ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

美味しいが担う復活

2019年11月01日 | 通信-その他・雑感

 昨日未明4時前に目が覚め起きる。しばらくして、ラジオを点けると「首里城が火事」とのニュースが聞こえた。「ぬぁわーにー!」となって、5時には談話室行ってテレビで見る。窓の外を見ていた看護師が「炎らしきものが見えます」と私を手招きした。談話室の窓から遠くに燃えている明りが見えた。はるか遠いのにはっきり見えた。
 首里城は支配者(王様)の家であり、首里王府の政治施設に過ぎないのかもしれないけど、歴史的文化的、さらに民俗学的に見れば、ウチナーンチュにとってはウチナーンチュの精神の拠り所となる建物ではないかと思う。南の島の暢気者のオジーである私でも、少なからぬ衝撃であった。沖縄県民統合の象徴が消えつつあると感じた。
 その後、時間が経つに連れて、「正殿、北殿、南殿が全焼し、他の建物も燃え、周辺にも延焼」となっていく。火事は午後2時半になってやっと沈下したとのこと。
 首里城についての話はまだあるが、それはまた別の機会にということにして、今回は食の話、食材と食欲の話。食材と食欲が元気の元になるのではないかという私の仮説。

 病魔に侵された私の舌は、腫れ上がっているために口の中でぎゅうぎゅうとなって、ほとんど動けない。その舌が邪魔しているので左右の奥歯が使えない。舌も奥歯も使えないということで、食物を口に入れて、噛み砕いて飲み込むことができない。舌が動かない、舌が腫れているせいで喉が狭まっていることもあって唾を飲み込むこともできない。
 その舌も病院の治療によって次第に良くなっていく。
 10月25日の朝、今までできなかったお口クチュクチュができるようになった。
 同日、まだまだ不十分だが、少しだけだが、唾液が飲み込めるようになった。
 完全復調にはまだほど遠いが、口が動くようになった、少々だがモノを味わえるようになった。ということで、これまでは「天麩羅が食えたらいいなぁ」と想像の世界で夢ばかり追っていたが、今は食べたいものが現実、あるいは近い内の現実として現れてきた。
     

 今の毎日の3食は、主食はお粥だが、それに加え汁物とおかずらしきもの、デザートらしきものが付いてくる。主食がお粥なので、私は、基本的には和食が食いたい。しかし、病院の給食はお粥だからといって特別扱いはしない、汁物やおかずは概ね他の人と同じもの、中華であったり、西洋料理であったりする。和食であることはむしろ少ない。
 10月21日、「22日に伺います。何か欲しいものがあればお知らせください」という、とても優しいメールが友人のIさんから届いた。Iさんは和食の美人ベテラン料理人、そのメールを読んで「あー!」と、のろまな私の脳味噌でもすぐに閃いた。
 翌22日、IさんにIさん手料理のいくつかを持って来て貰った。そして、その日から私の3食は、味気ない病院食もIさんの和食が少し加わって幸せの食事に変身した。

 食事は栄養補給のための餌というだけではない、食べて、美味しいと感じて、幸せを感じて、心にも栄養を与える生きるに必要なものだと私は思っている。
 南の島の暢気者は、「細かいことはいいさぁ、食えればいいさぁ、美味しければいいさぁ」という気分で生きているのだが、「美味しければいいさぁ」は大事だと思う。美味しいは幸せを感じる、幸せを感じると元気になる、元気になると免疫力がアップする、免疫力が高いと病気に勝てる。・・・という流れになるのではないかと考えている。
     

 記:2019.11.1 島乃ガジ丸