア大学は、約19000人の学生がいて、広いキャンパス内に、鹿、リス、うさぎ等も多数いて、自然の緑に囲まれた理想に近いイメージの大学であった。キャンパス内に学部ごとにいろいろな建物が点在するが、留学の英語講座を行う建物も専用に用意されていて、図書館やコンピュータ室やカフェテリア等もすべて他の学生と共通であった。
留学先が決まり、次に住まい探しが始まった。2DK程度の家具付きコンドミニアムをネット上でいろいろ探したが、家賃がリーズナブルで、通学にある程度便利なところで、しかも家具付きで、半年という短い期間のみ借りられるコンドミニアムは限られていた。
最終的には、ネットで探しあてたコンドミニアム(大学までバスで15分位、1LDK 65m2)に決めた。リビングには折り畳み式のベッドが置かれていて、ベッドが二つ確保でき、時にはゲスト用にもなるので、二人で生活するには全く問題はなかった。家具付きなので、テレビや冷蔵庫はもちろん、調理用具からお皿まで何でも揃っていたが、日本人の知人から、炊飯器とアイロンだけ貸してもらった。電話もインターネットも使い放題であった。コンドミニアムは、5ヶ月契約し、その後2週間は、カナダ内の長期旅行に出ることにした。
3 資金計画・総費用
資金計画としては、留学に備えて、毎月積み立て貯金をすることにした。留学の授業料、コンドミニアムの家賃、生活費、ゴルフや旅行等の娯楽費等、大体の経費の予測を立てるのはさして困難ではなく、資金計画は立てやすかった。当初は400万円位の予算を立てていたが、結果的には、二人分のカナダ往復の航空券、5ヶ月のコンドミニアムの家賃、二人の授業料、生活費、ゴルフ等の娯楽費、カナダ国内の旅行費用等全部で約450万円を使ったが、それによって得られたものを考えるとそれほど高い出費ではなかったともいえる。旅行費用と頻繁のゴルフ代を除くと、留学・ロングステイ費用だけでは、350万円以下であったと思われる。久し振りの大口の出費となったが、このタイミングで使ったのは大正解だったと考えている。3年にわたって、積み立て預金をやったので、退職金はほとんど手をつけなかった。参考までにかかった費用の概算は以下の通り。
(概略)
授業料 47万円(二人分)
家賃 94万円(5ヶ月分)
生活費 131万円
旅行費用 101万円(カナダ国内)
往復航空券 41万円
娯楽費その他 36万円
合計 450万円
4 クラスメート
3ヶ月プログラム参加の学生は、韓国、日本、中国、中近東、中南米等から150人位いたと思うが、希望により、一般的な英語の勉強をするクラスと大学受験資格も得られるアカデミックな勉強をするクラスに分けられた。入学にあたって、最初の日にクラス分けの試験を受けた。TOEICのような実践的な問題で苦労したが、結果的には、一般的な勉強を行う一番上のクラスに入った。クラスメートは、10人で、コロンビア1 ベネズエラ1 トルコ1 韓国4 日本3であったが、韓国の1人の男性が途中帰国してしまったので、実質は9人、内 8人が18歳から26歳までのうら若き女性で、男性は小生1人のみで、美女に囲まれ、まさにハーレム状態であった。
若い女性と机を並べるのは、楽しいし、刺激もいろいろ受けた。ある時、韓国の女性3人から3人のうち誰が一番タイプかとの質問を受けたことがあった。咄嗟ではあったが、恋人にするならAさん、妻にするならBさん、遊び相手ならCさんと答えたことがあった。こんなに恵まれた環境で留学できるなんて全く想像していなかったので、60歳にしてまさに桃源郷の世界を体験したともいえる。クラスメートの女性達とは、今でもコンタクトがある。
ベネズエラの女性は、母国でサルサダンスのコンテストで優勝したことがあり、ビクトリアでもサルサダンスを教えていたほどである。彼女は、前の講座からの継続で、その時のスピーキングパートナー(後述)と結婚直後で新婚であったが、その後カルガリーに転居し、2010年にカルガリーに旅行した際には彼女の家に遊びにも行った。
トルコからの女性は、声楽も勉強していて、今でもビクトリアに滞在している。また、韓国の3人の女性とは、2012年に友人の結婚式参加でソウルに行った時、再会を果たすことができた。皆いい娘なので、年寄りにも優しく接してくれるのが嬉しい限りである。
5 授業内容
