今、世間を騒がしている「高校を卒業するための必修科目を履修していない」問題、私の予想に反し(知識人たちの予想通りではあったようだが)て、数校の、数百人の話では無かったみたいだ。数百人程度なら、全体の数から見れば誤差の範囲内だし、どーってことなかろうと思ったのだが、あんまり多いと、真面目に必修科目を履修しつつ受験勉強にも励んできた高校生に、不公平感が生じるのではないかと想像される。
ニュースで、インタビューに答える高校生の映像があった。その一人が「生活に世界史は必要ない」と言う。「あー、そういうわけか」と合点する。彼の言う「生活」は、目指す大学に入って、然るべき仕事に就いて、などという「生活」であったのだ。つまり、彼にとっては、「金を儲けるためには世界史を勉強する必要は無い」のであろう。「幸せになりたい」というごく普通の感性である。ナンパする男子の感性と同じなのである。
というわけで、今回の「高校を卒業するための必修科目を履修していない」問題においては、履修しなかった高校生たちには何の責任も無いと私は結論を持った。真面目に履修して「不公平だ」と感じている受験生も、「今さら余分な」補修授業を受けつつ、なお受験勉強にも励まなければならない受験生も、みんな夢に向かって頑張ってね。
さて、高校生たちに責任が無いとすると、今回の問題の責任は「致し方なく」そうしたという学校側にあるのか?・・・ある。「我が校を優秀な学校にしよう」という欲から、ちょっとインチキをしてしまったのである。学校のため、職場のためといっても、ルールは守らなければならないだろう。彼らがやったことは、「金を儲けるためにはインチキしてもいいよ」というメッセージを子供たちに与えている。親の背中を見て子は育つと言うが、どうやら今の大人たちは、その背中が歪んでしまっているようだ。
近く、沖縄知事選挙が行われる。保革一騎打ちの争いとなっている。10月の初め頃から両陣営のポスター(一方は自分の娘と並んで、慕われている父親を演出している気持ち悪い写真。もう一方は友人と訳の分からないポーズをとっている気持ち悪い写真)が街のあちこちに貼られていた。告示後のポスターは選挙違反になる。ポスターは貼った候補者側に撤去する義務があるのだが、告示日近くになって、それらのポスターの一部を県の職員が撤去しているのをテレビのニュースで見た。撤去に税金が使われている。
昨日が告示日だった。ポスターは街のあちこちにまだ多く残っている。県の職員だけでは間に合わないほど大量にあるというわけだ。さらになお、今回、候補者の選に漏れた男が、これがチャンス(次を狙って)とばかりに、二人のポスターを合わせたのと同じくらいの数、自分の宣伝ポスターを貼っている。セコイというか意地汚いというか。ルール違反である両候補者のポスターと意地汚いポスターで、今、街の景観が汚れている。
「なんだいあいつら、税金の無駄遣いは辞めましょうなんて言いながら、自分たちが無駄遣いさせているんじゃないか。告示後のポスターは公職選挙法違反じゃないか。勝つためにはルール違反してもいいんだよってメッセージを子供たちに与えているじゃないか。それで県知事になろうとしているのかい!」と私は憤る。大人の背中が歪んでいる。
高倉健のような背中に私は憧れている。真っ直ぐな後姿だ。あんな背中になりたいと私は願う。大人たちの背中が、その多くが健さんのような背中であったなら、子供たちがそんな背中を見て育ったなら、誰かを苛めようという心も少なくなり、苛められて自殺してしまう子供の数も減るだろう。大人の歪んだ背中が、子供の心を歪めている。
※公職選挙法(第二百一条の十四)には、告示前ポスターについて、「ポスターにその氏名又はその氏名が類推されるような事項を記載された者が候補者となったときは、候補者となつた日のうちに、当該ポスターを撤去しなければならない。」(簡略)とある。
記:2006.11.3 ガジ丸