ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

イチムシたちの楽園

2014年07月04日 | 沖縄01自然風景季節

 自給自足芋生活を目指して一昨年の夏から始めた畑仕事、主食としている芋は十分採れているが、生活は全然上手く行っていない。現金収入がほとんど無い。作物が思うように育ってくれない。「無施肥だから土壌ができあがるまではしょうがない」と思っていたのだが、最近になって「無施肥だけが理由ではない」と感じ始めている。
  去年の春は草刈りや耕運、畝立てなどに忙しく、ほとんど気付かなかったのだが、今年の春、畑にはたくさんの種類のイチムシたちが無数にいるということが判った。
 イチムシとは沖縄語で「けだもの、禽獣、畜生、虫けら」(沖縄語辞典)などといった意味。子供の頃に周りの大人たちがイチムシと言うのを聞いている私の感覚では、イチムン(=生き物、動物)とムシ(昆虫、クモなど)を合わせた言葉で、人間以外の動物全てを指している。ちなみに、「畜生」とは「禽獣・虫魚の総称」(広辞苑)のこと。

  たくさんの種類のイチムシたちが無数にいる。無数の内のほとんどは昆虫である。5月18日付けの記事『蟲の季節』で「ヒメゴマフコヤガ、ツマグロキンバエ、キスジセアカカギバラバチ、マダラアシナガヤセバチ、キスジノミハムシ、ダイコンハムシ、ツツサルハムシ、ハイイロクチブトゾウムシ、アシビロヘリカメムシ、イワサキクサゼミ、ダンダラテントウ、ハイイロテントウ、ヒメナガメ、ウルマクロハムシダマシ、ゴマダラカミキリ、シオカラトンボ」など、6月5日付けの記事『農夫を虐める地球の仲間』で「セスジスズメ、コシロモンドクガ、シロオビアゲハ、コフキゾウムシ、タ イワンキドクガ、ミノムシ、ヒメナガメ、アフリカマイマイ、オキナワウスカワマイマイ、ウリハムシ」などが私の畑にいることを紹介しているが、私が知っている者だけでもまだまだいる。
 知識をひけらかして、「勉強しているだろ」と威張っているみたいであるが、威張っているのだ。オッサンの自慢話はみっともないという認識はあるが、もう少し威張りたいので続ける。自慢話でしか他人と関われない、そんなオッサンに私もなりつつある。
     
     

 ハチの類では上記の他に、私が確認でき ただけでもミツバチ、クマバチ、キアシナガバチ、チビアシナガバチ、コガタスズメバチ、キゴシジガバチ、クロアナバチ、オオフタオビドロバチ、新しく何者か判明したものではツチスガリ、フクダアリバチ、ゴキブリヤセバチなど、アブ、ハエの類も、それ以上にたくさんいる。まだ紹介していないものだけでもアオメアブ、クロオビハナバエ、センダングサミバエ、ツマグロキンバエなど。
 チョウ、ガの類では・・・、甲虫の類では・・・、バッタの類では・・・、トンボの類では・・・、カメムシの類では・・・などと挙げると、ざっと70種以上はある。「どうだ、勉強しているだろ」と威張るのも疲れたので、2012年8月から始めた畑なっぴばるで「始めまして」となった虫、その中でも何者か判明した虫の名前だけを挙げると、バナナセセリ、モトキメンコガ、ツマキモンシロモドキ、バナナツヤオサゾウムシ、リュウキュウヒメハンミョウ、ヒラタヨツボシアトキリゴミムシ、ヒメカメノコテントウ、オキナワイモサルハムシ、ツツサルハムシ、ミイデラゴミムシ、ヒメマダラナガカメムシ、キシモフリクチブトカメムシ、クモヘリカメムシ、ミナミアオカメムシ、オオモンシロナガカメムシ、ミドリグンバイウンカなどなど、「どんなもんじゃい!雨の日に図書館通いをした成果じゃ!」と威張るのはこの辺でおしまい。じつは、写真は撮っているが何者か判明していない者は、まだこの数倍もあるのでそう威張れることでもないのだ。
     
     

  昆虫以外では、ヤモリは1種しか確認していないが、カエルは3種見ている。ビーチャーがいて、野良猫が時にやってきて、野犬がまれに姿を見せる。たまにはマングースが畑を横切る。小さな沼があって、カエルがたくさんいてビーチャーもいるので、それらを好物としているハブもきっといる。地面の中にはミミズがわんさかいて、ブラーミニメクラヘビも時々見る。カタツムリは無数にいる。小さなウスカワマイマイはもう、その駆除を諦めているが、アフリカマイマイは見つけたら捕獲し、向かいの森に捨てている。捨てても捨てても毎日毎日5~6匹は捕獲してい る。向かいの森から道路を超えて旅して来るのか、地面から湧き出しているのか知らないが、毎日畑の中にいる。
     
