ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

てんぷら

2011年04月04日 | 飲食:食べ物(料理)

 沖縄天ぷら

 「沖縄天ぷら」という呼び名があるわけではない。「魚介類や野菜などに小麦粉を水でといたころもを着けて油で揚げた料理」(広辞苑)のことは、沖縄でもテンプラと呼んでいる。けれども、倭国の天ぷらと沖縄の天ぷらには少々違いがある。沖縄の天ぷらは衣が厚く、よって炭水化物(小麦)の占める割合が断然多い。ごはんのおかずというより、それだけで独立した食事物となる。お好み焼きのようなものである。
  衣が厚いので食感も違う。倭国の天ぷらはサクサクしているが、沖縄の天ぷらはもっちりとしたウドンのような食感である。学生の頃、東京の居酒屋かどこかで、フリッターなる料理を食べた。fritterは「揚げ物料理。魚介・野菜・果物などに、泡立てた卵白を加えた軽い衣をつけて揚げたもの」(広辞苑)らしいが、それまでの東京生活では、蕎麦屋の天ぷら蕎麦とか天丼とかの倭国風天ぷらしか食っていなかったので、フリッターは、「沖縄の天ぷらと同じだ」と思えるものであった。厳密には違うかもしれないが。

  食べ方も少々異なる。沖縄の天ぷらは衣の中に塩も入っているので、そのまま食べても美味しい。しかしたいていは、醤油やウスターソースを付けて食べることが多い。倭国の天ぷらのように「天つゆ」なるお洒落なものは無い。
 「天ぷら屋」という看板のある店に行くと、イカ、魚、野菜などの天ぷらが1個50円から70円くらいで売られているが、それらは概ね、衣の厚い沖縄天ぷらである。中学の頃、学校帰りに天ぷら屋に寄ることがたまにあった。中学生が買い食いするような店なので安い。天ぷらは1個1セント(1ドルの100分の1)だったか、2個で1セントだったか、 確かそんなもんであった。中学生たちはコーラ、またはベストソーダをを飲み、天ぷらを食った。そして、天ぷらを食う中学生のほぼ100%が、天ぷらにウスターソースをつけて食った。天ぷら屋に、醤油は無くてもウスターソースは常備品であった。今思えば、お好み焼きにソースをかけて食うのと同じ感覚である。
 大人になってから、肉体労働のアルバイトなどをやっていると、暑い日、寒い日の辛い仕事が終わった後、「今日は飲むか」なんてことになり、正社員の誰かが、「バイト生の誰か、天ぷら買ってきてくれ」となって、天ぷらを肴にすることもよくあった。

 中学生の頃に食った1セントの天ぷらは、衣がとても厚かった。中に入っているイカや魚は爪楊枝3本分ほどの大きさしかなかった。なので、安かったのであろう。アルバイトの頃の天ぷらは、さすがにそういうことは無く、具も大きくなっていた。
 盆正月には仏前へウサンミ(御三味)というご馳走を供えるが、その中に天ぷらは欠かせないものである、私の母はウサンミのほとんどを手作りしていたが、天ぷらも作った。彼女の作る天ぷらは、沖縄天ぷらには違いなかったが、天ぷら屋やスーパーの総菜で売られている天ぷらよりは衣が薄く、表面はサクサク、中はもっちりの天ぷらであった。
 母は料理上手だったので、その天ぷらも美味しく、私も好きであったが、しかしながら私が作る天ぷらは概ね倭国風の、衣の薄い、サクサク食感の天ぷら。衣の厚い天ぷらだと少量でお腹が膨れるので、酒の肴には不向きなのだ。そう、私の天ぷらはごはんのおかずでは無く、酒の肴。ナスの天ぷらなどは特に、日本酒に合う。

 スーパーの総菜コーナーへ行くと、最近(何年前位からは記憶が定かでない)は倭国風の衣の薄いサクサクとした食感の天ぷらも置いてある。もちろん、どこのスーパーへ行っても、沖縄伝統の衣の厚い天ぷらはある。全国展開をしている某スーパーへ行くと、衣の厚い天ぷらには、「沖縄風天ぷら」と名札が付いている。
 なお、天ぷらはポルトガル語のtemporasが語源とのこと。
 
 
 

 記:ガジ丸 2010.10.23 →沖縄の飲食目次


タコス

2011年04月02日 | 飲食:食べ物(料理)

