ユクレー屋、いつものように夕方から俺とゑんちゅ小僧はカウンターで飲んでいる。いつものようにマナが相手をしてくれている。
「火星に穴が開いているんだってね。何物かが住んでるかもしれないってさ。」とマナが言う。最初は月の話をしていて、それが突然ワインの話になって、それもまだ途中だったのにも係わらず、またも突然の話題変更だ。女にはよくあることだ。
「ほう、地中は温度変化が小さいから生物が生息できるかも、ってことだろう。が、まあ、いたとしても下等生物だろうな。光が無いと脳は発達しないと思うぜ。」
「でもさ、人間だったらさあ、鏡かなんかで太陽の光を入れるようにしてさ、空気も作ってさ、住むことができるんじゃないの?」
「そりゃあ、そうすりゃあ住めるかもな。でもよ、誰が住むんだ?オメェ住みたいと思うか?まあ、島流しの場所ってとこだろうぜ。」
「島流しか。・・・そこはじゃあ、地球追放に値する重罪ってことだね。」
「そうともよ。遠い火星で、しかも穴倉暮らしだ。ナンアリ島よりきついぜ。」
「ナンアリ島って何?」
「そうか、マナは聞いてなかったな。前に、ユーナに話した異星の話だ。その星には何でも有りの島があって、重罪人はそこへ流されたんだ。」
「何でも有りって、何か楽そうな気がするんだけど?」
「盗み、殺し、レイプ、何でも有りって島だ。どうだ?」
「そういう何でも有りなんだ。それはきついね。」
「あっ、そういえば、島流しのきついのと言えば、思い出した。そことは別の星の話なんだが、そこの島流しはあまりにきつくて、犯罪が激減したんだ。」
ということで、ケダマン見聞録その14は『恐るべき島流し』
ある星の話だ。時代的には地球の15~16世紀頃にあたる。飛行機はまだ無く、長い航海を可能にする大型の帆船が作られ始めた頃である。
その星の住人には、働き者、適度に働くもの、怠け者のの3つの人種がいた。怠け者のうち、性格の大人しい者たちは浮浪者のようになって、残飯をあさったり、野山から得られる自然の恵みでなんとかダラダラと生きていた。そして、怠惰でありながらも荒い性格の者たちの多くは、他人の物を奪い取って生きていた。つまり、犯罪者である。犯罪者はいつの世にも現れた。尽きることが無かった。
ところが、その星のある国では、他の国に比べて犯罪者が極端に少なかった。それにはその国独自の刑法が関わっていた。その刑法では犯罪者を大きく3つに分け、軽い者は禁固刑、その国の地域地域にある刑務所に入れた。服役した犯罪者の多くは更生した。
罪の中間位の者、服役しても真っ当な人間に戻りそうも無い者達と、罪が非常に重く、根っからの悪党だと思われる者達は、島流しにされた。
島流しの島は、大きな島と小さな島の2つあり、大きな島にはより数の多い、罪の中間位の者達、小さな島には少数の重罪人達がそれぞれ流された。
さて、その国にはアンスカンジャリカっていう動物がいた。アンスカン・ジャリカなんて中央アジアか東ヨーロッパのどこかにいそうな名前だが、人の名前では無い。アンスカンとジャリカで区切るのでは無く、アンスカとンジャリカに分ける。アンス蚊、ンジャリ蚊という蚊の種類である。アンスカは島流しの大きな島の方に生息し、ンジャリカは小さな島の方に生息していた。彼らはどちらも飛行能力が弱く、他の島へ移動することは無かった。それぞれがその島固有の生物であった。彼らはまた、木の汁、草の汁を食料としており、島で十分に生活できたいた。他の島に移動する必要は無かったのである。
ところが、普段は草木の汁で生きているアンスカンジャリカであるが、彼らにとって動物の血液はこの上ないご馳走であった。動物が間違って島にやってきたら、瞬く間に彼らに襲われた。しかも、彼らはその動物を殺すことは無かった。できるだけ長生きさせた。その方が、彼らにとってご馳走が長く続くからである。
地球の蚊も刺されると痒いが、アンスカンジャリカはそれに比べるとはるかに痒い。アンスカは10倍、ンジャリカは100倍くらい痒い。大きな島に流された犯罪者達はアンスカに刺される。毎日刺される。その痒さに耐えかねて、犯罪者達のほとんどは更生し、二度とあの痒さを経験したくないという思いから、再犯はほぼ無かった。