     
 その他、クモ類が多くいる。私が知っているだけでもアシダカグモ、チブサトゲグモ、ハエトリグモ数種、ジョロウグモ、ナガマルコガネグモ、知らない者はもっと多い。ヒルやナメクジ、ムカデもゲジもいる。ヤスデはもう無数にいる。
 鳥も毎日数種やってくる。今年の春ごろまで畑の番鳥(番犬みたいな役)をしていたイソヒヨドリはいつのまにか姿を消したが、今は2羽の雀(たぶん夫婦)が小屋裏の林に 巣でも作っているのか、毎日姿を見せている。シロガシラが周囲にいて畑の野菜を狙っている。キジバトが数羽、畑の地面の上で何かを食べている。ヒヨドリはしばしば、シジュウカラは時々やってくる。冬場にはハクセキレイやキセキレイが畑を徘徊する。
     

 目に見えない程の小さな虫もきっと多くいるに違いない。菌類もきっとわんさかいるに違いない。私の畑ナッピバルはきっと「イチムシたちの楽園」となっているに違いない。それはきっと、農薬(殺虫剤)を使っていないからだと思う。雑草が茂っていてイチムシたちが生きやすい環境になっているからだと思う。イチムシたちの中には農夫の味方をしてくれる者も少なからずいるが、畑の作物に被害を与える者がずっと多い。
 今のところ私は被害を与える者たちのせいで痛い目にあっているが、それでも、農薬を使わないことを続けたいと思っている。「イチムシたちの楽園」はきっと自然の「こうありたい」と望む姿だと思う。そして、「こうありたい」がとことん進めば、いつか、作物が健康に育つ環境になるかもしれない。あるいは、「こうありたい」に対し、人間がほんの少し努力工夫すれば、人の望む環境が得られるかもしれない。これからの課題だ。

 記:2014.6.29 ガジ丸 →沖縄の生活目次


農夫を虐める地球の仲間

2014年06月06日 | 沖縄01自然風景季節

  貧乏農夫は時々バイトをしなければならないが、やっていない。新米農夫は害虫に作物を食われて思うような収穫が全然できていない。生命保険を解約したお金が残っていて、質素倹約生活をしていればあと1年半分くらいの生活費はある。しかし、作物の収穫が望み通りにできないとその後の生活が危うい。よって、今はバイトより害虫対策をどうするかを優先し、そのために時間を割いている。図書館に通って虫を調べている。

 畑で虫の写真を撮り、家に帰って、写真と図書館から借りた図鑑と見比べて何者であるかの判明作業をし、それでも判明しない場 合(それが多くある)、図書館へ行って、大きな図鑑で同じ作業をする。図書館ではまた、農業関係の本、特に害虫関係の本も参考にしている。小さな虫たちが畑の作物を食い荒らして質素倹約農夫を虐めている。新米農夫は農薬を使わずに何とか虫の被害を抑えたいとあれこれ勉強中なのである。

     
     

 5月の初め、賞味期限の切れたインスタント麺やレトルト食品が多くあるのに気付き、それらの消費を始めた。先週土曜日、畑での昼飯にカップ焼きそばを食って、それらの消費が全て終わった。昼飯後の一服をしな がら、既に堀り取ってある芋を見ながら、「明日から芋弁当復活だな」と思いながら、閃いた。「芋を蒸すついでに枝豆も」と。
 市販の種を買うと、その種袋の裏に播き方や収穫時期などが記されている。それによると、畑のエダマメはもう収穫時期を迎えている。だけど、私のエダマメは全てが全体に小さい。高さ20センチ程しかない。莢は着いているが、その数は少ない。中には4、5個しか着けていないのもある。私の畑は肥料をあげていないので生育が遅いと思われる。袋に記されている期間よりも長い時間を要するのだと思う。それでも、中には20個 余の莢を着けて、その実も十分太っているのもあり、「これは食える」と収穫した。

 収穫しているとコフキゾウムシ(ハイイロクチブトゾウムシかもしれない)がエダマメの葉に多くいた。エダマメの葉にはまた、タイワンキドクガの幼虫もついている。彼らはたぶん、エダマメの新芽も齧っているであろう。で、気付いた。エダマメが大きくならないのは、無施肥のせいもあろうが、こ奴らのせいでもあるに違いないと。

