ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

馬車馬も倒れる

2014年01月03日 | 通信-社会・生活

 「馬車馬のようにこき使われてよー、もうくたくたなんだ」などというセリフをテレビドラマかなんかで何度か聞いたことがある。馬車馬とは馬車を曳く馬のことだとは知っていて、「そうか、馬車の馬はこき使われているのか、大変だなぁ」と、セリフを言った男にでは無く、馬車を想像して、その馬に同情した覚えがある。何故かって、セリフの男はその日たまたまかもしれないが、馬車の馬は日常のことだ。「毎日、大変だね」と馬車の馬に出合ったら声をかけてやろうと思ったくらいだ。未だ実現していないが。
 そもそも馬車に出会うことがこの頃はほとんど無い。私が子供の頃は那覇市内でも馬車をたまに見ることがあった。養豚農家が各家庭を周って豚の餌にするための残飯を集めていた。残飯はいくつもの大きなバケツに入れられ、そのバケツは馬車に載っていた。その他、これはうろ覚えだが、各家庭を周って肥料にするための糞尿を集める農家も馬車を使っていたような記憶がある。それらよりももっとずっとはっきり記憶にあるのはテレビドラマの『ローハイド』、アメリカの西部劇、それに馬車はレギュラー出演していた。

  「毎日、大変だね」
 「ん?いや、そうでもないよ。荷は軽いし、走るわけでもないから」なのか、
 「毎日、大変だね」
 「うーん、でも、しょうがないよ。飯食わして貰っているからなぁ」なのか、馬車馬に聞いたことがないので、彼が本当にこき使われているかどうかは不明だが、馬の優しそうな、または悲しそうにも見える目を見ると、後者のような気がする。
 馬車馬という言葉自体にはどのような意味があるかと広辞苑を引く。「馬車をひく馬。また、脇見をしないように目の両側におおいをされることから、脇目もふらずに物事をひたむきにすることのたとえ」(全文)とあった。「こき使われる」といった意味ではなくて、「一所懸命、集中して事を行う」という意味のようだ。「なんだ、良い意味じゃねーか」と思う。すると、冒頭のセリフは「一所懸命、集中して仕事をさせられてよー」となる。「そりゃあんた、自分のためにも会社のためにも良いことさ」と思った。
          

 「そりゃあんた良いことさ」と、一瞬は思ったのだが、よーく考えるとそうでは無いと思い直す。「これは人間の尊厳にも関わる問題かもしれねーぞ」と。
  従姉の息子はアラフォーの働き盛り。先日、彼の女房と会う機会があって、その時彼女から聞いた話では、彼は上からも下からもプレッシャーのある中間管理職であり、しかも今、人手不足で去年までは2人でやっていた仕事を1人でこなさなければならない状況となって、ほぼ毎日残業、だけでは足りず、休日出勤もほぼ毎週のことらしい。
 「毎日疲れて帰ってくるんです。口数も少ないし、何だか心配で」と彼女は言う。そうか、これが「馬車馬のように」ってことかと思った。身も心もクタクタになるほど一所懸命に仕事をさせられている、命を削って働いているってことだ、と思った。
 家族の幸せのためなら、そこまで働かなくても良かろう。だが、職場がそれを強いている。職場はそうせざるを得ない。そういう社会になっている。そういう社会とは弱肉強食の社会だ。勝たなければ生きていけない社会、そこは厳しい。「頑張り過ぎたらいつか倒れるぞ」と私は思って、草原でのんびり草を食んでいる馬のシーンを思い描いた。
          

 記:2014.1.3 島乃ガジ丸