ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版099 どこの風でも

2009年11月20日 | ユクレー瓦版

 週末、いつものように野山を散歩する。南の島の、11月の空は澄み切って、陽射しは柔らかく、風も心地良い。景色も輝いて見えるような気分。
 そんな良い気分のまま、野山を下りて、村の道を通ってユクレー屋に向かっている途中で、マミナ先生に出会った。4月にオキナワへ行って、ユイ姉の店でバイトしていたマミナ先生は、夏に一度帰省して、その1週間後にはまた出て行って、それっきり、ずいぶんご無沙汰となっていた。それが今日、やっと帰って来た。

 「どこ行ってたの?このあいだ、ユイ姉の店に行った時もいなかったから、ユイ姉に訊いたら、旅してるって言ってたけど。」
 「うん、あちこちね、昔の友達に会ってきたさあ。」
 「二ヶ月以上の長い旅だったよね。」
 「うん、オキナワだけじゃないからね、ヤマトゥ(大和)にも行ってたさあ。」
 「ふーん、昔の友達かあ、楽しかった?」
 「まあ、楽しかったね。ヨコハマの友達が飲み屋さんやっててね、て言っても、本人も他の従業員も婆さんで、来る客はほとんど爺さんで、老人クラブみたいな飲み屋なんだけどね、私もそこでしばらくアルバイトさせてもらったさあ。楽しかったよ。」
 「ふーん、でも、ヨコハマって都会だろ?田舎暮らしに慣れきったマミナ先生には生活のリズムが合わなかったんじゃないの?せかせかした感じで。」
 「街中は確かにせわしいんだけどね、家の中や店で人と接しているとそうでもないの。どこに行ってもね、人は人。イチャリバチョーデー(出会えば兄弟という意味のウチナーグチ)という気分でいるとね、それが伝わるとね、良い雰囲気になるさあ。」

 そこでの立ち話はそこまでで、マミナ先生は自宅に荷物を置きに行って、そして、すぐに戻ってきて、一緒にユクレー屋に。先ずはウフオバーに挨拶して、
  「オバー、今日は私がカウンターに立つさあ。」となった。で、久々にマミナ先生の手料理をご馳走になる。マミナ定番のマーミナチャンプルー、オキナワのお母さんの味は間違いなく美味い。見た目もオキナワのお母さんは、優しさもオキナワのお母さん。
 ケダマンが帰って来た時は特に何もやらなかったが、マミナ先生の場合は皆が集まり、自然にパーティーとなる。だからと言って、マミナ先生は愛されているが、ケダマンは嫌われているという訳ではない。マミナ先生は周りの人たちのためにあれこれ気を使い、体を使い、時間も使っているが、ケダマンは何もしないので自然とそうなる。
 夜になって、ガジ丸一行(ガジ丸、ジラースー、勝さん、新さん、太郎さん)もやってきて、さらに賑やかになる。しばらくして、ガジ丸がカウンター席に加わる。
     

  「マミナ、どうだった旅は、ヤマトゥは楽しめたか?」とガジ丸が訊く。マミナがヤマトゥの旅していたことをガジ丸は知っていたようだ。
 「そうね、良かったねぇ。どこに住んでも、まあ、ユクレー島は別だけどね、生きるのはいろいろ面倒があるけどね、私はどこでも生きていけそうな気がするさあ。どこの風でも土地の匂いがするし、住んでいる人の生きている匂いがするさあね、そんな風が吹いていればね、それが感じられたらね、とりあえず生きていけるさあ。」
 まあ、確かに、マミナ先生の性格なら誰とでも打ち解けるであろう。まあ、食うか食われるかの世界で無い限り、本来なら誰だって、どこの風でも生きていけるはず。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.11.20