     
     

 畑の北側境界にグヮバの木を列植している。20本余あって、それにはハイイロクチブ トゾウムシ(コフキゾウムシかもしれない)が多くいて、グヮバの葉を食っている。グヮバの木は大きく、ハイイロクチブトゾウムシ(コフキゾウムシかもしれない)はとても小さいので、彼らが食っていてもグヮバの成長に大きな問題は無い。
 グヮバにはミノムシも多く付いている。20本余の内の1本に、特に集中して付いていて、その1本は葉が食い荒らされて、見るも無残な姿になっている。

 タイワンキドクガはグヮバにもいて、ピーマンや他の作物にも付いている。セスジスズメはサトイモの葉を食い荒らし、ウリハムシはヘチマやキュウリを枯らす。ヒメナガメは好物のアブラナ科だけでなく、フェンネルの実にもどっさり付いている。

     
     

  農夫を虐める奴らと言えば、カタツムリの類を忘れてはいけない。キュウリは茎を齧られ3日と持たずに枯れる。モーウイの葉はウリハムシが齧っているが、その果実はカタツムリに食われる。カタツムリの類はオキナワウスカワマイマイが無数にいて、大型のアフリカマイマイも多くいる。どちらも好き嫌いがないようでウリ類だけでなく、葉野菜を齧り、パパイアの幹を這い上って、その果実を 齧って、傷を付ける。
     

 枯れ草を積んでおくと、その中にカタツムリの類がたくさんいる。先日、ある一ヶ所の枯れ草を他所へ移し、そこにいたアフリカマイマイ(小さなカタツムリは多過ぎて駆除を諦めている)を集め、向かいの森へ捨てたが、奴らがいた箇所の土を掘り返した時、奴らの卵をどっさり見つけた。ひと固まり100個もあろうか、その塊が数個あった。

     
     

 「みんな同じ地球の仲間」なんて歌があったが、地球の仲間たちは農夫を虐める。虫に負けずに作物が無事育つよう試行錯誤の 実験をいろいろやっているが、奴らは強敵 で 新米農夫は今のところ負けっ放しだ。でも、農薬に頼らずいつかは勝ちたいと思っている。私が笑う日が来るのか、あるいは、私が農業に挫折してしまう日が来るのか・・・。
 もしも、私が奴らに勝つ日が来たとしたら、それが今の梅雨時であれば、ゲットウやテッポウユリの花を眺め、メジロやウグイスの囀りを聴き、喜びを静かに味わうであろう。今の、虫に勝てない私は、それでも、「まぁ、そのうち何とかなるさ」と呑気に、今日もまた静かに酒を飲んでいる。梅雨時の楽しみであるエダマメが肴の一つ、旨い!
     

 記:2014.6.5 島乃ガジ丸 →沖縄の生活目次


若夏

2014年05月30日 | 沖縄01自然風景季節

 沖縄の、今年の梅雨はいかにも梅雨で、雨の日が多い。雨の日は、不快指数の高い蒸し暑い日も稀にあり、少し肌寒いと感じる日も稀にあるが、平均すると概ねは過ごし易い。肌寒いと感じる日になるともう、私にとっては天国にいる(行ったこと無いけど)ような気分。気持ち良く寝られて、ぐっすり眠って、すっきり目覚めることができる。
 平均すると概ね過ごし易い梅雨時、晴れた日中も「少々暑くなったなぁ」といった程度で、畑で肉体労働をしても汗が少々滲む程度である。梅雨時はまだ、暑さが“少々”で済むのである。“少々”の付かない暑さは6 月下旬の梅雨明けからとなる。梅雨明け後には“非常に”とか“死ぬほど”とかの形容詞が付く暑さがやってくる。