 メキシコの匂い

 初めてタコスを食ったのは、ピザが一般的になった高校生の頃、今から35年ほども前のこと。私はタコスって名前も、それが食い物であることも知らなかった。
 ある日、友人たちと波の上の有名なステーキ屋(名前は覚えていないが、今でもあると思う)にステーキを食いに行った際、友人の一人に「タコスって食べたことあるか?」と訊かれ、「何だ、それ?」、「旨いぜ」となって、その店のタコスを食った。

 若い頃はピザ、ハンバーガー、フライドチキンなどを私もガツガツ食っていたが、20年ほど前からはほとんど食わなくなった。不味いとは思わないが、わざわざ出かけて、買ってまで食うほどの美味とは思わなくなった。もっとも、貧乏なので外食することがほとんど無いせいもある。家では基本的に和風食、琉球食となっている。
  タコスも、これまでの人生でそう多くは口にしていない。ただ、数年前から模合(正当な理由のある飲み会)やクラス会でたびたび利用している飲み屋さんが、おつまみにタコスを出してくれる。よって、年に1、2回はタコスを食っている。

 沖縄にはタコライスなる食い物もある。タコスの具をご飯の上にのせたもの。かつて一度だけ食ったことがある。美味いとも不味いとも感じなかった。
 ちなみに、大学生の頃、東京に住んでいたが、その頃居酒屋で出されたタコスは好きであった。今でもたまに自分で作って食べている。そのタコスは蛸酢のこと。

 タコスはtacosと書いて、メキシコの食い物、「トウモロコシの練粉をクレープ状に焼いたもので、肉・魚介・野菜などを包んで食べる。」(〃)のこと。
 

 記:ガジ丸 2009.4.3 →沖縄の飲食目次


ピザ

2011年04月02日 | 飲食:食べ物(料理)

 イタリアの匂い

 初めてピザを食ったのは、歳ははっきり覚えていないが場所はしっかり覚えている。このHPにたびたび登場する従姉のMが連れて行ってくれた。彼女が大学生の頃だったと思うので、私は小学校高学年か中学1、2年生だ。40年ほども前の話だ。
 場所は、名前は忘れてしまったが、浦添市牧港にあるレストラン、5、6階建てビルの最上階にある展望レストランだった。私の両親はそのような洒落た店に連れて行ってくれたことがなかったので、従姉に「ピザ食べに行こうか」と言われても、私は「何それ?」であった。ピザ屋のシェーキーズが出現したのはそれから数年後のことなので、その頃ピザは、従姉のような恋愛適齢期の人達を除いては、あまり一般的では無かったと思う。

  ピザはしかし、戦後、アメリカ軍が駐留するようになってすぐ、ハンバーガーやホットドッグなどとともにやってきたと思われる。「得体の知れないもの」とウチナーンチュに思われたのか、あるいは、ホットドッグが100円としたらピザは400円位もして、貧乏なウチナーンチュには手が出なかったのかもしれない。
 父が軍作業員だったので、子供の頃、基地の中のレストランに何度か連れて行ってもらったことがある。レストランにはピザもあったに違いないが、父がご馳走してくれたのはホットドッグ、ハンバーガー、フライドポテトなどであった。ピザなる食い物が何者かを父も知らなかったか、子供の私が知らない食い物を頼まなかったのであろう。

  高校生になると、ピザは一般的になり、よく目にし、口にもするようになった。大人になってからは、飲み会の帰り、「締めにラーメン」の代わりに「締めにピザ」ということもたびたびあった。若い頃の話だ。今は「締め」そのものを胃袋が受け付けない。

 ちなみに、ピザはpizzaと書いて、イタリアの食い物、ピザパイ、またはピッツァとも言う。「発酵させた小麦粉の生地を薄くのばし、トマトソースや野菜・魚介・チーズなどさまざまな具をのせ、焼いた食物。」(広辞苑)のこと。
 
 

 記:ガジ丸 2009.4.3 →沖縄の飲食目次


コールスロー

2011年04月02日 | 飲食:食べ物(料理)

  A&Wのサラダ

 世のオジサン達には「コールスロー?・・・って?何?」と思われる方も多かろう。しかし、沖縄のオジサン達の多くはそれが何かを、たぶん知っている。少なくとも若い頃、A&W(マクドナルドのようなハンバーガー屋、沖縄では有名)に通っていたオジサンならよーく知っているに違いない。私もそこで初めて目にし、口にした。
 広辞苑からの丸写しとなるが、コールスローとはcoleslaw(英語)と書き、「千切りにした生のキャベツをドレッシングやマヨネーズであえたサラダ」のこと。