授業内容は、皆すでにある程度の英語能力があるので、テキストに沿った勉強のようなものは少なく、例えば、ビクトリアの名所を英語で勉強し、他のクラスの生徒を前に現地に行って英語で観光ガイドをするとか、スーパーマーケットに行って店長の説明を聴いたり、裁判所に行って裁判を傍聴したりとかキャンパスの外に出て行う授業も少なくなかった。
リーディングでは、グループ毎に分かれ、それぞれ好きな小説を選び、毎週20ページほど家で読んでくる宿題があり、授業ではそれを読み合わせ、最後には、その小説のDVDを見せられ、内容について試験を受けた。自分のグループは、“The Painted Veil” (彩られし女性、2006年映画化)という小説を選んだが、難しい単語も多く、なかなか大変だった。英英辞典が大活躍していた。
リスニングでは、「フレンズ」等のシットコム(Situation Comedy)のDVDを使い、聴きとる練習をして、表現の勉強をしたり、視聴覚ルームでリスニングの授業を受けたりした。シットコムの英語は、まさに日常使われる生きた英語なので、役に立つ表現も多いが、なかなか聴き取れず苦労した。笑いのツボで笑えないのはつらいものがある。字幕なしでのドラマの会話が理解できるようになれば、英語能力も一人前といえる。現役時代に苦労したのは、まさにこのリスニング能力の問題であった。日本人や韓国人は総じて苦手な様子であったが、中南米からの仲間はほとんど聴き取れていたようである。
また、選択科目を取る授業もあったが、自分は苦手なリスニングの授業を選択した。各自英語の歌をピックアップし、それを皆で歌詞を聴き取る練習が中心であった。若い娘の選ぶ曲は聴いたこともないような流行の曲も多く、歌詞のリスニングも大変であった。自分は、歌詞が大好きなサウンド・オブ・ミュージックから“16 going on 17”を選んだ。個人的にはリスニングが一番苦手であったので、リスニングの授業はついていくのに苦労した。
スピーキングでは、1回目は 個人的話題、2回目は、文化問題、3回目は深刻な社会問題について、3分間スピーチをやらされた。イディオム、慣用的言い回し等の勉強もいやというほどやった。格調高い表現も多く、この年になるとなかなか頭に入りにくく、悪戦苦闘した。文法を勉強する授業やメールの文書や手紙の書き方を学ぶライティングの授業もあったが、こちらは比較的対応可能であった。
3ヶ月の集中講座のため、とにかく内容が盛りだくさんで、毎日、復習と予習をやらないと授業についていけない感じであった。 週末も含め、宿題も毎日のように出されるので、毎晩遅くまで机に向かっていた。当初は、夜中まで宿題をしながら、定年後はゆっくりするはずが…とぼやきたくもなった。こんなに毎日夜遅くまで勉強することになるとは想像もしていなかったが、小テストが週に1回は行われていたので、勉強せざるを得ない状況であった。
授業内容としては、概して総合的英語能力の向上をめざし、綿密なカリキュラムが組まれている印象であった。実際に授業で習った慣用的表現については、当時のノートから自分のHP(http://romanflight.web.fc2.com)上の「語学シリーズ」に整理掲載し、今でも時々復習がてら目を通している。
1 留学の計画
定年まであと数年と迫っていた頃、定年後の目標を明確にする準備作業に入った。会社では、長年、英語を使う仕事に従事してきたが、いかに自分に英語能力がないことに嫌気がさしていた。それでも、何とか業務をこなし、大きなミスも起こさずにやってきたのは幸いであった。しかし、自分自身海外留学の経験もなかったので、この機会に留学して英語能力の向上をめざしたいと夢見るようになっていた。
こんな背景から、定年後すぐに海外に留学する計画を立て、資金計画、留学先の決定、下見等綿密な準備作業を進めることにした。計画がスタートしたのは、定年の約3年前で、いざ準備を始めると定年が待ち遠しい心境になっていった。従って、定年を迎えるという寂しさはかけらもなく、定年前の2-3-年は夢あふれる毎日を過ごしていた。
2 留学先の決定、準備
当初の計画は、留学先はオーストラリアのブリスベン、期間は1年ないし2年、夫婦でロングステイ生活し、学校は、NOVAのような街にある語学学校ではなく、ちゃんとしたキャンパスを持った大学ないし専門学校の線で、情報入手に取りかかり、下見にも行った。
いろいろ検討した結果、オーストラリアは、英語の発音に癖があること、当時皮膚がんの原因になる紫外線問題が発生していたこと、1年から2年となると資金的な負担が大きくなること等により、急遽、ブリスベンからカナダのビクトリアに留学先を変更し、期間も5ヶ月に短縮することにした。