 旧暦4月から5月(今年は4月29日が旧暦4月1日)頃のことを沖縄では若夏と言う。若夏の頃は梅雨でもあるが、梅雨の合間の晴れた日はとても過ごしやすい。その前、旧暦2月から3月を”うりづん”と呼び、うりづんから若夏にかけては、晴れていればとても爽やかな気候となる。東村ではツツジ祭りがあり、伊江島ではユリ祭りがあるなど花の季節でもある。人は何だか楽しい気分になり、動 物たちは恋の季節だ。
 その頃の花については『折々の花その1(春)』で紹介したトベラ、サンゴジュ、ネズミモチ、ゲットウ、ピンクダチュラ、テッポウユリ、カイエンナットなどの他、うりづんの頃はバンマツリ、キワタノキ、クチナシ、ミカン類、ミッキーマウスノキ、ウコンラッパバナ、カエンボクなどがあり、若夏の頃はブッソウゲ、ゲッキツ、キントラノオ、アリアケカズラ類、ゴールデンシャワー、オオムラサキシキブなどがある。
 今(5月下旬)は若夏の頃、私の畑なっぴばるでも野菜や果物の花が咲いている。も ちろん、タンポポやカタバミなど雑草の花も咲いている。畑の近所ではテッポウユリやゲットウの花が満開になり、向かいの森の中へ入っていくと、ギョクシンカの花がひっそりと咲いていた。畑の果物、グヮバやパパイヤ、バナナなどは実も着けだした。
     
     
     
     

 動物たちの恋の季節については、先週の『蟲の季節』で書いた通り、そこで紹介したいくつもの交尾写真で証明した通り、若夏の頃はいろんな種類の虫たちがあちらこちらで愛を交わしている。ガジ丸HPでは『子作りの季節』でキオビエダシャクやオビキンバエの交 尾、オウゴマダラの産卵など、『子育ての季節』ではヒヨドリ、メジロ、ズアカアオバトなどの巣を紹介している。いずれも今、若夏の頃の写真である。
 動物の内である人間もまた、若夏の頃には恋をしたくなるはずなんだが、私の友人たちはもう老年に近いオッサンだからか、そんな話はとんと聞かない。ただ一人、東京の友人I氏が、この5月に結婚した。彼が恋をして、その結果の結婚だったのか、老い先の寂しさに不安を感じての結婚なのかは、確認していないので不明。
 かく言う私は、老年に近いオッサンにも関 わらず春夏秋冬関係なく恋をしている。恋の季節がほぼ決まっている虫たちに比べると心はふしだらなのである。恋が成就した試はないので、体はふしだらとはなっていない。威張って言えることではないが・・・。
     
     

 若夏、雨が多くて鬱陶しい日々が多いが、晴れた日はウキウキ楽しい日々。若夏の季節が終わる頃になると、梅雨が明けて灼熱の日々となるので、今それを想像するだけで気が滅入ってしまうほどだ。若夏が終わる頃、沖縄戦が終わった。その日は梅雨らしく雨だったようだが、人々の気持ちは泣きたいほどホッとしたに違いない。

 記:2014.5.27 ガジ丸 →沖縄の生活目次


蟲の季節

2014年05月23日 | 沖縄01自然風景季節

  今はもう他人のものとなってしまった那覇市泊にある実家、そこから徒歩7~8分、今は廃れているが、かつては男の歓楽街であったらしいジッカンジ(十貫瀬)の一角に蟲と看板に書かれた飲み屋があった。もう30年程も前、誰か(誰だったか忘れた)に誘われて行き、その後2、3度誰か(誰だったか忘れた)を誘って行っている。
 蟲、何と発音したかはっきり覚えていない。「うじむん」だったか、意味は確か「たくさんの虫達が蠢いている様子」だと、そこの亭主から聞いた覚えがある。そんな変な名前の店、肴はサバ缶などの缶詰やスルメなどの乾き もんのみであった。また、那覇市のほぼ中心部だというのにトイレは昔ながらのポットン便所(汲み取り)だった。

 蟲、和語で発音すると「むし」、広辞苑によると「蟲は、虫を三つ合わせ、たくさんに寄り集まる小動物を示す会意文字。虫は、その略字として古くから用いられたもの」で、意味としては「獣・鳥・魚以外の下等動物。むし。特に、昆虫」とのこと。
 ちなみに、蠢は「虫がごそごそ動く」(広辞苑)で、「うごめ(く)」と読んで、「はっきりとでなく、全体がわずかに絶えず動く。もぐもぐ動 く」(同)のこと。春の日差しの下で虫たちがごそごそ動いている様が容易にイメージできる。
 上述の飲み屋「蟲」は、春夏秋冬関係なく、夜な夜な集まって酒を飲んでいる客のことを「ごそごそ動く虫」に喩えたのかもしれない。亭主のユーモアだったと思う。カウンターに7、8席しか無い小さな店で、店内はゴキブリがごそごそ這い回っても気付かないほど暗かった。そんな小さな暗い場所で客達は確かに、ごそごそ酒を飲んでいた。