瓦版098 雑食の奢り

2009年10月30日 | ユクレー瓦版

 久しぶりにケダマンがユクレー島にやって来た。約五ヶ月ぶり。久しぶりなんだけど、特にみんなで歓迎パーティーをするということも無く、マナなんかは、
 「ケダ?久しぶりだね、だけど今、ちょっと忙しくてね、そっちには行けないさあ、よろしく言っといて。」ということで、顔を見に来ることもなかった。
 で、これまで概ねそうであったように、カウンターでケダと私と並んで、静かに飲む。ウフオバーも我々の相手はしない。「勝手にやっておいてね。」とだけ。なわけで、久しぶりのケダマンだが、ここで書くような出来事は何もなかった。で、今回は、先日、ケダマンとユイ姉の店に行った時の、話の続き。

 ユイ姉の店には予め連絡していて、ユイ姉からユーナにも声を掛けて貰い、ユーナも来てくれた。「ケダ?久しぶりだね、行くよ。」との返事だったらしい。マナよりユーナの方が優しい・・・というわけでは無い。子育てに忙しい人と暇のある人との違い。
 まだ二十歳になってから一年に満たないユーナだが、噂では飲兵衛とのこと。その噂が本当であるということは、飲み始めてから30分で確認できた。
 「オメエ、いい飲みっぷりだなあ。」とケダ。
 「強いのかどうかよく知らないけどさ、あんまり酔わないさあ。」
 「強いんだよ。勉強はそっちのけで飲んでばかりいるんじゃないか?」
 「何言ってるのさ、これでも優秀な方なんだよ。」
 「ほう、ところでお前、大学では何勉強してんだ?」
 「今は教育学科にいるんだけど、農業に移ろうかと思っている。」
 「農業か、将来は百姓になるつもりか?」
 「それもいいけどね、農業や農作物の研究家になりたいと思っている。」
 「ほう、それはまた、なかなか良い志だが、何でまた、そう思うんだ?」
 「地球温暖化でさ、将来、世界規模の環境変化が起きる可能性があるでしょ、環境変化が起きてもそれに素早く対応できる農業が必要だなと思ったわけ。」
 「それはそれは、真面目なこって。だがよ、今の、先進国の飽食を反省しない限り、科学の力であれこれやったって焼け石に水だと思うぜ。食い過ぎの上、大量の残飯を出している。それは勿体無いと気付いて、改めることが先だな。」
 「そうなんだよね、食べ過ぎて、捨て過ぎなんだよね。」

 そんな会話からケダマンが思い出して、語ってくれた話、その要約。

 ある星の話だ。その星にも地球と同じく、草食動物、肉食動物、雑食動物がいた。
 この中で、生きるのに有利なのは当然、何でも食える雑食動物だ。よって、雑食動物は繁栄した。そんな中でもより早く知性という武器を手に入れた一種が、他の全ての動物を押さえて、数を増やし、力を付け、世界を支配するようになった。
  その雑食動物は、栄養価が高く、美味い動物達をむさぼり食った。そうして、やがていくつかの種類の動物が絶滅した。その雑食動物は知らなかった。ある種の動物の絶滅が別の種の、小さな昆虫などに影響を及ぼし、それらを絶滅させ、その昆虫の絶滅がある種の植物を絶滅させ、その植物の絶滅がまた別の昆虫を絶滅させ、その昆虫の絶滅が別の動物を絶滅させ、・・・と続いていくことを。そして、ある種の動物や植物が絶滅することによって、今まで眠っていた病原菌が復活し、自分達を襲うってことを。
 というわけで、結局、その星を支配していた雑食動物も絶滅したってわけだ。俺達は何でも食えるから死ぬ心配は無いという、雑食の奢りだったんだな。
     