そして、小さな島に流された重罪人達はンジャリカに刺される。毎日刺される。その痒さはアンスカの比ではない。その島で数週間暮らし、それでもなお生き残った者は1割もいなかった。ンジャリカに殺す気は無いのだが、人間は他の動物と違い、自ら命を絶つことができた。あまりの痒さに発狂して自殺、または、発狂しないで自殺した。
「アンスカンジャリカの島へ島流し」という刑法ができてから20年も経つと、その国で犯罪を侵す者は、自殺願望者を除いてほとんどいなくなったのであった。
ということで、『恐るべき島流し』のお話はお終い。痒さを想像でもしたのか、マナは気分悪そうな顔をしていたが、その夜、幸いにもユクレー屋に蚊はいなかった。
語り:ケダマン 2007.11.30
「悪魔のグーダがよ、人の悲しみは悪魔の好物では無いって言ってただろ。」と、俺は沈んだ顔をしているマナを見て、声をかけた。詳しくは知らないが、どうやら、マナはジラースーに振られたみたいなのだ。朝は自棄食いしていたし、昼間はやけっぱちになっていたし、夕方はやけにはしゃいでいたし、今は落ち込んでいる。
人間だった頃、助平だった俺だが、もてていたわけでは無い。助平だったが恋愛は苦手だった。恋だの愛だのよりは、やるかやらないかが俺にとって重要だったからだが。だから、もてなかったのだと思う。したがって、心の機微とか何とかは得意で無い。よって、振られた女の慰め方もよく知らない。しかし、まあ、あまりにもマナが落ち込んでいる様子なので、何とかしてあげようと思ったのだ。
「お前の悲しみはよ、お前に愛があるから生まれたもんだぜ。愛があるということはだな、悪とは正反対なんだ。神に祝福されるべきことなんだ。」と、自分でも的を得たアドバイスなのかどうか自信の無いまま話を続ける。案の定、
「私を慰めようとしているのかもしれないけどさ、意味わかんない。何で私が悲しんでいるのを神が喜ぶのさ。私さ、今、奈落の底の気分なんだよ。」とマナ。
「そうか、奈落の底か。・・・奈落の底?・・・そうだマナ、良い話を思い出した。奈落ってのはよ、どん底って意味なんだがよ。じつは、奈落の底には倉庫があるって話だ。その倉庫にはな、星の数ほどの悲しみが収められているって話だ。」
というわけで、ケダマン見聞録その10は『奈落の倉庫』の話。マナは沈んだ顔のままで、聞いているのかどうか判らなかったが、勝手に話を始めた。
この世には、人の目には見えない井戸がある。その井戸の底はとても深く、それこそ目には見えないほど深く、底が無いと言っても良い位だ。まさしく、この世の果てとでも言うべきものである。俺たちマジムン(魔物)たちは、その井戸のことを奈落の井戸と呼び、その井戸の底こそが世に言う”奈落の底”であるという認識を持っている。
奈落の底を見たものはマジムンでも数少ない。この俺も実は見たことが無い。「奈落の底には奈落の倉庫がある」というのは、ガジ丸から聞いた話である。
奈落の倉庫には人間だけでなく、全ての生き物たちの悲しみが収められる。
生き物たちの悲しみは無限と言ってもいいほどの量がある。
しかし、奈落の倉庫は無限では無い。奈落の底は底無しの底というわけでは無い。ブラックホールというわけでは無い。
それでも、奈落の倉庫が満杯になるということは無い。なぜなら、
悲しみの多くは愛から生まれたものである。愛は生き物たちの心を潤すものであり、そしてまた、愛は地球という1個の生命体をも潤すものである。
悲しみの涙は時が経つと、柔らかな水へと変化し、地球を潤す地下水へと流される。したがって、奈落の倉庫は満杯になるということが無い。
というわけで、地球には愛を含んだ地下水が常に流れている。愛が多ければ多いほど地球は健康であり、生き物に対しても優しさを持つ。
「聞いてるか?」と、場面はユクレー屋に戻って、俺の話を聞いているのか聞いていないのかボーっとした顔のままでいるマナに俺は問いかけた。
「うん、何となく聞いている。」とマナはボソッと応える。