 「蠢く」は「はっきりとでなく、全体がわずか に絶えず動く」であるが、それはおそらく倭国に於いてでの話で、沖縄の春は違う。少なくとも新暦の3月ともなれば、もう虫たちは活発に動いている。繁殖活動も盛んに行っている。
 3月以降、いろんな種が夥しくいて、それぞれが盛んにセックスしている。5月11日(2014年)、私は畑でたくさんの命を奪った。正確な数字は12匹、今まさに子作りの最中であった恋人同士をも無理やり引き裂いて、二匹ともあの世に送った。じつは、子作りの最中であったことが私に直接的な殺意を抱かせたのだ。
  愛し合う2匹を独り者のオッサンが妬んで・・・というのでは無い。虫に嫉妬する程私はスットコドッコイでは無い。2匹がいた傍にシークヮーサーがある。ゴマダラカミキリの幼虫はシークヮーサーの幹の中に入り、枯らしてしまう。大敵だ、畑のあちこちを探すと彼らは12匹もいた。子作りをさせてはいけない。で、皆殺しとなった。

 ヒメゴマフコヤガ、ツマグロキンバエ、キスジセアカカギバラバチ、マダラアシナガヤセバチ、キスジノミハムシ、ダイコンハムシ、ツツサルハムシ、ハイイロクチブトゾウムシ、ア  シビロヘリカメムシ、イワサキクサゼミ、以上が今年春、写真を撮って何者か判明した昆虫たち。何者か判明していない者はこれの4倍位はある。
 上記の内、ツツサルハムシ、ハイイロクチブトゾウムシ、イワサキクサゼミは交尾の写真も撮れている。既に判明したもの、あるいは、判明してガジ丸HPで紹介済みのものでも、ダンダラテントウ、ヒメナガメ、ウルマクロハムシダマシ、ゴマダラカミキリ、シオカラトンボなどその交尾写真をこの春で撮ることができた。
     
     
     
     
     
     
     
     

  沖縄の虫たちが蠢く季節は当然去年もあったはずだが、去年はほとんど昆虫の写真を撮っていない。畑仕事に集中していたからだと思う。実家の処分に関わるあれこれで忙しくしていたせいもある。今は梅雨、雨で畑仕事も休みの時が多い。畑仕事も今はそう忙しくない。植付けも収穫もほとんど無い。やることといえば草刈だけだ。
 蠢の季節、3月からこれまでに多くの写真を撮っている。何者か判明していない写真はこの間だけでも40種以上ある。そして、去年は無かった時間の余裕が今年はある。梅雨の間、何者か判明させる時間も多く取れ る。これから昆虫の紹介が続くと思う。

 記:2014.5.18 ガジ丸 →沖縄の生活目次


仕立てる果樹

2014年01月10日 | 沖縄01自然風景季節

 私が借りている300坪の畑なっぴばる、作物生産に間接的に必要な畑小屋、物置、駐車場、通路などが全体面積の約三分の一を占めている。残りの約200坪が直接的作物生産面積であるが、実際にはまだ、半分の100坪も使っていない。
 去年(2013年)の11月5日に物置を建てた。物置には今、大工道具や農機具、農業資材などを収めてあるが、物置設置計画の最初の構想ではそこに耕運機を保管する予定であった。耕運機は盗難にあいやすいと近所の先輩農夫たちに聞かされていたので、鍵のかかる物置があれば耕運機も置けると思っていたのだ。
 ところが、一度耕した土壌、さらに、刈草でマルチング(土を覆うこと)して、その後その草ごと耕した土壌は柔らかくなっていて、手作業で耕しても楽になっており、時間もそうかからなくなっていた。なので、「耕運機は要らないかも」となっている。

 この先も機械を使わずに手作業でやってやるか、と半ば決めてはいるが、今まで耕したことのない土壌は固いし、柔らかくなった土壌であっても、手作業で除草し、耕し、畝立てし、種を播き、収穫するのは一人だとやはり時間がかかる。一人手作業を続けるという条件だと、野菜畑は100坪程度が限度かなぁと感じている。
  というわけで、直接的作物生産面積200坪の内、半分の100坪は果樹園にしようと決めた。そこには現在、カキ、ミカン、コーヒー、グヮバ、ビワ、バナナ、パパイアなどの苗木を計40本ほど植えてある。これからさらに増やしていく予定。
 果樹園を設けるのは、果樹を植えてしまえば実が生り、熟したら収穫する作業と、時々その下の除草をやれば済む。つまり、100坪の管理が野菜畑より楽だと思っているからであり、それなら一人手作業で300坪の管理もできるだろうと思っているからだが、ところが、果樹園も放ったらかしではいけないということが先日判明した。
     