 酸味のあるものを概ね好む私は、コールスローが大好きであった。A&Wは県内に数店舗あるが、店によってコールスローの味付けが違っていた。大雑把に分けると、マヨネーズで和えたのと、イタリアンドレッシングで和えたのがあった。イタリアンドレッシングで和えたものはキャベツのシャキシャキ感が残っていて、マヨネーズで和えたものはキャベツがしんなりとして柔らかくなっていた。私は断然、後者を好んだ。
  もうここ十年以上、あるいは二十年以上かもしれない、A&Wのコールスローを私は食べていない。もっとも、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドなどファーストフードの店に行くことがないのだ。フライドチキンもハンバーガーも、食べたくなったら自分で作って食べる。食べたくなることがあまり無いので、作ることもあまり無い。
 コールスローはしかし、今でも大好きで、たびたび家で作っている。キャベツを一玉買うと、一枚一枚葉を剥いていき、外側はチャンプルーに、中間はチャンプルーもしくは煮物に、内側の柔らかいところを千切りにして、コールスローにしている。
 
 
 
 

 記:ガジ丸 2009.3.30 →沖縄の飲食目次


ヤマイモ料理

2011年03月31日 | 飲食:食べ物(料理)

 山のジャガイモ

 精力をつけたいわけではないが、私はヤマイモを時々食べる。好きだからである。特にとろろ蕎麦は大好きだ。夏になると、食卓に上る回数が増える。
 ここでいうヤマイモは、スーパーで年中売られているナガイモ、または、時々見かけるヤマトイモのこと。それらを短冊、または、とろろにして食う。

 ナガイモやヤマトイモとは見た目がまるっきり異なるが、沖縄にもヤマイモという名の食い物があるということは、私も若い頃から知っている。
 ヤマイモスーブという行事があって、冬、年明け頃になるとその記事が新聞に載り、また、テレビのニュースでも放送される。スーブとは勝負のウチナーグチ(沖縄口)読み、ヤマイモの重さを競う勝負。勝負に出るヤマイモは100キログラムを超えるそうだ。
 ヤマイモスーブは本部町やうるま市などで行われているそうだが、残念ながら、私はその現場を見たことがない。ヤマイモスーブも見たことないが、沖縄のヤマイモの実物も、去年の12月まで見たことが無かった。テレビからの情報で、「大きい、ずんぐりしている。表面が黒っぽい(黒褐色)。」ということは知っている。

 去年の暮れ、姉がヤンバル(山原、沖縄島中北部の通称)の知り合いから貰ったというヤマイモを1つ、お裾分けしてもらった。それはテレビからの情報通り、「大きく、ずんぐりして、表面が黒っぽい。」ものであった。「大きく」は、長さは26センチと、ナガイモより小さいが、幅と厚みがあり、重さは2キロ半あった。
 『沖縄大百科辞典』に、「沖縄で一般にヤマイモと称されるものはダイジョ」とある。ダイジョもヤマノイモ科ヤマノイモ属とのこと。私が貰ったものはダイジョのようだ。ダイジョの項を見ると、「30キロを越すものもある」とあった。それでも表現が甘いのである。沖縄の地元紙である琉球新報に、堂々144キロと見出しの記事があった。

 私の貰った重さ2キロ半は、それらに比べるとごく小さい。しかし、それでも、一人者が消費するにはちょっと大き過ぎる。で、飲み会があったついでに、そこの飲み屋に三分の二を譲り、その代わりとして、ヤマイモの料理方法をいろいろ教わった。
  生でとろろの他、煮物、味噌汁などにして美味しいとのこと。お菓子にもなるとのことであったが、それは後日調べたところ、カルカンという名の菓子であった。
 
 カルカンにも興味があったが、すったり、こねたり、蒸したりと手間がかかりそうなので、それは後日ということにし、先ずは煮物に挑戦。
 味噌味で美味しいとのことだったので、カツオ出汁で煮て、酒と味醂と味噌で味付けする。これは普通に美味しかった。ヤマイモというよりジャガイモのような食感と風味であった。食い物として何の問題も無い。山暮らしの際、重宝しそうだ。
 
 
 

 記:ガジ丸 2009.3.21 →沖縄の飲食目次