2016年12月1日に新居へ引っ越し、以降ほぼ毎日引っ越しに伴うあれこれの作業を続け、明けて2017年1月8日にやっと家の中の整理が終了した。残るは家の外、つまり、庭の整理。庭に植えられている樹木の撤去や移植をし、物干し設備の補修。9日に始めて、物干し設備補修も含めその日の半日、約4時間で完了した。
物干し設備は、「物干しと濡れ縁の間をもう少し広げたら歩きやすくなるね」という大家さんの要望で後日再補修、数センチ広げたのだが、そうすると、上部に張ったテントと軒の間に数センチの隙間ができ、濡れ縁の雨除けとしては不具合となった。で、鉄パイプを新たに買い、先を長くする作業も加わる。しかしそれも14日には終了。
新居を楽しく暮らすための備品作り、その作業のほとんどは大工作業だが、ボンクラ大工(私のこと)はその際たくさんのミスをしでかして、そのせいで備品作りに1ヶ月以上もかかってしまった。しかし、千里の道も諦めなければいつかは終わるのだ。
新居を楽しく暮らすための備品作りに1ヶ月以上もかかって、そのせいで畑仕事は遅れている。「ダイコン、ニンジン、ホウレンソウの種を播かなきゃ、そのために3畝の除草と土ほぐしをしなきゃ、1日8時間労働をしても9日はかかるなぁ、腰持つかなぁ」と、またも千里の道を感じながら、先週からコツコツと作業を続けている。
「どうすりゃいいのさ」と嘆いているのはしかし、「腰持つかなぁ」の私ではなく畑の野菜たち。1月4日、畑のダイコンの数株に花が着いているのを発見。株はどれも小さくて、引き抜くと数センチの長さしかない。気候があんまり暖かいものだから「あっ、春だぜ」と勘違いし、十分成長しない内に「子孫残さなきゃ」となったのかもしれない。
その他、ジャガイモの三分の一(全部で90株ほど)が芽を出さない。夏野菜のヘチマが、先週の中頃からやっと成長を緩めたみたいだが、先々週土曜日(7日)に「いくらなんでももうこれが最後であろう」の、今季おそらく最後の2本を収穫できた。
「もう春なのか?まだ冬が来ないのか?どうすりゃいいのさ私達」と思っていたに違いない畑の冬野菜たち、ところが、まるで春のように暖かかった今季の冬も、先週金曜日からはいかにも冬の気温になった。芽の出ていなかったジャガイモもその多くが芽を出してきた。早くに植えたキャベツ、ブロッコリー類は(たぶん暑さで)生育不良だが、最近植えたその種は順調に育っている。ヘチマもやっと概ねが枯れた。ちなみに、タマネギ、ニンジン、ニンニク、シマラッキョウなどは順調に育っている。
ヘチマが冬でも収穫できるのなら農夫にとって嬉しいことだが、ダイコンが十分育たない、ジャガイモが芽を出さないと農夫は困る。「あっ、そうか」と再認識。天候不順、あるいは異常気象と呼ばれるもので困るのは農夫だ。作物ができなければ売るものがない。売るものどころか自分の食べる分さえ覚束なくなる。「どうすりゃいいのさこの私」と嘆くのは私である。夜も昼も夢の開かない人生となるかもしれない。
「夜も昼も夢の開かない」を補足説明すると、たぶんもう40年ほど前のヒット曲だと思うが、藤圭子という魅力的(私は好きだった)な歌手がいて、彼女の代表曲に『圭子の夢は夜ひらく』というのがあった。「どうすりゃいいのさ」でその歌を思い出した。
記:2017.1.20 島乃ガジ丸
先週木曜日、「新居を楽しく暮らすための備品作り」がほぼ終了して、「明日からは畑仕事に精を出そう」と思っていた翌金曜日、しかし残念ながら朝から雨。毎週金曜日の恒例行事であるガジ丸ブログアップのため朝早くに従姉の夫の事務所へ行き、恒例行事を終わらせ、そしてそこから、畑ではなく映画館へ向かった。
映画館はもちろん、私の大好きな桜坂劇場。観た映画は・・・映画の話をする前に愚痴を1つ、あんまり腹が立ったので書かずには腹の虫が収まらないので。
桜坂劇場指定の駐車場がある。桜坂劇場を利用すれば2時間分は無料となる駐車場。その入口に車を入れようとしたが私のすぐ前に先客がいて、その車が入口で停まったまま。私としては当然、車は駐車スペースに行くであろうと思い、その車の後に自分の車を付けたのだが、車の運転手は入口に停めたまま車から降りた。その時、駐車場の職員である若い(といっても見た目30代)男が「何してるんだ!」といった顔で「車は横付けで停車して」と言う。「どういうこと?前の車がさっさと先に行けば私もすぐに中へ入れるじゃないか、わざわざ横付けにしなくてもいいんじゃないの?」と思った私はおそらく、「何で?」という顔をしていたのだろう。男はまた「横付けにして!」怒鳴る。
私は車を駐車場入口に横付けにした。「そう、それでいい」という顔をして、男は横着な物言いで「カギはつけておいて」と言い、入口に停まっている車を運転し、駐車スペースへ持って行った。そこで私は気付いた。そこの駐車場は、客は車を入口に停めるだけでよく、その車を駐車スペースに運ぶのは従業員の仕事というシステムであることを。
そういうシステムが一般的であるのなら私は怒鳴られてしょうがない。あるいは、そういうシステムであることを目立つところに書いてあれば私がウッカリそれを見逃していたということなので怒鳴られてもしょうがない。しかしそうではないのだ。腹立つ。