 ケダマンの話は概ね以上。場面は元に戻って、ユーナ、
 「ふーん、草食動物は肉食動物に襲われるし、肉食動物は草食動物がいないと困るし、だから、雑食動物が有利って訳だ。だけど、その雑食動物も、欲望のままにむさぼり食っていたら、やがて、その報いは我が身に及ぶってことだね。」
 「まあ、概ねはそういうことだが、草食がいないと肉食は滅びる、かというと、そうでもないぜ。パンダは元々肉食だったが、今は笹の葉を食っている。雑食性の人間なんかは草食動物がいなくても肉食動物を代わりにすればいいし、肉が無くても野菜だけで全然構わない。つまりだな、環境適応能力ってのも生きる力になるんだ。」
 「なら、人間は雑食だし、科学って、言い換えれば環境適応能力ってことでしょ。人間は両方備えているから強いってことになるね?」と今度はユイ姉が訊く。
 「基本的にはそうだが、あいにく人間は精神的発達が遅れている。さっきも言ったように片方では飢えに苦しみ、片方では大量の食糧を捨てている、それが変だと気付かない。弱肉強食は武力とは限らない、今の社会はお金の力による弱肉強食だ。」

 武力にしろお金の力にしろ、弱肉強食が当然だと思っている人間が多くいるから、この世に争いは絶えない。弱肉強食はあってもいいのだが、それだけでは実は、社会は成り立っていかないということに人間は気付いていない、と元ネズミの私は思った。

 記:ゑんちゅ小僧 2009.10.30


瓦版097 みみずののみみず

2009年10月16日 | ユクレー瓦版

 先月、二週間ばかりユクレー島を留守にした。二週間、旅をしていた。旅と言っても近場、オキナワ島を北から南までブラブラしただけ。その終わり頃、ユイ姉の店に寄ってから帰ろうとナハへ向かっている途中、ケダマンに会った。

 「おや、まあ、こんな所にいたのか?」
 「地球を一周して、ちょうど戻ってきたところだ。」
 「そうか、一周したのか、で、どうだい、最近の世の中は?」
 「まっ、相変わらずだな。戦争はあるし、差別はあるし、貧富の差は広がるしだ。それにしてもよ、一方では食い物を大量に捨てていて、もう一方では食い物が全然足りないということが変だということに、何で人間は気付かないんだろうな。」
 「うーん、より強い者が弱いものからモノを奪ってるって図式だな。力の暴力だけじゃなくて、金の暴力もあるってことに気付かないんだろうね。」
 「おー、でよ、唄を作ったぜ。」
 「ほう、つまり、そういった内容の唄ってわけだな。」
 「まあな、とりあえずそうなんだが、先ずは、聞け。」と言って、ケダマンは歌った。大きな声で、聞き取りやすいように歌ってくれたが、しかし、何を歌っているのかほとんど意味不明。ミミズとかノミとかミズとかを繰り返しているだけ・・・のような。
 「分からん!何歌ってるんだ?」と、ケダマンが歌い終わってすぐ訊く。
 「えーっ、簡単だぜ、つまりだな、ミミズにはミミズの飲み水があって、ノミにはノミの飲み水がある。それは慣習として決められたことだが、それにも関わらず、自分の飲み水が干乾びたからといって他人の飲み水を奪う奴がいる、って意味の唄だ。つまりだな、それが野生の掟ってわけだ。強い者が勝つんだな。」
 「えっ?強い者が勝つってのを風刺しているわけじゃないのか?」
 「野生ではそうってことだ。でも、人間は野生では無い。」
 「あっ、そうか、野生から抜け切れない人間を風刺しているってことか。」
 「そうだ。ヘッ、ヘッ、ヘッ。」

 その後、二匹でユイ姉の店に行った。ちょっと店が空いたところで、ケダマンがさっきの唄を「俺の作詞作曲だ」と言って、ユイ姉に歌って聞かせて、
  「ピアノで伴奏できるか?」と訊いた。
 「そりゃあできるけど、演奏するのは嫌だね。」
 「何でだ?良い唄だとは思わねぇか?」
 「あんたさあ、俺の作曲だって威張って言ってたけど、そのメロディー、『おもちゃのチャチャチャ』じゃない。気付かなかったの?それに、そんな駄洒落の早口言葉みたいな歌詞も、私の趣味じゃないさあ。」
 「『おもちゃのチャチャチャ』?・・・って何だ?」とケダマンは言って、「のみのみず、のみのみず」と一節歌った。で、私は気付いた。そうだ、確かにそれは『おもちゃのチャチャチャ』のメロディーだった。
 「ケダ、ユイ姉の言う通りだよ、それは『おもちゃのチャチャチャ』だ。ということはさ、お前が作ったのはただの替え歌ってことだ。」
 「替え歌?ってか。うーん、ただの替え歌では惜しいな、そうだ、歌詞を書くから、お前、それをガジ丸のところへ持って行って、曲を付けて貰ってくれ。」