「だからよ、お前の涙は地球を潤している役に立っているんだ。今は悲しいかもしれないがな、お前の涙は多くの生き物の生きる力になっているんだ。解るか?」
「うん、何となく解るよ。愛が生きる力ってことでしょ?」
「まあ、そういうこった。」
「ところでさあ、その地下水は今も愛で満たされているの?」
「・・・」
「どうなのさ?」
「いや、まあ、それがよ。ガジ丸によるとだな。愛の地下水は、どうも減っているらしいんだ。減り続けているらしいんだな。」
「どうしてさ。悲しい人はいっぱいいるんじゃないの?」
「他人を思うってのは無償の愛であるはずなんだが、近頃は損得勘定で他人を好きになるってのが流行っているみたいなんだ。本物の愛が少なくなっているようだ。で、愛の地下水が減っているということらしい。困ったもんだぜ。」
「私の涙は地球の役に立っているのかなあ?」
「おう、お前の涙は上質の愛だと俺は思うぜ。」
「でもさ、そうであっても私、ちっとも嬉しくないよ。心はモヤモヤだよ。」
ケダマン見聞録その10『奈落の倉庫』の話は終わったが、マナの顔に明るさは戻らなかった。マナを慰めるための役にはあまり立たなかったようであった。
語り:ケダマン 2007.8.10
いつものようにユクレー屋のカウンターで、いつものようにダラダラと飲んでいる。今日は週末、いつもならゑんちゅ小僧も一緒になるが、用事があるのか、彼はまだ来ていない。奥の席には村の人が数人、ウフオバーを相手にユンタクを楽しんでいる。
梅雨が明けて夏とはなったが、まだこの時期は風がある。晴れていると日中の太陽は厳しい暑さだが、陽が沈むと、涼しい夜風が心地良い。酔い加減も良い。
「何か、ヌルーっとなるな。」
「だね。・・・いいのかなあって思うよね。こんなのんびりしていて。」
「いいんじゃないのか。のんびりが一番だよ。」
「地球環境は悪化してるというのにね。」
「前に言ったかもしらんが、人間が忙しくするから地球環境が悪化するんだぜ。」
「うん、それ、最初は屁理屈と思ったけど、正しいかも、と最近思うようになったよ。でもさ、環境と言えばさ、思うんだけどさ、悪化は止まらないのかなあ。」
「そりゃあ、人間がその欲望のままに動く限り、地球環境の悪化は続くだろうな。」
と、ここで俺は、ある話を思い出した。
「そういえば、科学の力で環境悪化を防ごうとした星があるぜ。話聞きたい?」
「うん、ヌルーっとしたままでいいなら、聞きたい。」
「あー、俺もヌルーっとしたままで話すよ。」
ということで、ケダマン見聞録その9、題は『環境悪化を防ぐ特効薬』
その星の、今から話す時代の状況は、現在の地球のそれとほとんど同じで、海があり陸があり、空があり風が吹き、多種類の動植物が存在し、ある1種の知的生命体がいた。そして、その星の環境悪化の程度もまた、今の地球とほぼ同じくらいであった。
その星に住むある1種の知的生命体というものは、肉体も精神も地球人と何ら変わらないので、彼らのことも人と呼ぶことにする。で、その人々の文明度や科学の発達具合もまた今の地球人とほとんど変わらないものであった。というわけで、地球同様、その星の環境悪化はもう十分に危機的状況になっていたが、これもまた地球同様、住人の多くの認識は浅かった。まだ先のこととのんびりと構えていたのである。ただし、これもまた地球同様、一部の人たち、科学者や自然と直接向き合っている者達の中には、「この星の環境悪化は逼迫している」という認識を持つ者もいた。
「この星の環境悪化は逼迫している」と認識している者の中に、ヒズル博士とムゾー博士という二人の若い科学者がいた。ヒズル博士は生物学、ムゾー博士はロボット工学を専門としており、若いながらもそれぞれの分野でトップクラスにいた。二人はまた、学生の頃から付き合いがあり、親しい友人同士でもあった。
「ここ数年のうちに何か手を打たなければ、もう臨界点だよな。」と、ヒルズが先に口をきった。二人は馴染みのバーにいた。
「そうだな。政治家や経済人たち、あるいは、心ある市民の声にちょっとは期待していたんだがな。自分たちが墓穴を掘っていて、自分たちがその穴の底にいて、もうすぐ上から土がかけられるということに気付いている奴は少ないみたいだな。」