愚痴はそこまでにして、さて映画。どのくらい前か、1ヶ月以上前くらいからラジオで時折話題に上がっていた映画。「感動する、涙が止まらなかった」とかいう評判の映画。その映画が桜坂劇場でやっていた。戦争を題材としたアニメ『この世界の片隅に』。ここ何年も泣いていない私は、「久々に泣いてみるか」とこの映画を選んだ。
映画は、空襲警報を悲惨が近付く足音のようにして、先ずは年月日が画面に現れ、サイレンが鳴る。警報があっても日常は淡々と流れていく。主人公は少女から大人になり、結婚して他家に嫁ぐ。時の流れと主人公の日常が戦争の足音と共に描かれて行く。
映し出される年月日はやがて昭和20年8月6日となり、同年8月15日となる。右手を失い、広島の実家の家族を失った主人公だが。悲惨な状況が続く中、それでも日常が存在する。悲惨な状況が続く中でも、暖かい心に触れる、笑顔にも出会う。
これまでに戦争を描いた映画を私は多く観てきたが、この映画以上に非常時の日常を感じさせたものは無かった。そこに日常があるからこそ、背景の悲惨がよけいに際立ったと思われる。そんな描き方をする原作者のこうの史代という人に私は興味を持った。
ところで、「久々に泣いてみるか」という希望であったが、私の目から涙は一滴も流れなかった。老いて感受性が鈍っているのかもしれない。映画に申し訳ないという気分。
記:2017.1.20 島乃ガジ丸
粉の使い道
2017年元旦、貧乏農夫(私)は正月も関係無く畑へ出勤した。畑仕事をするために出勤したのではなく、新居を楽しく暮らすための備品作りのため。
畑小屋の前で大工仕事をしていると、こちらは私と違い全く貧乏ではない農夫、先輩農夫のNさんがやってきた。「正月早々何しにですか?」と訊くと、「最近雨が降っていないから水掛けに」とのこと。確かに雨が少ない、私の畑も乾いている。
Nさんは自分の畑へ行く前に時々(週に1~3回)私の畑に寄って行く。私の畑小屋にはカセットコンロがあり、お湯を沸かすことができる。冬になるとNさんはドリップコーヒーを持ってくる。それを入れて、熱いのを飲みながらしばしのユンタク(おしゃべり)を楽しむ。冬であっても寒くない日(今年はそれが多い)は冷えた缶入り飲料を自分と私の分2缶をNさんは持ってきて、それを飲みながらしばしのユンタクを楽しんでいるが、その日、2017年の元旦は暖かかった。Nさんは缶飲料2缶を片手に持っていた。
その日その時、もう一方の手にNさんは大きな袋を提げていた。
「何ですかそれ?」
「あんたが、粉のコーヒーを飲んでいるようだからプレゼント」と言い、袋を開けた。中には大きなプラスチックの円筒形の箱があり、英字で何やら書かれてある。英字なのですぐには何か判らない。「何ですかこれ?」と再び訊く。
「コーヒー、友人に基地内を出入りできるのがいて、彼が基地内のスーパーで買ったもので、私にくれたもの。まだ半分以上残っているけど、あんたにやる。」
その2日前、濡れ縁とそこで使うテーブルが完成したお祝も兼ねて、Nさんを新居に招待し、コーヒーを御馳走した。その時に、私がコーヒー豆をミルで挽いて飲んでいるということをNさんは見ていて、「粉のコーヒーを飲んでいるから」となったようだ。
高校生の頃、異性や恋愛に対しては臆病な私であったが、食べ物や飲み物に対しては生意気な少年であった。(親のお金で買って)酒を飲みタバコを吸い、手回しのミルを(親のお金で)買い、コーヒー豆を時々(親のお金で)買い、挽いて飲んでいた。
その後もずっとコーヒーは好きであったが、ミルを回すのが面倒になって、しばらくは粉コーヒーを購入していた。であったが、2004年に電動式コーヒーミルを(自分のお金で)購入して、それ以来ずっと豆を(自分のお金で)買って挽いて飲んでいる。
Nさんから頂いた大箱のコーヒーは粉。Nさんが「半分以上残っている」と言っていた通り、箱の6割方は粉が入っている。粉は豆に比べると酸化するのが早い。「早く飲まなきゃならないな」と思ったが、こんだけ大量のコーヒー粉、1日10杯飲んでも1ヶ月はかかりそうだ。「さて、どうする、どう消費する?」と考えた。で、閃いた。
「そうだ、水出しコーヒーにしよう」と。
高校生か浪人生の頃、どこぞの喫茶店で水出しコーヒーを作る装置を見たことがある。大きなドリッパーにその上部から水が一滴一滴ゆっくり落ちて、管をグルグル回って水で抽出されたコーヒー色のコーヒーが下にある器に溜まって行くもの。友人、あるいは店主に勧められてその水出しコーヒーを飲んだことがある。美味いと思った。
約1500ミリリットル入る広口瓶に、約1500ミリリットルの水を入れる。粉コーヒーをお茶パックに詰める。1つのパックに私が日常飲んでいる約1杯分の量の粉を入れて、それを3パック作り、1500ミリリットルの水の中に入れる。そして待つ。どれくらい待つのか?というと、どれくらい待つべきか調べていないので適当に待つ。
1回目は1晩待った、次は1日待った。両者にたいした違いはなかった。いや、あるいは、両者の違いを私の舌が判別できなかっただけなのかもしれないが、「どちらも一緒、半日あれば十分抽出される」と判断した。どちらも美味いと私の舌は感じた。
記:2017.1.18 ガジ丸 →沖縄の飲食目次