 ただの替え歌でも全然惜しいとは、私は思わなかったが、ケダマンがずいぶんと執心なので、その頼みを聞いてやった。後日、ガジ丸にその話をすると、意外にも、
 「あー、まあまあ面白ぇんじゃないか。」との感想で、「作曲してやりやしょう。」となり、で、先日、曲が出来上がった。軽めの曲だった。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.10.16 →音楽(みみずののみみずのみのみず)


瓦版096 空に空がある限り

2009年10月02日 | ユクレー瓦版

 10月になっても、晴れた日、昼間の太陽はまだまだ強力。ガンガン照り付けている。人間の体と違ってマジムンの体は外気温に左右されにくい。つまり、我々は暑さ寒さに強い体質となっている。それでも、この太陽の熱さは感じることができる。

 「はっさもう、暑いねえ。秋も半ばだというのに。」
 散歩の途中、ユクレー屋をちょっと過ぎた辺りで、港の方から二人乗り乳母車を押しながら歩いて来るマナとバッタリ出合った。その時のマナの第一声がそれだった。
 「確かに、今年の秋は特別暑いね。」
 左手で乳母車を押し、右手で日傘を差している。その傘の下の、マナの顔には汗が滲んでいる。でも全然余裕の顔、そう、陽射しは熱いけれど、風はすっかり秋の風。爽やかな風、美味しい風。ユクレー島は特にそう。マナもそれは感じている。
 「でも、この島はやっぱり良いさあ。風が最高なんだね。」とのこと。
 「ところで、ずいぶん久しぶりだね。忙しかったの?」
 「それはこっちのセリフさあ。私は先月も第一週には里帰りしたよー。あんたがいなかったんだよー、どっか行ってたの?」
 「あー、先月はね、ちょっと旅をしていた。でも、そうか、マナは月1回、第一週には帰るようにしてるんだ?」
 「うん、月一はね。今日はでも。トリオG3のライブもあるんだよ。」
 「ライブ?ユクレー屋で?今日?」
 「知らなかったの?旅に出ていたからだね。けどまあ、突然決まったみたいさあ。昨日の夜、家に電話があったよ。新曲ができたからって。」

  ということで、その夜、ガジ丸一行もいつもより早くやってきて、ユクレー島運営会議も早めに終わって、トリオG3の、4曲20分ばかりのちょっとしたライブが開かれた。新曲は1曲だけ、残りの3曲は既に発表済みのもの。
 新曲のタイトルは『かにはんでぃてぃよー』、沖縄民謡風の唄。カニは曲尺(かねじゃく)のこと、ハンディティヨーは「外れてよ」ということ。頭の中の計りがずれてしまっているということ。つまり、「ボケてしまってよー」という意味。
     

 演奏が終わって、「寂しくて、ちょっと暖かい唄だね。」と感想を述べる。 
 「最近、ユクレー屋にちょくちょく顔を見せる初老の夫婦がいるだろ。」と勝さん。
 「前田さん夫婦のことだね。」
 「俺たちは三人とも女房がいなかったり、死なれたり、逃げられたりして、歳取ってからの夫婦愛というものを知らないんだ。あの夫婦を見ていて、仲良いなあ、羨ましいなあなんて話していたら、ガジ丸がそれを唄にしてくれたんだ。」
 「歳取っても愛し合っていようよ、なんて唄なんだ。」と今度はガジ丸に訊く。
 「それはちょっと違うな。長い年月を経ると、もう雄とか雌とか関係の無い愛情に変わる。その人の生命そのものに恋をする、その人のことが純粋に愛おしくなるんじゃないかと思ってな。まあ、良くは知らないんだが、想像だ。」
 「ふむ、確かに、前田さん夫婦を見ていると、何だかそんな雰囲気あるね。」
 「生まれて、生きて、恋して、死ぬ。空に空がある限り、それは繰り返される。生きることは恋をすること、と言ってもいいだろうな。空に空がある限り、人は恋をする。」
 などと、珍しくガジ丸が恋を語った。マナが大きく肯いていた。

