ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

無菌質VS雑菌質

2007年11月09日 | 通信-社会・生活

 15年ほど前アメリカ旅行をする際、その前夜、成田空港近くのホテルに泊まった。ホテルへ行く前に弟の家に立ち寄った。はっきりとは覚えていないが、弟の家はホテルから車で30分ほどの場所だったと思う。最寄駅(駅名は覚えていないが、確か武蔵野線だった)まで弟に迎えに来てもらった。これもまた、はっきりとは覚えていないが、弟の家は2階建て4世帯ほどの小さなアパートで、その2階にあった。
 玄関のドアを開けると弟の女房が出迎えた。私は初対面である。話は逸れるが、私は弟の結婚式に呼ばれていない。母の姪であり、私の従妹たちの結婚式にも呼ばれていない。当時フーテンであった私のことを恥と思ってか、母が私に知らせなかったのである。母にそう思わせたことを申し訳なく思うが、それが私の生き方だった。自分の感性を抑えて母の言い成りに生きていたら、私の個性は死んでしまったと思う。今はあの世にいる母も、それを理解し、許してくれていると思う。そう願っている。
 さて、弟のアパートは、玄関を入るとすぐに台所となっていて、食卓があった。弟の女房、Mと初対面の挨拶をし、中へ入り、食卓の椅子に腰掛けようとしたら、Mが言う。
 「お兄さん、すみません。座る前に手を洗ってください。」と。言われたとおりに洗面所へ行き、手を洗い、それから座る。Mが謝る。
 「失礼なこと言ってすみません。私、病気なんです。潔癖症なんです。」とのこと。彼女はバスや電車の吊革、エレベーターの手摺なども触れないとのことであった。自分の特別な感性を先ず告知し、それによって迷惑をかけて申し訳ないという気分が、「すみません、私、病気なんです。」という言葉に表れていた。台所のみで応対され、部屋の中には入れてくれなかった弟夫婦であったが、私は悪い感情は持たなかった。

 そんな潔癖症のMが、近場の旅行さえ滅多にやらないというMが、雑菌だらけの沖縄にやってきた。しかも、雑菌だらけの亭主の実家で1週間も生活した。彼女にとっては相当の努力と我慢を必要としたと思われるが、嫌な顔一つせず耐えてくれた。海洋博公園、ひめゆりの塔、平和祈念公園などの観光地にも一緒に出かけた。「大丈夫かな」と心配した私であったが、彼女は、摩文仁からの帰り、お腹をこわした時以外はほとんどずっと笑顔であった。歳取って、少しは潔癖が緩くなったのかもしれない。
  彼女が無菌質だとすると、私は、威張るほどのことでは無いが、雑菌質である。公園のベンチや草むらで寝ることも平気である。そもそも、日常的に雑菌だらけの部屋に住んでいる。私の部屋にはヤモリが住み着き、いつもどこかにヤモリの糞が落ちている。小さな虫がいつもいる。ベッドの下、オーディオラックの後などは何年も掃除していないので、見る気もしないが、おそらく埃だらけで、雑菌だらけであろう。
 Mのような無菌質と私のような雑菌質とでは、どちらが健康的に長生きできるだろうかと考えたら、雑菌質であろうと私は思う。よって、私が雑菌だらけの部屋に住んでいることは、そう悪いことでは無いのだと思う。よって、掃除はあまりしなくても良い。

 弟夫婦が帰る日、空港まで送っていった。家で父や伯母、姉と別れる時も涙を流していたMが、空港でもウルウルしそうになっていた。1週間、雑菌に耐えていた彼女に感謝していた私は、彼女を抱きしめたいという思いに駆られた。が、止めた。雑菌質の私に抱きしめられたら、彼女は酷い病に陥るかもしれないと思ったからだ。
          

 記:2007.11.9 島乃ガジ丸