ビクトリアについては、そこに知り合い(今のマンションを買った時の前のオーナーという不思議な縁)がいたこと、英国のイメージを持つ美しい花の都であること、都市の規模が手頃な大きさであること、何回が行って馴染みがあったこと等により、あまり迷うことなく決まった。それも大きなキャンパスを持つビクトリア大学が行っている3ヶ月の英語集中講座に参加することにして、残りの2ヶ月は、旅行、ゴルフ、テニス等の遊学にあてることにした。
<英語講座紹介ビデオ>
https://www.youtube.com/watch?v=xNvAcLu-mo8
ブリスベンについては、学校の下調べもかなりしていたので、定年前の長期休暇を利用して、シャフストン・カレッジという英語学校で、1ヶ月だけの短期留学を行った。寮が併設されている学校であったので、一人で自炊生活をすることにした。日本の食材も簡単に手に入ったので、外食はあまりせず、頑張って日本食の自炊を続けた。この学校は一週間単位で授業を受けることができ、学生は、韓国、日本、中国、タイ、ヨーロッパ、中南米からの学生が多かった。若い人が大半であったが、自分のようなシニア世代の人も少し混じっていた。たった1ヶ月ではあったが、若い連中といっしょに、楽しく英語を勉強させてもらい、予行演習として貴重な体験をすることができた。
ビクトリア大学は、約19000人の学生がいて、広いキャンパス内に、鹿、リス、うさぎ等も多数いて、自然の緑に囲まれた理想に近いイメージの大学であった。キャンパス内に学部ごとにいろいろな建物が点在するが、留学の英語講座を行う建物も専用に用意されていて、図書館やコンピュータ室やカフェテリア等もすべて他の学生と共通であった。
留学先が決まり、次に住まい探しが始まった。2DK程度の家具付きコンドミニアムをネット上でいろいろ探したが、家賃がリーズナブルで、通学にある程度便利なところで、しかも家具付きで、半年という短い期間のみ借りられるコンドミニアムは限られていた。
最終的には、ネットで探しあてたコンドミニアム(大学までバスで15分位、1LDK 65m2)に決めた。リビングには折り畳み式のベッドが置かれていて、ベッドが二つ確保でき、時にはゲスト用にもなるので、二人で生活するには全く問題はなかった。家具付きなので、テレビや冷蔵庫はもちろん、調理用具からお皿まで何でも揃っていたが、日本人の知人から、炊飯器とアイロンだけ貸してもらった。電話もインターネットも使い放題であった。コンドミニアムは、5ヶ月契約し、その後2週間は、カナダ内の長期旅行に出ることにした。
3 資金計画・総費用
資金計画としては、留学に備えて、毎月積み立て貯金をすることにした。留学の授業料、コンドミニアムの家賃、生活費、ゴルフや旅行等の娯楽費等、大体の経費の予測を立てるのはさして困難ではなく、資金計画は立てやすかった。当初は400万円位の予算を立てていたが、結果的には、二人分のカナダ往復の航空券、5ヶ月のコンドミニアムの家賃、二人の授業料、生活費、ゴルフ等の娯楽費、カナダ国内の旅行費用等全部で約450万円を使ったが、それによって得られたものを考えるとそれほど高い出費ではなかったともいえる。旅行費用と頻繁のゴルフ代を除くと、留学・ロングステイ費用だけでは、350万円以下であったと思われる。久し振りの大口の出費となったが、このタイミングで使ったのは大正解だったと考えている。3年にわたって、積み立て預金をやったので、退職金はほとんど手をつけなかった。参考までにかかった費用の概算は以下の通り。
(概略)
授業料 47万円(二人分)
家賃 94万円(5ヶ月分)
生活費 131万円
旅行費用 101万円(カナダ国内)
往復航空券 41万円
娯楽費その他 36万円
合計 450万円
4 クラスメート
3ヶ月プログラム参加の学生は、韓国、日本、中国、中近東、中南米等から150人位いたと思うが、希望により、一般的な英語の勉強をするクラスと大学受験資格も得られるアカデミックな勉強をするクラスに分けられた。入学にあたって、最初の日にクラス分けの試験を受けた。TOEICのような実践的な問題で苦労したが、結果的には、一般的な勉強を行う一番上のクラスに入った。クラスメートは、10人で、コロンビア1 ベネズエラ1 トルコ1 韓国4 日本3であったが、韓国の1人の男性が途中帰国してしまったので、実質は9人、内 8人が18歳から26歳までのうら若き女性で、男性は小生1人のみで、美女に囲まれ、まさにハーレム状態であった。