「どうする?そろそろやるか?」
「あの計画をか。うーむ、実行に移すか。」
場面はユクレー屋に戻って、
「さて、マナ。二人はどんな計画を実行したと思うか?」
「えっ!話はもう終わりなの?」
「いや、計画を立てるまでの苦労、その計画を実行する際の苦悩に二人の物語は語るべきことも多いんだがな、長くなるので話を端折った。二人がどんな計画を実行したか、っていうことがこの物語のテーマだ。・・・どう思う?」
「どう思うって、・・・環境悪化を防ぐ特効薬になるんでしょ。石油などを使わなくて済むような技術とか、少エネになるような他の技術を生み出して、つまりさ、人類の消費エネルギーそのものを減らすような計画ってことじゃない?」
「おー、ピンポン。式は違っているが答えはあっている。」
「どういうことよ?」
「人類の消費エネルギーを減らすっていう答えは合っている。その方法が違うんだ。」
「どんな方法?」
「それを訊いているんだ。分らないか?」
「うーん、ぜんぜん、見当つかない。」
「人口を半分に減らしたんだ。人口を半分に減らしたら人類の消費エネルギーも半分に減るという算段だったわけだ。まさしく環境悪化を防ぐ特効薬だぜ。」
「人口を半分にって、何十億もの人を殺したってこと?」
「おー、そんな恐ろしいことをやったんだ。そんな、ヒズル博士とムゾー博士と同じような考えをする奴が地球にもいるかもしれないぜ。」
語り:ケダマン 2007.7.6
梅雨に入っても晴れ間はある。ここ数日は爽やかな天気が続いている。雨さえ降らなけりゃあ、この時期は風も涼しく過ごしやすい。酒は、年中旨いではあるが、このくらい涼しければ、酒が体中に染み渡って気分が良い。ふにゃっとした酔い加減になる。
「良い気分だな。酔いが回って、何かでれーっとなるな。」
「何言ってんの、ケダはいつもでれーっとしてるじゃない。」
「何言ってんだい、これが生きる、ちゅーことだ。」
「何で、でれーっとしてることが生きるってことなのさ。」
「俺は別に食わなくたって生きていけるからさ。」
「ふーん、それはつまり、働かなくてもいいってことだね。」
「そうだ。働かなくてもいい奴が働いたら、生態系に乱れが生じるってもんだ。」
「何か、屁理屈にしか聞こえないんだけど。」
「屁理屈じゃねぇぞ。おそらく、それが真実だと思うぜ。余分に食わない、余分に働かないことが自然と調和するってことだ。人間は、余分に食おうとしたり、余分に金儲けしようとしたりするから争いが絶えないんだ。」と言って、俺はある話を思い出した。
「そうだマナ、いい話を思い出した。地球とは別の星の話だがな。」
ということで、ケダマン見聞録その8はマナに語る物語、アリスとテレスという題。
その星のある国、まあ、仮にA国としておこう。そこは長い間戦争が続いていたが、ある年、やっとその戦争が終わって、その国にも平和の兆しが見えてきた。
A国とは別の地域に、喩えて言えば地球の日本のような、長い間戦争が無く、平和で、経済も発展した国、仮にB国としておこう、そんな国があって、長い戦争が終わったA国から戦後間もなく、B国へたくさんの留学生が渡った。
留学生たちは祖国の平和が長続きし、国民が幸せになれるようにという思いで、それぞれがいろんなこと、政治、経済、産業、科学、医療、教育などを学んだ。みな、一所懸命であった。また、学問に一所懸命取り組みながら、その他に歌やダンスなど、趣味に励む留学生も多くいた。それらも平和のために必要であると思ったからだ。
数年後、彼らのほとんどは国へ戻り、それぞれがそれぞれの分野で力を発揮し、祖国の復興に尽くした。それから5年も経つと、彼らの多くは国の中枢にいて、平和の国造りにいっそう励んでいた。A国にも平和が訪れたように思われた。
