弾よりも速いスーパーマン、よりも速く時は過ぎてしまうので、いつのまにか私も生きてきた時間より死ぬまでの時間が短い、そんな歳になってしまった。なので、健康に関する情報番組、「あるある」とか、「スパスパ」とか、「ガッテン」とかを時々観ている。
どの番組だったか忘れたが、昨年、血液型をテーマにしたのを観た。それまで、血液型なんぞで人の性格が決められるもんか、と思っていたのだが、その番組を観てからは考えを改めた。血液型による性格の違いを今は少し信じている。
A型の血液は免疫力が弱く、O型の血液は強いということが科学的に証明されているらしい。免疫力の弱いA型の人は怪我したり、病気になったりすることが命取りになる、したがって、行動において慎重になる。O型はその逆で、大雑把な性格となる。
私はよく怪我をする。月に3、4回は小さな切り傷、火傷などを体のあちこちに作る。私はよく下痢もする。およそ人間の食い物であればとりあえず何でも食う。賞味期限を過ぎた食品でも、食えるかどうかは食べてみて判断する。判断ミスがあった場合などに下痢をする。でも、下痢は体の免疫能力がちゃんと働いている証拠なのだと思っている。
そんな大雑把な性格の私は、まるでその通り、血液型はO型である。こうやって書いている文章も多くは大雑把で、文献を広く読み、深く研究するということをしない。読んでいる人に“だいたいのところ”が伝わればいいと思っている。また、HPに載せるということは公にするということなのだが、プライベートな話を公にしていいのかどうかについても深く考えていない。面白ければいいじゃないかという判断に拠っている。
友人たちの中にはA型の人が多く、「そんな子供みたいに、言いたいことを言うんじゃないよ!」と非難されたことがある。「屁をこいたら雲子がもれた」とか「痔が長引いて肛門が爛れている」とかを飲み会の席でベラベラしゃべることが非難されたのか、音楽の好き嫌いや、俳優の好き嫌いをはっきり口にすることが非難されたのかは知らないが、いずれにしても私にしてみれば、非難されたことは「何で?」だったのだ。
“我が身をつねって人の痛さを知れ”と言われても、どうやらO型の私には、我が身のどこをつねってみてもA型の痛さを理解できないようなのだ。私にとって私の身に起きたことのほとんどはどうでもいいことで、他人に知られて困るようなことはあまり無い。で、ベラベラしゃべる。物や人(俳優、政治家などの公の人に限る)の好き嫌いも実はどうでもいいこと。で、しゃべる。これらはしかし、人(特にA型)によっては嫌なことかもしれないと、血液型の番組を観てから思うようになった。少し反省したオジサンは以降、飲み会での口数が少なくなった。そして、我が身に起きた“あわれな話”と“モノの好き嫌いの話”以外の話題を、私はあまり持っていないのだということにも気付かされた。
出しそびれたラブレターが3通ある。10年ほど前に書いたものだ。1通書いて渡したつもり、2通目書いて渡したつもり、で、3通目まで書いた。3通とも部屋の中のある場所に隠してある。内容ははっきり覚えていないが、たぶん恥ずかしいことをいっぱい書いてある。そんな恥ずかしいものをジイサンになったら読み返そうかと思って取ってあるのだ。今、そのラブレターくらいだろうか、他人には見せたくないO型の秘密は。
記:2005.1.21 ガジ丸
マニュアル通りにしかデートができない若い男が増えている、という話はもう数年前のことだったか、今、マニュアル通りにしかパソコンを動かせないオジサンはもっと増えているに違いない。私の今年の初読書は、新HP作成ソフトのマニュアルだった。
先週土曜日に模合(注1)の新年会があって、その開始時間に20分ほどの余裕を持って私は家を出た。本屋さんに寄って、新HP作成ソフトの解説本を買おうと思ったのだ。ソフトに付属のマニュアル本は解り辛い。「こういうことがしたい」ということについての説明がどこにあるのか探し辛いし、説明も易しくない。旧ソフトも同様だったのだが、1度、解説本を読んだ後だとマニュアルも使いやすくなる。皆、そうなのだろうか。
その日の昼間、図書館へ行った。新HP作成ソフトの解説本があれば借りようと思っていたのだが、それらしきものは貸し出し中だった。で、滅多に買うことの無い(去年1年間で買ったのは岩手のガイドブックを含め4冊)本を買うことにしていたのであった。
本屋さんが近付いたところでふと、財布にお金が十分入っていないことに気付いた。確かめると模合金(注2)の分ギリギリしか入っていなかった。飲み代が出せない。当然、本など買う余裕はまったく無い。で、本の購入は諦める。
翌日曜日の午後、散歩がてら近く(徒歩片道25分)の本屋へ行こうとしたが、天気が悪い。雨が降りそうな気配。傘を差しての散歩は面倒。また、その日は沖縄とは思えないくらい寒かった。で、やっぱり、本の購入は諦める。そして腹をくくる。解り辛いマニュアルを何とか読み取ってやろう。マニュアル通りに新ソフトを動かしてみよう。と、その日からマニュアル本を片手に新ソフト攻略に奮闘努力したのだった。
マニュアル通りにしかデートができない若い男が増えている、という話題が数年前にあった。それは、そういうことは好ましくないという非難とともに紹介されていた。が、しかし、慣れないこと、女性をデートに誘って、彼女を十分に楽しませることを自分の感性に頼るのでは無く、本の助けを借りる、なんてことは普通のことだろう。何が良くないんだろうと私は思っていた。慣れないことにはお手本が必要だろうと、今でも思うのだ。
お手本の無かった(あっても、知らなかった)我々の若い頃は、デートに誘う、手を握る、キスをする、セックスする、それら一つ一つの段階へ至るまでの道は闇夜の向こうにあって、手探りで突き進むしか無かった。頬を叩かれたこともあった。多くの友人に絶交されたこともあった。仕事を辞める羽目に陥ったこともあった。試行錯誤だったのだ。
親友のHは、ある日、付き合い始めた女性を何とか自分の部屋に誘いこんで、そして、彼女をいきなり押し倒した。強姦罪で逮捕されることを覚悟の上だった。でも、彼には自信があった。この女のことを心底好きだという一点においてだ。一生を豚箱で暮らすというリスクを犯してでも、彼女との結婚が、彼には必要だったということなのだ。
そんな情熱家の彼は、そんな情熱に負けてしまった彼女と、今では3人の子供とともに平和で幸せな、楽しい家庭生活をおくっている。自分の気持ちに正直でありさえすれば、マニュアル通りに動かずとも“大事は成る”ということなのだろう。
さて、私のマニュアル本片手のソフト攻略は、面倒臭がって滅多に掛けない老眼鏡を出してまでの奮闘努力ではあったが、結果、今日になっても上手くいっていない。私の正直な気持ちは、なかなかコンピューターには通じないようなのだ。
注1、模合:本土にある頼母子講のようなもの。詳しくはこちら。
注2、模合金:模合で支払うお金。
記:2005.1.14 ガジ丸