我が家のトイレには「相田みつを」の日めくりカレンダーがある。その6日は、「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」であり、一番好きな言葉である。偶然にも自分の誕生日も6日なので、誕生日を含めて年に12回ほどトイレで好きな言葉を拝むことができる。
この日めくりカレンダーが大変気に入っているので、自分のHPのトップページにも掲載している。HPに時計の要素を組み入れ、日付が変わると自動的にカレンダーも変わるようになっている。自分の能力では無理なため、この仕掛けは子供にお願いしてHPに組み込んでいる。
常に「しあわせとは何か?」などと考えているわけではないが、この言葉はつくづく真理をついていると感じている。どんなにお金があっても、どんなに幸せそうに見えても、本人が幸せと感じていないならば、それは幸せとは言えないのである。また、逆にどんなに貧しくとも、回りからどんなに不幸せに見えても、本人が幸せと感じていれば、それは幸せと言えるのである。
100才まで生きた人と若くして亡くなった人のどちらが幸せか、子供や孫に恵まれた人と子供が授からない人のどちらが幸せか、健常者とハンディを持った人、スポーツのトップ選手と三流選手、美人とそうでない人、他の人と自分とを比べたらきりがないが、一概にどちらが幸せだと言い切ることはできないのである。どんなに恵まれていてもその人が幸せと感じていなければ、幸せであるとは言えない。まさにいつも自分のこころが決めるのである。
自分の場合、今海外旅行100カ国をめざしているが、海外旅行に一度も行ったことがない人を不幸せだと思ったこともないし、200カ国を旅行したことがある人が自分より幸せだと思ったこともない。自分の価値判断として、それでよしとする「こころ」があれば、それでいいのだと思う。100カ国制覇を自慢したいとも思わないし、自分なりのささやかな幸せが実現できれば、それだけで十分である。
すべての点で、上を見たらキリがないし、下を見てもキリがないのである。自分なりに努力し、頑張り切ることができれば、恐らく自分のこころは幸せと決めてくれるのではないかと確信している。どうしたら、自分のこころが幸せと感じてくれるかがポイントになるであろう。そういう意味でどんなことにでも「小さな幸せ」を感じることができる心があれば、それは神さまからの最高の贈り物である。
竹内まりやの歌ではないが、20代、30代、40代、50代、60代と「人生の扉」を開け続けてきた今日、扉を開けるたびに自分のこころが「しあわせだった」と決めてくれるならば最高の人生を送ることができるのではないかと感じている今日この頃である。
竹内まりやの「人生の扉」も歌詞を味わって是非一度聴いてみてほしい。