B国へ留学した者のうち、趣味にも励んでいた人々は、平和とはこれほど幸せなことなのかと強く感じていた。この喜びを祖国の人々にも味わってもらいたいと強く願った。なので、彼らの仕事ぶりは滅私奉公であった。そんな中に、アリスという名の女と、テレスという名の男がいた。二人はB国でダンスを共通の趣味にしており、いつしか愛し合うようになり、その頃はもう夫婦となっていた。二人は国のために献身的に働いた。国の役人として働き、休みの日には人々にダンスを教えた。二人の周りには幸せが溢れていた。
ところが、B国へ留学した者のうち、趣味を少しも持たず、政治ばかりを集中して学んだ人間の中に、我欲を抑えきれない者たちが現れた。その中でも特に、異常な権力欲を持つものがいた。フリトンという名の男であった。知能は高かったが、他人の心の痛みには鈍感であった。精神が未熟であり、心のバカと言える男であった。
狡賢いという点で政治的能力に長けていたフリトンは、ある年、若くして軍と繋がりのある大臣となった。小さな権力を手に入れた時、もっと大きな権力が欲しくなった。その欲求はついに、国を意のままに操りたいという野望に発展した。クーデターとなった。先の戦争が終わってから15年後のことであった。A国は再び不幸な状況となった。
フリトンは、軍の力で反対派勢力を抑え込んだ。手向かう者は容赦なく抹殺した。無抵抗な人間たちでも、将来自分の権力を脅かすと思われるものたち、特に、一緒にB国へ留学したものたちは危険人物と見なし、見つけ出して、ことごとく抹殺した。
当時、アリスとテレスは、B国で世話になったダンスの先生を招いて、ダンスの普及活動で地方に出かけていた。自分たちのダンスの上達ぶりを先生に披露しようとしていたその矢先に、クーデターのニュースが耳に入った。留学生仲間の多くが殺され、自分たちもまた危険人物と見なされていることを知った。軍がこの村に向かっているという情報も得る。村人たちは匿うと言ってくれたが、二人はそれを断り、逃げることにした。
隣国まで100キロほどである。国境を越えれば助かるかもしれない。人々のために一所懸命だったせいで、二人は長い間、子供を作る暇も無かったのだが、この時初めての子供がアリスのお腹に宿っていた。2ヵ月後には生まれる予定であった。「この子だけはどうしても生みたい」とアリスは強く願ったのであった。
急いで出発の準備を済ませ、二人が車に乗り込もうとした時であった。フリトン軍の行動は予想以上に早く、その姿を現し、あっという間に村の前方に立ち塞がった。
「さあ早く出て、俺たちが時間を稼ぐから。」と村人が言うのを制して、
「アリス、諦めよう。このまま逃げたら村に迷惑が及ぶ。」とテレスが言う。うつむいていたアリスの目から涙がポロポロと流れ落ちた。二人は抱き合った。
「みなさん、ありがとう。先生、ありがとう。」と、涙の止まらないアリスを胸に抱いたままテレスは言い残して、軍のいる場所へ向かった。数メートル歩いて、アリスが振り返った。涙を手で拭って、顔を上げて、そして言った。
「先生、踊りながら行くから、私たちのダンスを見て。」
二人は道の上で踊った。素敵なダンスだった。その時、先生も村人たちも、二人が軍に拘束されるだけとばかり思っていた。だが、フリトンの命令はそうでは無かった。二人が軍のいる場所に十分近付いた時、数人の兵士の銃が構えられた。銃声が響いた。
ダンスの先生には二人の踊り続ける姿が見えた。二人は空に浮かんで、優雅に踊り続けていた。そのままどんどん高く空に舞い上がっていった。
「上手だよ、きれいだよ。僕も一緒に踊りたかったよ。」と流れる涙を拭うおうともせず、空を見上げながら先生はつぶやいた。
空を舞い上がる二人に、先生の声は届いていた。
「ホントだね、一緒に踊りたかったね。」と二人は微笑みあった。
二人がうんとうんと高く上がった時、テレスが言った。
「僕らの住んでいた世界って丸いんだね。」
「あっ、ホントだ。まん丸だ。・・・丸いっていいよね、住む人の心もみんな丸くなるといいのにね。幸せな世界になるのにね。」とアリスが応える。その声はしかし、地上には届かない。そのまま二人は、ゆっくりと天国へ上っていった。
「はい、以上でこの物語はおしまい。」なのだが、マナはタオルで顔を押さえている。途中から涙を流していたが、それが止まらないみたいである。