 なっぴばるの近所で主にシークヮーサー栽培をしている爺様がいる。88歳のNさん。そのNさんが先日、私の畑の、ちょうど小屋前で一服していた私の所まで来て、「ちょっと私の畑まで来てくれんか?」と言う。で、付いて行った。
  爺様の畑に着くと、「これを見てごらん」と地面を指差す。見ると、地面の上に黄色く熟したシークヮーサーの果実が無数に落ちていた。「勿体無いだろ?これを見ると悔しくてイライラするんだよ」と言う。「落ちたものの多くは熟しすぎて商品にならない。高い所に生っているものは手が届かなくて、みすみす無駄にしている」と続ける。
 爺様のシークヮーサーの木は、その多くが高さ5~6mあり、低い所の実は収穫が済んだようだが、高い所にはまだ多くの実が残っていた。畑小屋の周りにも数本のシークヮーサーの木があって、爺様は小屋の屋根の上から木に脚立を掛け、脚立に上って、左手で枝を引き寄せ右手で果実をもいでいるとのこと。つまり、両手はその作業のため体を支える役には立っていない。爺様の体は不安定な脚立に乗っている両脚だけで支えられている。88歳の脚だ、脚立が揺れたらバランスを保つのも難しかろうと思う。

  「高い所の実を収穫するのを手伝ってくれんか?」と爺様に頼まれた。不安定なトタン屋根の上に、不安定に掛けられた脚立に上っての作業、年寄りにはとても危険な作業である。年寄りと呼ばれるにはまだ早いオジサンの私にとっても危険な作業だ。そこで、ふと思い出した。若い頃沖縄島北部の本部町にあるミカン(タンカン)畑でミカン狩りをしたことがある。そこのタンカンの木は皆、3mほどの高さだった。
 「Nさん、実の着いている枝を落としましょう、シークヮーサーの剪定時期が今で良いかどうか明日確認しますから、作業も明日にしましょう」と言ってその日は帰る。
  翌日、近所の先輩農家のNMさんにシークヮーサーの件を相談した。
 「N爺さんは木と木をくっつけ過ぎなんだ、くっつけ過ぎると木は太陽を求めて横では無く上に伸びて行く。だから、N爺さんの木は背が高くなる。もっと離して植えて、枝を横に引っ張って横広がりの形に仕立てないといけないんだ」とのことであった。
 剪定は今、12月から1月が適宜とも聞いたので翌日、N爺様の畑へ行って、高く伸びた枝の先にたくさんの実を着けている1本のシークヮーサーを剪定した。実をたくさん着けた枝は地面に下ろし、爺様が座って収穫できるようにした。
     
     
     

 私も、私の畑の果樹園にミカン類(カーブチー、シークヮーサー、タンカンなど)を植えようと思っている。既に7、8本は植栽済みで、これからさらに十数本、合わせて20本は植えたいと思っている。「そうか、植え放しではいけないのか、剪定し、枝を誘引する作業が必要なんだ、放ったらかしでいいというのは甘い考えだったな」と反省。
 果樹はミカン類だけでは無い。カキ、アボカド、コーヒー、グヮバ、ビワ、バナナ、パパイアなども含めたら既に40本はあり、今後も増やしていき、ミカン類も合わせて合計120本程度の果樹園にする予定だ。この内カキ、アボカド、コーヒー、ビワなどはおそらく、ミカンと同じく剪定と枝の誘引作業が必要であろう。
 120本の剪定と誘引作業といっても、それはそう時間のかかる手間ではあるまい。時間がかかるのは収穫時だ。例えば、全てミカンとして計算してみる。1本から100個の果実が採れるとして12000個、移動時間も含めて1個収穫するのに10秒かかるとしたら、全て収穫するのに12万秒、時間にすると約33時間だ。あれっ???

 「33時間、あれ?なんかできそうな感じ」と呑気な新米農夫は思ってしまった。よって、果樹園は予定通り進めることにした。問題は別の「時間」にある。モモクリ三年カキ八年、ミカン類は九年という、果実が生るまで時間がかかるということ。
 私の畑のミカンが収穫できるようになるまで9年、生きているかどうかも分からない未来。「あー、収穫に人手が欲しいなぁ」と悩むような日が来るのかどうか、いやいや、来るかもしれない未来を楽しみにして、明日、カキの種を播くとしよう。

 記:2014.1.3 ガジ丸 →沖縄の生活目次