 記:ゑんちゅ小僧 2009.10.2 →音楽(かにはんでぃてぃよー)


瓦版095 マジムンの夏休み

2009年09月04日 | ユクレー瓦版

 9月になっても、真夏の気候が続いている。灼熱の太陽がガンガン照り付けている。人間の体と違ってマジムンの体は外気温に左右されにくい。つまり、我々は暑さ寒さに強い体質となっている。それでも、この太陽の厳しさは感じることができる。

 「はっさもう、暑いねえ。」
 散歩の途中、ユクレー屋をちょっと過ぎた辺りで、港の方から二人乗り乳母車を押しながら歩いて来るマナとバッタリ出合った。その時のマナの第一声がそれだった。
 「確かに、暑そうだね。」
 左手で乳母車を押し、右手で日傘を差している。その傘の下の、マナの顔には汗が滲んでいる。でもまだ全然余裕の顔、そう、ジラースーとマナの家は田舎なので都会よりずっと涼しいが、ユクレー島はそこよりもまだ涼しい。マナもそれは感じている。
 「でも、この島はやっぱり過ごしやすいさあ。風が気持ち良いんだね。」とのこと。
 「ところで、第一週の里帰りは先月に続いてだね?そう決めたの?」
 「うん、そうだね、月一は帰ってこうと思ってるさあ。」
マナは倭国の生まれなんだが、ユクレー島に「帰る」と言う。彼女にとって故郷はこの島であり、ユクレー屋が彼女の実家で、ウフオバーが母親代わりなんだろう。

 その彼女の実家ユクレー屋に、私も回れ右して一緒に入る。彼女の母親代わりであるウフオバーが夜の開店の準備をしていた。「オバー」、「あい、元気ねー」、「大元気さあ、オバーも元気ねー」、「私は不死身さあ、だー、子供達は」、「はい、子供達も元気に育ってるよ」、「あね、ますます可愛くなってるねー」などと、一通りの挨拶があって、開店準備も概ね終わった後、三人でティータイムとなる。
 「そういえばさ、さっき港にもいなかったんだけど、ガジ丸の姿が見えないね。」
 「ガジ丸は先週も先々週もいなかったね。旅に出たのかね。」(オバー)
 「夏休みだ、って言ってた、二週間前から。旅に出たのか何なのか、何をしてるのか、どこへ行ったのか分からないけど。」(私)
  「夏休みって、マジムンにもあるの?そんなの。」(マナ)
 「あるっていうのか、何ていうか、働いているわけじゃないから、休みといえば毎日が休みだし、・・・ただ、いつもよりのんびりしているってことかなぁ。」(私)
 「いつもよりのんびりなら、じゃあ、やっぱり、旅かもね。」(マナ)
 「そういうことになるかもな。人間の格好して。」(私)
 「ガジ丸の人間姿は、あんたやケダとは違ってカッコ良いんだよね。きっと、人間の格好して優雅な旅をしているかもね。ところで、あんたの夏休みは?」(マナ)
 「僕の夏休み?・・・そんなの考えたことなかったなあ。夏休みか。」(私)

 夏休みって、人間には必要なんだろうか?だとしたら、何で必要なんだろうか?動物の中には、夏休みは無いが冬休みはあるものもいる。冬眠するものたちだ。彼らは冬は生き辛いので冬眠している。ということは、人間にとっては、夏は生き辛いのだろうか?マジムンは、生きているかどうかも怪しいので、生き辛いと感じることは無い。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.9.4