「バカ、なんでこんな時に、そんな悲しい話をするのさ。」と涙声で言う。どうやら、恋する女は、心が感じやすくなっているみたいである。
「何でって、・・・何でだっけ。あっ、そうだ。余分に欲を出すから争いが絶えないという話だったんだ。・・・うん、だから、その通りの話だっただろ?」
「救いの無い話じゃない。悪い奴が生き残ってさ、みんなの幸せのために一所懸命尽くしたアリスとテレスが死んじゃうなんて、いったいどういうことよ。」
「うーん、どういうことよと言われても、そういうことなんだが・・・。ただ、まったく救いが無いわけでも無いぜ。その星の神様も二人を不憫に思ったらしくてな。アリスのお腹にいた子供の魂は救ってあげたそうだ。別の星、ってこの地球なんだが、の命として蘇らせたということだ。大昔の話だ。4世紀頃だな。」
「そうなんだ、で、その命は幸せだったの?」
「幸せだったかどうかは知らないが、有名人にはなったぜ。哲学者として現代でも名が残っている程の有名人だ。・・・あっ、そうそう、そんな大昔にその哲学者はだな、『地球は丸い』って証明した人なんだ。その証明がまた面白いんだぜ。三段論法っていうやつだ。『完全なものは丸い、地球は完全なものである、よって地球は丸い』ってさ。親の経験が遺伝子に残ったんだな、きっと。」と俺が面白い話をしている間も、マナの涙は止まなかった。恋する女に悲しい話は良くないと思ったのであった。
語り:ケダマン 2007.6.8
ユーナが一時帰島した日、夕方まではガジ丸とゑんちゅ小僧もユクレー屋にいて、マナと俺も加えた5人で大いにおしゃべりした。ガジ丸とゑんちゅが帰った後は、残った三人でさらにおしゃべりが続いた。
「おめぇもよ、高校三年だろ。最後の一年くらいはよ、ユクレー島というぬるま湯からきっぱり離れて、少しは一所懸命勉強するとかよ、友達作って一所懸命遊んで、人付き合いに苦労するとか、努力するとかやってみたらいいんじゃねぇかと思うのさ。」
「あんたみたいなグータラの口から、苦労とか努力なんて言葉が出るなんて思わなかったさ。あんたはさ、グータラして、十分生きているじゃないのさ。」
「おー、グータラでも生きていけるさ。ところがだな、・・・あっ、そうだ。グータラで思い出した。」と、ここで俺はある話を思い出した。
「グータラの話で面白いのがあるぜ。異世界の話なんだがな。」ということで、ケダマン見聞録その6が始まったが、
「えっ、面白い話?私にも聞かせてよ。」とマナが言い、マナも話を聞くことなる。それ以降、ユーナがいない間、ケダマン見聞録はマナに語ることが多くなる。今回はユーナとマナの二人が相手。『おおこの虫の見事』という題の物語。
昔、グータラな神がいた。神と言っても、そんじょそこらにいる神だ。やおよろずの神の一人だ。やおよろずって知ってるか?漢字で書くと八百万だ。八百万もいるのだからたいしたこと無いのさ。そんなたいしたこと無い中でも、その神は特にたいしたこと無い神で、名前をオオゴクツブシヘヒコと言った。ごくつぶしって知ってるか?漢字で書くと穀潰しだ。「食べるだけで何の役にも立たない者」って意味だ。それにオオ(大)が付くほどの者なのだ。で、怒った親に家から追い出され、鼻摘み者となって周りから疎まれて、天界からも追われ、地上に落とされ、放浪の身となっていた。
彼が落とされた地上は前に語った『妖怪VS三匹の侍』と似たような、ある程度の体の大きさがあれば虫も動物も二足歩行をし、それぞれの言葉を持っているという世界だ。
時代は『妖怪VS三匹の侍』の頃より古く、国の形もまだちゃんとできていなくて、あちらこちらにポツンポツンと村落があるだけ、生活が自然と共にあった頃の話だ。
ある村は豊かで平和な村であった。そこの住人は、ここで言うアリのような形をした者たちであり、彼らはよく働いた。そのお陰で、村は豊かであり、ほとんどの住人が同じように働き、それに対し不満を持つ者もいなかったので、村は平和なのであった。