若い女性と机を並べるのは、楽しいし、刺激もいろいろ受けた。ある時、韓国の女性3人から3人のうち誰が一番タイプかとの質問を受けたことがあった。咄嗟ではあったが、恋人にするならAさん、妻にするならBさん、遊び相手ならCさんと答えたことがあった。こんなに恵まれた環境で留学できるなんて全く想像していなかったので、60歳にしてまさに桃源郷の世界を体験したともいえる。クラスメートの女性達とは、今でもコンタクトがある。
ベネズエラの女性は、母国でサルサダンスのコンテストで優勝したことがあり、ビクトリアでもサルサダンスを教えていたほどである。彼女は、前の講座からの継続で、その時のスピーキングパートナー(後述)と結婚直後で新婚であったが、その後カルガリーに転居し、2010年にカルガリーに旅行した際には彼女の家に遊びにも行った。
トルコからの女性は、声楽も勉強していて、今でもビクトリアに滞在している。また、韓国の3人の女性とは、2012年に友人の結婚式参加でソウルに行った時、再会を果たすことができた。皆いい娘なので、年寄りにも優しく接してくれるのが嬉しい限りである。
5 授業内容
授業内容は、皆すでにある程度の英語能力があるので、テキストに沿った勉強のようなものは少なく、例えば、ビクトリアの名所を英語で勉強し、他のクラスの生徒を前に現地に行って英語で観光ガイドをするとか、スーパーマーケットに行って店長の説明を聴いたり、裁判所に行って裁判を傍聴したりとかキャンパスの外に出て行う授業も少なくなかった。
リーディングでは、グループ毎に分かれ、それぞれ好きな小説を選び、毎週20ページほど家で読んでくる宿題があり、授業ではそれを読み合わせ、最後には、その小説のDVDを見せられ、内容について試験を受けた。自分のグループは、“The Painted Veil” (彩られし女性、2006年映画化)という小説を選んだが、難しい単語も多く、なかなか大変だった。英英辞典が大活躍していた。
リスニングでは、「フレンズ」等のシットコム(Situation Comedy)のDVDを使い、聴きとる練習をして、表現の勉強をしたり、視聴覚ルームでリスニングの授業を受けたりした。シットコムの英語は、まさに日常使われる生きた英語なので、役に立つ表現も多いが、なかなか聴き取れず苦労した。笑いのツボで笑えないのはつらいものがある。字幕なしでのドラマの会話が理解できるようになれば、英語能力も一人前といえる。現役時代に苦労したのは、まさにこのリスニング能力の問題であった。日本人や韓国人は総じて苦手な様子であったが、中南米からの仲間はほとんど聴き取れていたようである。
また、選択科目を取る授業もあったが、自分は苦手なリスニングの授業を選択した。各自英語の歌をピックアップし、それを皆で歌詞を聴き取る練習が中心であった。若い娘の選ぶ曲は聴いたこともないような流行の曲も多く、歌詞のリスニングも大変であった。自分は、歌詞が大好きなサウンド・オブ・ミュージックから“16 going on 17”を選んだ。個人的にはリスニングが一番苦手であったので、リスニングの授業はついていくのに苦労した。
スピーキングでは、1回目は 個人的話題、2回目は、文化問題、3回目は深刻な社会問題について、3分間スピーチをやらされた。イディオム、慣用的言い回し等の勉強もいやというほどやった。格調高い表現も多く、この年になるとなかなか頭に入りにくく、悪戦苦闘した。文法を勉強する授業やメールの文書や手紙の書き方を学ぶライティングの授業もあったが、こちらは比較的対応可能であった。
3ヶ月の集中講座のため、とにかく内容が盛りだくさんで、毎日、復習と予習をやらないと授業についていけない感じであった。 週末も含め、宿題も毎日のように出されるので、毎晩遅くまで机に向かっていた。当初は、夜中まで宿題をしながら、定年後はゆっくりするはずが…とぼやきたくもなった。こんなに毎日夜遅くまで勉強することになるとは想像もしていなかったが、小テストが週に1回は行われていたので、勉強せざるを得ない状況であった。
授業内容としては、概して総合的英語能力の向上をめざし、綿密なカリキュラムが組まれている印象であった。実際に授業で習った慣用的表現については、当時のノートから自分のHP(http://romanflight.web.fc2.com)上の「語学シリーズ」に整理掲載し、今でも時々復習がてら目を通している。