それに対し、隣の村は争い事の絶えない村であった。その村の住人は、ここで言うキリギリスのような形をした者たちであった。彼らは総じて怠け者であった。つまり、ユーナのようなグータラだったわけだ。グータラたちは一所懸命働かない。冬に備えて食料を蓄えることもあまりやらない。それで、冬になると少しの蓄えを争うことになる。
と、ここまで話して、マナが口を挟む。
「どっかで聞いたことある話だなぁそれ。童話のアリとキリギリスじゃないの?働き者のアリと遊び人のキリギリスって話があったじゃない。」
「その童話を書いた人も、ひょっとしたらその世界を見た人かも知れねぇな。ところがだな、俺の知っている話はまだ続きがあるんだ。」
ある年のこと、例年に無く早く冬がやってきて、例年に無く寒い日が長く続き、とうとう、キリギリス村の食料は、春まだ遠いうちに尽きてしまった。そこである日、キリギリスたちは食料を奪うために、アリの村を襲った。
だが、アリたちは強かった。キリギリス軍は腕力で全く太刀打ちできず、すぐに組み伏せられる。さらに、顎の力においては雲泥の差があった。アリのひと噛みでキリギリスは動けなくなった。アリたちは日頃よく働き、体を鍛えることにも怠りが無かったのだ。怠け者のキリギリスと比べれば、その体力の差は歴然としていたのである。
結果、キリギリスのほとんどが傷を負い、戦いは1時間も持たずにキリギリス軍の惨敗となった、彼らは白旗を揚げて降参した。泣いて、許しを請うた。
すると、アリたちは、それをすぐに許した。許しただけで無かった。やむなく負わせた傷の手当をし、また、キリギリスの事情を聞いて哀れに思い、食料の援助までした。さらに、その食料をキリギリスの村まで運ぶことまでやってあげた。
その様子を、さっき話したグータラな神、オオゴクツブシヘヒコが見ていた。
彼はアリたちの強さ、度量の大きさ、慈悲深さにいたく感動した。日頃一所懸命働くだけでなく、いざとなったら他人のためにもその働きを惜しまない姿に体が震えるほどの感動を覚えた。そして、アリの一匹に声をかけた。
「何故、襲ってきたキリギリスを許しただけでなく、食料を与え、なおかつ、それを運んであげることまでするんだ?」と訊いた。
「キリギリスたちも地上に生きる私たちの同士です。彼らがいなくなったら、地上から音楽の一つが消えてしまいます。それは悲しいことです。また、キリギリスを懲らしめただけで終わったら、その後彼らは私たちに恨みを持つでしょう。彼らが力をつければ警戒すべき敵となります。私たちは不安な日々を送らなければならなくなります。でも、彼らと仲良くすれば、私たちは安心して暮らせます。キリギリスの平和は、私たちの平和でもあるのです。『情けは他人の為ならず』ということです。」
「何という徳の高さと知恵の深さであろう。」とアリの話すのを聞きながら、オオゴクツブシヘヒコは思い、
「おおこの虫の見事!」と涙を流しながら叫んだ。そして、自分のグータラを深く反省し、その後彼は、アリたちに敬意を表して自分の名前をオオコノムシノミゴトと改め、心を入れ替え、他人のために一所懸命働く神に生まれ変わったとのことである。後、彼は偉い神となる。丸裸になって困っているウサギを助けたという話でも有名になる。
以上で、この物語はおしまいであるが、ユーナに代わって今回はマナが質問する。
「オオクニヌシノミコトって、大国主命ってこと。あの、因幡の白兎の?」
「オオクニヌシノミコトじゃないよ、オオコノムシノミゴトだよ。でも、まあ、そういうことにいずれなる。つまり、これが大国主命の名前の由来ってわけだ。オオクニヌシノミコトの前はオオコノムシノミゴトと言い、その前はオオゴクツブシヘヒコという名前だったのさ。どうしようもないグータラでも、心を入れ替えて努力すれば偉くなれるっていう話だ。だから、ユーナも心を入れ替えて頑張れよって話だ。」
「何言ってるのさ。その言葉、そっくりケダマンに返すよ。」とユーナ。すると、
「違うよユーナ、心を入れ替えないままでグータラしていると、俺みたいになるぞって話なんだよ。『おおこの歳の繰言』なのさ。」とマナが続けて、「はっ、はっ、はっ」と二人の笑い声がユクレー屋に響いて、その夜は更けていった。
語り:ケダマン 2007.3.23